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検索対象: あべこべ人間
198件見つかりました。

1. あべこべ人間

160 わして歩いている原宿。そのなかには茂のように女の恰好をしている青年もいる。その原宿 の風景を彼に見せたら、何と言うだろう。 「あんたたち二人で町ば歩いてきたら ? 伯母さんはあんたの母さんと少し買物ばするせ 気をきかしたつもりで伯母がそう促し、青年は春江をつれて町に出た。 「どうもこういう所は苦手せんなア」 そう呟いて青年は公園の方に歩いていった。 「うち、東京でディスコ狂いをしましたばって」 春江は意地悪な衝動にかられ、 「ディスコで遊びまっしえん ? 」 と一一 = ロった。 もちろん、その見合いはむこうから断ってきた。 この縁談につづいて伯母は二つほどまた話を持ってきてくれた。だが、平戸で一生地味に 生きていこうという春江の気持は、その二つの縁談で次第にくずれていった。 「あんた、本当にお嫁に行く気のあるとね」 三つ目の話に首をふった時、松浦の伯母はさすがに鼻白んで、 「あんたのために、そりや、真面目でよか人だけ選んで話を持ってきとるとに、どこが気に 入らんとね」

2. あべこべ人間

ら一番気がかりであったことをいそいで調べた。しかし、運動で鍛えた体にはこれといった 変化はない。 ( やつばり、あいつのこけおどしか。注射液はうっていなかったんだな ) そう思うと彼はホッと安心をした。安心すると共に思い出した。彼は動転のあまりある重 大なことを忘れていたのだ。とびつくように受話器をとると、いそいで会社の守衛室に電話 をした。守衛室で電話をうけとったのは若い社員だった。 「君は誰た。いいか、リ 畠社長の金山だがね、今夜私の名刺を持って誰かがたすねて来ても、 絶対に研究所に入れてはいかんそー 「えツ、半時間ほど前、お名刺を持った人が来られましたので、研究所の宿直の岩城さんが 会っていたようですよ」 「どんな男だ」 金山の声はさすがに震えた。 「若い、男か女かわからないようなやさ男でした」 「それで岩城は研究所に入れたのかー し 「そうだと思います 返 背中から絶望感が疾風のように吹きぬけた。バスローブを着たまま、金山は・フランデーを 仕 グラスにそそぎ、それをあおった。リノがもしあの薬を良からぬことに使えば、責任の一端 は自分と会社にまわってくる。そして一切のことが・ハレてしまう。

3. あべこべ人間

杉田はわからなかった。あれほどそのホルモンを人間に使うべきではないと言いつづけて いた加藤文子が、自分がだまされていたと知ると、その信念を一瞬にして棄ててしまった。 わな 嘘をつかれているのか、罠にかけられているような気さえ杉田にはした。 しかし、それは罠でも嘘でもなかった。約束通り、その翌日、同じ時間に先にこの喫茶店 に来て煙草をくゆらせていた彼は、加藤文子がドアをあけて店に入りこちらへ近づいてくる 姿を見た。 「はい これが杉田さんの欲しがっていたものです。二つのアンプルしか持ってきませんで したが、その二つのうち一つは清に使ったものです。あとの一つは牝が牡に変るかも知れな い新ホルモンです。もちろん、一本ぐらい打ったって効き目はありません。でもわたしに出 来るのはこれだけです。さようなら」 そう言って、加藤文子は眼に一杯涙をため、くるりとうしろをむくと暮色につつまれた外 に消えていった。 杉田は翌日の朝、出社すると、副社長の部屋に行った。 この日、金山は社員よりも半時間早く来て仕事にかかったから、杉田が現われた時はもう 机に向って書類をめくっていた。 「お早うございます」 うやうや びつくりして杉田は頭を恭しく下げた。そして、ポケットから例のアンプルをとり出し、

