めんどう よ。注文どおりにしてやる」 「面倒くさいやつだな。いい 「サンキュ 、だからおじさん大好き : : : 」 と背中をなぐる。何かにつけてなぐりあうのが、美緒とおじさんのあいさつなのだ。 ないしょ 美緒はこのことを咲子に内緒にした。咲子は美緒がキャンプに行くことをあまり喜んではしオ い。美緒はそれを知っている。咲子は雄策がキライなのだ。雄策が咲子を・ハ力にしていると思いこ なまいき んでいる。その生意気でキザな雄策に、美緒が、ひそかに思いを寄せているらしいことが、咲子は シャグにさわってたまらないのだ。咲子は、美緒と雄策が親しくなるのがイヤなのだーーそのた め、美緒をキャンプに行かせたくないのだ。 そう思うと美緒はますます、キャンプに行きたくなる。咲子にだまって、いきなり、 よういばんたん 「さて、五千円もできたし、用意万端ととのったわ」 といったら、どんな顔をするだろう。美緒はそのときが楽しみでしようがない。 七月の第一木曜放映のテレビ寄席のビデオどりは土曜日の六時からはじまる。美緒はテレビ へ出かけていった。きようの演しものは落語と漫才とものまねである。美緒は仲間の笑い屋と一団 になって、ほば真ん中へんの席にすわらされた。笑い屋は美緒のほかに二十人ほどいる。たいて 勤め帰りのらしく、夕食がわりのアンパンやサンドイッチを食べながら話している。 「この前、あなた来なかったわね ? 」 「うん、デートだったのよ。千円、惜しいと思ったけど、彼がどうしてもそれ以外に当分のあ 都合がっかないというものだから : : ビアホールで彼と飲みながら見たわよ。あなたったら、
と美緒の母はプライドの高いところを示した。 ひん きりようだって、アタマだって、ガラだって、品だって、大ちがいてしト 「見てごらんなさい。 う。あんな四角い色の黒い子なら、男の人といっしょにあそんでも安心です。でも、美緒はちが、「 美緒はそうおだてられては毎年、母の反対に服従してきたのだ。 いろじろ くら色白で だが美緒はことしはどんなことがあってもキャンプに行こうと思いきめていた。い っぺたのふくらみようが愛らしく男心をそそるとか、ロのいささか大きいのは新しい美人の条件 とかおだてられても、もうその手に乗らない。 - 一うりやく 美緒は五月のはじめごろから、キャンプ行き決行の意を固めていて、誇り高き母の攻略にとり かっているのだ。そうしてあの手この手と攻め寄せた結果、母はとうとう、美緒が自分でキャン。フ 、た。たが、母がそういう条件で許可したの 行きの費用を作って行くのなら、行ってもよい は、じつは美緒のこづかいは、もう九月分まで前借りになっていて、もっか財布には三百十八円ー かないことを知っているからなのである。 「ねえ、おサキ、キャンプのおこづかいってどれくらいいるの ? 」 美緒がそうきいたとき、咲子は、 「そうね、五千円もあれば十分ね」 と答えた。五月の終わりごろのことである。五千円、五千円ーーそれ以来、美緒は五千円の捻山 法ばかり考えているのだ。考えているうちに六月になり、七月が近づいてきた。 ねんしゅ
八月までにあと一カ月しかないと思うと、このごろ、美緒はあせりはじめた。あせると美緒は怒 りつばくなる。試験勉強が間に合わないときなど、美緒は何度、咲子にケンカをふつかけたかしれ よい。美緒はきようだいがないので、ケンカがしたくなると友だちを相手にするよりしようがない のだ。運よく咲子という中学のときからの美緒のケンカ相手がいて、これまた、ノンビリと美緒の ケンカの相手になってくれる。美緒と咲子はケンカをしたいときにしたいようにできるという、得 がたい友だち同士なのである。 けさも学校へ行く途中、美緒は咲子にこういっこ。 ったいキャンプはいつ行くのよう ? 早くきめなさいよ」 「ねえ、おサキったら、い っ 1 一う 「それがねえ。なにしろイトコハトコ、ワャワヤと行くでしよ。いろんな人間の都合を考えてる と、なかなかきまらないのよ」 「そんなノンビリしたいい方しないでよ、あたしのほうの予算の都合があるんだから」
す。持ってくるから教室へ取りにきてくれる ? 」 美緒はまだほはえんだままだ。ほほえむ以外に美緒に何ができよう。「わが思索のあと』など聒 名を聞いただけで気分が悪くなりそうだ。だが、それをすすめてくれる雄策の、何というノープ。 な細い鼻すじ。スマートな身ごなしーーー美緒の心はチヂに乱れて微笑するほかに何の考えも浮か 1 そのころから美緒の心は急速に雄策に傾いていったのだ。 「ことしのキャンプ、雄策さんも行くの ? 」 それとなく咲子にきいたことがある。 「そうなのよ。あんな気どり屋のくせして、いっしょに行く気でいるらしいのよ。人を・ハ力にし きょむしゅ るくせに、その・ハ力といっしょに行きたいんだから、あの虚無主義もニセモノだわ」 ふんぜん と咲子は憤然といったのだ。美緒はだまって何もいわなかった。 そのとき美緒はどんなことをしてでもキャンプへ行こうと思いきめていたのである。 七月にはいって、まもなく美緒の父の一番下の弟で、テレビのディレクターをしているお さんがやってきた。おじさんといってもまだ若い。三十前の独身青年だ。 「よオ、ミオ、ど、つしてる ? 」 そういって、理由もなく頭をコツンと叩くのが昔からのくせだ。すると美緒は、 たた
