西山川はこの町と隣町との境を西から東へと流れている川である。睦子たちの町をかこんでいる 西山山脈から流れ出た川は、激流となって山あいを走り、曲がりくねって急流となり、この町には ってからは、急に川幅をひろげ、悠然としたおおらかな流れとなって西山平野をくねって行く。 その西山川の上流にある西山渓谷は、近郷の学生たちの間で絶好のキャンプ場として知られている のである。 八月十六日の午前四時、キャンプの一行は西山橋に集合した。なす紺色の晴れた夜空に光ってい た星がしだいに光を失うと同ー 孑こどこからともなく朝霧が流れてきた。朝霧の中を ( 志津子は睦子 にあおられて、気が進まぬながら行く気になったのだ ) 西山橋に集まったメン / ・、ーは睦子、志津 つかもとともよ 子、節子、運平、実春、士郎のほかに、白ズボンの神田グンと実春の親友塚本友代である。 「これでやっとそろったわね、出発しましよう ! 」 睦子はいった。わざとである。実はメアリがまだ米ていない。だれも口に出さないが、みんなメ ああキャンピング
「頼みがあって来たんだけどな」 ってごらん」 「頼み ? なんなの、 にしやまけい - 一く 「西山渓谷へキャンプに行こうって話があってね、有志をつのってるんだけど、なかなか集まらな いんだ。それでおムツにもぜひ行ってほしいんだよ」 「キャンプに ? だれがいいだしたの ? 」 「それがその、宮本グンに頼まれて : : : 」 「宮本クン ? 士郎さん ? 」 「いや、実春ちゃんのほうなんだけど、でも目的は士郎さんのためなんだ」 「よにいってるの、ハッキリしてよ。かったるいひとね ? 」 運平がモタモタと説明したところによると、宮本士郎はメアリとの仲を両親に気づかれて、大さ わぎになった。勉学ちゅうの身で何ごとか、と士郎の父は怒り (r まったく同感よ』とそのとき、 睦子は強くうなすいた ) ふたりは会うことができなくなってしまった。メアリが日本を出発せねば ならぬ日は、あと数日に迫っている。 そこで妹の実春は兄に同情した。なんとかして兄とメアリにゆっくり話をさせてやりたい。兄と メアリとの間が高校時代のある夏の小さな思い出としてとどまるだけにせよ、あと味のいい美しい 思い出として残してあげたい そこで実春は西山渓谷へキャンプに行くことを考えついた。二年 の有志で行く。 丿ーダーが必要なので士郎について行ってもらいたいと頼む。そうすれば両親はあ やしまない。むしろ下級生にそれほど信頼されているかと思えば、メアリとの件で少し落ちた士郎
春もまた西山高校の男生徒たちがさわいでいる美少女である。その姉と妹に、 さまれた士郎は、宮本家のたったひとりの男の子で、父の経営している宮本病院の後継者でも + る。 西山高校では士郎に憧れている女の子は少なくない。士郎は中学三年のときに、県下の中学生 3 表として英語の弁論大会に出て優勝したことがあるくらいの語学力の持ち主である。士郎の特徴」 一見してもの静かでおとなびた雰囲気を持っていることだ。上品な鼻筋といかにも利ロそうな広」 額。髪がまるで女のようにやわらかそうで、目も女のようにやさしい。 「へえ、あれがねえ : ハンサムかねえ。白鳥のきみかねェ」 睦子は何度かそういって志津子にいやがらせをした。睦子は士郎を見ると理由もなくムカムカ亠 る。通りすがりにそのよく磨いた靴のさきをふんづけて通ったことも何度かある。 「ハンサムなんてオトコの恥よ」 というのが睦子の持論だ。だがその根拠はとりたてて何もない。睦子は士郎にかぎらず美人と , ハンサムとかに反感を持っているのだ。秀才とか先生のお気に入りとかもきらいだ。学級委員に る るような生徒は軽蔑することにしている。また睦子はお金持ちもきらいだ。自家用車を持ってプ わ 人、おこづかいに不自由したことのない人、お弁当に四イロ以上のおかずを持ってくるやつも許ー はがたい気がする。 青話がだんだんミミッチクなってきたが、ようするに士郎は睦子がきらいな条件のほとんど全部わ そなえているといってもいい学生なのだ。
