ます。 「神の国の言葉を聞いても、それを本当に理解しなければ悪魔が来て、その人の心にまか れたものを持っていってしまう。道ばたに落ちた種というのは、そういう人のことであ る。また、神の国の言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れるが、根がないために長続きせ ず、御一言葉のためにさまざまな困難や迫害が起こってくると、あっさり信仰を捨ててしま う人がいる。土の浅い石地にまかれた種というのがそれである。いばらの中にまかれた種 わずら とは、御一言葉を聞くには聞くが、生活上の思い煩いや富への欲望によって窒息させられて しまい、ついに実を結ぶことのない人のことである。最後に、良い土地にまかれた種とい うのは、御言葉を聞いて、これをよく理解する人のことであって、そういう人は、三十 倍、あるいは六十倍、あるいは百倍もの実を結ぶに至るのであるー ( 『新約聖書〈マタイ伝十三章一、 キリスト教では、イエスが譬え話に秘められた意味をこのように明かしますが、釈尊は 多くの場合、比喩を話してもその意味を明かしません。 252
代名詞でなくわが名を称するのは、自分より目上の人に対する礼儀であり、また謙虚さ の現われでもあります。親鸞が、自分の門下に、あえて「親鸞は」というところに、親鸞 しの の人柄が偲ばれます。 また「親鸞におきてはーも、軽く読み過ごしてはならないと思うのです。一般に「私に おきては」というと、〈私にありましては・私にとりましては〉という個人的な受けとめ 道 方をします。 の っしかし「親鸞におきては」という言葉は、さらに深く「親鸞の信心におきては」という ゆず 他に譲ることのできない確固とした、自分の信心を告げる厳粛な言葉です。親鸞のいう信 のむ決定のほどとは、親鸞が関東の門徒に語る、 生「親鸞の信心においては、ただ南無阿弥陀仏と仏の名を称えて、阿弥陀仏 ( 如来 ) の救い を願うがよいという、よき人のお言葉を身にいただいて、このお言葉を信ずるだけ、それ なのです。 以外の理由は何もない 念 親鸞の答えはこのように簡単明瞭です。 章親鸞にしてみれば、親鸞が師の法然から身に受けた教えを、そのままそっくりあなた方 に伝えたのに、なぜ素直に信じないのか、と言いたいところでしよう。また、 181
じつに厳しい親鸞の言葉の響き 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと べっしさい ( 「歎異抄」第ニ条 ) ( 法然 ) の仰せをかぶりて信するほかに別の子細なきなり。 ( 親鸞にあっては、「ただ念仏を称えて、阿弥陀仏の救いをいただくがよし」と申さ れたよき人、わが師の法然上人のお言葉を信ずるほかに、何の理由もないのです ) ひびき 何という厳しい響を持っ親鸞の言葉でしよう。このような厳しい言葉が発せられた背景 ひそ には、次の事実が潜んでいるのです。 前にも記したように、承元元年 ( 一二〇七年 ) 、念仏が禁止され、法然の一門はいずれ えちご も処分を受けました ( 承元の法難 ) 。親鸞は越後に流されます。このとき親鸞は三十五歳 です。その後四年を経て建暦元年 ( 一二一一年 ) に、親鸞は罪を許されて越後より戻りま ひたちのくに いなだ たりきおうじよ、つ すが、彼は京都へ帰らず常陸国 ( 茨城県 ) の稲田に住んで、他カ往生の教えを説きます。 くギ、よう 法然は遠く四国へ流罪に処せられますが、信者であった朝廷の役人や公卿たちの努力 や、法然が七十五歳という高齢の関係もあってか、親鸞より早く許されて京都に帰国して おお 174
るのではないかと、私に期待なさるなら、それは大きな誤りです ) さず このことは、善鸞が「私は父の親鸞から、秘密のおしえを授かっている」と言い触らし ているのを聞いた門徒たちが、ひそかに起こした疑問に対する親鸞の明快な答弁なので す。 しょ , つぼう 正法に不思議なし しの 私は親鸞のこの言葉を読んで、ある日の釈尊の説法を偲びます。それは弟子の一人の問 いに対して、釈尊は握っていた両手を開いて弟子たちに、 「よく見るがよい、何も隠しているものはない。私の教えはこのように明らかであ る しよう・はう と、示したことです。後に、この釈尊の言葉を「正法 ( 正しい教え・真理 ) に不思議な し」とまとめて、仏教思想の特徴の一つとします。 不思議は〈思いはかられないこと・普通の考え方では理解できないこと〉の意味です が、これをふまえて、あれこれと説明する必要のない、真理がありのままに目前に現われ 178
ている事実を「正法に不思議なし」といいます。 たとえば、引力の法 ( 真理 ) とて不思議でも何でもありません。目の前で物が落下する 現象には、説明するまでもなく、引力がはたらいています。花が咲き、散る現象にしても じねん 不思議でも何でもないのであって、そこに自然の法・無常の真理が、はっきりと現われて いるのです。 道 親鸞の教えには、秘密にしたり隠したりする必要はない。それを「こころにくく ( こと の つばの奥に何か隠れた深い意味があるように ) 思 0 ておられるなら、それはとんでもない誤解 ゴだ」と、親鸞は自分の心中を明かします。 の 「親鸞にあっては、『ただ念仏を称えて、阿弥陀仏の救いをいただくがよい』との師・法 へ 生然上人のお言葉をわが身にいただいて、この師のお言葉を信ずる以外に、別の事情などま ったくありませんー と親鸞は、一語一語に力をこめて述べます。 仏 念 そして「もし私のいうことに満足できず、もっと奥深いことを知りたいと思われるな なんと ほ′、れい すぐ 章ら、南都 ( 奈良の東大寺・興福寺 ) や北嶺 ( 比叡山延暦寺 ) の優れた仏教学者に、極楽往生 の大事な点を、よく学ばれたらよろしいでしよう と、突っぱねます。 179
