中学生の制服を着た女の子が三人、坂をくだっているのを見て、 ( この子たち、学校に行かないのかしら ) と思ったが、その時、驚くような変な事が起った。 三人の女子中学生が信号で立ちどまった時、五十歳ぐらいの紳士が彼女たちに声をかけた。 「君たち、原宿にはよく来るの」 あどけない声で彼女たちは答えた。 「三度目です」 「そうか、しゃあおじさんがお茶をご馳走してあげようか」 春江がおどろいたことには、この三人の女の子たちはこの見知らぬ男性の誘いに、 「ほんと ? 」 実にうれしそうに承諾の身ぶりを示したことだ。 彼等はすぐ近くのビーチという喫茶店に入って行った。春江もどこかで休みたいと思って いた矢先だったし、好奇心も手伝って、彼女たちと紳士のあとから店のなかに入り、隣のテ ープルに何げなく腰かけた。 さっきもらった茂の下宿の住所をみると、新宿と書いてある。新宿が原宿と同じ盛り場で あることは、春江もよく知っている。 運ばれたジュースを飲んでいると、後ろの席の会話が何となく聞えてくる。 「じゃあ、こうしよう。あそこのフォレでアクセサリーを買ってあげる」
こんな大都会に住んで、よく気持わるくないものだと春江はまだ不安な気持で、高速道路 の左右にみえるビルや工場、そして汚い川や海に眼をやった。空気までよごれていた。それ は人間の住む場所と言うよりは、ただ働くためたけの空間に思えた。 「春江ちゃん、あんた、勤めを休んで来てくれたのね」 「休んだ方が、わたしも楽しいです」 彼女は努力して標準語で答えた。 「それより、いつ、お姉ちゃん、入院するの」 「予定日はあと五日だけど 「こわくなかですかー スズ子は人の好さそうな顔をして笑った。 「東京タワーが見えるだろ。あの下にテレビ局があるー とスズ子の夫は言った。 「原宿はどこですか」 春江がたすねると、スズ子が笑って、 「やつばり春江ちゃんも原宿に行きたいのね。今は若い人たちは、東京に来ると、原宿、原 宿と言うものね」 春江はもちろん黙っていた。彼女が原宿に行きたいのは、そこに岡本茂が毎日、通ってい るからである。
ろう。 高校の時から、雜誌のグラビアで見てきた原宿である。日本中の若者の憧れる原宿である。 巴里のシャンゼリゼのような原宿にあるひろい通り、高い街路樹、両側には流行の品物を 並べたブティックがすらりと並んでいる。グラビアではそんな説明が書いてあった。みえ子 もタ工も、 「こぎゃんナウな通りば歩いてみたかア と溜息をついていた。その原宿についにやって来たのだ。 駅をおりると、運動会のように若い男女がそろそろと歩いていた。正直言って、グラビア に出ていたような超モダンな服装をしている人はなく、ジーンズにセーターやジャンパーを はおった若者がそろそろと歩道橋をの・ほったり、坂にそって歩いている。 駅前で新聞を売っているおばさんに、 「あの : : : 原宿予備校はどこですかー とたすねると、 「あっち、今、みんなが歩いていくでしよ」 と教えてくれた。 若い連中が歩いて行くのは、みんな予備校へ向っているのだった。 彼女もみんなにまじって予備校まで歩いて行った。予備校についたが、さて、どうやって 茂に出会えるのか、見当もっかない。
