じつに厳しい親鸞の言葉の響き 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと べっしさい ( 「歎異抄」第ニ条 ) ( 法然 ) の仰せをかぶりて信するほかに別の子細なきなり。 ( 親鸞にあっては、「ただ念仏を称えて、阿弥陀仏の救いをいただくがよし」と申さ れたよき人、わが師の法然上人のお言葉を信ずるほかに、何の理由もないのです ) ひびき 何という厳しい響を持っ親鸞の言葉でしよう。このような厳しい言葉が発せられた背景 ひそ には、次の事実が潜んでいるのです。 前にも記したように、承元元年 ( 一二〇七年 ) 、念仏が禁止され、法然の一門はいずれ えちご も処分を受けました ( 承元の法難 ) 。親鸞は越後に流されます。このとき親鸞は三十五歳 です。その後四年を経て建暦元年 ( 一二一一年 ) に、親鸞は罪を許されて越後より戻りま ひたちのくに いなだ たりきおうじよ、つ すが、彼は京都へ帰らず常陸国 ( 茨城県 ) の稲田に住んで、他カ往生の教えを説きます。 くギ、よう 法然は遠く四国へ流罪に処せられますが、信者であった朝廷の役人や公卿たちの努力 や、法然が七十五歳という高齢の関係もあってか、親鸞より早く許されて京都に帰国して おお 174
親鸞の実直さと人間味 するど この観察を最も鋭く徹底して行なったのが親鸞です。親鸞はつねに一人称で、それも 「私・自分」という代名詞ではなく、固有名詞の「親鸞ーと名乗っています。例を『歎異 抄』に見るなら、 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと ( 法然 ) の仰せをかぶりて信するほかに別の子細なきなり。 ( 「歎異抄」第ニ条 ) ( 親鸞にありましては、ただ念仏申して、阿弥陀仏のお救いをいただくがよいという、 よきお方・法然上人のお教えを頭から信ずる外に別の理由はありません ) きよ、つよう いっぺん そうら 親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、 いまだ候は ( 「歎異抄」第五条 ) ( 親鸞は、亡き父母供養のためということで、念仏を一遍も称えたことは、まだあり ません ) べっしさい
人間はこの極限に追いつめられたら、だれしも、教えや救いを求めずにはおれないでし よう。人は自分の罪悪や、自分の犯した行為の報いに深く痛みを感じる縁により、阿弥陀 仏の本願にめぐり会えるのです。自分に悲しみや痛みを覚えないかぎり、よい教えやよい 師にめぐり会えません。会っていても、会っている事実に気づかないのです。 罪悪や煩悩におののく " 苦労人。の宗教 私は親鸞の教えを含めて、釈尊の宗教は″苦労人の宗教である〃と思います。私のいう 苦労人は、罪悪や煩悩におののき悩む人びとのことです。罪悪感に苦しみ悩み、疲れはて たとき、自然に阿弥陀仏の教えにめぐり会えるのです。 というよりも、求めなくても、とっくの昔から阿弥陀仏の教えのまんまん中に生きてい た事実に、気づかせられるのです。忘れていた事を思い出させられるのです。あるいは教 たず えのほうから訪ねて来てくれる、といってもいいでしよう。教えというものは、そうした さいち ものです。たびたび紹介する妙好人の才市さんが、 になるじゃな、
きようしんしやみ ぎひょう る儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々。 うしぬすびと これによりて、「たとひ牛盗人 ( 人を罵るに用いたことば ) とはいはるとも、 ごせしゃ ぜんにん もし ( く ) は善人、もし ( く ) は後世者 ( いかにも来世を願っている者らしくふる ふるま ぶっぽうしゃ まう ) 、もし ( く ) は仏法者 ( 仏の教えを信ずる者 ) とみゆるやうに振舞ふべから ( 『浄土真宗聖典』盟ページ ) す」と仰せあり。 地 境 じよ、つ 親鸞が平素ロぐせのように言われたのが、「わたしは賀古の教信沙弥の定なり ( 如くで え 超ある ) 」であり、親鸞は自分のすべてを教信沙弥に投げこんで、教信と一体になるのです。 したた 着そして親鸞は「承元の法難」を縁として、みずから「愚禿」と認めるようになった、とい うのです。 この説は具体的で、昔から浄土真宗では、教信沙弥の徳が讃えられています。親鸞の 俗 「非僧非俗 , の理想が、教信沙弥の生き方にあることは論を待たないでしよう。 章「非」という一字が持つはたらき 私は、親鸞の教信沙弥への傾倒を信ずるとともに、「非僧非俗」の「非」の一字を重視 おお たた 165
