はつまらなそうな、困ったような表清で黙って聞いていたが、タモッを連れて菓 子のケースを覗きに立って行った。 「実をいいますとね、奥さん。私、奥さんをお怨みしてたんです」 雄吉が席を立つのを見て、さあ、今のうち、というふうに赤堀安枝はいった。 「まあ、どうしてですの ? だってお目にかかったのは今日がはじめてですの 「でも、奥さん、あの人にお嫁さんを世話なさってるでしよう ? 」 「あ、お隣の娘さんのことですか。あれは私じゃなくて、姑が」 というのに耳を貸さす、 「私、あの人をアイしてますの」 スパリといっこ。 の ち 「「あの人の奥さんが、あんなことで出て行く前から、私、アイしてましたの。ひ そかに : : : 口には出さずに、胸に秘めていましたのよ」 ひ 歌代は相手のウワバミのような口からいきなり出て来た「アイしている」とい う一一一一口葉に衝撃を受けて返事も出来ない
「わたしねえ、奥さま、ごめんなさい。気を悪くなさらないで : : : 大槻先生って、 ハンサムだし気のいい方だから、モテるんてすのよね。いろんな女の人が訪ねて 来るんですけど、奥さんもそのうちの一人かと思ってましたの」 「そのうちの一人って ? 」 「まあ、ごめんなさい : いえね、大槻先生を囲む女性 : : : っていうのかしら、 うちの主人なんかは大槻先生を狙う女たちっていってますけど、オホホホ」 「私もそのうちの一人だとお思いになってらしたの」 「ごめんなさい。だって、ひと頃、よくいらしてたでしよう ? ・ 「ええ、なんだかタモッちゃんが可哀そうで : : : 」 「そうですよねえ : でも皆さん、そうおっしゃいますわ、ホホホホ、でもな んですわねえ、大槻先生もやつばり男ですわねえ、ついこの間までは妻は魔が差 のしたんです、ばくは戻るのを待っています、何といっても子供の母親ですから、 「なんていってたのに、美人が現れるともう別人。でも、ここだけの話ですけど、 奥さん、今度の若いあの綺麗な人、タモッちゃんがなっかないんですよ。ですか ひ あの人は美人だけど、子供好きという顔じゃあ ら、 , つきノ ( 打くかしらね , ん : りませんものね : : : 」 ねら
「第にからいって、こらんよ」 「じゃいうけど、先生ね。もしかして香代子さんと見合する前に、チョネチョネ した人、いるんじゃないの ? 」 「何だい、そのチョネチョネというのは」 いいながら雄吉の日焼けした顔はレンガ色に染まっていく。 「わかってるくせに」 亜矢はこともなげにいい、 「この 間、うちに電話がかかって来たの。女の声で、怒ってるんだって。うちの 母さんにね。あなたみたいな幸福な奥さんが退屈まぎれにすることで、幸福を奪 われてしまう人間がいるんです、なんてことを嘆いたらしい」 「何なんだい、それは : ポ の「つまり、うちで先生と香代子さんを見合させたでしよ、それを怒っているんだ ち 「そんな : ひ 雄吉は絶句した。 : バカな : 「そんな :
「大槻さんもきっとあの人に泣かれたんだね」 とひさ子。 「あのヌリカべの泣いた顔を見て、ヤル気になったとしたら、雄チャンはもしか してヘンタイかも」 歌代は布団を頭から被った。 一人でいてひとりばっちならわかるんです。大勢いるのにひとりばっち 。わかって下さる、先生 : あの言葉。自分の声。 わかりますよ、奥さん。わかります : ぶつかって行った固い胸。 しかし何も起らなかった : の何も。 ち 何も起せなかった。起したいのに、起せなかった : 力い ) ん 同じ一一一一口葉、同じ清景がどうどう廻りし、苦い悔恨が胸に淀んでいる。 ひ 「母さん、いつまで寝てる気かネ、メシ、食わねえのかな。トオル、訊いておい
人がいるみたいだね」と。 「お願いしますわ。今日は改まったお話らしいの」 「何だ、例の大槻くんのことか ? 」 「お二階に床をとりますから」 「、つ′ル」 仕方なさそうに承知した。亜矢を呼んで二階に布団を敷かせ、急いで座敷を掃 除した。まだ乾拭きの終らないうちに玄関に声がして、亜矢が走って来た。 「きた、きた ! 金魚のクソみたいに連らなって来たよ ! 」 聞こえますよ。何人 ? 」 「香代子さんに奥さんにダンナに雄チャン : : : 雄チャン、水気のぬけたレタスみ ← . たいになってるよ」 のひさ子が応対して、やがてそろそろと四人が入って来た。 「「まあ、奥さま、おくつろぎのところを、申しわけございません。大勢で押しか とけて参りまして : ・・ : どうかもう、おかまいなく : : まあ、落ちついたいいお座敷 ひ ですこと : 急いで座布団を並べる歌代に向っていう加宮夫人の声は、いつもよりオクター
