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検索対象: わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵
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1. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

1 章歎異抄とわたし 喜ぶべきことも喜べない反逆心を持つのが凡夫です。そうした凡夫こそ、阿弥陀仏の救 いの対象でなければなりません。 ささや 「わたしも同じだよ . と囁く親鸞 じゅっかい また当時、重患の私の心には、次に掲げる親鸞のすなおな述懐の言葉が染み透りまし じようど しよろう また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、 しょ くおんごう 死なんずるやらんとこころばそくおばゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よ 、つま るてん きゅ、つり あんによう りいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、 いまだ生れざる安養浄上はこ 」、つじよ、つ ひしからず候ふこと、まことによくよく煩脳の興盛に候ふにこそ。なごりをし しやば くおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの上へはま ゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふな ( 「歎異抄」第九条 ) ( また浄土へ急いでまいりたいという心もなく、ちょっとした病気にかかると、この とお

2. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

ぼんのうぐそくぼんぶおお て、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、 われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおばゆるなり。 ( 「歎異抄」第九条 ) おど ( よくよく考えると、往生は、天に踊り、地に踊りあがるほどに喜ぶべきことです。 それが喜べないことで、いよいよ往生は確実である、と私 ( 親鸞 ) は思っている。往 おさ 生を喜ぶべき心を抑えつけて喜ばせないのは、煩悩のしわざだ。しかし、仏は前々か らこのことを知っておられて、「煩悩具足の凡夫ーとおっしやっておられる。ゆえに、 阿弥陀仏の救いの誓願の力は、このような私たちのためなのだ、とわかってきて、 よいよ頼もしく思われるのだ ) 「お浄土へ往生させていただけるのは、この上ない喜びであるはずだ。それが喜べない矛 盾を感じることで、いよいよ往生は確実であるー との親鸞の言に、それこそ矛盾を感じるので、親鸞の反語であるとする説もあります。 しかし私は反語ではなく、自分の体験を親鸞は、ありのままに唯円に語っているのだと思 います。

3. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

このような質問は容易にできるものではありません。たとい、 心中に思っていても、この 種の質問は禁ロであると、親鸞の弟子たちは考えていたに違いありません。師を深く信じ るから、唯円は裸になって自分を投り出すのです。 唯円の赤裸々な、しかも真剣な問いに答える親鸞もまたすつばだかです。 親鸞もこの不審ありつるに、唯円房もおなじこころにてありけり。 ( 「歎異抄」第九条 ) ( 親鸞も、自分の心中にその疑問を抱いていた。唯円房よ、お前も私と同じ悩みを持 っていたのだな 私は、病床で親鸞の答えを聞いて、自分の心が明るくほほえむのを感じました。問うほ うも問うほうだが、答えるほうも答えるほうだ といいますが、それはこうした真実の こもった質疑応答のやりとりをいうのでしよう。親鸞のこの一言に、唯円の問いが真剣で あっただけに、深いうなずきがあったに違いありません。 ふしん

4. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

1 章歎異抄とわたし ごた したもので、今も読み応えのある名作です。 じんう わずら 私は早稲田大学の文学部の卒業の前年に腎盂炎を患い、一時は生死の間をさ迷う重態に おのの なりました。さいわいに快方に向かったものの、死の恐怖に戦き続けました。それに卒業 論文の提出期限も迫っています。病気になる前に『出家とその弟子』を読んだり、観劇し たのが縁になり、『歎異抄』を読みはじめておりました。医師から読書を許されたので、 まず『歎異抄』の読みさしから読むことにしました。読み続けるうちに、 じようど ゅやくかんぎ ねんぶつもうそうら 念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄上へ し力にと候ふべきことにて候ふやらんと、申し まゐりたきこころの候はぬは、、、 ( 「歎異抄」第九条 ) いれて候ひしかば : すみ ( 念仏を称えますものの、踊りあがって喜ぶほどの心の張りがございません。また速 やかにお浄土へ馳せ参じたいという思いもございませんのは、どういうわけでござい たず ましようか、と、わたくし唯円が、師の親鸞にお尋ねしますと : : : ) の一節にかかりました。唯円のそ・ほくな純真の問いに、まず私は心を打たれるのです。 ゆいえん

5. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

1 章歎異抄とわたし たんにしよう

6. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

8 章親鸞一人がためなり 仏の前では誰もが主人公である いかに「自己」の全身て受けとめるか 小学校時代の、ある思い出 2 いちにん 「一人」はすべてのために もう一人のプラスアルファ 人間の業と縁の深い囲碁 経典は文学作品のように読む たと キリスト教「種まく物の譬え」 2 あこが インド旅行て実感した西方 ~ の憧れの念甥 は′、しゅ、つ ばんのう 白秋の詩にみる〃煩悩の林 , 2 いちにん 236 ち 8 231 装幀 / 中原達治 232

7. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

次 目 じつに厳しい親鸞の言葉の響き 念仏よりほかに往生の道はない 確固たる親鸞の信心 わずら 現代人が患っている〃忙しい病〃 風の音も谷の流れも、みな音楽 水鳥や樹林も仏性を具えている しんじん 自分の中の自分に出会う 7 章「信心」 迷いがあるから、私たちは救われる 迷いこそ、そのままさとりてある 「信心の行者」四つの条件叫 迷信を戒めた親鸞 つか 人は鬼神に仕えてはならない 自分を愛しいと知るものは、他を害せない 失敗した私の高校受験 そな 174 182 202 216

8. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

次 た、と第、 人間、この弱きもの 4 章「愚禿」 人は誰も、縁しだいで千人でも殺せる 9. 「愚禿」と自称した親鸞 たかむらこ、ったろ、フ 高村光太郎における「思」の自覚 人は誰ても殺人者になりうる 日 弱きもの人門 そ 人間の心に生える毛髪を剃り落とす こうだろはんまなむャめ 幸田露伴が愛娘に与えた一言 ベネディクト夫人に読ませたかった一節 ) ) 、フえん ( 3 ) 業縁 親鸞が流刑先て見た人間の苦悩 134 126 130 9

9. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

亡き妻に教えられたさん タクシー運転手の一言 あっ 信心の篤い名もなき人びと ぶっしよう 谷川の竹かごに教えられた仏性の存在 〃赤鬼事件みの教訓 あ′、にんーレよ、つき あみだぶつほんがん 3 章「悪人正機」ーーー阿弥陀仏の本願 なぜ、「悪人」が救われるのか 、つめはらーしんりゆ、つー ) 「自分は悪人」と語った梅原真隆師 め 心の眼を開く ばんのうぐそく 煩悩具足の私たちを救う道 モノローーケ′ ある老人の独白 8 善人てあるかぎり救われない跖 かたく 私が〃火宅の生活みから得たもの あだかたき けしん 2 9. 仇や敵も観音さまの化身 9 0 9.

10. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

次 目 目次 ー章歎異抄とわたし 親鸞と弟子との、まつばだかの間答 当、さや 「わたしも同じだよ」と囁く親鸞 『歎異抄』を暗んじる新兵 3 2 戦犯者の慰間座談会の席上て 私を超えるある力のうながし弭 たりき 身を任せて生きる 2 章「他力」 自力をたのむ人に救いはない に ) り」、た、り - 強、 「自力」「他力」とは何か 3 何が、そうさせたのか たんにしよ、つ 2