ちゃん - みる会図書館


検索対象: あべこべ人間
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1. あべこべ人間

こんな大都会に住んで、よく気持わるくないものだと春江はまだ不安な気持で、高速道路 の左右にみえるビルや工場、そして汚い川や海に眼をやった。空気までよごれていた。それ は人間の住む場所と言うよりは、ただ働くためたけの空間に思えた。 「春江ちゃん、あんた、勤めを休んで来てくれたのね」 「休んだ方が、わたしも楽しいです」 彼女は努力して標準語で答えた。 「それより、いつ、お姉ちゃん、入院するの」 「予定日はあと五日だけど 「こわくなかですかー スズ子は人の好さそうな顔をして笑った。 「東京タワーが見えるだろ。あの下にテレビ局があるー とスズ子の夫は言った。 「原宿はどこですか」 春江がたすねると、スズ子が笑って、 「やつばり春江ちゃんも原宿に行きたいのね。今は若い人たちは、東京に来ると、原宿、原 宿と言うものね」 春江はもちろん黙っていた。彼女が原宿に行きたいのは、そこに岡本茂が毎日、通ってい るからである。

2. あべこべ人間

と春江はロに入れたケーキをのみこんで、 「しゃあ、男の人が女のように頬紅をつけたり、口紅をつけたりするのも東京しやおかしく ないですね」 ちくわ 「おかしくないわよ。おかしいと思う方が時代遅れだわ。わたしの親友の竹輪明広さんをみ なさいよ。堂々と化粧してテレビに出ているしゃないの。おカマとかホモの感覚じゃないの よ。あの人は時には男に戻ったり、時には女になったり、性を多面的に使いわけているわ。 あれが新しい時代の感覚よ」 「平戸じゃ、そぎゃんことは考えられまっせんー 「平戸は平戸、東京は東京よ。春江ちゃんも東京へ来た以上、東京の新しい感覚を学ばなく ちゃ 「でも先生、うちが男の恰好ばするって 「どうしていけないのよ。春江ちゃんこそ美しい青年の変装ができると、わたし睨んでいる んだがなあ」 ここに来て二週目の日曜日、春江は暇をもらって、自由な一日をすごすことになった。 午前中は従姉のスズ子の家へ遊びに行った。スズ子の夫は会社の仲間と野球の練習がある と言って出かけ、スズ子は赤ん坊のおむつをかえていた。 「春江ちゃん、東京になれた ? 兵頭先生は親切にしてくれる ? 」 にら

3. あべこべ人間

その日、とても忙しかった。スズ子の家で、お手伝いさん代りに、台所から掃除まで全部 やったからである。自分の家ではあまり家事にいそしんだことのない春江も、他人の家にな るとそうはいか十気 「春江ちゃんが来たので大助かり」 かっこう 冫しかない。合好のいいところを見せようと そうおだてられると、もう怠けているわけこま、 して、初日にコマネズミのように働いたのがはじまりで、 「やはり平戸の娘は働き者だなア」 などとスズ子の夫にほめられ、次の日もその次の日も、そのイメージに合わせねばならな くなってしまった。こんな筈じゃなかった、と思ったがもう仕方がない。 五日目の朝、一緒に寝ているスズ子のウンウンと言う声で目がさめた。陣痛がはしまった のである。 「お姉ちゃん、お姉ちゃん」 「早く病院に電話して」 まだ寝・ほけている夫を起して電話をかけてもらった。 「宿直の医者はまだ大丈夫たと言っているよ。痛みの間隔がもっと縮まってきたら、また電 話をかけろってさ」 「あなた、人事だと思ってノンキなことを」

