お土産 - みる会図書館


検索対象: みちのく子供風土記
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1. みちのく子供風土記

八郎は筒つ。ほの袖ロへ互い違いに手を入れ、丸い輪をつくってそこへ頭を入れる支 那式のお辞儀をして土産を受けとった。照れ臭いからなのであろう。このお辞儀の仕 方はサーカスでお・ほえたのだ。それからおもむろに、ふところへ手を入れ、細長いっ つみを出して、 「これはムツの子がくれたんだ」 とつつみをひろげて見せた。 まんげきよう 万華鏡だった。睦ちゃんはこれをどこで買ったんだろう。仙台だろうか、松島だろ うか。睦ちゃんは八郎を、八郎は睦ちゃんを、いつも軽蔑し合っているが、睦ちゃん : 八郎に土産を買って来るところを見ると、それほどでもないのだ。 「見せてやろうか、きれいだぞ , 八郎は嬉しそうに、修学旅行に行けなかった不満を忘れて万華鏡を覗き込んでいる。 私達は安心して松島の海へ捨てたシャコの話をしてやった。 「オレなんか何を食ったって、中毒なんかするわけがねえじゃないかョ 案の定、八郎は唇をなめて、ひどく口惜しそうだった。 184

2. みちのく子供風土記

松尾芭蕉という人は、多分こんな寒い日でなく、もっと季候のいい時に島めぐりを したにちがいない。私達のように時雨に打たれながら、ぶるぶる震えていたんでは、 俳句どころか、芭蕉だってやつばり一刻も早く陸へ上がりたくなっただろう。 花子は千貫島の松が気に入ったそうだ。下の段の平らなところへ家を建てて毎日魚 、と言う。私は松の 釣りをしたらいいだろうなアというし、タネ子は双子島の方がいし 木もなにもない裸の仁王島の方がいいと思った。 しいことになり、時雨も遠のいた 船を降りてから浜辺でしばらく自由行動をしても、 ので、みんなでお土産を買った。 まず第一に八郎のお土産を相談した。絵ハガキと芭蕉の葉っぱのようなふくれせん ぺいと、水中メガネを買った。 物売りオバサンが、紙袋へ入れたゆでシャコを四つ五銭にまけるから買えとすすめ た。私達はシャコというものをはじめて見たので気味が悪かったけれど、誰かが買っ てたべたら、たいそううまいものたというので、恐る恐る一袋ずつ買ってたべてみ た。ェビによく似た味で、エビより肉がやわらかい。花子はシャコを忘れてサソリだ 178

3. みちのく子供風土記

綱引き おまさを見送って私と蓑吉は門のところまで従いて行った。おまさはちょっと立止 まり、 「お土産にアンコの入った粟餅を搗いて来るんて、待っていてたもれ」 と言った。紫のお高祖頭巾の中から覗くおまさの白い頬や、長いまっげに粉雪がちら ちらかかた 「さいなら 少し歩いてからまたおまさは振り返り、 「風邪引くんて、早ぐ家さ戻ったんせ。早ぐー と眉をしかめた。 おまさはにつこり笑ったりすることのない女で、いつでも怒っているような顔をし ているが、あの時のおまさの顔は眼も鼻も口もないのつべらぼうの、雪女のようで私 はとても恐かった。 おまさの村まで三里もあるのに、のりものがないからおまさは歩いて行かなければ ならない。おまさはそんなことなど少しも苦にならないような足どりで、鱈を引きず っ っ 213

4. みちのく子供風土記

昔 がった。私達もゴム長は持っているが、睦ちゃんのようなエナメルがついていない し、たいていの子はまだ藁靴を履いて学校へ通うのだ。藁靴はあったかくて、すべっ だんき て転ぶ心配もないが、午後になって少し暖気になると雪道の表面が溶けてしまうので たび 足袋までぐしゃぐしやに濡れる。 エナメルを塗ったビカビカの長靴なんて私達はこれまで一度も見たことがなかっ た。町の店屋に売っていないからだ。 「あれは東京土産だろうよー と花子は溜息をついたが、短ケリと藁靴で我慢している八郎は、もう悪たれず、 おなご 「小正月の綱引きに女子も出ないか [ と私達を誘った。 小正月の綱引きというのは旧の一月十五日の真夜中に、町中の人達が四辻へ出て上 しも と下とに別れて綱引きをして遊ぶ行事のことだ。 どうしてそういう行事があるのか知らないが、八郎は毎年出て引っ張っているそう - 」 0 かみ 199

5. みちのく子供風土記

「ハチは踏切りで見送ると言っていたつけ と、慌てて左側の窓へ走った。私もタネ子もあわてて窓をあけた。 八郎は犬を連れてほんとうに踏切りに立っていた。 「ハチ、土産を買ってくるどオ : 、待っていれやー 畠作りの綱男が大声で叫んだ。 八郎に聴こえただろうか。走り去る汽車に高々と手をあげて。ハンザイをした。 たちまち八郎の姿も犬も小さくなり、消えてしまった。なんだか八郎が可哀そう で、私達は席がきまると、しばらく泥坊について話し合った。 私は泥坊は夜来るものとばかり思っていたらそうでもないらしい。なぜ泥坊は八郎 のような貧乏な子を襲うのだろう。 「美絵子ちゃん、泥坊って家の中にもいるんだョ と悲しそうに言っていた八郎の顔を私はまざまざと思い出した。 泥坊ではないが、私も一度スリというものにつかれたことがある。 隣りの町の、私を可愛がってくれる老人夫婦にお祭りに招かれた時である。私は丸 168