たのだ 「奥さん、ひとりで見えるのかね ? 」 「さあ : ・・ : ともかく、お座敷を片づけますわ」 日曜日なので座敷にはまだ健太郎が寝ている。 「あなた、起きて下さいな、お隣の奥さまがいらっしやるの」 「隣の奥さん ? 茶の間でいいじゃよ、 天井を向いた健太郎の眉間の皺は、昨日まで快調だった痔が、また痛み出した ことをっている。 、と思うと、すぐこうなんだから : ちょっと具合がいし と歌代は心の中でいう。このところ調子がよかった健太郎は、昨日の土曜日の 支店長会議の後、つき合い酒で夜中を過ぎてから酔っ払って帰って来た。それが たた 祟っているのだ。 「痛いんですか ? 」 「 , っ / ル」 と目を閉じる。すっかり見馴れてしまった顔だ。この間も亜矢がいっていた。 「オヤジの顔、いよいよ痔面が地顔になってしまって、たまに調子がいしと
のだ。 雄吉と香代子が仲よく笑ったり話をしたりしている姿を見たくない。見たくな いや、呼びに来てほしい。歌代がひとりばっちでいること いが座敷へ行きたい。 に、気がついてほしい・ ・・・・。。。。。・・血〈さん、どうしてこっちへいらっしやらないんですか、いらっしゃいよ、 奥さん : そういって雄吉が呼びに来る情景を歌代は空想した。 行きましようよ、奥さん。奥さんがいないと寂しいですよ : と雄吉は手を取って引っぱる。すると歌代は : どうするか ? 喜んで行くか ? いや、行かない。 私、ここにい士す・。 とい , っ ここにいるのがいいんです、私。 ど : っーして ? ・ まゆ と雄吉は男らしい、あの濃い眉をひそめる。
歌代は電話口に出ていった。 「もしもし、お待たせいたしました。歌代でございますが」 「あ、奥さまですか。津島さまの ? 」 女としては太い低い声がいった 。しそうですが」 すると突然、女の声は怒鳴りつけるように大きくなった。 「お限みしますよ : : : 奥さん」 しいかけるのをおっか 歌代はびつくりして一 = ロ葉がない。何かお間違いでは、と、 ぶせるように、女は怒鳴っこ。 「大槻先生のお見合を、お宅でなさったんでしよう ? 奥さんが勧めて、大槻先 ポ 生の気持も聞かずに、無理やりに・ の「そんな : : いきなりそんなことをおっしやられても : : : 失礼ですが、どちらさ ち つまでいらっしゃいます ? 」 歌代が訊くのに答えもせず、女は興奮した声を上げた。 ひ 「大槻先生のことを、いったいどこまで知ってるというんですか。何も知らない んでしょ ? 知らないのに出しやばって、余計なことをして、人の幸福の邪魔を
少し希望が出て来て、思わす先を促した。 「そんなお気持になるのはまだ無理かもしれませんわねえ ? ご主人がお亡くな りになって一年も経っていないんでしようから : : : 無理もありませんわねえ 「いえね、それがねえ、それが、ひどい話なんですよ ! 」 今までなめらかで軽快な木琴調だった加宮夫人の声の調子は、突然狂った。 「ひどい言なんですよ : : : ひどい言なんですよ : : : 奥さま、まあ、聞いて下さい よ : そういうと加宮夫人は、さっきまでの気どった木琴夫人ではなく、以前の、壊 しつきかせい れた笛のような声を出すおしゃべり奥さんに戻って、一気呵成に話しはじめた。 「奥さま、まあ、聞いて下さいな。香代子の主人っていうのはデ。ハートの外商部 に勤めていた男なんですけどねえ、三十三で、あなた、四十 , ハの女とデキちまっ たんですのよ , まあ : : : 」 「三十三でですよ。四十 , ハのおばさんとですよ ! 十三も年上の女とですよ ! あなた、。 、、になります : : : 」 と , つお田心し た
胸の底から湧き上って来る衝動が、歌代のみそおちのところでそう叫んでいた。 悪い妻になりたい。何もかもふり捨てて、燃えるような情熱と一緒に不幸 のどん底へ墜落したい : 歌代はシワシワの夫を見つめて、そう思うのだった。 香代子と雄吉は二時間ばかりいて、タモッを連れて一緒に帰って行った。亜矢 がカノコや所三郎たちと出かけてしまった後、歌代がひとりで後片づけをしてい ると、屯請が 2 っこ。 「母さん、電話。女の人から」 と電話に出た透がいった。 「どなた ? 」 「知らない。いわないんだもん : : : 奥さんいるかって」