護法を会得されたらしい。ぜんぶで十二回連載されたのだが、その要点をまとめてみたい 」田 5 、つ。 〇ポケは不安、恐れ、怒り、不信などの心理的要因が引き金になる。たとえ脳の老化があ っても、このような心理的要因がなければポケは起こらない。 〇おこらせることがポケを悪化させ、はては人格荒廃にまで追いやる。 〇心理的な不央感を取り除くことで、容易にポケから回復する。 〇老人に、主観的にしあわせを感してもらうことがたいせつである。積極的によろこばせ ることを、いかける。 〇感情が重要な老人との応接では、老人がなにを欲し、なにを不要とするかを中心に考え なければならない。 常人の善意や親切が、必すしも受け入れてもらえるとはかぎらない。 〇家族の団らんの中にひきこむことがたいせつ。 〇老人の心に添う家族といっしよなら、日常生活に適応できるようになる。 〇家族のチームワークがたいせつ。 〇ポケに見えても、ばかになったわけではないのだ。 〇症状に、時間的、対象的な波があるものだ。
ごうによっては満たんでなくても、適時排尿できる力などがすべて減退していたことはた しかである。しかし当初の私は、こうした能力はすべて身体的、生理的な能力であるから、 医学的になおす方法がもしないとすれば、この失禁だけはほとんど絶望的なものであろう と信じこんていた。 それだけにことばを呼び戻し、外界への興味や関心を取り戻したとき、ふと気がつくと 失禁の度数は急速に減っていき、一か月もするとノーエラーの日が四、五日、ときには一 週間も続くようになっていたのであるから、私たちのよろこびはたとえようもなかった。 そして精神と肉体のつながりが、神秘的なまでに有機性を持っていることを知らされ、 敬虔な気持ちにひたされたのであった。 おそらく、病気の後遺症として、排尿に関する諸機能が衰えたろうことは事実としても、 それが救いがたいところまでどんどんエスカレートしてしまったのは、精神のうつ屈によ るところか非常に大きかったのだと思う。 しい自身の「ポケの自覚」は、おそらくもの忘れがひどくなったこと、すらすらともの かいえなくなったこと、どうしても思い出せない記噫の欠落感があること、それにときど き尿が無自覚にもれることぐらいだったのではなかろうか。これは自分でも情けなかった に違いない。 ( 事実かなりよくなってからじいは、そのことでみすからを嘆いていたことが
社会的、行政的に解決していかねばならぬ問題もたくさんかかえております。 この本の初版を出したころには、社会的な支えは何一つない状況でしたから、私は自分 の体験の中から思いついた要望を書き連ねて結びとしました。 一、老人に関するあらゆる相談ー このってくれるような老人情報センターがほしい。 一、介護者に週一回くらい っすり眠らせてくれるようなボランティア活動がはしい。 一、冠婚葬祭のときや極度の疲労をいやすために一時入院制度がほしい。 などでした。それか五年後のいま、全国的とよ ) 、 ーし力ないまでも、ボッポッこの要望がかな えられつつあります。例えば、 一、ポケ一一〇番電話の開設 ショートスティの実施 一、デイケア制度の採用 一、保健所における老人精神相談窓口開設 ーの派遣 一、訪問看護やヘル。ハ 一、ボランティアによる介護留守番制度 一、「ポケ」入居を拒否しない特養ホーム一、介護手当の支給 などで、これが一部府県にとどまらす全国的にひろがることを待ち望んでおります。 そして何よりも特筆したいことは「呆け老人をかかえる家族の会」が発足したことです。 孤立無縁で、偏見と差別にうちひしがれながら、老人の異常な行動にふりまわされて、 疲労困憊していた家族たちが、語り合い慰め合いながら、「ポケ」を勉強しはしめました。 264
