少し希望が出て来て、思わす先を促した。 「そんなお気持になるのはまだ無理かもしれませんわねえ ? ご主人がお亡くな りになって一年も経っていないんでしようから : : : 無理もありませんわねえ 「いえね、それがねえ、それが、ひどい話なんですよ ! 」 今までなめらかで軽快な木琴調だった加宮夫人の声の調子は、突然狂った。 「ひどい言なんですよ : : : ひどい言なんですよ : : : 奥さま、まあ、聞いて下さい よ : そういうと加宮夫人は、さっきまでの気どった木琴夫人ではなく、以前の、壊 しつきかせい れた笛のような声を出すおしゃべり奥さんに戻って、一気呵成に話しはじめた。 「奥さま、まあ、聞いて下さいな。香代子の主人っていうのはデ。ハートの外商部 に勤めていた男なんですけどねえ、三十三で、あなた、四十 , ハの女とデキちまっ たんですのよ , まあ : : : 」 「三十三でですよ。四十 , ハのおばさんとですよ ! 十三も年上の女とですよ ! あなた、。 、、になります : : : 」 と , つお田心し た
プ高い 「オホホ」 と無意味な笑い声をつけ加えたのが、これから始まる戦いの進軍ラッパのよう に聞こえる。笑い声を立てながら加宮夫人の顔はこわばっている。歌代は改めて 加宮夫婦に挨拶をし、香代子に会釈をし、それから雄吉の顔を見すに黙って頭を 下げた。 「 "A = つ、も」 と雄吉はロの中でいって、座布団の上に正座し、これからの攻撃に耐えるため に膝の上に握り拳を突っ張った。 「あのう、ご主人さまは ? 」 とが ひさ子も出て来て挨拶がすむと、加宮夫人は健太郎が顔を出さないことを咎め るように訊き、痔が痛くて寝ていると聞くと仕方なさそうに肯いて話を切り出し 「実はご主人さまにも聞いていただいて、男性としてのお立場から判断していた だきたかったんでございますけどね : : : 」 そういってから、雄吉の方を鋭い目でひと睨みした。
130 来た 前、久米川薬局と書いた大きな看板が目に入ると、歌代の胸はキューツと縮んだ。 家を出る時はここへ来るつもりなど毛頭なかったのに、足が勝手にここへ歌代を 運んで来てしまった。その路地を入れば雄吉のア。ハートだ。 雄吉はもう、帰って いるだろうか 久米川薬局に近づくと、店の前に所在なげに女主人が立っているのに気がつい た。向うも歌代に気づいて、 「あら、奥さん、お出かけですか」 とおしゃべり好きらしい愛想のいい声をかけて来た。 : とてもお綺麗 : : : 」 「まあ、今日は : そういってしげしげと歌代を眺め廻してから、 いきなり声を落して顔を寄せて 「大槻先生、とうとう、 いい人が出来たらしいんですよ、ご存知 ? 」 「はあ、あの方 : : : 私どもでお世話をした方ですのよ。綺麗な方でしょ ? 背の すらっとした : 「まあ、そうですの、奥さまがお世話なさったんですか : と女主人はひとり合点して、
「玉十め : : : 」 「それもねえ、厚かましい ! 女の方から好きになって、いい寄って来たんです って ! しかも、しかもですよ。ご亭主がいるの ! 子供も二人いるの , は男で、大学生、もう一人は女で、結婚したばっかり。どうお思いになる、奥さ 答えられすに汗を拭く。 ただのお顧客 「香代子の主人ははじめは何とも思っちゃいなかったんですよ , さんだったのね。お顧客さんだから、食事のお伴もしなくちゃならないし、すぐ に来いといわれれば、いやとはいえなかったのね。そのうちに、そんな関係にな ってしまって : : : 男なんて情けないものねえ、そうなると今度は夢中になったの よ ! そんなおばちゃんのどこがいいんだか、香代子が調べたところによると、 しろい 鳩美人でも何でもないらしいの、お白粉まっ白につけて、白猫みたいになよなよし 。てる女なんですって。男って、そういうタイ。フに弱いんですのよねえ ? : : : 香代 子はどちらかというとシャキシャキタイプでしよう。だから香代子にはないもの ひに惹かれたのかもしれないって主人はいうんですけどね、それにしても、あなた、 四十六ですよ ! 十三も年上ですよ ! キモチ悪くないのかしらねえ。二人も子
よほどててオシロイをはたいたとみえて、鼻の横に白く筋がついていたりし て、そこはかとなく涙ぐましかったのである。 雄チャンは夕方まで父サンを待っていたが、帰って来ないので諦めて帰って行 歌代の新年はそのようにして始まった。 歌代はもう、 ( 雄吉に一目会うために ) 落葉のなくなった門前を、無理やり時 間をかけて掃く必要がなくなった。 「主人がお待ちしておりますから」 と電話をかければ会えるようになったのである。 「大槻君ってのはなかなか朗らかな好い男だなあ」 とタ飯の席で健太郎は雄吉を褒めた。
