節子 - みる会図書館


検索対象: 非色
11件見つかりました。

1. 非色

182 ハて ( ラは、静かな子だった。メアリイは生れたばかりのころには傍若無人な哭き声をあげ たものであるのに、この子は決して火のつくような泣き方をしない。い つでもひっそりとして、 けれども眠っているのではなく、黒く伸びた髪の下で黒い眼を瞠ってメアリイのロ演を眺めて いる。この子の肌は、いつまでたっても姉のように黒くはならなかった。形のついてきた顔は 間違いもなく日本人の赤ン坊の顔であった。この子ならば純粋の日本人だと言っても通りそう であった。 私は夜おそく帰ってきて、トムが出かけてしまったあと、ひっそりとそれそれの寝場所で眠 っている二人の娘を見るとき、較べるともなく一一人を見較べて、ふとスア。ハラが先に生れてい たらどうだったろうかと思うことがある。この子だったら、銭湯へ連れて行っても日本人たち がじろじろと眺めまわすこともなかっただろう。母も愚痴をこ・ほさなかったのではないか。妹 の節子もトムと別れさえすれば文句はなかっただろう。メアリイが生れても一度も寄りつかな かった節子のことを、私は・ほんやりと思い出していた。 トムもマリリンも近所の人たちも、、、ハアバラを私にそっくりだというけれど、私にはどうも 彼女が節子に似てくるような気がして仕方がなかった。節子は私と違って色白で器量よしだっ たから、その方がいいと思いながら、そう思っている自分に気がつく度にギクリとする。節子 が、あの私の妹が私とメアリイを日本から追出したのではなかったか。 メアリイは長椅子の上に、躰を縮めて横になって寝ていた。無邪気な子供とも思えない侘し

2. 非色

てしまうか、どちらかにして、笑子も身軽になったらどうだい ? 私はそんなことも考えてる んだけどね。そうすれば節子も安心するし、あなたも日本人と再婚できるかもしれないじゃな 「節子を幸福にするために、メアリイを捨てろって言うんですか、母さんは」 「そうすれば、みんなが幸せになれるんじゃありませんか」 「メアリイは私の子です。節子に言って下さい。私たち姉妹の縁を切ればいいでしようって。 それから、身内の詮索をこちゃこちやするような男と結婚したって、幸福にはなれつこありま せんよって」 「縁を切るなんて一一 = ロ葉で言ったって、あなたがここにいたんじゃ、切れやしませんよ」 たまりかねて、私は立上って叫んだ。 「母さん ! 母さんは私に日本を出て行けって言うの ? 私は日本人よ、だからどんな人だ って私に向ってこの国から出て行けという権利はないわ。たのに、どうして母さんにそんなこ とが一一一一口えるの ? 親でも妹でも自分に迷惑がふりかかると、そんな酷いことが言えるものなの 色ですか ! 節子は誰のおかげで女学校へ行けたんです、誰のおかげで飢えずにすんだんで メアリイが眼をさまし、わっと声をあげて泣き出した。母は眼を伏せ、ものも言わずに帰っ て行ってしまった。私はメアリイを抱き上げなかった。なだめなかった。それどころか、もっ

3. 非色

その妹が私を恨み、嘆き悲しんでいると聞かされたとき、私はあまりにも思いがけなかった ので耳を疑い、しばらく話している母の顔をまじまじと眺めたものであった。 「会社で男の人と親しくなっても、家族のことを訊かれると口がきけなくなってしまうんだ そうだよ。節子はあんたと違って器量よしだから、男の中へ入れれば申込んでくるのはいくら もいるとは思っていたんだけどね、節子はその度に震え上るんだよ。誰かと親しくなって、そ れに秘密を知られたらどうしようと言って泣くんですよ」 「秘密って、なんですかー 「メリーちゃんのことですよ。ちゃんと結婚したと言っても、今は別れているとなれば。ハン ハンでもしていたかと人は思うもの」 「なんてことを一一一口うの、母さん」 「笑子、あなたは勝手すぎますよ。あなたがトムさんと結婚したために、私や節子がどのく らい恥かしい想いをしたかを考えてみたこともないんですか。メリーちゃんの先行きも考えて みなさいよ。日本で仲間外れのまんま育つよりも、同じような子がいくらもいるアメリカへ行 った方がどのくらいあの子のためにも幸せか分らないじゃないか」 「 : : : 節子が私を恨んでいるって言うんですね ? 」 「あんたがトムさんと別れるのは反対しませんよ。それだったらメリーちゃんを引取っても らうか、そういう子たけ育てるところが横浜だか品川だかにあるという話だから、そこへやっ