うと努力しました。 これらのはんのささいな思いっきが、たった数日の間に、田 5 いがけぬほどの効果をみせ 始めました。この短時日の間に効果のみえてきたということは、重大な意味を持っていま す。もしこれが二、三か月もしたあとにじりしりと変わるようなものでしたら、私はおそ らく効果をみる前に絶望し疲れ果て、義姉妹と同しように愚痴をこばしながら、まったく 義務的にじいの世話をし、疲労の末に「早く死んでくれたら」というような非人間的な思 いにさえ支配されたかもしれません。 それほどポケて失禁する老人の世話というものは大変なものなのでした。 それがたった二、三日で、というよりはやさしいことばといたわりのある扱いを始めた 瞬間に早くも変化というか、あとから考えれば回復の兆しといえるものが、明らかにみえ てきたのでした。 「これはいける」とい、つよろこびは私をカつけ、自信をつけてくれました。 そしてしかるまい、おこらせまいという消極的なやさしさから、よろこばせよう、たの しませようという積極作戦に移行していきました。 しいはみるみるよくなっていき、あの陰うつな沈黙から解放され、声を上げて笑うよう にさえなりました。この間十日もたっていないのですから、ポケというものにまったく 260
二回、三回と進むにつれ、精神病院いきしかないほどに変わり果てていたポケ老人が、 適切な介護。 こよって、みるみる回復していくさまが、具体的に克明につづられていて、 常に参考になるりつばな記事であることがわかってきた。 なによりもうれしかったことは、私がしろうとの直感から、おばろげな手さぐりで始め ていたことが、実は医学的にも看護学的にも、すばり理にかなった正しいことであったら しいということであった。 初めは、せめてことばぐらいは田 5 い出して、人間らしく、家庭の者たちと日常のコミュ ニケーションのできる状態になってほしいというのが、ささやかな願いであった。 孤児院の子どもが、一般家庭の子どもに比べてことばを覚えるのが遅く、また表情も乏 しい。それは母親と一対一で、豊かなコミュニケーションの保てる家庭に比べ、とうぜん の結果である : : というような知識を、じいにも応用してみただけのことであった。 ところかことばが復活し、笑いが一民 り、ほかへの思いやりの心がかえってくるにしたが 九つて、徐々にポケは回復してきて、ある日気がついてみると、いちばん困惑していた失禁 八 が、極端に減ってきていたというのが、わが家の実情であった。 この記事にあるさんは、医師もほとんど絶望して、精神病院に入れるしか手がないと さんというポケをなおした経験者に出会い 孤ころまで追いやられた末に、— この正しい介 6
う満足感があるに違いない しゅうとめ これは姑から聞いていた話だが、 「じいは若いときからけの薄い人で、ろくに子どもをかわいがってくれたこともない 親らしい心がない薄情もんや」 とのことであったが、イ 言しられない気がする。人間関係などいうものは、相対的なものだ。 もしほんとうに昔は薄情であったとしても、それはじいだけの一方的なものでもないだろ う。まして生来の薄情なんてあるわけがない。 ひょっとしたらしいは、今初めて、家族の親しさ、あたたかさを味わって、みすからも やさしさを取り戻しているのかもしれない。 衣服の着脱 昨秋は、シャツやももひきの脱ぎ着が、かなりひとりでできるようになっていた。。、 っ ツをはくときは必すぐるぐる回してみて、印刷されたマークをさがし、そこを右手で持っ み てはくようにしていた。それは私たちのする動作とまったく同しなので、なんとなくおか 再しかったものだが、ポケが戻っても、このことは習性となってでもいるのか、ちゃんと確 219
いも大満足であったらしい 「生まれて初めて、男のあそこを洗ってやった。清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟が いったんよ。ああーあ」 「すまんすまん、恩にきるよ」 「それに母ちゃんではとてもっとまらんよ。中腰の姿勢でかからんならんでしよう、私で さえもちょっと腰が痛くなっちゃった。腰痛もちの母ちゃんには、とても無理な仕事やわ」 とはるみかいった。 入浴の世話だけにかぎらす、いろいろな面で、はるみの協力があるから、私もなんとか やっていけそうだ。私ひとりだけだったら、肉体的にも精神的にも、きっとまいってしま 、つに一理いなし ) 。姑がしきりに申しわけながって、 「はるみちゃん、すまんなあ。こんないやな仕事させて」 とわびていた。 排便と断水騒ぎ 第一日目は、失禁対策でおおわらわ。長兄宅での様子を聞いたところでは、トイレいき