4. あべこべ人間

236 知っているかのように黙っていた。 午後になって、女の子が一通の速達を持ってきた。差出人の名は書いていなかったが、誰 の手紙かはすぐわかった。 「この手紙のつく頃、薬の効果がもう出ていると思います。しかし、あの薬、二分の一しか うってありません。だから、あなたは全部女ではなく、半分男、半分女という状態でしよう。 文字通りそれがミックスセックスですね。後の半分をいつうたれるかわかりませんよ。毎日、 気をおつけなさい」 その日の夕方、高野は新宿のレストランで兵頭女史とおちあった。彼はひょっとしてあの なくなった薬のことで、女史が何かを知っているのではないか、探りを入れたかったのであ る。 女史は眼を丸くして、 「ええ、杉田さんにうかがいました。でも、何しろあの日、そんなこと夢にも考えす、博多 で講演をしていたのですもの。でも、わたしが盗んだんじゃないわ。そんな薬を盗んで、わ たしに何の利益があるのかしら」 高野は兵頭女史が嘘をついているのではないことを感じた。彼と彼女とは金山広一郎と手 を組むことで利益をうける立場にあったし、金山の仕事を邪魔する必要はなかったのである。 「とすると、やつばり、茂か : : : 」

5. あべこべ人間

342 「少し値段の高かばってん、二人たけの旅行しえん、かまわんたいね」 と春江は茂にこのホテルにきめたことを弁解した。二人だけで泊る最初の夜だからゼイタ クしたかったのである。 「うん」 と素直に茂もうなすいた。 ポーイは姉弟とも友人同士とも見えるこの夫婦を、四階のツインの部屋に案内した。扉を あけて、べッドが二つ並んでいるのが眼に入った時、春江の胸はキ = ッとしめつけられた。 生れてはじめて異性と夜の床を共にするのが怖ろしいのではない。い くら平戸の娘とはい え、春江たって現代っ子だった。性についての知識は持っていた。 だが、事情が今までとちがうのだ。 , 彼女は男になってまた三日とたっていなかった。男と しての心がまえができていなかった。まして茂に今夜たかれる いや、そうではない。茂 をだく身となった今、果してうまくできるかどうか自信がない。 ( 大丈夫だろうか ) そのべッドをみながら彼女は不安をおしころし、無理矢理に微笑をした。 「茂さん、べランダのあるとよ」 部屋にはフレンチ扉のついた小さなべランダがついていた。そのべランダに出てみると、 ちょうちん ホテルの庭のビャガーデンで提灯がともり、白いテーブルにジョッキをかたむけている客た ちの姿がみおろせる。

6. あべこべ人間

320 彼女はまた おそらく病人は三階に運ばれたのだろうと思った。杉田はまだ戻ってこない。 , 溜息をついて長椅子に腰をかけた。 入口に物見だかいファンが四、五人、姿をみせた。しきりになかを覗きこんでいる。その ファンの一人が春江にたずねた。 「見たかい。エリダベス・テーラー」 春江は首をふった。その間、待合室の隅にあるトイレから頬かむりをしてモップを持った 掃除のおばさんがあらわれ、足をひきずるようにして〒レベーターのなかに消えたほかは誰 もなかに入ってこなかった。 杉田が戻ってきた。裏門がやつばりあるから、自分はそちらを見張っていると告げにきた のである。 この病院に来てもう四十分ちかく過ぎ、入口近くにたっていたファンたちも、 「つまんネ工。出てこねえのか」 「裏から逃げたんじゃないか。エリダベス・テーラーは」 などと言いながら一人去り、二人去って消えていった。 それなのに、杉田はまだ帰ろうとしてくれない。そして茂らしい姿はあらわれない。 ( あん人がここに来ると、杉田さん、なして思ったとじやろ ) 春江は急に杉田の推理が怪しいような気さえしてきた。杉田は帝国劇場に茂がきっと出現 するにちがいないと、何故か急に思いこんだのだ。それには特に確実な根拠もなく、言って

7. あべこべ人間

100 「なあに」 「いや、何でもない」 杉田は言いかけて、やはり言い出せなかった。 その数日後、彼は重い気持で鬼頭教授の助手の加藤文子に電話をした。 「あの時はいろいろお世話になりました杉田です」 「あらつ、お役にもたちませんでー 「猿の清君は元気ですか」 「いいえ、ますますしおれています。可哀想ですわ」 「もう一度、清君に会いたいのですが」 と杉田は彼女に頼んだ。 独身だと偽って杉田は、それから数度夕方に、大学から出てくる加藤とデートした。 教授の眼もかすめて、実験室にもぐりこみ、意気消沈している猿の清に人参をやった。実 験室に行く時は、助手の女性たちの歓心を得るため、ケーキの箱を持って行くことを忘れな かった。もちろんそれらのことは、妻の純子には秘密にしていた。 「鬼頭先生は今、新しい実験を試みていられますの」 杉田を独身男と信じた加藤文子は数度目のデートの時、コーヒーのスプーンをかきまわし ながらそっとうちあけた。 「ほオ。新しい実験って ? 」

