ます。 「神の国の言葉を聞いても、それを本当に理解しなければ悪魔が来て、その人の心にまか れたものを持っていってしまう。道ばたに落ちた種というのは、そういう人のことであ る。また、神の国の言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れるが、根がないために長続きせ ず、御一言葉のためにさまざまな困難や迫害が起こってくると、あっさり信仰を捨ててしま う人がいる。土の浅い石地にまかれた種というのがそれである。いばらの中にまかれた種 わずら とは、御一言葉を聞くには聞くが、生活上の思い煩いや富への欲望によって窒息させられて しまい、ついに実を結ぶことのない人のことである。最後に、良い土地にまかれた種とい うのは、御言葉を聞いて、これをよく理解する人のことであって、そういう人は、三十 倍、あるいは六十倍、あるいは百倍もの実を結ぶに至るのであるー ( 『新約聖書〈マタイ伝十三章一、 キリスト教では、イエスが譬え話に秘められた意味をこのように明かしますが、釈尊は 多くの場合、比喩を話してもその意味を明かしません。 252
他とは、必ずしも自分の外部を指すのではなく、自分の中に埋もれている、もう一人の 大いなる自分の意味でもあります。私もまたこの意味での他から催されることが応々にし てあります。 私は若いときからよく旅をしております。まだ東海道新幹線が開通していない頃、いま の東海道在来線で丹那トンネルを通過するとき、ふと気づきました。いや厳密な意味でい えば、気づかさせられたのです。 在来線の丹那トンネルは、一九一八年に起工して以来、一五年の難工事を経て、ようや く完成しました。おかげで関西までの旅行時間が短縮でき、たいへん便利になりました。 しかしこの工事が完成するまでに、多くの工事犠牲者が出ました。私はその事実にふと し気づかされてからは、丹那トンネルを通過する一〇分間あまりを、黙読で般若心経と観音 げずきよう わ経の偈を誦経するようになりました。 あらか 抄そのことが習慣になってか、予じめ心の準備をする必要もなく、丹那トンネルに入ると 歎自然に誦経が口をついて出るようになりました。それからは、丹那トンネルに限らず、大 章きな鉄橋を渡るとき、知らぬ間に経典の黙読が始まっています。空路や海路の場合も同じ です。 たんな
『歎異抄』は、今日の人にも広く読まれています。しかし巻末の「承元の法難」における 浄土門下の流罪記録は、「附記」として軽く読み過ごされているようです。しかし「承元 の法難」が、法然の浄土教団にとって、いかに苛酷であったかは、唯円が『歎異抄』の巻 ざいか にんじゅ ふうぶん 末で「無実の風聞によりて罪科に処せられる人数のこと」と記すところを読んだだけでも 明らかにわかります。 こ , っふくじ 地けれども、親鸞も唯円も、浄土門を迫害する既成教団の奈良の興福寺の行動や、朝廷の うら おんねん 処置に怨念をかきたてるのではありません。怨みに報ゆるに怨みを以ってするなら、永久 超に怨みは解決できないでしよう。親鸞も唯円も、この真実をよく知っていたはずです。 いかなるときにも、人間として生きる真理をさとり、それを実践するのが、釈尊の最も 基本的な教えであるからです。 流罪をプラスに転じさせた法然 私は、唯円が「承元の法難ーの記録を、淡々と記しているのに心を惹かれます。繰り返 章し読んでいくうちに、唯円が『歎異抄』巻末の流罪記録の執筆に、なみなみならぬ熱意を こめ、さまざまの示唆がこめられているのに気づきました。たとえば、 むく 153
人間性をつくる人間の業も育種や品種改良は可能だし、またその作業に励んで、よい人 間の業を子孫に伝えてこそ、真実に子孫を愛するゆえんでしよう。このように見てくる と、業に対する従来の考え方や受けとめ方が正されてまいります。 しゆくあく しゆくぜん 「宿善」と「宿悪」とは じ′」うじとく 「自業自得ーという熟語があります。もとより仏教語ですが、一般に〈自分のした行為の しゆくめい 結果は自分が受けとるほかない〉と宿命的に、仕方がないと断念する意味に解したり、 あざけ その人を嘲る言葉として用いますが、それは誤りです。自業自得は、自分がつくった善悪 むく の行為であるから、その報い ( 結果 ) は、よかれ悪しかれ当然自分に返って来ると「自分 の業 ( 行為 ) にみを感じ、責任を持っこと。です。 行為はもとより自分がするのですが、それはけっして自分の自由意志からではなく、す ごうえん べて自分の誕生前歴の行為にうながされて、現在の行動となる、とするものが業縁 ( 過去 の行為が原因となる ) の思想です。 しゆく′」う 業縁はまた「宿業 ( 前世の行為の結果が現世にあらわれる ) 」ともいいます。前世の善い しゆくあく しゆくぜん 行ないを「宿善」、悪い行ないを「宿悪」といいます。唯円は、 144
この思想は先に記したように龍樹に基づきますが、また華厳思想の裏づけによります。 いっそくいっさい いっさいそくいち 華厳経では「一即一切一切即一」と説きます。一がそのまま一切であり、一切がその まま一つである、というのです。その意味は「一が一であるためには、その背景には無限 、カ、カ の一切 ( 全て ) の関わり合いがある。また一切 ( 全て ) は、その関わり合いによって一に 収まるーという縁起の事実をいうのです。 たとえば、一つの網の目は、その周囲の一切 ( 全て ) の網の目の関わり合いがあって、 はじめて存在するのです。一つだけで網の目はできません。すなわち「一即一切」です。 その一つひとつの目がすべて関わり合って一つの網となるのです。すなわち「一切即一ー です。 りようにん 一三二年 ) が浄土教の一つの流れである め親鸞よりほ・ほ一世紀前に、良忍 ( 一〇七二ー一 ゅうずうねんぶっしゅう が「融通念仏宗」を開いています。 ゅうずう 一教義はその名の示すように、「一人の念仏と他の多くの人の念仏とが、相互に融通 ( 関 親わりあうこと ) し合っている。すなわち一人の称名念仏の功徳に、多くの人の念仏の功徳 章がおさまり、多くの人の念仏の功徳が一人におさまる」というのです。まさに、先の網の 目の例がそのままです。 すべ 237
