た練馬区桜台二の x x 警視庁刑事笠岡道太郎さんおよび結婚式を挙げたばかりの長男の笠岡時也さん夫 婦めがけて突然、ブルーの乗用車 ( 車種、ナイ ( ー未確認 ) が突 0 込んで来た。このため道太郎さんが 車を避けそこねてはねられ、頭の骨を折 0 て重態。暴走車はそのまま三宅坂方面へ逃走した。 笠岡さんは、この日、時也さんの結婚式に出席しての帰りだ 0 た。居合わせた人たちの話によると、 暴走車はまるで、笠岡さん一家を狙って突っ込んで来たようだという。 警察では、笠岡さんが警視庁の 現職の刑事であるところから、逆恨みした犯罪者の犯行も考えて、全力をあげて、暴走車の行方を追 0 ている。 笠岡道太郎ーー・矢吹はその名におぼえがあ 0 た。栗山重治が漏らした「築地の金づる」を追及し て、矢吹の自宅まで訪ねて来た「死病に取りつかれている」と言った刑事である。 その言葉をそのまま鵜のみにしたわけではないが、憔悴した顔に、熱に浮かされたようにぎらぎら光 っていた視線には、命ある間に犯人を捕えようとする執念が感じられた。 あの刑事が暴走車にひかれた しかも犯行車のボディカラーはブルーだという。 それは、英司の車の色に符合する。そしてその前部 こんせき には、なにかと接触したらしい痕跡がある。英司の様子がおかしくなったのは、まさにこの事件の後あ たりからである。 「英司が轢き逃げ。まさか ! 」 あぶらあせ 矢吹はうめいた。それも相手もあろうに刑事を。背筋を冷感が走り、脂汗が額からしたたり落ちた。 もし彼が犯人ならば、なぜそんなことをしたのか ? ー・ - ー・ ただ 矢吹は英司に問い糺してみることにした。 「英司、おまえ最近、困っていることでもあるんじゃないのか」 さかうら しようすい
「パパのようになってはだめよ」と言うのが時子のロぐせであった。子供はその言葉を呪文のように 聞かされて育った。 「なぜ、そんなことをいちいち子供に言う必要があるのか」と笠岡道太郎が抗議すると、時子は、 「あなたは約東を守らなかったわ」 「おれは精一杯やった」 「何を精一杯やったというのよ」 「そのためにそれまでの職を捨てて、警察官になった」 「それがいったい何だというのよ、父を殺した手がかりのかけらでも見つけられて ? 」 「一生かけても追うと言ったろう」 「捕まえられたらお慰みだわ。まあ精々気長に待ってるわね」 「なんだか犯人が捕まらないほうがいし 、ような口ぶりだな」 「捜査本部が解散された後、管轄ちがいのあなたに何ができるというのよ。半七ならぬ、とんだ半駲 一万に一つの符合
笠岡道太郎は、「築地」にこだわった。矢吹禎介の疑惑は完全に晴れないまでも、彼が三十年も後に、 ふくしゅう 栗山に復讐をしたとすれば、その「突然の動機」を説明できない。 下田の報告を聞いたとき、笠岡は、矢吹に対する疑惑をすでに捨てかけていた。 するとだれが栗山を殺したのか ? ーー ここに浮かび上がってくるのが「築地」である。「金づる」と きようかっ いうからには、まず考えられるのは、恐喝である。恐喝から逃れるために、恐喝者を消した。ありふれ てはいるが、強い動機である。 しかし、「築地」だけでは、雲をつかむような話であった。 矢吹禎介に会ってみようか 明 笠岡はふとおもった。矢吹は、栗山の言った言葉の中でなにか忘れているものがあるかもしれない。 青会って話をしてみれば、あるいはそれを引っ張り出せるかもしれないとおもった。 笠岡は、ふたたび妻の目を盗んで家を脱け出した。これが「運命の糸にあやつられて」というとこる だろうが、彼はいまどうしても矢吹に会わなければらないような義務感に迫られていた。 金づるの正体
