マンハッタン - みる会図書館


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1. 非色

134 朝食を摂りながら私はトムに相談した。 「日本料理のレストランが、五六丁目にあるよ。日本の女が働いているー 「ウェイトレス ? 」 「うん」 「それ以外には無いものかしらー 「就職難だからね。、、 ししところがあれば僕はとっくに職業を変えているよ」 「あなたは昼の勤務にはならないんですか」 「ならないよ。セクションが全然別たから 私は溜息をついた。 「五六丁目って、ここから遠いんですか」 「近い近い。マンハッタンの中は狭いんだ。笑子ならすぐニューヨークの地図は覚えてしま うよ。東京なんかより、ずっと分りやすい」 ニューヨーク市はハドソン河とイースト河に挟まれた三角洲である。・フルックリンもクヰー ンズも、河を渡った先にある。三角洲の部分がマンハッタンと呼ばれていて、碁盤の目のよう な井然とした区画があるので、イースト河の側から一番街、二番街、三番街、レキシントン街、 。ハーク街、五番街、六番街、 ・ : と十一番街まで縦の街路が走り、それを垂直に切っているの が何丁目というストリ ートなので、これは南が少く 、北へ行くほど数字が殖える。だから私た

2. 非色

352 私は、せめてメアリイの負担が軽くなるようにと、家の中を整理し、バアバラとべティの衣 類も分りやすく分類した。トムのためのミルクもマーケットで特売品を買込んできて、メアリ イのものをのせている棚に並べた。 「シモン、言っておくけれど、サムのミルクにあなたが手をつけたら : : : 」 私は義弟を見すえて言った。 「殺すわよ」 シモンは、決して子供たちの食糧には手をつけないと真剣な顔をして私に誓った。 グランドセントラル・スティションからウエストチェスター行きの電車にのれば、三十分ば かりで。フロンクスヴィルに着く。レイドン夫人は頭のいい人らしく道順を簡単明瞭に説明して くれていたのだが、ニューヨークの街とあまりにも違う景色に私は戸惑って尋ね当てるのにか なり骨を折った。 。フロンクスヴィル。それはまるで夢のようなところだった。灰色のマンハッタンと違って、 しやくなげ れんぎよう ここでは明るい緑が萌え展がり、白とビンクの石楠花や黄色い連翹が家々の前庭に咲き誇って とぎばなし いた。どの家もお菓子で出来たように愛らしく、まるでお伽噺の街のようだった。、、フロンクス ヴィルの家々は、柵や垣根というものを持たない。それはまるで花畑の中に、適宜に配置され ているように見えた。碁盤の目の上にうすぎたない四角いビルが立並んだマンハッタンから来 こみち てみると、優雅なカーヴを持つ。フロンクスヴィルの小径は家を探すには見当がつけにくかった ひろ

3. 非色

鹸を使っている日本人の中で、キャミーの泡と匂をたてながら垢を落しても、私は一向さつば しばしば りせずに湯から上ることが屡々たった。 クリスマスが近いある日、トムからようやく便りがあった。ずっと前に青山のア。ハートに届 いていたらしいのだが、管理人が怠けていて、母が出かけて私宛ての手紙がないかと訊いたと ころが、そう一一一口えばと思い出して渡してくれたものだ。 三枚の不揃いな紙が便箋がわりで、ポールペンのインクがトムの掌に圧されて文字がかすれ、 大層読みづらかった。それでなくてもトムの手紙は綴りが滅茶滅茶なのだから、判読しなけれ ば意味がとれないのだ。 「なんて書いてあるんだいー 母が覗きこんだが、 「待ってよ」 私は眉をしかめた。 内容もはかばかしいものではなかった。ニューヨークに帰るとすぐ働き口を探したが、いい 職がなかなかなくて、それに住むところもなく、友だちの家を転々としていたので手紙の書き ようがなかった。ようやくマンハッタンの中の市立病院の看護夫のロを見つけたので、臨時の つもりで就職した。これは夜から朝までの勤務なので、少し調子が違い、日中に眠るのが辛い

4. 非色

407 不思議な力が湧き出して来るのを感じた。 「ルシル 「ワシントンの桜は本当に素晴らしかったわ」 怪訝な顔をする相手に、私は晴れやかに笑ってみせた。 見上げると高層のビルが建ち並ぶ中で、一際高くエン。ハイア・ステイト・ビルディングがタ 空を衝いて聳え立っていた。あの窓硝子を拭く人たちがいるのた。私は足を止めて、しばらく その辺りのビルを見廻していた。 あった。新しい 666 のビルの裏に、硝子拭きのための足場が一つ、しまい忘れたのか屋上 からぶらんと吊下っていた。ひょっとすると、つい先刻まで麗子のホセがあの板に乗って働、い ていたかもしれない、と私は思った。が、これは悲観的な想像ではなかった。ああ、と私は思 っていた。ニ = ーヨークに来て、そろそろ七年になるのに、マンハッタンの中で私の知ってい るところは ( アレムの地下室と日本料理のレストランだけだ。私はニーヨーク名物の高層建 築に上ったことは一度もなかった。 = ーヨークに、そういう高い建物があることを私はまる で忘れて暮していた。 明日は、と私は思った。明日はメアリイたちを連れて、エンパイア・ステイト・ビルに上っ てみよう。高い高い建物の上から、地上を眺望してみよう。眠いと言ったってトムも叩き起し

