少し希望が出て来て、思わす先を促した。 「そんなお気持になるのはまだ無理かもしれませんわねえ ? ご主人がお亡くな りになって一年も経っていないんでしようから : : : 無理もありませんわねえ 「いえね、それがねえ、それが、ひどい話なんですよ ! 」 今までなめらかで軽快な木琴調だった加宮夫人の声の調子は、突然狂った。 「ひどい言なんですよ : : : ひどい言なんですよ : : : 奥さま、まあ、聞いて下さい よ : そういうと加宮夫人は、さっきまでの気どった木琴夫人ではなく、以前の、壊 しつきかせい れた笛のような声を出すおしゃべり奥さんに戻って、一気呵成に話しはじめた。 「奥さま、まあ、聞いて下さいな。香代子の主人っていうのはデ。ハートの外商部 に勤めていた男なんですけどねえ、三十三で、あなた、四十 , ハの女とデキちまっ たんですのよ , まあ : : : 」 「三十三でですよ。四十 , ハのおばさんとですよ ! 十三も年上の女とですよ ! あなた、。 、、になります : : : 」 と , つお田心し た
夫人はいぶかしげにいう。 「いえ、お綺麗にしていらっしやるから、お出かけかと思って : : : 」 「あらまあ、オホホ : : : 」 もっきん 加宮夫人は木琴を叩くような声で満足そうに笑っただけである。 ちゃだんす 歌代は応接間に通される。以前は茶の間の茶簟笥と向き合って坐ったものだけ オカい・す・ ど、と思いながら、エンジの革張りのやたらに大きな長椅子の端っこに坐って用 件を切り出した。 「今日、突然お伺いしましたのは、実は香代子さんのことなんですけど : : こちらさまにそのお気持がおありのようでしたら : : : あ の姑が、なんですか : のう、ご縁談のお世話をしたいなんて申しましてね : : : 」 いいながら、何となく気が晴れない 鳩「まあ、それはご親切に恐れ入ります。香代子もあんなことになりましてねえ。 ち っ 今、うちでぶらぶらしてるんですけど、さあ ? : : : 再婚する気になるでしようか 私や主人としては、まだ二十七ですから、もう一度倖せな結婚をさせたい気持で ひいるんですけどねえ : : : でも香代子は : 「香代子さんは ? ・
「雄吉さん : : : 雄吉さん : : : 」 香代子は泣きじゃくりながら、雄吉に呼びかけた。 ・ : 香代子を好きだったけれど、仕方が 4 の「お願い。雄吉さん。いって下さい ! ち いので赤堀さんと結婚するんだって皆さんの前でいって : : : 」 「香代子、あなたは」 ひ 加宮夫人の叫び声を押し切って香代子は涙声のまま叫んだ。 「そういって下されば、納得して : : : お別れします。皆さんの前で、いって下亠 ら大槻さんの味方をするんですわ。何かというと、男というものは、女が考えプ ようなわけにはいかないんだよ、のいってんばり : : : 二言目には女は単純だと 4 っしやるけれど、単純がなぜいけないんですか ! 」 そのとき、夫人の横に坐っていた香代子が、突然、わーツと泣き出した。
涙のあともないその瞳は、今は雨後の星空のように冴え冴えしている。 「これではっきりしたからいいの。雄吉さんは私を愛しているっていって下さっ た。それを私、信じます。赤堀さんは雄吉さんのヌケガラと結婚するんだと思う ことにします。私は負けたんじゃないわ。私のプライドはちっとも傷ついてやし 「そんな・ : : ・香代子 : : : 」 しいかける夫人を、 「半〈礼しよ、つ」 と加宮氏が促した。加宮氏はこれから野球解説の仕事で大阪へ行かなければな らないのである。 加宮氏に促されて加宮夫人と香代子は玄関を出て行った。ひと足遅れて雄吉も ポ の靴をはいた。 ち 。「お世話になりました : ただ一言そういって歌代に頭を下げた雄吉に、歌代は黙ってお辞儀を返しただ ひ けだった。何かいしたしが、何も出てこない。無理にいうとしたら、 「愛していました」
「いえ、大槻さん、ちょっと黙ってらして。一応、私の方のいい分を申し上げま すから、それからになさって下さいな」 いっしゅう 一蹴されて雄吉はまたうなだれる。「水気の抜けたレタス」と亜矢はいうが、 しようすい 悴した額に油気のない髪が垂れ下っている横顔は、それなりに歌代の胸をと きめかせるのである。 「私、皆さまのご意見をお伺いしたいんですの。大槻さんは私どもにすみません っておっしゃいました。奥さま ! おばあちゃま ! すみませんの一言で、これ はすむことで。こイ、いましょ , つか ! 」 加宮夫人はキッと歌代を見る。 「はア、それは : といったきり、歌代は答えられない たんべいきゅう 「君、そう短兵急にまくしたてるもんじゃないよ。こういう話は と加宮氏が口を挟むのを、夫人は、 「あなたはいつもそうなんです : : : 」 いっかっ と一喝した。 「あなたはご自分がさんざん、妻を裏切るようなことをしていらしたから、だか