4. 非色

「私がいれば不幸にはなりませんよ」 「だって笑子は働きに出るじゃないか」 「だから母さんに可愛がって下さいって頼んでるしゃありませんか」 「でもねえ、だんだんひねくれて来るのを見てるのは辛いものだよ 「母さんの愛情が足りないから、ひねくれるんです。孫じゃありませんか。もっと親身にな って面倒を見てくれればいいのに」 「そんなことを言ったって無理ですよ」 「メアリイが黒いからですか。見ていて分らないの ? この子は人間なのよ」 「だけどね、私の娘は笑子ひとりじゃない。節子のことだって考えてやらなくちゃ」 「節子がどうかしたんですか」 「あの子だって齢頃ですよ。いろいろ考えては悩んで、泣いてることだってあるんだから 「泣くほどの悩みがあるんですか、あの子に」 色妹は、潤沢な小遣いを持って、女学生時代を楽しく過していた筈だった。卒業後は小さな日 非本の商社の庶務課に勤めていた。節子がこの高円寺のア。 ( ートに現われたことはついそ無かっ たし、考えてみると私がトムと結婚して以来というもの彼女の方から私を訪ねて来たことはな かった。殆ど没交渉のままで、母の言う通り私は妹の存在を忘れていることがあった。 ね」

5. 非色

るのだけれども、泥に足を吸いこまれそうになってもなお私は声をあげて言いたいのだ。色の ためではないのた、と。 私は家に帰ると、眠っている三人の娘たちをかわるがわる見較べてみる。ベビーベッドの中 のべティは一年たっともうべッドから溢れるような大きさだ。向いの小母さんのような大女に 育つのではないだろうか。、、ハアバラは私がこれから眠るべッドに、静かに横たわっている。こ の子は慎ましくて滅多に寝返りをうたない。まだ三つなのに、寝顔をみるといつもながら節子 ・ : と私 にそっくりなのた。このバア、、ハラがメアリイのかわりに生れていたらどうだったろう : はいつも想うのだ。それなら私はニ = ーヨークなどに出てくることはなかったのだ。だが運命 というものは、過ぎたことをどう考えてみたところで始まらない。節子に似た、、ハア、、ハラは、黒 いメアリイの後で、ニューヨークに来てから生れたという事実は動かせない。 メアリイは、もう九歳になった。長椅子に寝ているが、かなり窮屈そうだ。早晩べティをベ ビーベッドから私のべッドに移さなければならないから、そうすれば。ハア、、ハラとメアリイのた よいよ今年中にはなん めに大人用のべッドを買わなければならないと前から考えていたが、い とかしなければならない。 九歳とは思えないほどメアリイの躰はよく伸びて、足も腕も逞しい。この子は私にかわって ハてハラもべテイも育ててきた健康な子であった。もう近頃は掃除でも洗濯でも食事の支度で もいつばしの主婦と同じくらい働くことができる。学校の帰り道に安い鶏肉を見つけてきて私

6. 非色

「ああ危なかった。そんな躰で : : : 」 「大丈夫よ」 「大丈夫ってことはありませんよ。よほど注意しなくっちや大変なことになりますよ 「手術するより大変なことに ? 」 私は明るく笑いながら立上ると、床に散乱したものを拾って箱の中に戻した。母は黙ってそ れを見ていた。 「母さん、これ持って帰ってよ。節子にと思って、底にセーターが入っているのよ 「笑子、お前は : : : 」 「風呂敷持ってない ? 」 母は私の顔を見上けながら、手提袋の風呂敷を引張り出した。私は手早く大きな風呂敷包を つくり上げ、 「じゃ、また来てね ? 」 色朗らかに人口のドアを開けた。 母は気になるのか、幾度も幾度も振返って私を見ながら帰って行った。 母の気づかう通り、私は産むことを決意していたのであった。その日帰って来たトムに、私 は病院に連れて行ってほしいと言った。トムは、私の表情が一変したのに驚いていたが、嬉し

7. 非色

214 「でも、髪が黒いし、眼も黒いし : 「いいカ、。 ( ア、、 ( ラは、アメリカ人だ。プエルトリコ人とは違う。二度と言ったら承知しな メアリイはおずおずしながら、もう一度訊返した。 「ダディ。プエルトリコ人はアメリカ人じゃないの ? 」 「違うとも。プエルトリコ人はプエルトリコ人だ。あいつらは最低の人間で、アメリカ人じ ゃあないんだ ! 」 メアリイを叱っても言いきかせても、トムはすこぶる陽気だった。食事が終ると、ひとしき り。ハアバラの相手をして、 「お前をプエルトリコと呼ぶ者があったらダディに知らせろよ。ぶん撲ってやるからな。い いな、。ハア、、ハラ、分るだろう ? あんなものに間違えられてたまるかってんだ ! 」 ハア。ハラは父親の黒い腕の中で激しく揺すぶられながら当惑した表情だった。私にも。ハてハ ラが。フェルトリコ人には見えなかったけれども、彼女が日増しに妹の節子に似てくるのには全 く妙な気がする。もっとも、性格は一口に言って、おっとりしている方らしい べティが小さなべッドの中で急に泣き出した。これはメアリイより癇性で、泣き出すと泣き やませるのに大層手のかかる娘である。

