368 ナンシイは名前からみても、あの金髪から考えてもユダヤ人ではないようだったが、彼女はど ういう理由からユダヤ人であるというだけでレイドン氏を軽蔑したのだろう。むろん私はユダ ヤ人がどういう人種であるかについて一応の知識は持っていたけれど、白人だけの世界にもこ ういう差別意識があることには驚かされていた。志満子の夫もイタリヤ人としてニグロの妻た びんしよう ちの憫笑を買っていた。プエルトリコ人の中にも殆どスペイン人と見分けのつかない者がある。 やはりそうなのだ、皮膚の色ではないのだと、私はあらためて会得していた。ス。ハゲッティと 聞いただけで竹子に襲いかかった志満子。自殺した麗子とス。ハニッシ = ・ ハアレムのプエルト リコ人たち。私自身にしてからが志満子や井村からプエルトリコと同列に扱われて狂いたった ことがあったではないかと、私は様々な出来事を一度に思い出して混乱していた。日本人。ナ ンシイは興奮のあまりにか私が日本人であることも忘れて日本人を罵倒してのけたけれども、 日本人もやはりニーヨークでは少数民族に属しているのだろうか。ニグロのように、プエル トリコ人のように。あるいはまたイタリヤ人や、アイルランド人や、ユダヤ人のように。 私が混乱したのは、つい先刻まで、この世の中には使う人間と使われる人間という二つの人 種があるたけなのだと考えていたのが、またぐらぐらと揺り動かされ出したからである。ナン シイは使われている側の人間たったが、一 彼女自身の意識ではユダヤ人にも日本人にも優越して 。し子ーし / 。し これは何なのだろう。 「呆れたものだわね」
242 は私も見て知っていることのようです。 上の妹は。 ( て ( ラといいます。三歳と二か月です。下の妹はべティといいます。一歳と一 か月です。バア。ハラはお母さんに似ました。髪と眼が黒いので。フェルトリコの子のようだと 私が言ったとき、お父さんが大変怒りました。プエルトリコ人はアメリカ人ではないと言い ました。でも、学校の先生はプエルトリコ人もアメリカ人だと言います。私のお母さんも、 もうじき市民権をとればアメリカ人になります。アメリカ人という一一 = ロ葉は少し複雑のようで す。 べティは私とお父さんに似ましたが、お父さんより色がうすいのです。お父さんのお祖父 さんはアイルランド人だという話ですから、それで少し色が白いのでしよう。よく眠って、 時々大きな声で泣きます。 私は、お父さんとお母さん、。 ( ア。 ( ラとべティの二組をよく見較べて、私の家族は素晴ら しいと思います。アメリカン・ニグロの先祖は三百年前にアフリカからこの国へ渡って来ま ぜネレーション した。三百年の間には十の世代があると先生が言います。そうすると、私の家では八代目 に白人が、十代目に黄色人種が混じったわけなのです。だから私と、日本人似 2 ハアバラと、 少し色のうすいべティが生れたのです。この三人が本当の姉妹だなんて、なんて素晴らしい ことでしよ、つ。、 しつの日か私たちの家系にプエルトリコ人が混じることも考えられます。プ エルトリコ人はそれを歓迎するでしよう。そうすれば誰もあの人たちをアメリカ人ではない
415 解説 これほど徹底的に相対主義をつらぬいた作品もめずらしい。金持は貧乏人を軽んじ、頭のいし ひっそく ものは頭の悪い人間を馬鹿にし、逼塞して暮らすものは昔の系図をひろけて成り上りを罵倒す 、美人は不器量なものをあわれみ、インテリは学 る、要領の悪い男は才子を薄っぺらだといい 歴のないものを軽蔑する、人間はだれでも自分よりもなんらかのかたちで以下のものを設定し、 それによって自分をよりすぐれていると思いたいのではないか、それでなければ落ちつけない、 生きて行けないのではないのか、と有吉氏はいう。人種差別の感情もそれとおなじことで、ア メリカ人はユダヤ人やイタリア人を、ユダヤ人、イタリア人はニグロを、ニグロはプエルトリ コ人を軽蔑する、そしてそのプエルトリコ人にあくがれを抱いてアメリカにわたったのが日本 人女性ではなかったのか、と。あらゆる存在、あらゆる登場人物たちはこうして相互に否定し あい、事実また否定される。純正白人の看護婦はユダヤ人教授を、人種差別問題に関心の深い アフリカの知識人は黒人妻をといった風に、無限否定の環が登場人物たちをめぐってつながれ る。あくなき相対主義の眼によって描かれているといったのもそういう意味においてなので、 だから登場人物たちは誰一人として絶対化されていない。したがって作品世界も閉じられてい ると同時にひらかれている。これが「非色」なのだ。 日沼倫太郎