「わたしねえ、奥さま、ごめんなさい。気を悪くなさらないで : : : 大槻先生って、 ハンサムだし気のいい方だから、モテるんてすのよね。いろんな女の人が訪ねて 来るんですけど、奥さんもそのうちの一人かと思ってましたの」 「そのうちの一人って ? 」 「まあ、ごめんなさい : いえね、大槻先生を囲む女性 : : : っていうのかしら、 うちの主人なんかは大槻先生を狙う女たちっていってますけど、オホホホ」 「私もそのうちの一人だとお思いになってらしたの」 「ごめんなさい。だって、ひと頃、よくいらしてたでしよう ? ・ 「ええ、なんだかタモッちゃんが可哀そうで : : : 」 「そうですよねえ : でも皆さん、そうおっしゃいますわ、ホホホホ、でもな んですわねえ、大槻先生もやつばり男ですわねえ、ついこの間までは妻は魔が差 のしたんです、ばくは戻るのを待っています、何といっても子供の母親ですから、 「なんていってたのに、美人が現れるともう別人。でも、ここだけの話ですけど、 奥さん、今度の若いあの綺麗な人、タモッちゃんがなっかないんですよ。ですか ひ あの人は美人だけど、子供好きという顔じゃあ ら、 , つきノ ( 打くかしらね , ん : りませんものね : : : 」 ねら
プ高い 「オホホ」 と無意味な笑い声をつけ加えたのが、これから始まる戦いの進軍ラッパのよう に聞こえる。笑い声を立てながら加宮夫人の顔はこわばっている。歌代は改めて 加宮夫婦に挨拶をし、香代子に会釈をし、それから雄吉の顔を見すに黙って頭を 下げた。 「 "A = つ、も」 と雄吉はロの中でいって、座布団の上に正座し、これからの攻撃に耐えるため に膝の上に握り拳を突っ張った。 「あのう、ご主人さまは ? 」 とが ひさ子も出て来て挨拶がすむと、加宮夫人は健太郎が顔を出さないことを咎め るように訊き、痔が痛くて寝ていると聞くと仕方なさそうに肯いて話を切り出し 「実はご主人さまにも聞いていただいて、男性としてのお立場から判断していた だきたかったんでございますけどね : : : 」 そういってから、雄吉の方を鋭い目でひと睨みした。
130 来た 前、久米川薬局と書いた大きな看板が目に入ると、歌代の胸はキューツと縮んだ。 家を出る時はここへ来るつもりなど毛頭なかったのに、足が勝手にここへ歌代を 運んで来てしまった。その路地を入れば雄吉のア。ハートだ。 雄吉はもう、帰って いるだろうか 久米川薬局に近づくと、店の前に所在なげに女主人が立っているのに気がつい た。向うも歌代に気づいて、 「あら、奥さん、お出かけですか」 とおしゃべり好きらしい愛想のいい声をかけて来た。 : とてもお綺麗 : : : 」 「まあ、今日は : そういってしげしげと歌代を眺め廻してから、 いきなり声を落して顔を寄せて 「大槻先生、とうとう、 いい人が出来たらしいんですよ、ご存知 ? 」 「はあ、あの方 : : : 私どもでお世話をした方ですのよ。綺麗な方でしょ ? 背の すらっとした : 「まあ、そうですの、奥さまがお世話なさったんですか : と女主人はひとり合点して、
「玉十め : : : 」 「それもねえ、厚かましい ! 女の方から好きになって、いい寄って来たんです って ! しかも、しかもですよ。ご亭主がいるの ! 子供も二人いるの , は男で、大学生、もう一人は女で、結婚したばっかり。どうお思いになる、奥さ 答えられすに汗を拭く。 ただのお顧客 「香代子の主人ははじめは何とも思っちゃいなかったんですよ , さんだったのね。お顧客さんだから、食事のお伴もしなくちゃならないし、すぐ に来いといわれれば、いやとはいえなかったのね。そのうちに、そんな関係にな ってしまって : : : 男なんて情けないものねえ、そうなると今度は夢中になったの よ ! そんなおばちゃんのどこがいいんだか、香代子が調べたところによると、 しろい 鳩美人でも何でもないらしいの、お白粉まっ白につけて、白猫みたいになよなよし 。てる女なんですって。男って、そういうタイ。フに弱いんですのよねえ ? : : : 香代 子はどちらかというとシャキシャキタイプでしよう。だから香代子にはないもの ひに惹かれたのかもしれないって主人はいうんですけどね、それにしても、あなた、 四十六ですよ ! 十三も年上ですよ ! キモチ悪くないのかしらねえ。二人も子
「おースって」 「まあ・ : ・ : そうしたら ? 」 「やあ、元気でやってるか、って」 「で ? 何てお答えしたの ? 」 「忘れたよう、そんなことまで、いちいち憶えていないよう : 母さんは」 亜矢はいった。 「なんだか母さん、雄チャンが不幸になったんでハリきってるみたいだね。中年 になると女ってどうしてこう、他人の不幸が好きになるんかね工 : : : 歎かわしい 「そんな : 鳩思わず歌代は絶句し、急いでいった。 ち っ 「ただ母さんは、お気の毒に思ってるだけよ : : : それだけですよ : と : , つるさいんだ、