那須 - みる会図書館


検索対象: 青春の証明
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1. 青春の証明

に不自由しない」と言った中津屋の女中の言葉をおもいだしたであろう。 「率直におうかがいいたします。矢吹さんは栗山重治という男をご存じですか」 那須は一気に核心に斬り込んだ。 「くりやま : : : 」 矢吹の顔にどう答えてよいものかとまどっているような表情が揺れた。 「六月二十八日、多摩湖畔で死体となって発見された人物です」 那須と下田は矢吹の顔を凝視した。 「くりやま、栗山重治がですか」 矢吹の顔に驚愕の色が刷かれた。 「そうです。こちらの資料によると、本籍伊勢原市沼目一八 x 、住所国立市中二ー三ー九 x 番地にな っています。婦女暴行や傷害の前科があります」 「栗山が死んだのですか」 矢吹の驚愕はつづいている。 「そうです。しかも、現場に一か月近く埋められていたのです」 「栗山が殺されたんですって」 「そうです。新聞を読まなかったのですか。テレビやラジオでも報道されましたよ」 明 ざんぎやく それは犯行手口の残虐な殺人事件としてかなり大きく報道されているのである。 青那須の口調には知らないとは言わせないそという押しが感じられた。まして矢吹は新聞社の出版局の 人間である。これほどの = = ースを見過ごしにするはすはない。 「それが六月の下旬から七月上旬にかけて、ヨーロ、 / の方へ行ってましたので」

2. 青春の証明

259 青春の証明 「どうもしません。家にまっすぐ帰って来ました」 「途中どこへも寄りませんでしたか」 「片目なのでまっすぐ家へ帰って来ました」 那須は内心うめいた。「片目のライト」がアリバイ工作にも引っかかってくることに気がついたので ある。二人が中津屋を出たのが午後五時ごろであったことはわかっている。殺人の時間を稼ぎ出すため には、どうしてもこのくらいには出発したい。 だが、帰りを急ぐ理由を「片目のライト」で支えただけでなく、今度はその結果としての早すぎる帰 宅によって生じた時間を再び「片目」で埋めたのである。 家族によるアリバイは証拠価値がうすい。だが警察側に挙証責任が負わされている間は、家族による 証明でも通用する。那須は敵ながら見事な「一石」ならぬ「一目二鳥」だとおもいながらも、矢吹クロ の心証を強めた。 「お宅へ帰り着いたのは、何時ごろでしたか」 「道路が混んでいましたので、結局八時すぎになったように記憶しています」 「もちろん、片目のライトはすぐ修理したでしようね」 「翌日、修理させました」 「その修理屋の名前と住所はわかりますか」 「わかりますけど、そんなことまで : : : 」 「ぜひおねがいします」 那須は抗議しかけた相手に押しかぶせた。聞き出した修理屋から裏を取るために、下田は席をはずし た。矢吹は相当に気分を害した様子だったが、意志的に抑えている。

3. 青春の証明

矢吹の厚い表情に、初めて激しい怒色と憎悪が浮かんだ。ここでそういう感情を剥き出しにすること の不利をよく承知しているはずでありながら、栗山に向ける反対感情を隠そうとしない。 うら 「矢吹さんは、栗山に怨みでもおもちですかな」 相手にとって答え難い質問を那須はズバリと聞いた。 「憎んでいます。あいつらのために、私は親しい戦友を殺されたのです」 一瞬、矢吹は遠い目をした。三十数年前の絶望の戦いの日をおもいだしたのであろう。 「あいつらと言いますと、他にも憎んでいた人間がいたのですか」 「指揮所付きの将校で特に悪いのが三人いました。八木沢、 、栗山という三人の大尉でした」 「栗山はその三人の中の一人だったわけですね」 「そうです」 「どういう理由で憎んだのか、その辺の事情を聞かせてもらえませんか」 「けっこうです」 ふくしゅう 矢吹は、三人の大尉が柳原少尉の恋人を自殺に導いたいきさっと、それに復讐しようとして柳原が基 地へ自爆した事件を話した。 「なるほどそういうことがあったのですか」 明那須は憮然たる表情になった。もっとも那須はいつも憮然たる表情をしている。 証 の 「ところであなたは、その栗山と昭和一一十三、四年ごろ e 大医学部付属病院でいっしょになりません 青でしたか」 「よくご存じですね。たしかに二十三年の暮れごろ私は急性盲腸炎を発して、三週間ほど入院しまし むずか た。そこに栗山がなにやら難い病気をかかえて入院しているのを見出してびつくりしたものです」 にく