「私の教えたとおりに信心するなら、他人が何と言っても、疑ったり動揺することもなか ったはずで、はるばる関東から十余力国を経る危険な旅をしてまで、この京都に親鸞を訪 ねる必要もなかったであろうものを。要はあなた方の自分の信心が決定していないからで をオしカーーーー」 という親鸞からの叱責のニュアンスも感じます。 いそカ わずら 現代人が患っている〃忙しい病〃 りんざいぎげん りんざいしゅう 私は『歎異抄』を読むたびに、中国の臨済宗の宗祖で唐代の禅僧、臨済義玄 ( ? 5 りんざいろく 六年 ) の語録『臨済録』を、対照的に思い浮かべます。 『歎異抄』と『臨済録』とは、仏教者の語録の双璧として、日本の思想界でも高く評価さ れています。『臨済録』は『歎異抄』ほど読者層は広くありませんが、禅を学ぶ人たちに は必読の書です。 いま、親鸞が関東の弟子に与えた言葉に相応する臨済の言葉が、『臨済録』に見えます。 『臨済録』の原文は漢文で難解ですから、先に訳文を掲げて、次に原文の読み下し文を添 えます。 182
親鸞はこの言葉の前に、漁業・猟業・農業・商業等に従事する人を挙げています。中世 かろ にあっては、こうした職業は、その仕事の内容からか、貴族社会からは軽んじられ、在来 たずさ の仏教者からも疎んじられていました。″悪人〃の呼称もこうした業種に携わる人をも指 した、という説もあるくらいです。 このように一般社会から差別されたり、疎外された人びとこそ、阿弥陀仏の本願の正席 すわ のに坐れる人だ、とするのが浄土門、とくに親鸞の思想です。 き親鸞が越後の片田舎へ流されたのが縁で、黙々として働く人の生活を親しく見、またそ の人たちと接するにつれて、中央の京都では思いもよらない人間の苦悩を、親鸞が体験し たであろうといわれます。 そして彼の人間観も、さらに自分を見る眼も大きく変わります。親鸞の説く庶民のため るざい へきちゃしな の宗教の中心思想は、流罪に処せられた越後の僻地で養われた、といわれるゆえんです。 唯円が伝える親鸞の上掲の言葉の意味はこうです。 愚 「どんなに立派な人でも、何かのきっかけで、とんでもない悪事をはたらくものだ」とい 章う概念を下敷きにして、「世間から疎外され、悪人だとされている人でも、逆に何かの縁 で貴族でもできぬ善根が積める事実ーを強調している、と私は解します。 えち」 135
名言です。そして私は、僧俗を昇華した境地が「禿」の名で示される純粋他力の信心の境 地だと信じます。 ぞくひじり 非僧非俗に似た言葉に「俗聖」があります。俗聖は、俗人でありながら聖僧のような 徳行のある人をたたえる敬称で、「非僧非俗ーとは似ているようですが、まったく違いま すがた す。「非僧非俗」は外見の姿ではなく、絶対他力に任せ切った信のにじみ出た相そのもの です。 「相」は人相という熟字があるように、目に見えない内面のさまが自然に外にあらわれた すがた 相です。親鸞の目に見えない心中の阿弥陀仏の本願に任せきるさまが、おのずから親鸞の 「非僧非俗ーの人柄を創ったのです。 私は「非僧非俗」の相が、親鸞が自称する「禿」である、と重ねて信じます。もっとも 「愚禿」の呼称は、親鸞以前の文献には見えませんから、「愚禿」は、親鸞が造った言葉で あろうといわれていますが、私も同感です。 親鸞が、法然とともに僧籍を奪われ、屈辱的な罪名として「藤井ー姓を名乗らされた件 について、世間はあまり関心をはらわないようですが、当人にとっては大きな衝撃です。 親鸞らとはまったく状況を異にしますが、姓の呼称を変えられただけでも、一種の淋し こと 170
次 目 じつに厳しい親鸞の言葉の響き 念仏よりほかに往生の道はない 確固たる親鸞の信心 わずら 現代人が患っている〃忙しい病〃 風の音も谷の流れも、みな音楽 水鳥や樹林も仏性を具えている しんじん 自分の中の自分に出会う 7 章「信心」 迷いがあるから、私たちは救われる 迷いこそ、そのままさとりてある 「信心の行者」四つの条件叫 迷信を戒めた親鸞 つか 人は鬼神に仕えてはならない 自分を愛しいと知るものは、他を害せない 失敗した私の高校受験 そな 174 182 202 216
業縁 親鸞が流刑先で見た人間の苦悩 しよ、つにん 「さるべき業縁のもよほさば、 いかなるふるまひもすべし , とこそ、聖人 ( 親 鸞 ) は仰せ候ひし : ( 「歎異抄」第十三条 ) ( 「何らかの業縁が人にはたらきかけたら、だれもが、どんな行ないもやりかねない であろう」と、親鸞はいわれた ) しよう 親鸞は、先に人が千人殺すも殺さないもその人の性善悪には関係ない、ただ縁による ものだと説きました。そのことをもう一度念押しするのが、この言葉です。ここで、この 「業縁ーというものについて考えてみることにしましよう。 」っ 。こうえん えん 0 134