4. あべこべ人間

茂が知っている東京を、もっともっと知りたい。 それに彼女は、この東京で茂と同じように自分の身を賭けてみたいという気持になってき ている。慶応を受けるのをやめて美容界にとびこむという茂の話がもしほんとうなら、彼に そのような気持の変化を与えたこの東京のなかで、自分もためしてみたかった。 「スズ子姉ちゃん」 「なあに」 「うち : : : 東京で何かよか仕事のなかかしらん」 「何いってるのよ とスズ子は向う見ずの従妹の言葉に笑いだし、 「春江ちゃん、東京の外側だけ見て、浮かれちゃだめよ。見かけとちがって東京はね、辛い んだから。華かなことばっかりしゃないのよ 「そぎゃんこと、わかっとるばって」 彼女は小さな平戸の町を考えた。あそこで一生住むことは、やつばり寂しかった。 静かで、毎日、眠くなるほど静かで一年中、同じことがあって、そんな平戸での人生が、 波乱のないものであることはたしかだったが、それに身を委ねるのは若い彼女にはやはり寂 しかった。 「姉ちゃん、もう一ペん、うち、東京に出直して来たらいかん ? 」 と彼女はたのんだ。 ゆだ

5. あべこべ人間

「うち、まだそぎゃん気持なかよ と春江は逃げた。 その伯母がある日、松浦から電話をかけてき、母に何かを話していた。 「春江、お前」 受話器を置いた母は、 「信用金庫の方ば、一週間は休めんとしやろか」 「スズ子ちゃんのお産たいね。東京に手伝いに行ってくれんじやろかって、今、伯母さんの 頼んでこらした。ばってん、断ってもよかよ。たたスズ子があんたにえろう会いたがっとる せん」 「わア、スズ子姉ちゃんに赤ん坊の : : : 」 と思わす春江は叫んだ。 スズ子は松浦の伯母の次女で、東京に去年、お嫁入りしたのだが、中学時代、春江の家に 寄宿していたこともあって、姉妹のように仲の良い従姉だった。 人「ばってん、信用金庫で十日くらいの休みばやらすじやろか。もしやらすなら、うち、手伝 、こ行きたか 新 春江としては、久しぶりで従姉に会うこともうれしかったが、ひょっとすると、岡本茂と 再会出来るのではないかという期待が夏の白い入道雲のようにむくむくと起ってきたのであ とこ

6. あべこべ人間

茂に冷たくあしらわれると、春江はあきらめるどころか、かえって恋心がつのった。炎の ように燃えあがった。それは平戸娘の烈しい性格だったかも知れない。 春江の念頭にあるのは茂のことばかりで、頭にはいろんな疑問が水の泡のように次から次 へと浮んだ。 ( なして茂さんは受験勉強ばやめらしたとじやろう ) ( あん人、本気で女子の美容ば仕事にさすつもりじやろうか ) ( 女子と住んどらんごと言よらしたばって、ほんとしやろうか ) ( たすねて来る従妹って、どぎゃん女子じやろう ) そのような疑問が、病院で洗濯をしたり、お湯をわかしている時も、心のひだにへばりつ いて離れない。 「春江ちゃん、どうしたのよ」 腑ぬけた顔をしている春江にスズ子はふしぎそうに、 「このところ、。ほかんとしてるわね」 「そうですかー 「お世話になったわ。もうそろそろわたしも大丈夫だから、好きな時、いつでも平戸に戻っ ていいわよ。お母さんも心配しているだろうし や、むしろ、 スズ子にそう言われても、ふしぎに帰りたいという気持は起ってこない。い 茂のいる東京にもうちょっといたい気持のほうが強い。茂と同じように東京の空気がすいた

7. あべこべ人間

248 「よかねえ、しびれるねえ」 と従姉のスズ子がうっとりと溜息をつくほどだった。もちろん、春江も同じ気持である。 その時、突然、 「イヤーン」 と前列をうすめていた百恵ちゃんの親衛隊が、金切り声をあげた。場内のあちこちから、 何ともいえぬざわめきが起った。そのざわめきは波のようにホールにひろがっていった。 「まあ , 隣でスズ子も声をあげた。春江もびつくりして舞台を注目し、 「キャッ 思わず両手で顔を覆った。 りん′」 レオタードを着た百恵ちゃんの股間に、林檎を入れたような丸い膨みがいつの間にかもり あがっているではないか。そして胸のふくらみはとっくに消えている。彼女は舞台で男に変 っていたのである。そして、背後で踊っている女が茂だった。岡本茂だった : 茂は客席の方を見ながら奇怪なうす笑いをうかべている。それなのに百恵ちゃんは何も知 らずにうたっている。 ( 可哀想な百恵ちゃん。何も気づいとらっさんとばい ) と春江は必死で思った。 「今夜から友和さんなどぎゃんするとじやろう」 ふくら