知らせなければ : そう思うと足はひとりでに志津子の家のほうへ障しオ 」、こ。志津子は睦子の親友である。睦子の親友 だけあって、あまりパッとしない女の子だ。クラスではカチグリというニックネームをつけられて いる。志津子の家は雑貨屋とタ・ハコ屋をかねている。睦子が行くと、志津子はタ・ハコ屋のガラス窓 のむこうで司少年マンガ』を読んでいた。志津子は睦子と成績、操行、モテぐあい、容貌度、趣味 などほば同じ程度なのである。 「シイコ、ちょっとしたニースを持ってきたわよ」 睦子はいっこ。 「金髪のマキ毛、マッゲが人形のようにグルリとそり返って、明るいプルーの目 : : : 」 「なんの話 ? おムツ」 何も知らない志津子はノンキにきいた。 「退屈なのでヘッポコ小説でも書こうっていうの ? 」 「西山川の川原のアカシアの木かげ、そこへ、手をつないでやってきたアメリカ娘と日本の男子高 る校生。絵に描いたような美女と美男」 じ「おムツ、なんのネゴトよ ? 」 「女の名はメアリ、男の名は宮本士郎 : 志津子ははじめて緊張した。
借りよかナ。 ど、つしよかナ は、まったくやらなくなってしまった。 睦子はいろんなことがきゅうにつまらなくなってきたのだ。いや、つまらないというよりは、 『心配』といったほうがあたっているのかもしれない。睦子のなかに、ある日ポチリとペンさき一 わく 突いたような疑惑が落ちて、それがしだいにひろがって胸をふさいでいる。 運平のやっ、ひょっとしたら、ひょっとしたんじゃないかナ。 と思う。西山渓谷へ行くとき実春の荷物を持ってやった。ふたりで仲よく釣りをしていた。そ、 なかす て運平は八ミリ を取りに雨のなかを命がけで中州へ走って : : : それなのに睦子が川へとびこんだ き、運平はどうしたか ! 運平はノソノソとやってきて、 「なにやってんだいしたし」 そういっただけではないか。 おもしろくない、おもしろくない。最高におもしろくない。士郎とメアリのことなんか、もう、 まってはいられない。あのふたりの邪魔をしようとムキになっているうちに、運平はひょっとし一 る わ らひょっとしてしまったのではないのか ? : ・ : ・ だが、よく考えてみるといままで睦子は運平と『ついでにつきあっている』ような間柄だった。 青近づいてくる男の子がいないから、運平といっしょにいる、というようなっきあい方だった。手← ちソ・ハ屋が遠いので即席ラーメンでガマンしとくというようなものだ。だからその運平が実春にハ
「ううん、だ、じようぶ。それより馬場クン重くない」 「ペラベラのペラ」 「ペラのペラベラ」 士郎とメアリの楽しそうな語らいも、聞こえてくる。神田クンと友代も何やら熱心に話しなが、 . 歩いている。睦子はムカムカした。オトコとオンナ、オトコとオンナ、オトコとオンナ、そして亠 ンナとオンナとオンナ : : : なんたるなさけなさ。考えてみれば志津子と睦子と節子の三人だけは、 さっきからキズモノのコケシ人形みたいにパー トナーなしで三人コミになって歩いているのだ。 なかす 西山渓谷に着いたのは昼前である。鬱蒼たる両岸の森林、川のなかほどに中州がある。飛び石 ( ように点在している岩を伝って中州に行ける。一行は森を背にした草原にテントを張った。 昼食をすませると、みんなは一時間ほど昼寝をした。昼寝のあと、神田グンは友代と下流のほ , へ泳ぎに行き、実春と運平は中州に渡って釣りをはじめた。 「おムツも来いよ」 運平はそういって睦子を誘ったが、 「ヘンだ、そんなもの」 と睦子はけったのである。睦子はおもしろくない。事態はますますおもしろくないほうへ向か、 そうだ。士郎とメアリのふたりはずっと、ふたりきりである。みんなから離れて、むこう岸のほし うっそう
