非色 っていることに、私は愕然として気がついたのである。せめて私は、日本の名誉のために、そ れが敗戦後、アメリカ軍の方針によってもたらされたものだということを言いたかったが、白 人にならともかく、ホワイトニグロの、しかもマリリンに向っては一言い難かった。 「ともかく、産むのね。なんとかなるわ」 マリリンは私の肩に手を置き、ゆっくり背中へ撫でおろしながら言った。 「でも、この下の家を見習っちゃ駄目よ。七人も子供を産むなんて気狂い沙汰だわ . 「八人ですよ」 「また一人殖えたの卩呆れるわ。笑子もしつかりするのよ。妊娠したら産まなければなら ないのだから、妊娠しない用心をすればいいのよ」 「あなたは、子供は ? 」 「いないわ」 マリリンは笑いながら、その秘訣を教えてくれた。夫が彼女の方針をきこうとしなかったの で、離婚したのだということだった。私は掻爬できないという絶望と、これから先のことを・ほ んやりと考えながら、マリリンの細く形のいい足を眺めていた。 リリンの白い足に生えている毛が、どうも鳶色であるらしいのに ふと、私は吾に帰った。マ 7 気がついたからだった。 マリリン、あなたの髪は : : : 」
142 んたと言い、その輝く金髪と白い美しい肌を讚美していたが、実際のマリリンは、ーー確かに輝 くような金髪を持ってはいた。色も、白かった。確かに白人のようにと形容していいほどで、 日本人の中でも色の黒い私などはかないっこないような白い肌をしていた。だが、誰も彼女を 白人だと思い違える者はなかっただろう。彼女の眼も、鼻も、ロも、頤の形も、それはニグロ たくまおとがい の造作だった。大きな眼と短い睫毛も。丸い鼻。厚い唇と強そうな白い歯。逞しい頤。それが 白いのた ! 言ってみればマリリンの顔は、ニグロの顔を漂白して金髪をのせたのと変りはな かった。メアリイでさえ怯えるほど、それは異様な人種だったのだ。 だがマリリンは陽気な女だった。 , 彼女は眠っているトムをベッドから叩き起した。 「昼御飯を持ってきたわ。私が笑子にアメリカの料理をごちそうするのよ。さあ、トム。あ なたも手伝いなさい。一日ぐらい寝ないだって、大丈夫だわよ」 ハイヒールを床に脱ぎ捨て、跣でキチンにはいると、ごく馴れた態度で料理を始め、鍋を火 にかけると部屋に戻ってぎてべッドに腰を下し、 「トムが自慢しただけあるわ。笑子は美しいわ。こういう陽灼けは新しい流行なのよ。クラ 。フの連中が見たら羨ましがるわ」 などと喋り始めた。 マリリンはグリニチ・ビレジにあるナイトクラブのスタアなんだよ」 と、トムが得意そうに私に説明した。大きなイヤリングと、やたらと幾種類ものネックレス サンタン
を首に巻きつけているのを見て、私もすぐ納得した。 「私、歌を唄っているの」 「ジャズですか」 「まあ、笑子はアメリカの音楽が分るのね。そうよ、ジャズよ、私はジャズシンガーなのよ。 サラ・ポーンが私の偶像なの。笑子はサラ・ポーンが好き ? 」 私はこの場で知らないとも言えずに、肯くことにした。 「ええ」 「まあ、笑子 ! トムは私の従弟だけど、あなたは私の妹だわ ! 」 一言一言の度にマリリンは感動して私を抱きしめ、私に接吻を浴びせかける。メアリイは部 屋の隅で、心配そうにマリリンと私を見較べていた。 マリリンはハアレムの劇場で唄っていたんだけどね、あまり美しいのでビレジのナイトク ラブから引抜きがきたのさ」 トムがまた説明を加えた。 「でも、ハアレムで唄っていたときの方が楽しかったわ。ビレジじゃ唄も踊りもビジネスで ね、何を唄っても静かに聴くばかりで、ばかみたいよ 「お客が白人の紳士と淑女ばかりだからさ」 「違うのよ、トム。旅行者ばかりだからよ。近頃のビレジは、おの・ほりさんの見るところな
144 のたもの。ハアレムの方が、楽しければ舞台と一緒になって唄うお客ばかりで、どのくらいい いか分らないわー 「そんなことはないよ。ハアレムとグリニチ・ビレジじゃあ、格というものが違うさ。ナイ トクラブのスタアの方が、ずっと素晴らしいともさ」 かたくな トムが頑なことを言い出したので、マリリンは私にウインクしてみせ、唄い出しながらキチ ンへ行ってしまった。 「本当だよ、笑子。マリリンは本当に素晴らしいんだ。美しくて、頭がよくて、しかも実に いい人間なんだ」 「ええ、 トム。私もそう思うわ。なんでも相談にのってもらえそうな気がするわ」 私は本当にそう思っていた。最初こそドキッとしたけれど、人は見かけだけで判断すべきで ーー子ノーし しお その日の昼食は立派なものだった。鶏の丸焼きと、馬鈴薯のフライと、人参といんげんの塩 ゆで 茹を大皿盛りにして、みんなで手掴みにして食べた。鶏も野菜も、出来上っているのを買って きて、ガスで温めただけなので、それは確かにマリリンのいう通りアメリカ料理に間違いなか った。もっとも私たちの経済力では、こういう加工食品はなかなか買えるものではなかった。 うま メアリイは実に旨そうに物も言わずに食べていた。 マリリン、お仕事は何時からなの ? 」