160 わして歩いている原宿。そのなかには茂のように女の恰好をしている青年もいる。その原宿 の風景を彼に見せたら、何と言うだろう。 「あんたたち二人で町ば歩いてきたら ? 伯母さんはあんたの母さんと少し買物ばするせ 気をきかしたつもりで伯母がそう促し、青年は春江をつれて町に出た。 「どうもこういう所は苦手せんなア」 そう呟いて青年は公園の方に歩いていった。 「うち、東京でディスコ狂いをしましたばって」 春江は意地悪な衝動にかられ、 「ディスコで遊びまっしえん ? 」 と一一 = ロった。 もちろん、その見合いはむこうから断ってきた。 この縁談につづいて伯母は二つほどまた話を持ってきてくれた。だが、平戸で一生地味に 生きていこうという春江の気持は、その二つの縁談で次第にくずれていった。 「あんた、本当にお嫁に行く気のあるとね」 三つ目の話に首をふった時、松浦の伯母はさすがに鼻白んで、 「あんたのために、そりや、真面目でよか人だけ選んで話を持ってきとるとに、どこが気に 入らんとね」
れても、 「そうですか」 と答えるだけだった。 「お酒や煙草はお飲むとじやすかー と今度は母親がたすねると、 たち 「飲めん性質ですばい。飲むと頭の痛うなりますせん」 「煙草は ? 」 「あぎゃん馬鹿らしかもんは吸いまっせん。ありやアお金ば煙にするごたるもんじやすもん 春江は思わすくすっと笑ったが、その人は何が可笑しいかというような顔をして彼女をジ ロッと見た。 その瞬間、春江はああ、この縁談はだめだなと思った。向うが断って来なければ、こちら が断ろうと考えた。と、急に緊張していた体がほぐれて楽になり、 「趣味は何ですか」 ま「碁ですたい。それに尺八も練習ばしよりますー 女春江はこの青年が、勤めのない休日など部屋にあぐらをかいて碁石を並べたり、尺八を練 習している姿を想像した。そして彼との結婚生活はとても耐えられないだろうと思った。 まぶたに東京の原宿の光景が浮んだ。様々の服装をした男女が腕を組んだり、腰に手をま
「あの : : : 原宿の予備校ばたずねてきいたとですよ」 春江はまっ赤になり蚊のなくような声で答えた。 「すいません。そぎゃんつもりじゃなかとですけど、予備校に行って、こんにちはと言おう と思うたとですけど。この頃、学校にはこらっさんという話でしたせん」 「君も親切な人ばいね」 茂は皮肉ともっかぬ調子でつぶやいた。 二人はしばらく沈黙していた。 「あの店でアル。ハイトばしとっとですか」 「うん、東京は金がいるもんね」 「どぎゃん仕事ですか」 「平戸娘は昔から好奇心が強かな」 と茂は苦笑して、 「ポーイの仕事。さあ、行かなくちゃ。まだ東京におるとや」 「ええ、 いつまでもおられんし」 「残念だなあ。もうちょっとおれば、東京の面白い所ば案内したとに」 彼は伝票をつかんで立ちあがった。恨めしい、悲しい気持で、春江はそのあとをついて外 に出た。そして茂は自分のことなど路傍の石ぐらいにしか思っていないとしみじみ感じた。 女の心は微妙なものだ。
「アクセサリーもビンからキリまであるしゃん 女子中学生の声はさっきと違って、無邪気さも可愛らしさもすっかりなくなっていた。 「洋服、買ってくれなきゃねえ 「洋服 ? 洋服か」 「そうよ。そのくらい当り前しゃん。わたしたち、こんな事はじめての経験だもん。洋服だ って、安いわよー はっキ」り一言わ 「驚いたね、君たちがはじめての経験だとは、そのロぶりで信しはしないが、 れると、こっちも白けてくる」 と紳士は本当に苦りきった声を出した。 「なら、他の娘と話つけなよ。もっといいものを買ってくれるおしさまは、この原宿にうよ うよいるもんねー 「参ったなア」 だが、紳士は結局その三人のうちの一人をつれて椅子から立ちあがった。その女の子は他 の二人に、 人「・ ( イ。ハイ、二時間したら、ここで待っててねー まるで散歩にでも行くような口ぶりで、紳士と外に姿を消した。 し 新 春江は彼等の話の内容がまだわからなかった。ただあの紳士が理由もなくこの女子中学生 に洋服を買い与えるのがたまらなく、ふしぎでならなかった。けれども、残った二人の直後