現世の救いも説く浄土経 ど じよ、つどしんしゅ、つ こんじよ、フほんがんしん 「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとなら そ、つろ こしよ、フにん おお ( 「歎異抄」第十五条 ) ひ候うぞ」とこそ、故聖人 ( 親鸞 ) の仰せには候ひしか。 ( 法然上人の開かれた、浄土教の教えの根本は、こうです。「この世では阿弥陀仏の このように ( 法然上人か 本願を信じ、かの土 ( 浄土 ) に行ってさとりをひらく ら ) 教えを受けました、と師の親鸞は仰せでした ) 『歎異抄』第十五条の、唯円の結びの言葉です。 「浄土真宗」といっても、現在の教団名ではありません。法然の説く浄土教の真髄です。 が私が親鸞の語をここに引くのも、彼が示す浄土教の真骨頂を学ぶためです。 こんじようしんじんけつじよう 一親鸞は、ここで「今生の信心決定」をまず説きます。すなわち今生 ( この世 ) におい 鸞あみだぶつ 親て阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の名号を称えるなら、この世において、生きながらに 章如来と等しい徳に恵まれる、そして、命終えた後はあの世でとりを開くと説きます。 らいしよ、つ力しカく しいます。つまり「現当 これを「来生の開覚 ( 未来の浄土で開悟して仏と成ること ) 」と、 ・けんと、つ 259
法然上人にすかされてもかまわない 『歎異抄』に戻ります。「わたしの教えに満足できない者は、南都北嶺の偉い学者のとこ ろへ行ったらよかろうーと突っぱねた親鸞の、次に続く言葉が本章の冒頭に掲げた一節 おお 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せを です ( Ⅲページ ) 。 「よきひとの仰せ」の「よきひと」は、中世の用法としては、教養がある・能力がすぐれ ぶっそくせきか かしこ つれずれぐさ ている・賢いお方の意味で『徒然草』や『仏足石歌』に見えます。 ここでは親鸞が師の法然を「よき人」とたたえているのはいうまでもないことで、法然 の全貌がありありと見えるような気がします。親鸞が法然を師匠といわずに「よきひと」 と呼ぶところに、師弟関係を越えた″めぐり会いの深さ〃を感じます。 私も早稲田の学生のころ、気むずかしい先生には、会でも「教授ーや「先生ーと申しま した。しかし講義内容も深く、人格的に尊敬する教授には、教室外では″さん〃づけで呼 くぼたうつほあいづゃいち んだものです。今にして思えば、窪田空穂・会津八一の両教授は、まさに″よきひと〃で ありました。 ただ私どもは、親鸞とは人間的にもほど遠いだけに、「よきひとの仰せをかぶりて」も、 190
代名詞でなくわが名を称するのは、自分より目上の人に対する礼儀であり、また謙虚さ の現われでもあります。親鸞が、自分の門下に、あえて「親鸞は」というところに、親鸞 しの の人柄が偲ばれます。 また「親鸞におきてはーも、軽く読み過ごしてはならないと思うのです。一般に「私に おきては」というと、〈私にありましては・私にとりましては〉という個人的な受けとめ 道 方をします。 の っしかし「親鸞におきては」という言葉は、さらに深く「親鸞の信心におきては」という ゆず 他に譲ることのできない確固とした、自分の信心を告げる厳粛な言葉です。親鸞のいう信 のむ決定のほどとは、親鸞が関東の門徒に語る、 生「親鸞の信心においては、ただ南無阿弥陀仏と仏の名を称えて、阿弥陀仏 ( 如来 ) の救い を願うがよいという、よき人のお言葉を身にいただいて、このお言葉を信ずるだけ、それ なのです。 以外の理由は何もない 念 親鸞の答えはこのように簡単明瞭です。 章親鸞にしてみれば、親鸞が師の法然から身に受けた教えを、そのままそっくりあなた方 に伝えたのに、なぜ素直に信じないのか、と言いたいところでしよう。また、 181