148 「うん、染めているのよ。ほら マリリンは俯向いて、毛の根を分けて見せた。輝く金髪の根元は、茶色かった。ともかくニ グロ特有の黒い縮れ毛ではなかったけれども。 時間が来ると、私とマリリンはメアリイに手を振って、並んで出かけた。道々、、、ハスの中で もマリリンは喋り続けて、マンハッタンの中ではなかなか安い物は買えないこと。クヰーンズ にある「アレクサンダー」という百貨店では、時々掘出しものがあるから、冬の用意は今から 心掛けておくといいなどということまで教えてくれた。 夏の暑い間は店が不景気だというのは、日本でもアメリカでも変るところがないらしい 「ヤョイーも閑散としていて、たまにくる日本人の客たちは肉のかたいスキヤキを突っきなが 「ああ、ひやむぎが喰いてえ」 などと懐かしいことを一言っている。 ウェイトレスは私の他にもう一人いたのだが、いつのまにかやめてしまって、この一か月ほ どは私が一人で働いていた。客のたてこむときには女将さえもキチンから出て来てテーブルの 注文をきいたが、普段は私一人でどうにかやって行けた。女将さんも、板場の主人も日本人だ ったが、私はこの人たちにはどうも相談する気にはなれなかった。妊娠していると知れば、す ぐクビにされる心配もあったし、何より二人ともどうも日本人と思うには並の日本人とは違う ら、
141 非色 よろと歩き始めた。母親は私を認めると、大きな顔を開けひろげて笑いかけてきた。私は慌て て微笑を返し、反射的に、 「なんて可愛いんでしよ」 などと言ったものだ。 「可愛いものかね。八人もいて、家の中はまるで犬小屋だ。これが大きくなって親不孝をす るかと思うと腹が立つよ」 体驅にふさわしい大声で彼女は喚いたが、その眼は一一一一口葉と裏腹に優しく、満足げに末の子の 動きを見守っていた。私はとても彼女に向って妊娠して困っているとは言えそうになかった。 マリリンが訪ねてきたのは、そんな頃であった。トムの自慢の従姉だ。金髪と白い肌のホワ イトニグロ。その実物を初めて見たとき、私は自分の顔から血の気のひくのを感じた。彼女よ 白人なみに背が高く、その上に高いハイヒールをはいて、颯爽と私たちの地下室へ舞い降りた のだったが。 「あなたが笑子ね。私、マリリン。こんにちは ! まあ、メアリイでしよ、トムにそっくり だから、すぐ分るわ ! 」 ハアレムの住人たちと違って、彼女の言葉は軽快で大仰だった。が、私も、抱き上げられた メアリイでさえ小さな恐怖を覚えて、咄嗟には返事ができなかったのだ。 トムは彼らの祖父であるアイルランド人の純粋の血が、一人のマリリンに混りけなく流れこ
一九五六年七月、また女の子だった。マ リリンがべティと名をつけてくれた。メアリイの生 冫をし力ないだろうと思ってし れたときとそっくりだったから、今度は。ハアバラのようなエ合こま、 たが、果してその通りで、二か月もするとどこからみてもニグロの子に間違いないようになっ てしまった。今度もマリリンを始め、近所の人たちに随分世話になったが、貯金がたっぷりあ ったので前のようには迷惑をかけずにすんだ。あれだけ注意を与えてくれたのに、いざ生れる 色 となるとマリリンは大変に喜んでくれた。隣のお婆さんも祝福してくれたし、向いの八人子持 非ちの小母さんも、 「生れてみれば可愛いよねえ」 と言って、私に片眼をつぶってみせた。 娠で精神がかなり苛ついていたこと。志満子のねちねちした口調で一層苛々していたところへ、 あなたたちと見下され、鼠のような繁殖率と蔑まれ、しかもプエルトリコ人と同列に扱われた のだから、私でなくてもニグロの妻なら誰でも志満子に一瞬の殺意を覚えたに違いないと思う。 プエルトリコ人というのは、ニ = ーヨークではニグロ以下に扱われている最下層の種族のこと なのだから。
