名言です。そして私は、僧俗を昇華した境地が「禿」の名で示される純粋他力の信心の境 地だと信じます。 ぞくひじり 非僧非俗に似た言葉に「俗聖」があります。俗聖は、俗人でありながら聖僧のような 徳行のある人をたたえる敬称で、「非僧非俗ーとは似ているようですが、まったく違いま すがた す。「非僧非俗」は外見の姿ではなく、絶対他力に任せ切った信のにじみ出た相そのもの です。 「相」は人相という熟字があるように、目に見えない内面のさまが自然に外にあらわれた すがた 相です。親鸞の目に見えない心中の阿弥陀仏の本願に任せきるさまが、おのずから親鸞の 「非僧非俗ーの人柄を創ったのです。 私は「非僧非俗」の相が、親鸞が自称する「禿」である、と重ねて信じます。もっとも 「愚禿」の呼称は、親鸞以前の文献には見えませんから、「愚禿」は、親鸞が造った言葉で あろうといわれていますが、私も同感です。 親鸞が、法然とともに僧籍を奪われ、屈辱的な罪名として「藤井ー姓を名乗らされた件 について、世間はあまり関心をはらわないようですが、当人にとっては大きな衝撃です。 親鸞らとはまったく状況を異にしますが、姓の呼称を変えられただけでも、一種の淋し こと 170
自分の名をお書きになった ) きようしんしやみ 親鸞が心の師とした教信沙弥の生き方 ひそうひぞく ここで、親鸞が用いた「非僧非俗」という言葉について、考えてみたいと思います。 はくだっ ざいめい ふじいよしざね 親鸞は僧位を剥奪されて、罪名 ( 罪人としての名 ) を、藤井善信と命名されます。これ 地は、当時の国法である律令による処分ですから、明らかに僧ではない「非僧」になりま す。しかし、非僧にはされたが、僧の姿で念仏しているから、俗人でもない。「非俗」で 超あるーーと、一般には、「非僧非俗 , をこのように解釈しているようです。 着でも私は、この考え方には従えません。なぜなら親鸞のいう「非俗」の意味を知るに きようしんしやみ は、親鸞がつねに模範とし、心から慕っていた教信沙弥の事蹟を学ぶのが何よりです。 教信は八六六年 ( 八六五年とも ) に亡くなっているので、親鸞よりも六世紀あまりも前 の大先輩です。親しく教えが聞けたわけではありませんが、親鸞は、心の師としてその行 蹟を追慕して手本にしていました。 しやみ 章教信沙弥 ( 沙弥には多様の意味がある。修行中の青少年の男僧、ここでは徳力はあっても世 こうにん に出ず、社会に隠れて黙々と仏道を行ずるをいう ) は、四九代光仁天皇の皇子と伝えられま した 163
惑で念仏を称えるのではないから、修行でない。また自分の意志で善事をするのでも ないから、善行でもない。つまり、念仏はただただ阿弥陀如来からたまわるのであっ て、自我のはたらきを越えているから、念仏を称える者にとって、念仏は修行でも善 行でもないのだ ) ひこ、つ しゅぎようあら ひぎよう 境「非行」は修行に非ず、という意味で、よくない行為の〈非行〉ではありません。念仏 妣は、わがカでする修行にあらずと否定し、昇華して、阿弥陀仏の本願による修行になるの 着「非善」も同じです。自分が善行するのだという自我を打ち消します。さらに非善と非行 が昇華されて、弥陀の本願のはたらきによる善行になるのです。 親鸞のいう「善」は、倫理道徳の「悪」に対する善ではありません。親鸞は、ただ念仏 を称えるのを、善行といっているように思えます。 私は親鸞の「非僧非俗」は、僧でもない俗でもないどっちつかずの中間的存在ではな にわふみお すがた 章く、僧と俗の相対的関係の昇華統一された相であると思います。作家の丹羽文雄さんが、 「非僧非俗」を「在家と出家の対立を超えた真実の生活を意味するーと解説されますが、 わく 169
親鸞は、源信の「非有非無」にならい、僧と俗という対立的関係を止揚するために「非 僧非俗」を呼称したのではないでしようか。 念仏は修行でも善行でもない ひぎようひぜん 彼はまた『歎異抄』第八条で、「非行非善」という表現を用いています。 ぎようじゃ ぎよ、フ ひぎようひぜん 念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非 ぎよう ぜん ひぜん 行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他 りき じりき ぎようじゃ うんぬん ひぎようひぜん 力にして自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行・非善なりと云々 ( 「歎異抄」第八条 ) きわめて短い一章ですが、否定の「非ーを、止揚の意味に用いている点に注意を要しま す。現代のロ語文に直すと、こうなるでしよう。 おも ( 念仏を称える者にとっては、念仏は修行でもないし、また善行でもない。自分の思 168