もちろん、私の口から出る読経ですが、自分のせいではなく、多くの事故死者が私の気 持ちをかきたてて、つまり事故死者から催されての読経だと気づかしめられたのです。 振り返ると、最初はまぎれもなく私の自由意志によるものでした。ところが、事故死者 との目に見えない触れ合いによって、私の自由意志を超えた先方からのうながしと一体に なったのです。 よく自力とか他力とか、区別されますが、そのような相対性や、対立観を超えて、私は 絶対一の仏心を頂戴したいと願うのです。 もよお
ベネディクト夫人に読ませたかった一節 剃髪すなわち禿することの究極の願いは、煩悩をも剃髪・禿してさとりを得、救われる ことにあることは、浄土門でも禅門でも同じです。剃髪に煩悩を離れたいという願望に、 断ち切れない煩悩を持つ人間のさんげの心が含まれていることは、申すまでもないでしょ 大戦後、日本人によく読まれたのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト夫 人著の『菊と刀』です。 この書の題名が示唆するように″菊の優美と刀の殺伐を愛する矛盾した日本の国民性〃 を、文化人類学の上から観察・検討した著書という発行者の前文があります。 この書の評価はまちまちで、私も共鳴できない点が多くありますが、異色のカ作として 多くの読者を得ました。日本の仏教についても、彼女の持っ資料の関係かどうかわかりま ついや せんが、禅関係について多くのページを費していますが、浄土門に関する記述はきわめて わずかです。 ベネディクトは、人類の文化を「罪悪の文化ーと「恥辱の文化」とに二分して、罪悪文 化を優れているとします。彼女によると、罪悪文化は内面的な罪の自覚に基づいて善行を すぐ 130
げんぞく です。それが僧籍を奪われて還俗 ( 出家前の一般の在家人にもどること ) させられること とく は、僧侶にとって最大の屈辱です。親鸞は命じられた姓を避け、みずから「禿」と称した というのです。 「禿」は、一般に毛髪のはげた状態をいいます。仏教界では、僧侶が謙遜して自分を呼ぶ とくぬ 場合も、あるいは他をけなすときも、禿の語を用います。「禿奴 ( 外形は僧形だが、僧とし レ」 / 、にん ての行ないをしない者 ) 」、「禿人 ( 道心がなく、衣食のために出家した者 ) 」などがその例で 親鸞の厳しい自己批判 さいちょう 叡山 ( 比叡山 ) に天台宗を開いた最澄 ( 伝教大師 ) は、十九歳のとき叡山に登って修行 がんもん に入りますが、その翌年、彼が二十歳のとき神仏に誓った『願文』の中で、彼は「愚が中 うじようていげ . ・こくぐきょ , つなかごくきようじんとく の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄ーと謙遜の上にも謙遜、さんげの上に とろ もさんげの真情を吐露します。 うじよ、つ じんとく 「塵禿の有情」の塵は、けがれ、有情は、生きもののことですから、〈心の荒れた、つま らない人間〉ということになります。かっては叡山に学んだ親鸞です。最澄の願文の「塵
らなる文字で、〈心の不在状態〉の意味です。 わずら ・は、つびよう この意味で現代人の多くは″忙病〃を患い、自己不在の症状を呈しているというべき でしよう。私たちはいま、多くの情報に振りまわされて自分の考えを確立できずに悩んで よ みずか います。臨済はこれを「自由を得ずーと叱咤するのです。仏教語の「自由ーは、自らに由 る・自己に基づくの意味で、自己の主体性を保つことです。 自我を超えて、見えてくるもの しんふきゅう 臨済は、修行が徹底できないのは「信不及」が病因で、その結果は自分の自由を得られ もんそくしん ないことになるとします。親鸞も「聞即信」といって、阿弥陀仏の本願が聞こえたとき もん が、信が得られたときと説きます。親鸞はゆえに「聞」を大切にいたします。 しやり さいねんじ すずきあやこ 故鈴木章子さん ( 一九四一ー一九八八年 ) は、北海道斜里町・真宗大谷派西念寺住職鈴 け . いけ・ . ん な しんご 木真吾師の夫んです。がんを病んで四十八歳で亡くなりました。その短い生涯を敬虔な真 宗の信者として生きられたことが、遺稿集『癌告知のあとでーー私の妣匙雌』 ( 探究社 くま 刊 ) に隈なく記されてあります。 うた こんげんざいせっぽう 「聞こえるー体験を詩う『今現在説法』と題する次の作品に、私は大きな感動を覚えま もと しった 184
詩集『智恵子抄』で多くの人になじまれています。 彼の知識教養は、いうまでもなく高次で豊富です。それにもかかわらず、彼は自己の愚 よ を深く見つめて詩に詠むのです。 光太郎は昭和二十二年、彼が六十五歳の六月十五日に、「山林ーという三十二行にわた る長詩をつくっています。その中で、 こころたい こんなに心平らかな日のあることを 私はかって思はなかった あんぐ おのれの暗愚をいやほど見たので 自分の業蹟のどんな評価をも快く容れ むち 自分に鞭する千の批難も素直にきく それが社会の約束ならば よし極刑としても甘受しよう こころよ ( 『日本の詩歌川』中公文庫・ページ ) 114