私たちも傾聴するわ。来る人たちはみんな立派な人たちだから、きっと真剣にあなたの問題を 語りあうでしよう」 私はその夜、興奮して眠れなかった。私も。ハアティに招かれたのだ。あの国際的な。ハアティ に ! 奥さんが言った通り、これまでレイドン家の。ハアティに招かれた人々は確かに立派な人 人だった。私の知っているニーヨークは貧民街と日本料理屋だけたったが、レイドン家では 国際的大都会ニ = ーヨークの知性が確かな形で私の目の前に展がるのだ。これまでの私はその 中をサーヴィス盆を持って泳ぎまわり、裏でコップや皿を洗うだけの役目だったが、明日は違 う。明日は私も奥さんのように、国際人の一人になって彼らと対等の立場で語りあうのだ。あ あ私が国際人だなんて ! それは奥さんからの突然のお達しに私が怯んでしまって、すぐには 喜べずにいるとき、奥さんが私を励ましてくれた一一一口葉なのであった。 「尻込みすることはないのよ、笑さん。人間は平等なの。国連がその典型なのだわ。明日の 。ハアティは小さいけれど国連の雛型なのだと私は自負しているの。あなたも国際人の一人とし て参加する資格があるわ。アメリカの人種問題について外国人は大層興味を持っているのだし、 あなたが話せば彼らも腹蔵なく話してくれるでしよう」 当日が来た。私は気もそそろでオジョオチャマの世話をしながら、暇さえあれば髪型を整え 5 たり、今夜着る粗末なワンビースのことなどを考えていた。私は昨夜興奮のあまり、家へ飛ん で帰って日本料理屋で着ていた着物を取って来ようかと奥さんに相談したのだが、それは一蹴 ひる
108 その部屋の中に、その日から長い間顔を突き合わせて暮すことになったのは、私を含めて七 人の日本の女たちであった。三人は留学生だった。この人たちは忽ちグループを作って、他の 四人とは種族が違うという顔をし始めた。 後の四人のうち三人が子持ちだった。一人は薄茶色の髪と碧い眼を持った男の子を連れてい て、トランクの名札にはシマコ・フランチョリーニと書入れてあった。背が高く、丸い顔に釣 上げて描いた眉毛がいかにも似合わなかったが、ひどくとり澄ましていて、私を最初に認めて メアリイに眼を移したとき、 「アウ : : : 」 アメリカ人と同じような小さな驚きの声をあげ、肩をすくめてから私たちを黙殺した。 子供を連れてないのは麗子・マイミという名前だったが、これは掃溜に鶴が舞い降りたよう に美しい若い子たった。二十歳を過ぎたばかりではないだろうか。色白で髪が柔かく、眼が大 きく、着ているものも上品で、どこから見ても「いいとこのお嬢さん」という感じたった。礼 ′」うぜん 儀作法も心得ていて、志満子のように傲然とするどころか、私と最初に目があったとき、白い 糸切歯を出して品よく頬笑みながら会釈をしたところなどまるで宮さまのようで、私は感動し たくらいたった。留学生の誰よりも優雅で、好感が持てた。こんな粗末な船旅をさせるのは 痛々しいようにさえ思われた。 最後の一人は、これは凄かった。 はきだめ
214 「でも、髪が黒いし、眼も黒いし : 「いいカ、。 ( ア、、 ( ラは、アメリカ人だ。プエルトリコ人とは違う。二度と言ったら承知しな メアリイはおずおずしながら、もう一度訊返した。 「ダディ。プエルトリコ人はアメリカ人じゃないの ? 」 「違うとも。プエルトリコ人はプエルトリコ人だ。あいつらは最低の人間で、アメリカ人じ ゃあないんだ ! 」 メアリイを叱っても言いきかせても、トムはすこぶる陽気だった。食事が終ると、ひとしき り。ハアバラの相手をして、 「お前をプエルトリコと呼ぶ者があったらダディに知らせろよ。ぶん撲ってやるからな。い いな、。ハア、、ハラ、分るだろう ? あんなものに間違えられてたまるかってんだ ! 」 ハア。ハラは父親の黒い腕の中で激しく揺すぶられながら当惑した表情だった。私にも。ハてハ ラが。フェルトリコ人には見えなかったけれども、彼女が日増しに妹の節子に似てくるのには全 く妙な気がする。もっとも、性格は一口に言って、おっとりしている方らしい べティが小さなべッドの中で急に泣き出した。これはメアリイより癇性で、泣き出すと泣き やませるのに大層手のかかる娘である。
二人は知っていたのに違いない。アフリカ人によって、私が傷ついたのを。それをまるで自 分たちの過失のようにも思っている様子だった。過失と一一一一口うなら、確かに過失には違いなかっ た。アフリカ人たちがアメリカのニグロ問題を央い話題とはしないことを、レイドン夫妻は知 っていたのだったから。彼らは海いていた。そして罪を償うためには私を慰めるより他にはな ートから私にセーターを買 いと思っているらしかった。その日、奥さんはマンハッタンのデ。ハ って帰ってきた。レイドン氏は大学の帰りに、クッキーやキャンディを一抱え買ってきた。ど ちらも私への贈りものであった。二人とも実に善意の人たちだったが、そういう好意をうける いたわ ことで私が忘れたいことを忘れられないでいる結果には気がっかなかった。私は二人から労ら れる度に、井村にぶん撲られたときのことを思い出した。あの方が、ずっと気持がよかった、 さわ と私は今になって思う。思いきって傷に障られた方が、遠くから痛ましげに傷を見詰められる よりましな気がする。多分、私はひねくれていたのだろう。私はレイドン夫人の好意を受ける 度に、こう言いたくてむずむずしていた。「御心配なく、私はあなたがユダヤ人の奥さんだと いうことを知ってます。だからお二人とも、オジョオチャマの髪の毛と眼の色が鳶色になった のでがっかりしたのでしよう」北欧系のプロンドと碧い眼は、誕生日間近のオジョオチャマに はもはや全く無縁たった。 それから二週間たって、私はレイドン夫妻からワシントンへ同行しないかという誘いを受け