の信用も回復するだろう 「なるほど、そうして西山渓谷へはメアリも連れて行くってわけ」 「そうなんだ。彼女はなかなかアタマがいし」 っていっても、ワル知恵のほうね」 「ふんアタマがいし と睦子はプンとした。 「だけどさ、かわいそうじゃないか。二泊三日のキャンプだよ。つきあってやれよ」 きょげん 「するとウンちゃんはあたしにウソをつけというのね。宮本グンのご両親に虚言を吐けと : 「大ゲサだなあ、虚言だなんて : : : 」 運平は困っていった。 「そうイジワルいうなよ。ばくが頭をさげて頼むんだ。横山くんも誘って、ぜひ行ってくれよ」 「おねえちゃんが行かなきゃあたしが行く ! 」 そのとき突然、横から節子がいった。節子は勉強するふりをして話を聞いていたのだ。 「世界の平和は、人びとのこうした小さな心づかいや励まし、同情から大きくひろがっていくもの るだわ。あたし、ふたりの味方をします。ふたりの美しい愛のために力を尽くしたいと思います : : : 」 わ どうも睦子は引っこみのつかぬことになってしまった。士郎とメアリのためにカ添えすることは イヤだ。だがいくらイヤだとがんばっても、賛成者はふえてみなは意気揚々とキャンプに出かける 青だろう。運平と節子も行ってしまう。そして睦子は、ひとり寂しく二段べッドの上で、 借りよかナ。
「教会へアメリカの学生さんが大勢来てるんだって。交歓会をやるっていってたわよ。宮本さんと 節子が幹事を引き受けたらしいわ」 「ふん」 「睦子もノソノソしてないで、たまにはああいうところへ出たらどうなの」 「へつ、あんなもの ! あたしはアメリカがきらいなのよ。ベトナム問題を見よ ! ヒューマニズ ムの立場からして、あたしはアメリカを許すことは断じてできないのよ ! 」 そういいすてて、睦子は家を出た。 行く先のアテといってない。照りつける日ざしの下、人通りもとだえた町をトボトボと歩いた。 にしやまばし 足はいっしか隣町のはうへ向かう。本通りを過ぎ、西山橋を渡った。渡ってしばらく行くと、大き こぶっしよう しゅじゅざった な古物商がある。暗い大きな店のなかに火鉢や机や鏡やドンプリや、種々雑多な古道具が雑然と置 いてある。そこは馬場運平の家なのだ。 「運平さん、います ? 」 睦子は店にはいって行った。店番をしているのは運平のおじさんである。おじさんは耳が遠い。 フ、いたの。あたしはまたホティさんの置き物を新しく仕入れたのかと思ったわ」 る わ 」し どうせ聞こえはしないと思って、睦子は、 し、たいことをい、フ。睦子はきようは機嫌がよくないの 青「おたくのマゴ、ノッソリのウン公、、 しる ? 」 9 「よこ ? ・ウンコウ ? 」
「どうしたんだよ、おムツ」 としごくノンビリしたものだ。あんなウソをついて運平になんの変化も起きないのが睦子にはけ しからぬことに思われる。あたしは変わったというのに彼は変わらない。 : ああ、あたしは変わったというのに : : : チクショウ ! ウン公のやつは平気のヘーサ : : : そ う思うと運平のあの大きな図体を原爆投げかなにかでエイヤとやつつけ、ノビたところへ水をぶつ かけて、実春に見物させてやりたくなる。 学校がはじまって一週間たった。この一週間、睦子は運平と口をきいていないのだ。運平がやっ てくるとスーツと逃げる。そして反応やいかにとそっと見れば、相変わらずの象のおシリ。 「まったく ! アタマにくるツ ! 」 睦子はそう叫び、なんの罪もない神田グンの白ズボンに赤イングを飛ばしたり、塚本友代に向か って、あなたは絶対セシールカットが似合う。ぜひセシールカットにしなさいよ、と極力すすめた りする。 毛質がかたい友代がセシールカットにすると、山賊坊主みたいになることを考えた上でのことな のである。 そんなある日、例によってふたりは連平の悪口をいいながら学校から帰ってくると、西山公園の 前でうしろからだれかに呼びとめられた。 おふたりさん。いまお帰りかい。おそいぞ」 ふりかえると志津子の兄の耕吉である。