5. 非色

389 「はあ・・ : : 」 可ですか ? 」 「あなたの専門は { 。子供を育てたり、家の中を掃いたりするのが私の仕事なのです」 「専門なんて別に : 彼らは私が冗談を言ったと思ったらしい。喉の奥まで見えるほど大きな口を開いて笑い、日 本女性は機智に富んでいて、しかも慎ましやかだと言いながら肯きあった。 「ジャクソン氏のお仕事は何ですか ? 」 「マンハッタンにある病院で働いていますー 「医者ですか ! なんて素晴らしい ! 」 後進国では医者や薬剤師が足りないとは聞いていたが、彼らの感嘆ぶりには私も驚いてしま った。しかも彼らは誤解している。私は苦笑しかけて、俄かに一つの記憶に揺さぶられた。何 年か前に、日本の男である井村も同じ誤解をしたではなかったかー 私は勇をふるって喋り出した。 「私の夫はニグロなのです。医者ではありません。看護夫です。それも夜しか働いていませ 色 ん。週給は四十ドル。彼の家族は六人です。正確な言葉を使うなら、彼は下層階級に属してい 非ます。私の子供たちもニグロです。彼らは貧しく、ハアレムで暮しています。彼らは百年前に あなた方と同じアフリカからこの国に渡って来たわけですが、あなた方はこうしたアメリカの ニグロたちを、どうお考えになっていらっしゃいますか」

6. 非色

388 「半分だけね。あと半分は中国料理なのですよ」 「この黒いのは何ですか ? 」 「笑子に訊いて下さいな。彼女は日本料理の権威ですから」 奥さんは後を私にまかせてすらりと身をかわし、向うへ行ってしまった。ガーナ人は眼を光 らせてチュニジア人の皿を仔細に見てから、 「僕も研究しよう。ジャクソン夫人、ちょっと待っていて下さい」 と言って急いでテー。フルの方へ行ってしまった。 私はチニジアの青年に問われるままに、海苔について、それが何処で採れ、どうやって紙 のように作りあげるものであるかという説明をしていた。彼は海苔巻を、しきりと芸術的だと 言って激賞しながら、勢よく口の中に放りこんで一瞬妙な顔をした。酢は少なめにしたのだが、 彳冫を田、 . いがけない味だったのだろう。 ガーナの青年が私の分も持って戻ってきた。私は彼らと同じように立ってフォークを動かし ながら、しばらく日本料理について話し、ついでにマンハッタンにはいい日本料理屋があるか ら是非行くようにとすすめたりした。料理の話は私も苦手だったからだが、彼らもそんなこと に本当の関心があるのではなかった。 「レイドン夫人から伺いましたが、あなたは人種問題に非常に興味を持っておられるそうで すね」

7. 非色

148 「うん、染めているのよ。ほら マリリンは俯向いて、毛の根を分けて見せた。輝く金髪の根元は、茶色かった。ともかくニ グロ特有の黒い縮れ毛ではなかったけれども。 時間が来ると、私とマリリンはメアリイに手を振って、並んで出かけた。道々、、、ハスの中で もマリリンは喋り続けて、マンハッタンの中ではなかなか安い物は買えないこと。クヰーンズ にある「アレクサンダー」という百貨店では、時々掘出しものがあるから、冬の用意は今から 心掛けておくといいなどということまで教えてくれた。 夏の暑い間は店が不景気だというのは、日本でもアメリカでも変るところがないらしい 「ヤョイーも閑散としていて、たまにくる日本人の客たちは肉のかたいスキヤキを突っきなが 「ああ、ひやむぎが喰いてえ」 などと懐かしいことを一言っている。 ウェイトレスは私の他にもう一人いたのだが、いつのまにかやめてしまって、この一か月ほ どは私が一人で働いていた。客のたてこむときには女将さえもキチンから出て来てテーブルの 注文をきいたが、普段は私一人でどうにかやって行けた。女将さんも、板場の主人も日本人だ ったが、私はこの人たちにはどうも相談する気にはなれなかった。妊娠していると知れば、す ぐクビにされる心配もあったし、何より二人ともどうも日本人と思うには並の日本人とは違う ら、