156 す。ここには平等があります。「平等」という言葉も、あの頃のトムには口癖だった。それと いうのも、日本に来るまで、彼には「平等」が与えられていなかったからではないのか。 トムが、百万人もいるニューヨークのニグロの中から自分の配偶者を新たに探すことをせず、 私とメアリイを呼び寄せたのは、東京の栄華の思い出を妻として子として身近く止めておきた いという願いからだったのではないだろうか。あのときメアリイの誕生を喜んだのは、彼の栄 華の瞬間が一人の子供に具現されると信じていたからではないだろうか。混血に就いての彼の 奇妙な ( しかし間違っていない ) 論理は、あのときこそ実現しなかったものの、この二度目の 機会には、何十分の一の確率に基いてマリリンのような子供が生れるかもしれないのに、今の トムには虹の希望さえ描く余裕が無くなっている。子供というものは、親たちの履歴になるも のたからだろうか。メアリイは栄華時代の象徴だが、これから生れてくる子供には惨めな生活 の投影しかない、と彼は考えたのだろうか。 何事によらず反撥心というものがこれまでも私を支えてきた。どうやらこの時も、トムの態 度が私の母性を芽生えさせたようである。胎動が始まる頃には、私はもう迷わなかった。子供 う′」め まが が生れる。私の腹の中で蠢いているこの子供は、紛うかたなく私の子供なのだ。 一九五五年三月、バてハラが生れた。名付け親はマリリンだった。気のいい彼女は、自分の 子供を産まないときめているのに、子供は滅法好きなたちらしく、私の臨月近くからせっせと 訪ねてきて、ハアレムの中にある施療院のような市立病院の診療所で只で出産するところへ入
126 答えた。意訳したつもりであった。ところが、何を勘違いしたのか、トムはそれでロ火が切れ とうとう たように、この部屋を見つけるまでどれだけの苦労をしたかという話を滔々と始めたのである。 「運がよかったんだよ、全く運がよかったんた。マリリンが、覚えているだろう、僕の従姉 だよ。色が白くて、金髪の美しい従姉さ。そのマ リリンが離婚したんだよ ! マ リリンに日木・ から家族が来るから部屋を探してると言ったらね、私の部屋が空くから、いらっしゃいと言っ てくれたのさ。男が出て行かないので、マ リリンが飛出したんだよ。後の権利は僕が持ったも のだから、奴め、一人で頑張ってるわけこよ、 冫しかなかったのさ ! 渋々出て行ったよ、このべ ッドを残してね」 トムの自慢であり、ジャクソン一族の誇だというマリリンも、こんなところに住んでいたの では大したことはなかったのだなと、私は改めて発見していた。 薄暗い台所で、でこ・ほこのフライバンを使って、私はアメリカ第一日の夕食の支度をするこ とになった。日本から米を持って来たというと、トムはひっくりかえるほど喜んで、醤油も持 って来たか、では鶏卵を買って来ようといって飛出して行った。 米をとぎ、水をしかけて、ガスに火を点じながら、私は麗子が、あの美男の夫に迎えられて、 キャデラックのオー。フンカーぐらいに乗ったまま、颯爽と新居に着いたところを想像していた。 船の中の変化のない食事に倦き倦きしていたメアリイは、米の飯が炊き上ったときには初め て喜びの声をあげた。箸をくばり、ロの広い空瓶を茶碗代りにして白い御飯を盛上げると、ト
146 、え、そんなことじゃないの。私、妊娠したものだから」 「まあー マリリンは、まじまじと私を見た。おめでとうとは一言わなかった。 「どうしたらいいか分らないんです。トムの週給は三十二ドルで、それでは私とメアリイは 食べて行けません。子供を産むとなれば私は働けなくなるし、しかも家族が一人殖えるでしょ う ? 」 くどくどと私が話し出すと、マ リリンは手で制した。 「手術をするには千ドルかかるわ。しかもニューヨークではできないのよ。シカゴへ出かけ なくっちゃならないわ。それも内緒でよ。罪を犯すわけなのだから」 「千ドルなんて : : : 」 「無理でしよう ? それよりいけないのは生命の保障がないことだわ。踊り子でシカゴへ行 ったっきりというのを私は二人知ってるの。多分、死んだんでしようよ」 怖ろし、舌。こっこ。 「どうしても駄目なのかしら。日本じゃ、簡単だったんだけど 「そうだって、三ドルで手術してくれるって話ね。私たちの仲間じゃ、一時その話で持ちき りだったわ」 私には隣家のお婆さんのお祈りよりも、この話は身にこたえた。日本では、なんでもなくな