4. 青春の証明

「やつばり矢吹禎介でしたか」 下田もここへ駆けつける前に、おおかたの察しをつけていた。 「この人が確認してくれたんだ」 笠岡は、中津屋の女中を指さした。 笠岡の発見は直ちに捜査本部に伝えられた。本部ではいちおう矢吹禎介を任意で呼んで事情を聴くこ とにした。矢吹禎介は、悪びれすに捜査本部へ出頭して来た。 「今日はわざわざご足労をいただきまして」 折り目正しく矢吹を迎えたのは、那須である。初めて浮かび上がった重要参考人なので、キャップ自 らが対することにした。聴取の補佐官は、下田である。 あいさっ 初対面の挨拶の間にもさりげなく、それでいて職業的に練磨された観察が加えられる。 「矢吹です。いったいどんなご用件でしようか」 まゆげ 矢吹は厚みのある角ばった顔を向けた。面積の大きい顔面に太い直線的な眉毛と表情の豊かな目があ る。目は比較的小さいが、鼻は大きい。口元は意志的に引きしまっている。 男の最も脂の乗り切っているときの、自信に満ちた顔である。だがその自信が演技か、あるいは生来 のものか、那須の経験を積んだ目によっても見分けられない。 「お仕事はたしか新聞社にお勤めでしたな」 那須はすでに調査すみのことをさりげなく聞いた。 「現在は、その出版局で主として主婦向けの実務書をつくっています」 矢吹の差し出した名刺には新聞社出版局の編集長の肩書きがあった。この場に笠岡がいたら、「衣服

5. 青春の証明

189 青春の証明 那須はなるほどというように大きくうなずいた。被害者の身許が割れる前は、ビュルガー氏病の手術 の痕から、病院関係や医師関係を捜査していた。だが、身許が確認された後は、もつばら被害者の身辺 を中心に捜査が進められていたのである。 「入院患者仲間は、盲点だったかもしれないな」 同調の声が何人かの口からもれた。 「しかし、昭和二十三年ごろというと、ずいぶん前のことだし、戦後の混乱がまだおさまっていない 時代だ。はたして病院にそんな古い記録が残っているだろうか」 と危ぶむ意見も出されたが、 「かなりの困難が予想されるが、とにかく調べてみよう」 那須が結論を出した。捜査のポイントは、 一、栗山の入院期間中親しくしていた人間、 二、入院中加入していた同好サークルの有無とその仲間、 三、入院中の担当医や担当看護婦、 四、入院中の面会人、 五、出入商人、ーーー等に置かれた。

6. 青春の証明

かっただけです。それを栗山は知っている可能性があるので、彼の言いなりに中津渓谷へ行ってゆっく り話を聞こうとしたのです」 いちおう筋は通っているとおもった。那須は、一筋縄ではいかない相手であるのを悟った。 「中津屋の女中の話ですと、あなたは帰りを急いでいたようですが」 那須は内なる焦燥をおくびにも出さすに、質問をつづけた。 「実は : : : あのとき私の車で来たのですが、途中でライトが片目なのに気がついたのです。それで暗 くなる前に帰りたいとおもって時間を気にしたのです」 「それで眼鏡を探すのをあきらめさせたのですね。栗山はそのときレンズ拭きを忘れかけましたが、 あなたはそれを注意して、もたせた。眼鏡が失われたのにレンズ拭きたけもたせたのは、なにか特別の 理由でもあったのですか」 「べつに理山なんかありませんよ。あなただって、連れがなにか忘れ物をすれば、注意するでしよう。 ハンケチ、眼鏡のケース、レンズ拭きなんて最も忘れやすいものです」 「なるほど。それで栗山とはどこで別れたのですか」 「渋谷の駅前に七時ごろ下ろしました」 「それからどこへ行くか聞きましたか」 「べつに興味もなかったので、それ以上聞きませんでした」 「渋谷で栗山を下ろしたことを証明できますか」 「そんなこと証明できるはすがありませんよ。ちょうど夕方のラッシュ時で、栗山を落とすためにほ んの一、二秒停車しただけですから」 「栗山と別れた後、どうしましたか」 ひとすじなわ

7. 青春の証明

ささい 「ぜひおねがいします。どんな些細なことでもけっこうですから」 その盲腸患者以外に、栗山の入院中身辺に浮かび上がった人間はいなかった。そして、その唯一の人 あいましもこ 物も依然として曖昧模糊たる霧につつまれていた。 っ 4 e 大付属病院の元病棟婦長坂野すみの証言によって、栗山重治を憎んでいた状況の元軍人 ( 未確認 ) の存在が浮かび上がった。彼の正体については坂野すみの記憶の再生に待つ以外になかった。 「その元婦長、はたしておもいだしてくれるだろうか」 那須警部は、いささか心もとなげであった。 「たぶん大丈夫だとおもいますよ。なかなかしつかりしたお婆さんですから」 下田は、初めて訪ねて行ったときの坂野すみの柔和な目の底にあった鋭い観察の光を思いだしていた。 「かりに坂野すみの記憶をよみがえらせたとしても、はたしてその元軍人らしき男が、本命でしよう かね」 那須班の最古参山路部長刑事が言葉をはさんだ。二十数年前、ある病院に被害者といっしょに入院し 明ていた男というだけでは、あまりにも現在からかけ離れている人間関係だという危惧が改めてよみがえ 証 の ったのである。もともと山路は、笠岡が示唆した″病院説 ~ にあまり積極的ではなかった。 青 「その話をいまさらむしかえしても仕方がない。栗山の前歴や、服役中の関係筋はすべて洗ってシロ 3 くなっている。いまのところ、病院関係だけが残されている線だ。一年二か月の入院期間は、被害者の 経歴として無視できない」