8. 非色

107 見送りには母が来た。妹の節子は来なかった。 , 彼女は餞別も寄越さないほど徹底していた飛 母の方はいざとなってから私との別れが辛くてたまらなくなったらしく、出立準備を始めた陌 から私の傍にうろうろして、一刻でも長く顔を見ていたいという様子だった。いよいよ船の目 える埠頭に立ったときには滂沱と涙を流し、 「笑子、水が変るから、躰は大事にするんですよ。偶には手紙もおくれねえ」 と跡切れ跡切れに言い続けた。 申訳のないことだが私は詠嘆というものを好まない。母の涙は私に早く出て行きたいと思 4 せただけたった。水が変るからとは、また古い挨拶を言ったものたと、私は内心おかしくなっ たほどである。別れの場面は私に反撥を起させるばかりで、昨日まで懐かしみに懐かしんでい た私の気持は、これできれいさつばり清算されてしまったようだった。 「メリーちゃん、元気でねー だがメアリイも淡々として答えた。 「おばあちゃん、さようなら 色 船が埠頭を離れると、間もなく私はいつまでも祖母に手を振っているメアリイをうながして 非船室に人って行った。 船室ーーー。それは窓の少い船底のような暗い部屋であった。寝返りもうてない小さなべッド が八つ、備えつけられていた。二つのべッドが二階式一組になっているのである。 ぼうだ たま

9. 非色

どうして急にそんな一一一口葉が口から出たのか分らない。自分で驚いている私の前で、メアリイ ほころ は春の花が綻びるように笑顔を開いた。 「マミイ : : : 」 汗でしとどに濡れている胸の谷間に、メアリイは顔を押付けてきた。私は一層強く彼女を抱 きしめながら、茫然としていた。 アメリカへ行こう。トムのいるところへ。この考えは、このとき突然に湧いたものである。 突然湧ぎ起って、それがメアリイの笑顔で確定してしまった。それは私の確信でもあった。こ の日本で、私たち親子が幸福になることが考えられないとしたら、私たちは出て行くよりない のだ。リー夫人は = = ーヨークに百万人の = グロがいると言った。その中へ入れば、メアリイ は友だちを持っことができるだろう。無邪気であるべき子供心に今のような陰惨な復讐を思い つくことなど決してないだろう。それに私にしたところで、正直いって慰めてくれる相手がほ しかった。こうして一日寝てみたところで、心の疲れは癒されることはないのだ。最も近しい 肉親である筈の母が、妹の節子の幸福に屈託していて、ともすれば私を恨みがましく見ること 色にも、そろそろ私は我漫しきれなくなってきていた。アメリカへ行こう。トムのいるところへ。 それ以外には現状を打開する方法は、やはり無いようだった。その夜、メアリイが眠ってから、 私はニ、ーヨークのトムに初めて手紙を書いた。

10. 非色

非色 293 麗子が母親になるところはどうにも想像し難かった。しかし麗子は産むたろう。このニ = ーヨ ークでは、たとえ千ドルの金が自由になったって、産まないわけにはいかないのだ。 奥さんが言った成り年という言葉は、同時に私自身の果樹園をも省みさせた。トムと私の家 には、もう三つの桃が成っているのだ。頭にこってりと油を塗った利発なメアリイ。節子と瓜 二つの温和しい、、ハア、、ハラ。よく泣き叫ぶ小さなべティ。 四人目の子供ができたということをトムに告げた日、トムの反応は私を随分安心させた。彼 は驚いて私を見てから、大仰な身振で天井を振り仰ぎ、そして言ったものた。 オウ・ゴッドウイ・ガット・トウ・マッチ 「神さま、もう沢山ですー 彼は決して喜ばなかったのに、私が安心したというのは、バア。ハラやべティが生れて来る前 とは較べものにならないほど彼の表情が明るかったからである。。ハア。ハラを妊ったとき、彼が 白眼をぐるりと廻しただけで、碌にものも一一一口えなかったのを思い出す。べティのときには、彼 は黙って眼を伏せて深い溜息を吐いたものであった。それは日本で、メアリイが生れる前後の トムの喜びようと較べると同じ人の態度とは思われなかった。私はその度に一層妊娠を悔んた ものだ。 だが、ニーヨークに私たちが着いた当時と、それから、五年近くたった今とでは、私たち の生活は僅かでも楽なものになってきていた。私の収入が、暮しむきをかなり落着かせていた のである。べッドも一つ殖えたし、食事は椅子に腰をおろし、人間らしくテー。フルで食べるよ