くドアの内側から「どなた」と若い女の声がたずねた。覗き窓がありながらそこから覗こうとはしない。 「笠岡と中します。夜分突然うかがいまして : : : 」 「かさおか」 松野時子は、すぐにおもいだせないらしい。こんな時ならぬ時間に最も予測し難い訪問者であったの だろう。 「笠岡道太郎です。先日ご尊父の告別式に斎場でお会いいたしました」 「まあ ! 」 内側にびつくりした声が起きた。そのまま無一言で立ちすくんでいる気配である。 しろいろと 「先日は斎場でしたので、お話もできませんでしたが、いずれゆっくりお目にかかって、、 お話ししたいとおもっておりました。ご住所もお勤め先もわからなかったものですから。本日は突然お じゃましました」 「お話しすることなどありません」 たちまち冷たい声がはね返ってきた。それは当然予想していた言葉である。 「失礼は重々承知しております。でも一度お目にかかって、私の立場をお話し申し上げたかったので 「あなたの立場 ? そんなことをいまさらうかがってもなんにもなりませんわ。どうぞお帰りくださ 彼女の声には少しも柔らかさがない。 「今日は夜分なので、これで失礼いたします。後で場所を改めてぜひ会っていただきたいのです」 「何のために ? 私あなたにお会いする理由などありませんわ」
笠岡道太郎は、東京都の警察官募集に応募した。試験は、新制高校卒程度の学力試験と、身体検査お よび身許調査の三種類である。年齢は十七歳より二十七歳までだが、都道府県によって多少異なった。 笠岡は、大学を出て、いちおう世間的に名の通った会社の中堅社員になっている。それが、それまで の経歴とまったく異質の警察畑への転職をはかったのであるから、まさに「コペルニクス的転回」と言 えよう。 これまでの会社に未練がなかったわけではない。 会社の上司の信頼も厚く、このまま順調に行けば、 相当のポストまで上って行けるだろう。 それを棒に振って、まったく未知の分野の最後尾につこうというのである。年齢も応募資格の上限に しっしょに受験した連中の中では、 " 最高齢〃のようであった。 笠岡も、この転職がたぶんに感情的な動機によることを知っていた。だが、彼は、笹野麻子から「あ なたは卑怯よ」と言われた言葉がどうしても忘れられないのである。音が音源から遠ざかるほど耳に響 くことがあるように、彼女から投げつけられた言葉は、時間が経過するにしたがって、耳の奥に反響を 凶臭
「単なる見込みだけで、捜索令状は取れませんし、だいいち自分の犯罪の証拠はできるだけ早く消そ うとするでしようからね」 「消し忘れたものを見つけられれば、やつを捕えられるんだが、難関が多すぎるね」 ようやく敵の黒い輪郭をはっきりと浮かび上がらせたものの、その間にはまだ埋められない深い断層 が切れ込んでいた。 決め手のつかぬままに年は代わり、笠岡時也と朝山由紀子の挙式は迫ってきた。笠岡道太郎もなんと か息子の婚礼の式だけは出席したいと願っていた。 幸いに、身体は小康状態を得ていた。悪いなりに病状が安定しているらしい。 「あなた、この調子なら、お式には出席できるかもしれないわね」 時子は単純に喜んだ。だが、息子の時也は、 「父さん、あまり無理しなくったっていいんだぜ。めでたい席で血でも吐いて倒れられたら、台無し だからね」 と無情なことを言った。 「時也、なんてことを言うんです」 明 証 の さすがに時子もたしなめた。 青 「いやいいんだ。時也の言うとおりだ。少しでも危なかったら、止めにしよう」 笠岡の気持は複雑であった。妻子は知らないが、彼はいま、息子の花嫁の父を捕えるために残余の生 命力を結集しているのである。息子が冷たいのに対して文句を言える立場ではない。 な」
した痴漢に一指もあげられなかったばかりか、それを救おうとした警察官を指をくわえて見殺しにした のだ。笠岡が全力をあげて協力していれば、松野は死なすにすんたかもしれない。笠岡も松野の死にあ ずかっている。 くや だが、その″一味〃に対して、同僚としてなんの報復もしてやれない。係官は悔しかった。 警察官であるが故に、こんな卑怯な市民をも救うために、一身を投けうたなければならない。それが この職業の当然の倫理であった。 「私たち、もうだめかもしれないわね」 警察の事情聴取からの帰途、笹野麻子は、笠岡道太郎に言った。 「どうしてそんなことを言うんだ。きみはなんの被害にもあっていない。あの事件は、ぼくたちにな んの関係もないのだ」 笠岡は、女の意外な言葉にびつくりした。 「なんにも関係ないとおっしやるの ? 私は、自分の被害のことを言ってるのではないわ。刑事さん が私を救おうとして亡くなったのよ」 あき 女は呆れ果てたように言った。 「必すしもそうとは言いきれないだろう。あの松野とかいう刑事は、くりやまという男を追っていた 気配だった。たまたまその追跡の途上にぼくたちがいたんだ。くりやまはきみを人質にして逃げるつも りだったのかもしれない。きみが気に病むことはない」 「人質にしても、私にいやらしい欲望をお・ほえたにしても、刑事さんは私を救うために一身をなげう ってくださった。でもあなたはなにもしてくれなかったわ」
