初子は決心した。 中川初子生まれて十八年七カ月の人生のなかで、はじめての一大決意をかためたのだ。初子は自 分の欲望のためではなく、ひとのために最初にして最後の一大おせつかいをやく決心をしたのだ。 久の気持ちを弓子に伝える : : : そうして弓子に久を激励してもらう : その決心は初子には悲しくつらいものだった。結局のところ、弓子の力を借りるよりほかに、初 子には久を元気づける手だてがないのだ。それは初子にはくやしく腹だたしいことだ。以前の初子 なら思うだけでおなかのなかが煮えくり返ったことだろう。だが初子は我慢した。我慢しなければ ならぬと自分にいいきかせた。久のほんとうの気持ちを弓子が知って、そうして弓子の気持ちが進 んで行くようになったとしても、しかたのないことだと思いきめた。久には、いま、弓子が必要な のだ。 章 の 渥美弓子さま っ 。くわしい事情はわからない いっぞやは電話でいきなり、ヘンテコなお願いをしてごめんなさい お けれど、どうやら、大庭グンは岩山グンにノ・ハされないんですんだようで、ありがとうございまし たものがなしさが胸のなかにひろがっていくのを、初子は感じていた。
「わかったな、大庭」 といわれると久はかならず、それにたいしてなにかひょうきんな答えをして、みんなを笑わせる のがきまりのようになっていたのだ。 みんなは期待して久を見た。だが、久は何もいわない。ただ、ポカンとしてハゲワラをながめて いる。久はハゲワラのいっていることをきいていなかったのだ。 「わかったな、大庭」 ノゲワラはくり返した。 「そうポカンとするな、きようはなんのマネだ」 久はまだポカンとしたまま、きき返した。 そここでクスクスと笑い声が起こる。みんなは久が例のおどけをやっていると思っているのだ。 「もういい大庭、ポカンとあいたロをしめろ」 そういって、ハゲワラは教室を出ていった。みんなは笑いながら、久を見ていた。みんなはまだ 久が何かやることを期待しているのだ。だが久はきようはおどけているわけではないのだ。久はわ れを忘れて、弓子のことを考えていたのではないのか ? 初子はそう田 5 った。そう思ったが、きようはふしぎに腹が立たなかった。メガネも光らなかっ しみじみし いつものあの腹だちのかわりに、生まれてはじめてのあるものがなしさ、やさしい、
281 おせつかいの序章 0 0 N . 0
剛久が弓子と仲よく話しているとカッとくるが、またこんなふうにやられるのをきくと、それはそ れでむっとする。弓子は岩山と久とをケンカさせないために、そんな調子のいいことをいったのだ ろうか ? それともそれが弓子の本心だったのだろうか ? このおせつかいの気性のため ああ、初子は自分のおせつかいの気性がほんとうにうらめしい 、試験勉強も手につかず、久のために弓子の本心をたしかめたくてウズウズしているのだ。弓子 の本心をたしかめればたしかめるで、また新しいおせつかいの欲望が初子をかりたてることはわか っている。初子は久の元気のないのが気にかかってしかたがない。オッチョコチョイの久がオチョ コチョイでなくなるなんて、初子にはたえがたいことに思われる。ああ、かわいそうに久は悩んで いるのだ。天井をにらんで弓子のことを思いつめているのだ。 二月はじめの雪の日、高校生としての最後のテストが終わった。テストの最後の科目である英語 が終わったトタン、教室は歓声といっしょにみなが用意していた紙吹雪が舞いあがり、ミスター ハゲワラのハゲ頭に舞い落ちた。 「諸君、あすから卒業式の日まで、学校は休みだ。いまとなっては、もう何もいうことはない。た 、健康をそこねないように、与えられた時間を余裕ある態度でもって活用してほしい。わかった な、みんな。おい、大庭」 みんなはざわざわ笑いながら久のほうを見た。 「わかったな、みんな、わかったな、大庭 : : : 」はミスター ぐせだ。 ハゲワラのこの三年の間についたロ
ないのだ。弓子はきてんをきかせて、うまく岩山をごまかしてくれたのだろうか ? 久はどうやら・ハドミントンにだけはされなかったようすだが、気のせいか、あれ以来、久は少 , 元気がないように見える。 「ここんとこ、彼、きちんと家にいるわ」 と安べ工は報告した。 「さすがの彼も勉強をはじめたようよ。でもへやにいるときの半分は、たたみの上に寝ころがっ 天井をにらんでるみたい」 「ふーん」 初子はそのたびにうかぬ声を出した。畳の上に寝ころがって天井をにらんでいるというのは勉 に身がはいっていない証拠であることは、初子自身の経験でよくわかる。久は弓子に会い い。だが久の心はまだ弓子のまわりをさまよっているのにちがいない。だが久は〈 とはやめたらし 、こ、くことをやめたのだろう ? 岩山に脅迫されたのか ? それとも受験のこと・ ぜ、弓子こ会 考えたのか ? そんなある日、初子は体育館の前で、ひょっこり岩山三次に出くわした。 「よ , つ、メガネさん」 初子を見た三次は、とんきような声でそう呼びかけると、ニャニヤしながら、 「このあいだはよくも、オレをからかってくれたな」