8. 非色

「やっと紹介してくれるってわけね」 麗子はうふんと鼻を鳴らして笑ってから、 「お礼を言うと思うけど、どう致しましてッて言ってね」 と一一一一口った。 「お礼って、なんの ? 「いろいろね、靴やドレスや、みんな笑子さんからの。フレゼントだって言ってるのよ」 「ああ、そう : 秋に入っていて、更衣室で着かえると、麗子はなるほどゥールジャージイのドレスも靴もハ ンド。ハッグも新品でかためていた。百ドルの貯金の他に五十ドルは私に預けて、彼女は毎月そ 、という安物で身 ういうものを買うのに当てていたのである。私のように寒くさえなければいし がためしたのと違って、煉瓦色のワン。ヒースに大きなネックレス、黒の踵が思いきり高いハイ ヒール。大型のモダンなバッグという麗子のいでたちは、マンハッタンのオフィス街から出て くる白人のサラリーガールと変らなかった。いや、それ以上に華麗だった。子供がいなければ、 色 これだけのことは私にだって出来るのたと思うと、私はふと麗子が羨ましくなった。 非しかし、麗子の夫の格好はというと、これは相変らずお粗末の極みだったのた。夏の間中着 ハンをはいて、上にはもう今から皮ジャン。ハーを羽織 ていただんだら縞の丸首シャツに、ジー っている。おそらくこれが彼の衣裳の総てであるのに違いなかった。真冬でも、きっと彼はこ 209

9. 非色

二人は知っていたのに違いない。アフリカ人によって、私が傷ついたのを。それをまるで自 分たちの過失のようにも思っている様子だった。過失と一一一一口うなら、確かに過失には違いなかっ た。アフリカ人たちがアメリカのニグロ問題を央い話題とはしないことを、レイドン夫妻は知 っていたのだったから。彼らは海いていた。そして罪を償うためには私を慰めるより他にはな ートから私にセーターを買 いと思っているらしかった。その日、奥さんはマンハッタンのデ。ハ って帰ってきた。レイドン氏は大学の帰りに、クッキーやキャンディを一抱え買ってきた。ど ちらも私への贈りものであった。二人とも実に善意の人たちだったが、そういう好意をうける いたわ ことで私が忘れたいことを忘れられないでいる結果には気がっかなかった。私は二人から労ら れる度に、井村にぶん撲られたときのことを思い出した。あの方が、ずっと気持がよかった、 さわ と私は今になって思う。思いきって傷に障られた方が、遠くから痛ましげに傷を見詰められる よりましな気がする。多分、私はひねくれていたのだろう。私はレイドン夫人の好意を受ける 度に、こう言いたくてむずむずしていた。「御心配なく、私はあなたがユダヤ人の奥さんだと いうことを知ってます。だからお二人とも、オジョオチャマの髪の毛と眼の色が鳶色になった のでがっかりしたのでしよう」北欧系のプロンドと碧い眼は、誕生日間近のオジョオチャマに はもはや全く無縁たった。 それから二週間たって、私はレイドン夫妻からワシントンへ同行しないかという誘いを受け

10. 非色

レイドン氏はネクタイをしめながら、 「エミさん、あなたは実に偉大な人た。僕たち二人がかりで、あなた一人の仕事を持余して いたのですからね」 ジョーク と、彼には珍しい冗談口を叩いた。昨日一日だけオジョオチャマの世話をしただけで二人と も疲れきっていたらしい 朝食が済むと奥さんはレイドン氏をせきたててシポレーに乗せ、 「笑さん、じゃ頼むわよ」 と言いおいて出かけてしまった。運転は奥さんがする。。フロンクスヴィルの駅でレイドン氏 を降し、それから自分は ( イウ = イをとばしてマンハッタンにある国連ビルまで出勤するのだ。 レイドン氏は汽車で逆方向のイエール大学に行き講義と読書に明け暮れ、帰りは奥さんと連絡 をとって、奥さんの車がプロンクスヴィル駅に着く頃に汽車を降り、揃って家に戻ってくる。 奥さんは長い静養の時間から立直ると、実に精力的に見事に働き出した。まず朝は早く起き、 寝室か客間か台所のどれか一つを念入りに掃除し、レイドン氏と二人分の朝食をつくり、それ から髪を梳きドレスアツ。フして、夫と二人で食卓につき、食事をすますと子供部屋に揃って入 ってくる。オジョオチャマが起きていればちょっと抱上け、眠っていればそのまますぐ部屋を 出て、それから出かけてしまうのた。 帰ってからは眠るまで、二人ともソフアの両端に腰をおろして読書をする。レイドン氏は学