8. あべこべ人間

131 試作品 茂の返事に金山の頬に満足そうな微笑が浮んた。そして先程、杉田を呼んだのとは別のポ タンを押して、 「ああ、紅茶を三つ持ってきたまえ」 とその時はしめて飲物を注文した。 余談になるが、商売上の客が来るとすぐ茶を出すようなのはほんとうの実業家とは言えな 、とロックフェラ 1 が言っている。客の接待は商談が成立した後にすればいい、成立しな ければする必要がないと富豪カーネギーも書いている。日本と米国の習慣の違いはあるが、 だいたい出世しない男ほど、すぐ人に奢りたがるものなのた。 三人が紅茶を飲んでいる時、杉田が試イ 乍のアンプルを入れた箱を運んできた。その箱には 注射器も入っている。 「ほオ、これがそんな魔術的な薬ですか」 と高野も茂も信しられぬといった表情で、無色透明の液体の入ったアンプルをしげしげと 眺めた。 アンプルの液体はたんなる水のようだった。こんな水のような液体の中に、長い人間の歴 史をひっくり返すエキスが含まれているとはどうしても考えられなかった。男が女になり、 くつがえ 女が男になるーーーあの神の定め給うたその法則を覆す力が、何でもないアンプルにひそん でいるとはとても思えない。 「リノ、腕を出したまえ」 おご

9. あべこべ人間

「茂さん、あなたは女が男になる薬ば持っとるとでしようが : : : 」 突然、自分でもわからぬ衝動にかられて春江はロばしった。 「持っとったら、それがどぎゃんしたっていうとね」 「わたしの体にその薬ばうってください」 茂はびつくりしたように春江の顔をみて、 「なして : 「わたしが男になったら、茂さんと結婚の出来るとでしよう。脚にすね毛のはえとるぐらい、 何も思いまっせん。女の茂さんば、今と同じ気持で愛しゆると思います。注射ばうって」 そう言いながら春江の眼から滂沱と涙が流れた。 茂はその春江をじっとみつめていたが、やがて小さな声で呟いた。 「そぎゃんこと、いくら何でもでけんよ 茂は今日まで、春江がそこまで自分のことを思っているとは夢にも考えてはいなかった。 東京の軽薄な流行を、金魚が水面で空気を吸うように吸いこんだ茂には、春江は相変らす ほ」り・ 埃くさいセーラー服をきて、フ = リーポートで通学する女子高校生の頃とおなじ娘にしか見 情えなかった。 だから、このアパートにしつこく来られるのも、何かとこちらを案ずるロぶりをされるの 純 も、 ( うるさか : : : ) ば、つだ

10. あべこべ人間

246 「やつばり注射をうたれたとでしようか、茂さんに。その勝一平という人は」 「そうだとしか思えなかったわ。岡本茂は薬をまだ何本も持っていて、きっとこれからもい ろんな人を襲うかもしれない」 「警察につかまるでしようか、茂さん」 春江が心細い声をだして兵頭女史にたすねると、女史は首をかしげた。 「さア、誰か被害者が届け出れば、警察も動き出すけど、今のところ勝さんが警察に訴えた という記事はこの夕刊フジには書かれてないわね。まさか、彼も自分が女になったと、天下 に公表出来ないしねー 春江の小さな胸に墨汁を塗りたくったように黒い不安の色がひろがった。 ( もし茂さんが、とんでもなかことばしでかしたら、どぎゃんしよう ) 春江の顔色が。ハッと変ったのをみて、兵頭女史はあわてて慰めた。 「大丈夫よ、彼だってそんな馬鹿じゃないんだからー けれども、翌日から注意ぶかく新聞の三面記事を読みはじめた春江は、従姉夫婦などは気 づかないが、彼女にだけは思いあたるような事件を発見した。 「プロレスのアングレロ・井口、突如、廃業を宣一一 = ロ。原因を黙して語らす」 その記事によると、世界チャン。ヒオン、アングレロ・井口は、札幌の世界タッグ選手権試 合を前にして、突然、廃業を宣言し、病院に入院したという。病院側もその病名をまだ発表 していない。