鷦の声、待合室で英語の単語を憶えていた高校生の茂・ : その茂と今の茂と、何と違っていることだろう。 ( 東京って怖ろしか、こぎゃんに男の人ば変える ) 「岡本さん、変った」 「君も変るさ。平戸の頭しや、東京はつかめんよ。今日は日曜日だろ、日曜日にはあの原宿 で竹の子族が踊り狂っている。彼らの風俗を見ただけで、もう世の中はミックスセックスに 足をふみ入れていることがよくわかるよ。進歩は最大の美徳だとプレスリーも言っている」 「プレスリーが ? 」 「レノンだったかな。ジェーン・フォンダだったかな。いずれにしろ、君もせつかく東京へ 来たのだから、・ほくのように頭を切り変えろよ 「うち、とても出来ませんー 「駄目だな。ああ、世の中は目まぐるしく変って行く その日、新宿から兵頭先生の家まで戻りながら、春江の心は辛かった。自分がこんなに茂 のことを思っているのに、茂のほうはまったくこっちに無関心なのだ。 無関心どころか春江を女の子としてもみてくれていない。い や男とか女の意識をなくせと 茂は一 = ロうのである。 ( わかんない、わたしには : : : ) 春江は泣きたかった。 かもめ
の家とを往復し、スズ子の夫に電話をかけ、そして四時頃、大事業を果した新しい母親を出 産室で出迎えた。 その夜、スズ子の夫は自分の実家に泊り、春江は一人でこの若夫婦のア。ハ ートに寝た。夢 のなかで、フェリーポートに乗っている自分と岡本茂をみた。 眼がさめて、一日も早く茂に会いたいと思った。 「春江ちゃん、ご苦労さん。ほんとうようやってくれたよ」 とべッドに腰かけてスズ子は礼を言った。 「今日は一日、どこにでも行ってきてもよかよ。わたしがついて行ってあけたいけど」 「大丈夫ー 「どこへ行くの」 「原宿ばみたかねー 従妹の無邪気な返事にスズ子は笑いながらうなずいて、枕元においたハンドバッグから小 さな封筒をとり出し、 人「これ、わたしのプレゼント」 以と渡した。 新 よよ岡本茂と会えるかも知れな ゴム毬のように胸をふくらませ、春江は病院を出た。いい いのだ。今は十時半。真面目な茂のことだから、きっと予備校の教室で授業を受けているだ まり
同じようにあくせく予備校通いをし、あくせく大学へ行っても駄目なんだよ。今の時代は、 どんどん新しい道が出来ているんだ」 茂はそこで眼をキラキラと輝かせながら、 「・ほくはね、モデルにならないかと言われたんだ」 「モデル ? ・ 「そうさ、それも金山広一郎さんにだよ。あの実業家のーー君も知っているだろ」 春江はうなずいた。彼女も金山の名前はきいていた。もっとも彼女がその名を憶えたのは、 芸能週刊誌にのった金山と映画女優の青山ゆかりとのゴシップによってだったが : 「ただモデルといっても、普通のモデルじゃない。・ほくはミックスセックスのモデルになる んだよー 「ミックスセックスのモデルって何ですか ? 」 「わかるだろう。男でもなく女でもなく、男でもあり女でもある。金山さんの一 = ロ葉をかりる なら、第三セックスのモデル」 は「じゃあ、もう原宿の予備校に行かんとですか」 かび 2 「行かんよ。あんな黴くさい受験勉強など糞くらえ」 江茂は両手をひろげて、まるで鳥が青空に飛びたっ恰好をした。それは嘘でも虚勢でもない、 彼の本音であることは春江にもよくわかった。 ポートにのっていた茂の姿を思い浮べた。海の匂い 春江はこの時、平戸島に渡るフェリー