212 「ねえトム、一度私の友だちを家に呼びたいんだけど、どうかしら」 「ナイトオで働いてる連中かいフ 「そうよ。竹子と麗子の二人。日本を出るとき船で一緒だった人たちなの。本当は志満子も 呼びたいけど、竹子と仲が良くないし、私もあんまり好きじゃないから」 「その中でプエルトリコの亭主持っているのは誰だね ? 」 トムの質問は私を驚かせた。麗子のことは、三年前、私がニ、ーヨークに着いた日に所番地 で麗子の住居のありかを彼に訊いたことがあっただけである。それがス。ハニッシュ・ ハアレム と呼ばれる。フェルトリコ人地区だと後になって私は知ったが、トムはそれを忘れていなかった のだ。 「麗子よー 私は答えた。 びつくり 「そりや美しい人なの。トムも会ったら、きっと吃驚すると思うわ。まだ二十二か三で若い ガール し、色が白くて、眼が大きくて、本当に魅力的な娘よ」 「なんだってそんな素晴らしい娘が。フェルトリコにひっかかったんだ ? 」 「さあ、それなのよ。日本人にはプエルトリコ人なんて知識がなかったんだもの。単純にア メリカ人たと思ってしまって、それで結婚したんでしよ。麗子の家は、かなりいい家なんだけ ど」
307 非色 「シーじゃないんですよ。英語の分る人は誰もいないんですか、ここには ? 」 癇を立てながら一歩部屋にはいった私は、その途端に部屋の中の光景を見て身がすくんだ。 家の中は老婆一人かと思ったのに、これはどうだろう。私の家と同じくらいの一室に、十人 近い男女が居たのた。べッドが二つ壁に寄せてあって、人間が二人ずつ毛布をかぶって眠って いる。床では女ばかり四人がかたまって豆をよっていた。小豆のような形をした小さな青黒い 豆だ。窓際では妊った女が一人、編物をしている。この狭いところに、これだけの人数がフ いや、ホセや麗子もこの中に混って暮しているのだ。まさか、いや、すると : 。ホセや麗子 は別の部屋にでも移ったのだろうか : : : そう思いつくと、私は幾分かでも救われて、女たちの 空けてくれた木箱の上に腰をおろすことができた。バアバラが息をつめて私にしがみついてい る。 べッドの上で一人の男が寝返りをうった拍子に薄眼を開けて私を認め、女たちに何か訊いて いる。やがてむつくりと起上って来た。胸のはだけたシャツにコーデュロイのズボンをはいて、 そのまま寝ていたのだ。 「レイコの友だちかフ と、彼は下手な英語で私に話しかけてきた。鼻と揉上げの長い色の浅黒い男だった。 「ええ。麗子に会いに来たんですけど、彼女はどこにいるんです ? 」
178 ろへ運悪く奥さんが入って来てしまった。ポーイたちも瞬くうちの出来事だったので仲裁する 暇がなかったのた。 「よしなさいよ。みつともない ! 」 鶴の一声でポーイ頭が割って入り、二人はそれそれ二人の男たちに取押えられた。竹子の顔 は憤怒に歪んでいたが、志満子の方は吹出物が崩れて膿も血もしたたかに半面に流れていたか らもっと凄しい形相になっていた。それはたった今のやりとりだけで怒り狂ったものとは思え なカったたかがス。ハゲッティと黒い子供という一一一口葉から始まった喧嘩にしては、引分けられ しんい てからも沸々と煮えたぎっている二人の瞋恚は根が深すぎた。それは私にとってその場だけの ものとしてなおざりにすることは出来ない陰惨な光景であった。この私だって触発されればい ったって二人の仲間入りはするに違いないのだ。日本にいた頃、母に怒り、妹を呪ったことが あるのを私は思い出した。竹子の怒りは、私には分りすぎるほどよく分るのであった。同時に 志満子をも私はこの事件で一層よく理解することができた。ス。 ( ゲッティという代表的なイタ リヤ料理の名を口にされたたけで吾を失ってしまった志満子。それは吹出物が熱を持って不快 な気分でいた折からだったかもしれない。竹子の口調に私には気のつかなかった底意地の悪さ が宿っていたからかもしれない。しかし志満子が激昂したのは、そんな単純な理由からではな かった。イタリヤ人。いや、イタリヤ系のアメリカ人を、日本にいるとき誰が識別することが できただろう。あの当時、ニグロでさえアメリカ人だったのだ。まして色の白いイタリヤ系の