たしかに脳軟化症のために、脳の働きの一部は欠損したり、老化したり、減退したと思 われるふしが、数々見られたことはまちがいはない。 それは百日たってめざましい回復をみせたにもかかわらす、ついに回復しなかった部分 も、明らかに残っていることからも、フなすけることだと思、つ・。 しかし、まったく絶望的とさえ思われていたポケ症状が、ちょっとした圧迫や障害を取 り除くことにより、おどろくはどの早さで回復したのだから、それは回復ということばを 使うよりは、物理的にほんの少し隠れていたものが、表に現れたのだという方が当たって いるのかもしれない。 そのことについて、つぎにひとつひとっ拾いながら検討してみたいと思う。 一、ことば しいは反抗を示すときのあらげないことば以外は、はとんどのことばを失ってしまった のだというのが、兄宅からの申し送りであった。 しかしどうやらそれは、ことばを使う場所と相手を失っていたにすぎなかったのだと思 う。正確を期すために付け加えるとすれば、反抗のことはを投けつける相手と場所を除い
さお 続五回もぬらされて、ばう然とすることもあった。寒中にシーツや寝間着を幾竿も干して、 思うように乾かぬときなど、正直いって投げ出したいはどいやになってしまったものだ。 ポケの専門医が指摘するように、 いったんもとに戻ったポケの回復は、非常に困難であ るか、ときには絶望的でさえあるとい、つのは、たしかなことであるらしい ポケた人にとって、たとえ同じように正しい扱いをしても、環境の変わるのは悪影響が あるらしいのだから、ましてあのときのたらい回しがどんなに無謀なものであったか、今 さらに海やまれるのであった。 じいはよく絶対にしつこはしたくない、 といいはるので、あきらめて朝の洗顔をさせた りすると、しゃぶしゃぶ顔を洗いなから、ばたばたとおしつこをたらしてしまうことがあ はんとうに情けなくて、こんなとき、大声でどなりつけたという弟たちの態度は、、い情 的にはわがりすぎるほどわかるのだった。 でもじいの立場になって考えてみれば、真実しつこはしたくなかったのだと思う。しか し蛇口からほとばしる水の音を聞き、じゃぶじゃぶ顔をぬらしたりすれば、そうした刺激 みによって尿意をもよおすことは、十分あり得ることなのだ。ただそれをこらえることがで 再きるかどうかだけが、健康なわれわれとの違いなのだと思う。 207
失調 おおむね好調な日が続くとはいえ、まったく問題がなくなったというわけではなく、と きどき逆戻り現象があって、振り回されることがしばしばある。 『ポケかなおった』の記事にも、ポケには時間的、対象的に波がある、と書いてあった。 とどこおったりするのでは おそらく、 脳の血管の状態などで血流がスムーズにいオ あるまいかと、しろうと考えしている。 長湯につかったりして、ややのばせかげんのときも、調子が狂ってしまうことがある。 脱衣場から寝床へ連れてくるのがやっとという、おばっかない足どりになってしまい 五、六センチの厚さのふとんの上に上がることさえできす、畳の上に寝転んでしまったり する。 こんな夜は、おしつこに起こしてもさんざんてこすらされる。まだ小便がたまっていな いのでおこっているのかと思えばさにあらすで、ようやく目覚めて廊下を歩き出すころに 月・ 十は、も、つこらえきれぬようにしやしやと足もとを洪水にしてしまう。こんなにたまってい るのに、なぜあんなに強情を張って起きてくれないのかと、情けないやら腹が立つやらで、 ) こ、はどむらむらするけれど、それをやったらきようまでの 自しりのひとつもたたいてや ~ オし 135