初子はふたたびメガネをかけた。 「やあ、そのほうが似合うぜ」 久は初子のメガネの顔を見ていった。 「メガネをやめたおハツの顔はどうも親しみがなかったけれど、これで、おハッらしくなったぜ」 そんな久のことばに初子は喜んでいいのか、怒っていいのかわからない。 学校では学年末の総合テストがはじまろうとしていた。このテストが終わるとあとは卒業式の日 序まで、三年の授業はもうない。受験生たちは家で最後の勉強にとりかかり、就職組のなかには、は や就職さきへ見習いに出かける者もいて、グラスにはなんとなく落ちつかぬ気分がただよってい る。 せ お「ねえ、おハッちゃん、大庭クンと岩山のケンカ、どうなったのかしらねえ」 その後、安べ工はときどき、思い出したようにそういう。実は初子もそれが知りたくてしようが 初子のこころ
「仕方ないよ、もう一度メガネをかけているほうが似合うぜ」 久はそういってテニスコートのほうへ向かって急いでいってしまった。久の姿が見えなくなる 初子ははっと気がついた。そうだ、コンタグトレンズどころではないのだ。なんとかしないと久」 岩山にのばされてしまう。 初子はホシ柿の宮司のところまでかけもどってきた。 「ごめんなさい、ちょっと電話拝借」 しやむしょ そういうなりかってに社務所へかけあがった。電話帳をめくって図書館を呼びだす。 「すみません、大至急テニスコートにいる渥美弓子さんを呼んでください」 「なに ? テニスコート、 冗談じゃない。あんなところまで呼びに行けませんよ。ここをなんだ、 思ってるんです」 「図書館だと思ってるわ、テニスコートのとなりの。だから頼んでいるのよ。渥美弓子さんに大宀 件が起きたんです。渥美久蔵の孫の弓子さんですよ。その図書館を建てた渥美久蔵さんよ、そのー のおかげであなたは月給をもらって暮らしているんですよ。もし久蔵さんがいなかったら、あな、 章 序なんか、いまごろは : 小「わかりましたよ、呼びます、呼びやあいいんでしよ」 っ やっと弓子が出てきた。 せ お「あっ、弓子さんですか。たいへんなの、すぐ岩山三次をどこかへ連れてって、ごまかしてなだ」 てちょうだい。大庭グンが・ハドミントンの羽根にされてしまう」
4 「テニスコートへさ。アル・ハイト、アル・ハイト」 「ダメよ、岩山が待ってるわ」 「待ってたってしようがないよ。引き受けた仕事はあくまでやりとおすよ」 「大庭クン、お願い、行かないで ! 」 初子はいきなり久に組みついていった。どんなことがあっても久を行かせてはならない。弓子 ( ドミントンの羽根にされるなんてとてもかわいそうで見ていられない。 見ている前で、久がパ 、つるさいな」 「なんだよ、ケンカする気かい。 組みついていった初子を、久はひじではらった。と、その拍子に久の手が初子の左の目の上に たった。初子は叫んだ。 「あつなくなった ! 」 「え ? なに ? なにがなくなった ? 」 「コンタグトレンズ、左のレンズ、とんじゃった」 「なんだって ? コンタクトレンズ ? 」 ふたりはそのへんをさがしたが、どこへとんだのか、影も形もない。 「女のくせに組みついてきたりするから、こんなことになる」 「よにいってんのよ、男のくせに、女をなぐったりして」 「なぐったんじゃない、手が当たっただけだ」 「ど、つしてくれるのよ、コンタクトレンズ」
初子は大声で呼んだ。その声にギョッとしたように久はふりかえったが、初子を見てはっきりう んざりした顔になった。初子は走り寄っていった。 「大庭グン、行っちやダメ」 「なんのことだい、いきなり」 「テニスコートへ行っちやダメ。岩山三次が待ち伏せしてるわ」 「岩山が ? 」 「あなたにヤキモチをやいてるのよ。大庭グンのこと弓子さんのポーイフレンドだと思ってるの よ。行けば・ハドミントンの羽根にされるわ」 するとすぐさま久はいっこ。 「・ハドミントンの羽根か。こいつはおもしろいや」 「ふざけてる場合じゃないのよ。岩山三次は真剣よ」 「だけどへんだなあ、岩山はなぜばくが弓子さんのポーイフレンドだなんて思うんだろう」 久はいった。 「ばくはただアルバイトをやってるだけなのにさ」 「アレ・、イト ? ・ それはほんとうなの ? 口実じゃないの」 へんなこというなよ」 「口実 ? なんの口実だい ? 久はそういうと、クルリと向きをかえて歩きだそうとする。 「大庭グン、どこへ行くのよ ? 」
ってこと、過去十二年間の : : : 」 「わかったわよっ、わたしが行ってくる : : : 」 そういうと初子はやにわに走りだした。掃除の最中だが、知ったことではない。校門を走り出て やがて四つ辻を右へ曲がる。あんまり死にものぐるいで走るので、通りすがりの人がびつくりして 見ている。お宮の境内を走りぬけるとき、うしろから声がかけられた。 「おや、中川のおハッちゃんじゃないかし」 ぐうじ 見るとほうきを持った宮司のホシ柿じいさんだ。 「なにをそんなにあわてておるね ? 」 「あの、大庭クン見かけませんでしたか ? 」 「大庭クンってだれじゃね ? 足の悪い高校生ならさっき通っていったがね」 「通った ? 「そうだな、二十分ほど前かな、いや、それとも十分かな ? いや待てよ、あすこをはいて、それ から落ち葉をここに集めて火をつけてと : ・ : たき火でイ いやそれとも火をつける前だったかな : モを焼こうと思うてな、ところでそのイモじゃが : 「ごめん ! 」 初子は走りだした。とてもヤキイモの話の相手をしているひまはない。小ー 木林のとっかかりに出たとき、むこうを歩いていく久のうしろ姿が見えた。 「大庭グーン、大庭クーン」 月の土橋を駆けぬけ雑