6. みちのく子供風土記

男の子はたいてい紺絣の上に木綿の筒袖の紋付き羽織を重ねてくるが、風林堂の睦 ちゃんだけは、袷も羽織も羽二重の紋付きに仙台平の袴でやってくる。よく気を付け てみると、どの子も、紋付きの身丈や身巾がみなせまくなって、白い羽織の紐がいや に胸の上の方に上がっている。みんな大きくなりすぎたのだ。睦ちゃんのようなお洒 落でも、やつばりつんつるてんの紋付きで我慢しているのが少しおかしかった。 お式が済むと紅白のおまんじゅうが貰えるので、みんなつんつるてんの紋付きでに こにこしている。八郎は羽織の紐を落としたのか、こよりで衿を押えてにやにやして 「あとでお土産やるヨ 花子もタネ子も笑いが止まらない。 「美絵子ちゃん、お前気をつけろよ。また癲癇が泡をふくそ」 私の隣りの子はお式の度に、来賓の御挨拶がはじまると泡をふいて倒れる。根も葉 もないことだが、その泡がかかると癲癇が伝染ると誰かが言いはじめ、八郎はそれを 気にしているのだ。 こんがすり 182

7. みちのく子供風土記

「このサソリ、 ハチにもたべさせてやりたいなア」と言い出した。 「あんまり美味しくて、ハチがおったまげるべなア 私達はまた二銭ずつ出し合って、五匹袋へ入れて貰った。花子は得意になって紙袋 を持って歩いていたが、このサソリは大失敗であった。紙袋を手に持って歩いたのが いけなかったのだ。早く。ハスケットへしまって仕舞えばよかったのに、先ず花子が校 長先生に叱られ、それからそれをたべていた生徒はみんな叱られた。 「海へ捨てなさい」 もしも中毒したらどうしますか、行儀の悪い生徒ばかりだと、校長先生は歩きなが らシャコをたべた生徒を浜辺へ一列に並べて大変に叱った。 仕方がないので、私達はみんなしぶしぶとシャコを海へ捨てた。おかげで八郎へや る土産が一つ減った。言い出しつべの花子が一番残念がった。 帰りはまた一日汽車に揺られ、幾度か乗り換えて日暮れに鷹ノ巣〈戻 0 た。一人の 修 落伍者もなく、全員無事戻れたことは大変よかった。これは生徒諸君が、みなよく先 179

8. みちのく子供風土記

誰だって癲癇持ちは厭だけれど、厭な顔をするのは可哀そうだと思う。私はなるべ くその子の顔を見ないようにしているのに、八郎は今日もまた大きな声で注意をし た。癲癇持ちの子はきっと要めの原つばの奴等はみんな意地悪だと思ったにちがいな い。私は少しはずかしかった。 だのにお式が始まっていよいよその子が泡をふくと、やつばり私はあっと大きな声 を出して逃げた。八郎よりも私の方が気取り屋で不正直な子なのかもしれない。 かざばな 紙につつんだおまんじゅうを両手に持って校門を出る時、私達はひらひら風花の舞 うのを見た。眼をつむって頬べたに風花を受け、私達はもう直ぐそこに冬の来ている ことを知るのだ。 はなびら 風花というのは、お天気のいい日に風の中で舞っている花片のような雪のことで、 雪の形は見えなくとも、私達はそれを皮膚に感じることが出来る。決して地面に落ち て来ない雪のかげろうなのだ。 行 学杉林を抜けてから、私達は八郎にお土産を渡してやった。 修 「おお、これはこれは、感謝感激」 183

9. みちのく子供風土記

のだから、もう木綿の紋付きなんか要らない。 四つ身の紋付きにお別れするのがとても淋しい気がした。少しくらい膝小僧が出た っていいから、私はいつまでも四つ身が着ていたい。元旦の四方拝、二月の紀元節、 そして卒業式とあと三度のお式に紋付きが着られる。 明日の天長節が雨になってひどく寒いようだったら、これを着て行きなさいと母は 赤い房のついた秋田八丈の被布を出してくれた。そしてこの被布を着るのも、もうお しまいだろうと言った。 天長節には雨の降るようなことは減多にないから、被布はお正月に雪が降ってから 着た方がいいとばあやは言う。本当は私にもう被布は似合わないのだろう。紫の紋付 き羽織を一枚つくらなくてはと、ばあやは独り言をいった。 天長節はばあやの言うとおりに霜が降りてひどく寒かったが、朝から小気味よいほ どの上天気で、町中どこの家でも日の丸の旗が風にはためき、私達は十時に学校へ行 行 学った。八郎へ修学旅行のお土産を渡す日である。私とタネ子と花子は何度も顔を見合 修 わせてにこにこ笑った。 181

10. みちのく子供風土記

生の言いつけを守ってくれたからであると、校長先生は駅前広場でもう一度最後の演 説をやって、生徒は出迎えの父兄の手へ渡された。 私達、要めの原つばの子供達も八郎へやるお土産は、天長節に渡すことにして別れた。 修学旅行から帰って一日置いた翌日が天長節。 天長節にはみんな木綿の紋付きを着て学校へ行く。この日はもちろん授業はなく、 お式だけで紅白のおまんじゅうをいただいて帰る。 前の晩、ばあやは私達姉弟の紋付きや袴を取り出して、腰揚げや肩揚げの寸法を調 べてくれた。 ばあやの言葉を借りると子供は、によきによき背丈が伸びるので、春秋揚げをおろ さなければならないが、私の分はもうその揚げのおろしようがないそうだ。来年は大 人並みの本裁ちでなければとても駄目だと言った。昔なら女の子は十三になれば本裁 ちの着物を着て、そろそろお嫁入りの準備をしたものだという。本裁ちの紋付きをこ しらえてもらうのよ、 。しいが、お嫁入りの準備など真平だ。それに来年は女学生になる ( 1 ) 大正時代の天長節は十月三十一日。 はるあき 180