「そう、そんなにひどかった ? ・ あらためて咲子の口からそういうことばをきかされて、美緒はいまさらのようにリッゼンとし ほうかいすんぜんがけぶち た。夢中で歩いた道が、崩壊寸前の崖縁の道だったとあとで教えられたような気持ちだった。だ が、第二回の仕事はもうあすに迫っている。これを休めば、八月までに五千円の金はたまらない。 美緒はもう一度、綱渡りをする気持ちで、テレビへ出かけた。早目に行っておじさんを呼びだ とうなったのよ ! 」 「おじさんたら、正面からとらないって約束、・ 「怒るなよ、ミオ、だってあのミオのでかい口を見たら、とるなというほうがムリだよ。そんじよ そこいらにあるというロじゃないもんな」 ししわ。きようはもう笑わない」 けいやく、はん 「おいおい、それじゃ詐欺だよ。契約違反だぜ」 ふんとう きようこそ上品に笑おうと田 5 っているのに、例のアンパンがとなりで奮闘するとつい、負け まいとして美緒ははりきってしまう。美緒はこれでも負けずギライなところがあるのだ。 美緒が笑い屋となってから、三回目の放映があった翌日、咲子はいった。 「ミオ、あんた、いったいなにしてるの ? 雄スケにわざと反逆してるつもりなの ? きのうもそ の前もテレビ寄席でミオが笑ってたって、うちのママがいってるけど、本当なの ? 」 咲子だって美緒のために心配することだってあるのだ。咲子の心配そうな口ぶりに、美緒はつい 心を許した。そして、あれほどいうまいと思っていたのに、美緒は咲子にテレビ寄席で笑ってるの
171 かなしき笑い屋 あらしゅ・つさく 金森咲子には嵐雄策というイトコがいる。この四月に北海道から美緒たちの高校三年に転校し一 きた。咲子はからだがズングリしていて色が浅黒く、キンツ・ハのようにぶ厚く四角い感じだが、 トコの雄策は驚くはどノッポでやせている。足と首がやたらに長く、咲子は、 いちもん 「まだ一文もアテがないのよ、困ったわ」 美緒が咲子に泣きつくと、咲子はのんびりと、しかし冷淡にこういうのである。 「じゃ、来年にすればいし 、じゃないの : : : 」 「来年だなんて、いやアよオ、あたしはどうしてもことし、行きたいの、どうしてもどうしても きたいのよオ」 ムリいうんじゃない。ノーマネーで」 とどこまでも咲子は冷淡だ。 美緒はその咲子の冷淡さのなかに、どことなくいつもとちがうニュアンスがあることを感じる。 おもしろ半分のイジワルやケンカのまねごとではなく、あきらかに咲子のなかには、ことしに、 って美緒がキャンプに行くことを歓迎していない感じがある。 「おサキ、あんた、あたしをキャンプに行かせたくないのね」 美緒はいった。もはや得意のケンカ腰だ。すると咲子はジロリと美緒を見て、ズ・ハリといった。 「ことしにかぎって美緒もあきらめが悪いのね。なぜあきらめないか、あたしは知ってるよ」
188 雄策のねえさんらしく細くやせた白サギに似た女のひとが出てきていった。 「応接間でテレビを見ています。さあ、どうそ」 ものもいわず、応接間にかけ込む , ーーと、その瞬間、美緒は見たのだ。応接間の正面に置いたテ レビの画面いつばいに、ひろがった大きなロ。しかめた鼻。笑っている目 : : : 美緒が「わツ」とい うのと、咲子が、「ミオ ! 」と立ちあがるのと同時だった。 「戸部グン と雄策の落ち着いたあの声がいったような気がする。だが美緒は玄関のタタキにとび降り、だれ のものかは知らぬが、そこにあるツッカケをつつかけて走っていた。 ああ、何というひどい顔、ひどいロ、ひどい笑い : : : もうおしまいだ、もうおしまいだ : 美緒はそう、 ししながら・走った。 おしまいだア、おしまいだア、おサキのおかげでおしまいだア : 気がつくと、うしろからだれかが走ってくる気配だ。どうやら美緒を追いかけてくるらしい。咲 子か ? いや、ちがう、咲子はこんなに走るのが早くない。グングン差がちぢまってくる。美緒は ふりかえった。そしてびつくりした。雄策だ。街燈の明かりで見える細いズボンは、たしかに雄策 雄策は美緒に追いついた。星空の下にふたりは向き合って立っていた。住宅街を出はずれたドプ 日の橋のたもとである。向き合ったふたりは、大のようにハアハアと息をきらせているおたがいを 見合った。