8. 青春の証明

ノ。ハへね、いつご出発になりましたか」 こんしん 「六月一一十一日です。同業者の懇親を兼ねた研修ツアーでヨーロ、 ノバの出版事情の視察に七月九日ま で、西欧諸国をまわって来ました。その間の国内ニュースには触れませんでした。もちろん、旅行中も 国際的なニュースには関心をもっていましたし、帰国してから留守の間の新聞をかためて読みましたが、 スキップ 殺人事件の報道は見過してしまったのだとおもいます」 那須はうまい口実だとおもった。しかし信じられなかった。たとえ日本から離れていたとしても、新 聞社に勤めている人間が、自分の知人が殺されたニュースに気がっかなかったとは考えられない。 それに、栗山が殺された疑いが最も強い期間は六月二日の「中津の会食」後数日の間であるから、同 二十一日に海外へ発った矢吹のアリバイは証明されていない。 「あなたは本当に知らなかったとおっしやるのですか」 「知りませんでした。彼が殺されたと聞いて驚いております」 矢吹は、那須の目をまっすぐに見返した。その目にいささかもたじろぎの色は見えない。 「それではおうかがいしますが、あなたと栗山とはどのようなご関係でしたか」 「戦時中の私の上官でした」 やはり栗山には軍歴があった。 「新聞で拝見しましたが、矢吹さんは戦時中特攻機のパイロットだったそうですな」 「悪運が強くて生き残りました。まあ紙一重の差で生死を分けましたね」 「栗山重治も特攻隊員だったのですか」 「彼は指揮所付きの将校でした。自分の身は安全圏において、我々に死ね死ねと命じていた卑怯な連 中です」

9. 青春の証明

あなたもよくなったら入るといいわね、もっともそんなに長くはならないとおもうけれど」 笠岡は、看護婦の語尾をほとんど聞いていないように何事かに一心を集めていた。看護婦は勝手な人 と言うような表情をして病室を去りかけた。 「看護婦さん、いまぼくの所へ来た見舞い客を呼び戻してくれませんか」 笠岡がその後ろ姿へ呼びかけた。 看護婦が足を停めて振り返った。 「おねがいします。帰ってしまわないうちにここへ呼び戻してください」 「もう面会時間は過ぎていますわ」 「そこをなんとか」 「そんな無茶ですわ」 「呼び戻してくれなければ、私が行きますよ」 笠岡は、いまにも点滴をはずしそうにした。 笠岡の着眼は下田を経由して捜査会議に出された。 「すると、栗山重治がビュルガー氏病で入院していた病院を洗えというのだな」 かなつぼまなこ 警視庁から来たキャツ。フの那須警部が、金壺限を光らせた。 「栗山は二十三年四月から二十四年六月まで一年二か月間 e 大医学部付属病院に同病の治療のために 入院しております。刑務所で服役中に発病したのです。笠岡さんはこの入院期間中に生じたかもしれな い人間関係を洗うべきだと主張しておりますー

10. 青春の証明

三日後、捜査本部にいた下田の許へ一本の電話が入ってきた。 「坂野さんという女性です」 と取り次がれた下田はハッ と胸を衝かれた。坂野すみがおもいだしたのだ ! に押し当てた受話器に、若い女の切迫した声が話しかけてきた。 「下田さんですか」 「そうです」 「先日お越しいただいた刑事さんですね」 「はい」と答えた下田は、坂野すみにしては若すぎるとおもった声の相手が、ブザーに応えてエプ ンで手を拭き拭き玄関に出て来た坂野家の主婦であることを悟った。 「私、坂野の家内でございますが、おばあちゃんが : : : 」と言いかけて相手の声が途切れた。感情が 急に込み上げてきた様子である。 「もしもし、坂野すみさんがどうかなさいましたか」 下田は不吉な予感に耐えて聞いた。 のういつけっ 「今朝、急に倒れたのです。脳溢血だそうです」 「坂野さんが脳溢血 ! 」 下田はいきなり後頭部に痛打を喰らったように感じた。事実、衝撃をうけたように、送受器を握った 那須がやんわりと言った。それに力を得たように下田は、 めんわ 「もしその謎の元軍人の身許が割れれば、中津屋に写真面割りができます」 と一一一口った 0 こおどりするように耳