ぼんのうぐそくぼんぶおお て、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、 われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおばゆるなり。 ( 「歎異抄」第九条 ) おど ( よくよく考えると、往生は、天に踊り、地に踊りあがるほどに喜ぶべきことです。 それが喜べないことで、いよいよ往生は確実である、と私 ( 親鸞 ) は思っている。往 おさ 生を喜ぶべき心を抑えつけて喜ばせないのは、煩悩のしわざだ。しかし、仏は前々か らこのことを知っておられて、「煩悩具足の凡夫ーとおっしやっておられる。ゆえに、 阿弥陀仏の救いの誓願の力は、このような私たちのためなのだ、とわかってきて、 よいよ頼もしく思われるのだ ) 「お浄土へ往生させていただけるのは、この上ない喜びであるはずだ。それが喜べない矛 盾を感じることで、いよいよ往生は確実であるー との親鸞の言に、それこそ矛盾を感じるので、親鸞の反語であるとする説もあります。 しかし私は反語ではなく、自分の体験を親鸞は、ありのままに唯円に語っているのだと思 います。
、つ。も、つよ、つも、つ こしよ、つにん 故聖人 ( 親鸞 ) の仰せには、「卯毛・羊毛 ( うさぎや羊の毛・徴細なもののたと しゆく′」う え ) のさきにゐるちり ( 塵 ) ばかりもっくる罪の、宿業にあらすといふことなし ( 「歎異抄」第十三条 ) としるべし」と候ひき。 ( 故親鸞聖人の申されるのに「兎や羊の毛の先にとまっている塵ほど僅かな、人が犯 す罪過も、前世の業の結果でないものはないと思い知るべきだ」とあります ) の も き あくじ しゆくぜん この言葉を証明として「よきこころのおこるも、宿善のもよほすゅゑなり。悪事のお の あくごう もは ( わ ) れせらるるも、悪業のはか ( 計 ) らふゅゑ ( 故 ) なり」と展開します。 しゆくみよう しゆくめい しゆくぜんしゆくあく 宿善も宿悪も、いずれも宿命的に聞こえますが、そうではなく、宿善も宿業も宿命 しゆくめい ( 宿命ではない ) の機能を持ちます。たしかに「宿」といえば、旅先などで泊まる家のこ やど をとで、人間には善悪の心が宿っています。 しゆく すみか しかし宿は永住の住処ではありません。古代の中国の文書では「一夜の泊まりを宿、二 しん 章泊を信 ( 宿 ) 、三夜以上の泊まりを次 ( 宿 ) 」と区別し、「宿ーは一夜の泊まりと決めてあ あんぎや ります。禅の修行者が行脚 ( 諸国に師を求めて歩く修行 ) の途上で、一夜の宿泊を乞うのを つみとが おお 145
ている事実を「正法に不思議なし」といいます。 たとえば、引力の法 ( 真理 ) とて不思議でも何でもありません。目の前で物が落下する 現象には、説明するまでもなく、引力がはたらいています。花が咲き、散る現象にしても じねん 不思議でも何でもないのであって、そこに自然の法・無常の真理が、はっきりと現われて いるのです。 道 親鸞の教えには、秘密にしたり隠したりする必要はない。それを「こころにくく ( こと の つばの奥に何か隠れた深い意味があるように ) 思 0 ておられるなら、それはとんでもない誤解 ゴだ」と、親鸞は自分の心中を明かします。 の 「親鸞にあっては、『ただ念仏を称えて、阿弥陀仏の救いをいただくがよい』との師・法 へ 生然上人のお言葉をわが身にいただいて、この師のお言葉を信ずる以外に、別の事情などま ったくありませんー と親鸞は、一語一語に力をこめて述べます。 仏 念 そして「もし私のいうことに満足できず、もっと奥深いことを知りたいと思われるな なんと ほ′、れい すぐ 章ら、南都 ( 奈良の東大寺・興福寺 ) や北嶺 ( 比叡山延暦寺 ) の優れた仏教学者に、極楽往生 の大事な点を、よく学ばれたらよろしいでしよう と、突っぱねます。 179