じようひん ずいぶんお上品に笑ってたわね。手を口にあてたりして : : : 」 うたぞう 「だって歌造ったらずいぶんェッチなこというんだもの」 おおぐち 「そうねえ。あんなときはあんまり大口をあけて、ケラケラよろこんだらおかしいわねえ」 ふたりはどうやら笑い屋のべテランらしい 「あなた、はじめてね、アンパンしかか ? 」 と美緒にすすめてくれた。 なかす 「お腹が空いてると、どうしても笑いに迫力がなくなるわねえ」 「そうよ、ホント。おもわずブッと吹きだすときの感じが、うまくいかないのよ」 とさかんに食べている。何となく美緒は緊張した。ェッチな話のときは、手を口にあてるこ、 : 胸のなかで復唱した。ケラケラキャアキャアだけじゃなしに、おもわずブッと吹きだしたり一 るテクニッグも使、つこと : 番組がはじまると美緒は一生けんめいに笑った。出演者のなかには本当におかしくて吹きだす、 うなのもあれば、ちっともおもしろくないのもある。アンパン嬢はちっともおもしろくないのに、 からたを前彳ー 」麦こゆすって笑いこけるのがじつにうま、 「あーら、いやーだ、あーら」 なんていうかけ声まで入れている。もしかしたら、べテランゆえ日当が高いのかもしれないと えるほどの熱演だ。美緒も負けずに笑った。となりであまり熱演すると、ついそれに引きずら る。漫才は悪ふざけが多くてちっともおもしろくない。ャケになって美緒は笑った。 につとう
と美緒はもうプリプリしはじめる。 なか 「八月のはじめに行くのか、中ごろに行くのかで、こっちは予定の組み方があるんたから : しいじゃないの、そんなにせかなくたって、 : まだひと月さきのことよ」 と咲子はわざとノンビリいう。咲子はそんなとき、わざとノンビリということで、美緒がいっそ うイライラすることを知っているのだ。知っているのでよけいそんないい方をする。それがふたり の友情の・ハランスというものなのだ。つまりふたりはケンカをすることによって、友情を深め合っ ているようなところがある。 かなもりみ、き - 一 ハトコ連れだって、長野県の高原へキャンプ 金森咲子の家では、毎年、八月になると、イトコ、 に出かけるという習慣がある。咲子の家は大家族で、おじいさん、おばあさん、両親のほか、ふた りの兄貴、ねえさん、弟、妹など、ゴミゴミとひしめいている家なのだ。よほど多産系とみえて、 母方の親戚にもこどもがウョウョいる。 そこでせめて夏休みのあいだだけでもおたがいに風通しよくしようという願いが、おとなとこど も間で一致して、一族のこどもらが集まって、夏になると避暑に出かけるのが年中行事となったの 中学のころから毎年、咲子はキャンプの季節が来るたびに美緒を誘った。 とべみお たがかなしいかな、戸部美緒の家は咲子の家のようなウョウョゴミゴミ型ではないのだ。美緒は ひとり娘である。大事な大事なひと粒ダネ、といわれて育った。 そせいらんぞう 「咲子さんのところみたいな粗製濫造とはちがうのよ」
「いいわよ、わかったわよ。聞くわよ、聞きゃいいんでしよう」 と美緒は咲子のいいなりになって、松風先生にニクまれ、このところサンザンである。 帰りの・ハスのなかで会う雄策は、何も知らぬげにすずしげな横顔を見せて、相変わらずむすかし げな本を開いている。ふと美緒と視線が会うと、おとなびた微笑をそのロもとに浮かべる。美緒は したいいつまでアランを読んでいるのか、と雄策は思うかもしれ おもむろにアランをひろげる。、 ない。そう思うと美緒は、 「一冊の本を何度も読み返す ! これがほんとうの読書じゃないかしら」 と雄策にきこえるようにつぶやいてみたいと思うのである。 ひび トの上に響かせて孤 美緒はもの思わしげに首をかしげて空を見たり、靴をコッコッとコングリー 独そうに歩いてみたり、こめかみに人さし指をおいて田い案にふけるスタイルを作ったり、コーヒー ハをや を「カフィ」と発音したりしながら土曜日の六時になると、キャーツゲラゲラ、アハ る。 そのうちに期末テストがはじまった。だがテストだからといって笑い屋を休んでいては八月まで 五千円の金は作れないのである。そこで、 「えーと、平安時代の末期ごろから、貴族体制がゆるぎはじめ : : : キャーツ、ケラ、ケラ、ケラ : まつばう げんべい ・ : 末法の恐怖が目前 : ことに、源平の争乱などにおいて、 の事実となって現われてくると : : : ゲラゲラゲラ : ふんとう と試験勉強をしながらのホールでの奮闘ぶりとなったのである。