ら会ってごらんなさいよ」 ひさ子はたたみかけて行く。 「そりや美人なのよ。ご主人が交通事故で亡くなって子供はないのよ。すぐお隣 ここの家でお会いになればいいわ」 だから、気軽に、 「まア . 「先生だってこのまま、すーっと一人でいるわけにはいかないでしよう ? 」 「それはそうですが : 「なら早い方がいいわ。タモッちゃんが小さいうちの方が : : : 」 「それはそうですね」 「ね ? そ , っ思 , つでしょ ? 「そうですね」 鳩雄吉はだんだんその気になって行くようだ。 ち っ 「実は一番困るのが、やつばりタモッのことです」 引「そりゃあそうよ。子供を育てるには絶対女手がなくちゃ : ひ「そうですね。それは痛感します」 しいですね ? お話進めても ? 」
と声をひそめる。 「どちらの恋愛 ? 」 「女の方にきまってるじゃありませんか。同じ学校の先生ですって。二人でカケ オチしたんですよ : 「まあ : : : 信じられませんわ」 ご主人 「ホント、私もはじめは信じられませんでしたよ。あんなハンサムないい を捨てるなんて : : : でも本当なんですよ。魔が差したんですよね。大槻先生もい ってらっしゃいましたよ。妻は魔が差したんですって。だから、そのうちに戻っ てくるでしようって : : いーい方なのよねーエ : : : 戻って来たら許すつもりなの 「そうおっしやったんですか」 鳩「ええ、私、無遠慮だもんですから、訊ねましたの、そうしたら、何といっても ち やつばり、子供の母親ですから、って : : : 」 呶「愛していらっしやるのね : : : 」 ひ 思わず歌代はいっこ。 「そうなんでしよう ? 子供のためというよりはやつばり愛しているから許した
すると思いがけなくすぐに答えが返って来た。 「ああ、大槻先生ね、この奥の右手のアパートですよ。うちの娘の担任だもので、 お世話したんですよ」 「なんというアパートですの ? 」 「中原荘っていうんです。階段を上って、とっかかりの部屋ですよ」 「大槻先生にはうちの娘がお世話になりましたの。四年ほど前ですけど : 「そうですか、いい先生ですよねえ、マジメで、朗らかで : : : もっともここんと レし。し力ないみたいだけど : こは、朗らかとい , つわナこま、 多弁な女らしく薄い唇の薬局の女主人はそういうと、改めて 「お気の毒ですよね工 : : : 小さい人を連れて : : : ご存知でしよう ? 」 うなず と声を落した。歌代は肯いて、 「小さい子供さん、連れていらっしやるの ? 」 0 、、 0 、、 0 、、 「そうですよ でね : : : まだ三つなんですよ。よくまあ、あんな子供を 残して出て行けたと思いますよね工 : いくら恋は盲目といってもねエ・ 「恋 ? 問題は恋愛なんですの ? 」 「そうなんですよウ :
夫人はいぶかしげにいう。 「いえ、お綺麗にしていらっしやるから、お出かけかと思って : : : 」 「あらまあ、オホホ : : : 」 もっきん 加宮夫人は木琴を叩くような声で満足そうに笑っただけである。 ちゃだんす 歌代は応接間に通される。以前は茶の間の茶簟笥と向き合って坐ったものだけ オカい・す・ ど、と思いながら、エンジの革張りのやたらに大きな長椅子の端っこに坐って用 件を切り出した。 「今日、突然お伺いしましたのは、実は香代子さんのことなんですけど : : こちらさまにそのお気持がおありのようでしたら : : : あ の姑が、なんですか : のう、ご縁談のお世話をしたいなんて申しましてね : : : 」 いいながら、何となく気が晴れない 鳩「まあ、それはご親切に恐れ入ります。香代子もあんなことになりましてねえ。 ち っ 今、うちでぶらぶらしてるんですけど、さあ ? : : : 再婚する気になるでしようか 私や主人としては、まだ二十七ですから、もう一度倖せな結婚をさせたい気持で ひいるんですけどねえ : : : でも香代子は : 「香代子さんは ? ・
自分の気持とは裏腹に、歌代は隣の加宮家へ、香代子の縁談を勧めに行く羽目 になってしまった。 「こういうことは早い方がいいんだよ。歌代さん、あなた、お隣へ行って香代子 さんの気持を伺ってらっしゃい。あたしは大槻さんの方を聞いてみるから」 ひさ子にそういわれると、反対する理由が何もないのである。仕方がなく隣へ 出かけて行った。 年末に増改築をした加宮家の玄関は、この頃はやりの一枚ガラスの自動ドアで、 。中へ入らぬうちから内部の壁の油絵やシャンデリアなどが見える。つい一年前ま では一介のスポーツ記者であった加宮家の主人が、テレビのスポーツ番組に有名 と じよイ」い ひ野球評論家の穴埋めに出演したのがきっかけで、その如才のない語り口と武骨だ ようばう が親しみのある容貌が意外にウケて、レギュラーになった。