手術のおかげで笠岡道太郎の病状は小康状態を取り戻した。彼の最大の関心事は、その後の捜査の行 方であった。彼とコンビを組んだ本庁捜査一課の若手下田刑事が、その後の進展の報告がてら見舞いに 来てくれた。 明 笠岡は下田を出し抜いた形になっていたので、彼の顔を見るのがおもはゆかった。ところが下田はま リ 1 ト意識にこり固まった刑事が 青ったくそんなことは気にかけていない様子である。本庁詰めには、エ おうよう 多い中で、下田は若いに似あわす鷹揚なところがある。 「やあ、下田さん。今度は勝手に動いてしまって中しわけない」 「きみが前に来て、・ほくと向かい合うんだ」 「恐いわ」 「やつばりだめだ。マシンが嫉くよ」 が落ちる。恐怖がよみがえってきた。 無理な体位に自衛本能が働いて、たちまちス。ヒード 「マシンが嫉くの ? 」 「そうさ、完全に " 停止 ~ しているときは、マシンとセックスしているんだよ。マシンと一つになっ て初めてあんな感じになれるんだ」 「練習すれば、できるようになるんじゃない 英司は、少女と語り合っている間に、極限の走行中のマシンと少女との " 三角関係 ~ に異常なスリル をお・ほえてきた。
矢吹禎介は、息子の英司の様子がおかしいのに気がついた。いつも車で走りまわっているのが、この ごろは部屋の中に閉じこもりきりである。食事にも出て来ないで、母親に部屋へ運ばせる。 「どうしたんだ、英司は ? 」 矢吹が妻に聞くと、 「べつにどうもしないでしよ、ああいう年ごろなのよ」と特に気にもしていない。 「食事ぐらいし っしょにしろと言いなさい」 「放っておいてやりましようよ。あの年ごろにはむしように親に反発したいものなのよ」 「いやに、ものわかりかいいじゃないか」 いつもの父親と母親の立場が逆になった形に、矢吹は苦笑した。矢吹は、あまり子供にやかましく一一 = ロ わない。。 とちらかと言えば放任主義であった。 多少、青年期に異常行動があっても、はしかのようなもので、一定の年齢に達すれば、ケロリとなお そうぐう ってしまうとおもっていた。精神と身体の発達のアイハランスな時期に、受験地獄に遭遇して心の安定 を欠いているのである。実際、いまの異常な受験竸争には、おとなでもおかしくなってしまう。 だが、最近の英司はどうも父親の顔を避けている様子であった。これまでも反抗的であったが、いま のように矢吹を敬遠はしなかった。トルエンを所持して警察につかまり、矢吹がもらい下げに行ってか いても轢き逃げ犯を追いたかった。 笠岡道太郎は、受傷後六時間めにして死んだ。 っ ~
122 笠岡道太郎は最近急激に体重が減っていることに気づいた。毎年夏になると一、二キロは減る。だが 今年は六キロも減ってしまった。しかも食欲はまったくなく、疲労感が全身を鉛のように包んで、体重 はますます減少していく気配である。 彼は比較的体重が安定していて、二十年来五十七、八キロを維持していた。それがこの調子でいくと 五十キロを割りそうな気配である。 特に最近にいたって、食物がいつも胸につつかえているような感じがした。水をのみ込んでも、落ち よい。しきりにゲップが出て、胃から逆流したいやな臭いがロ中に広がる。 「あなた、このごろひどく口が臭いわよ」 妻の時子が遠慮会釈なく指摘した。彼女に言われるまでもなく、ロに掌を当てて息を吹きかけると、 自分でもわかるような口臭であった。それはロ腔から発するものではなく、胃の奥深くから吹き上げて 来る悪臭であった。 「どうも近ごろ胃の調子がおかしいんだよ」 み 「そうね、あんまり食欲もないし、少し痩せたようだわ。一度、医者に診てもらったほうがいいわ 「うん、そうしよう」 笠岡が素直に病院へ行く気になったのも、それほど身体に異常を感じていたからである。五十代に入 り、頑丈なだけが取得だとおもっていた身体も、そろそろオー。ハーホールが必要な時期になったのかも