8. あべこべ人間

254 「ほんなごてよか。そうや、そぎゃんやり方のあるとや」 「なして可笑しかですか」 「春江ちゃんの夢から、・ほくはあの薬の使い方ば知ったとよ と茂は再び作業にとりかかりながら答えた。 「茂さん、引越しばするとですか」 「そう、明日、ここば出て行く」 「どこへ ? うちも連れていって 「いかんよ、・ほくは君ば巻き添えにしとうはなか 茂は真顔で首をふり、 「春江ちゃんには春江ちゃんの人生のある。平戸に戻って、早う結婚ばするがよか」 その言葉に春江は、見合いをしてつきあっているあの青年の顔を思い出した。東京へ行っ たまま戻ってこない彼女に、あの真面目な青年はせっせと葉書をくれている。 「平戸へ帰るつもりなら、三度も東京に出て来んです」 彼女は思わず涙ぐんだ。 「わたしが注射ばうって男にしてほしかって言うた気持、茂さんにゃあわからんとですか」 「ばって、春江ちゃん、それ本気や ? 」 「本気でなければ、こぎゃん恥すかしかことまでロに出しまっせん」 春江が怒ったように答えると、茂はしばらく黙りこんで、何かを考えこんでいるようたっ

9. あべこべ人間

輩のチェリ ー・中田が入ってくるのに気がついたからである。 チェリーは真ん中の鏡の前に豊満な尻をおとし、化粧をおとしながら、 「ああ、いやだ、いやだ」 と聞えよがしの声を出した。 「この頃の楽屋は、先輩後輩の礼儀もないんだから。わたしがここへ来た時なんか、先輩の クリームを使うなんて、考えられもしなかった。そんなことをしたらどんなに厳しく叱られ たかわからないもんね その声を聞くと、他の踊子たちがシンとなり黙りこんだ。八人入りの楽屋が急に静かに よっこ。 「ほんと、いやになっちゃう とチェリー ・中田はくりかえし、きつい視線で リリーと呼ばれた踊子の方へ眼をむけた。 彼女がリリー をいしめにかかっているのは、もう一目瞭然だった。 「あんたでしよ、わたしのクリーム、使ったの」 「わたし知りません」 「しゃあ、だれよ。他の人だと言うの。ここで手癖の悪いのは、あんただけしゃない。わた しのリポンやサンダルなんか使ったりして。断りなしに」 「あのことはもう何回もあやまりました」 「あれがあやまったというの。あやまるっていうのはね、ちゃんと両手をついて床に頭をす

10. あべこべ人間

152 「春江ちゃん、何を言うの」 ます兵頭女史がたしなめた。 「折角、金山さんがあなたを一流のモデルにしてあげるとおっしやっているのに 「うち、別に男なんかにならんでよかです。おなごのままでよかです。いくら流行だって、 そぎゃん流行についていきとうなかですー 「そう興奮しないで。他の客がこちらを見るわ、春江ちゃん」 とあわてて女史は金山の方をチラッと見た。 「いや、この娘さんが心配するのはもっともです」 と金山は苦笑しながら、 「春江さん、君は注射をうてばもう二度と女に戻れないと錯覚しているのではないかな」 「もしそう思っているのなら、し配はいらないよ。男になった君に、今度はリノ君にうった 女になる注射をうてば、君はふたたび女に戻れるのだから。だからいやになった時はまた、 元の女になれるのだ」 「まあ」 春江の代りに兵頭女史が驚きの声をあげた。 「その薬、そんなに自由自在に性を変えることが出来るのですの」 「そうですー