の「禿」の一字にこめた親鸞の願い き私は、唯円が『歎異抄』の巻末で記す「しかるあひだ、 ( 親鸞は ) 禿の字をもって姓と なして」とある禿の字の一字に注目します。「しかるあいだ」というのは「僧にあらず俗 ひそうひぞく にあらず」の非僧非俗 ( 5 章で詳述 ) の状態をいうのです。 し切 私は、親鸞が「禿」を姓に選んた点に、禿に寄する親鸞の深い願いを偲びます。 そして、彼の願いとは、まず第一に、非僧非俗の対立した相対観念を止揚して創造され た、新しい宗教人格「禿」に生きる総括的な願いです。 いっこうせんねん 第二に、一向専念の行者として、禿に徹する願いです。 章一般に「禿」というと、毛髪の抜けた頭や、木の生えていない山を連想します。本来あ った毛髪や草木がなくなった状態が禿です。親鸞も念仏迫害によって、むざんにも彼がそ 禿 しよう 125
いたします。 もち よ 「非」はあらずと訓み、多くの場合、否定の意味に用います。しかし、非僧・非俗という ふうに、正と反の双方をともに打ち消す場合の非は、たんなる否定ではありません。両者 アウフヘーベン をより高い立場で統一して、新しい意味と価値づけをいたします。すなわち止揚する機 らき 能が「非」です。 ひうひむ そのよい先例に「非有非無 ( 有るのでもない、無いのでもないこと ) 」という、「非僧非 おうじようようしゅう げんしん そうづ 俗 , と同じ型の熟語が源信 ( 恵心 ) 僧都 ( 九四二ー一〇一七年 ) の名著の『往生要集』 に見えます。『往生要集』は平安中期を代表する浄土教の教典で、わが国だけでなく当時 の中国にも知られた大著です。 とら 「非有非無」も有と無とを止揚して、有無のいずれにも執われないところに真理のあるこ ーベンの機能を持っている とを示します。このように「非」には、論理学の上でアウフへ のです。 ぞうけい もりまさひろ 森政弘先生 ( 一九二七年ー ) は著名なロポット工学者ですが、仏教思想にも深い造詣を お持ちです。先生に『非まじめのすすめ』 ( 講談社刊 ) という名著があります。同書の文 庫版の「あとがきーに記されている「非ーについての先生のお話を伺いましよう。 はた
きようしんしやみ ぎひょう る儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々。 うしぬすびと これによりて、「たとひ牛盗人 ( 人を罵るに用いたことば ) とはいはるとも、 ごせしゃ ぜんにん もし ( く ) は善人、もし ( く ) は後世者 ( いかにも来世を願っている者らしくふる ふるま ぶっぽうしゃ まう ) 、もし ( く ) は仏法者 ( 仏の教えを信ずる者 ) とみゆるやうに振舞ふべから ( 『浄土真宗聖典』盟ページ ) す」と仰せあり。 地 境 じよ、つ 親鸞が平素ロぐせのように言われたのが、「わたしは賀古の教信沙弥の定なり ( 如くで え 超ある ) 」であり、親鸞は自分のすべてを教信沙弥に投げこんで、教信と一体になるのです。 したた 着そして親鸞は「承元の法難」を縁として、みずから「愚禿」と認めるようになった、とい うのです。 この説は具体的で、昔から浄土真宗では、教信沙弥の徳が讃えられています。親鸞の 俗 「非僧非俗 , の理想が、教信沙弥の生き方にあることは論を待たないでしよう。 章「非」という一字が持つはたらき 私は、親鸞の教信沙弥への傾倒を信ずるとともに、「非僧非俗」の「非」の一字を重視 おお たた 165
5 章「非僧非俗」ーー執着を超えた境地 逆境を活かし、人間らしく生きる ひそうひぞく
はす 二千年前の蓮の実が、なぜ発育したのか しゆくめい ーレゅ / 、み・よ、つ 「宿命」と「宿命」の違いとは ゆいえんいさ 弟子・唯円の勇み足 ひそ、フひぞく 執着を超えた境地 5 章「非僧非俗」 逆境を活かし、人間らしく生きる つらぬ 法難の中て貫く釈尊の教え 流罪をプラスに転じさせた法然 ′、、つけい 流刑て深まった日蓮の法華経への造詣 「非」という一字が持つはたらき 6 念仏は修行ても善行てもない ねんぶつ お、つに ) よ、フ 往生へのただ一つの道 6 章「念仏」 みようごうおのれ 名号と己が、一体となる世界を目指して 173 151
ふじいよしざねうんぬんしようねん 親鸞は「承元の法難」で「親鸞は越後国、罪名、藤井善信云々、生年三十五歳なり」 と流罪に処されます。 榎本栄一さんの詩にしたがえば「南無大悲の ( 阿弥陀 ) 如来さまは、親鸞を無限にお育 てくださるのか、つぎつぎと苦をたまわるーのです。苦をたまわった親鸞は流罪が縁とな ひそうひぞく って「非僧非俗ーと「禿」という深い浄土思想が開発されるのです。唯円は、この事実を したた かくひっ 次のように認めて『歎異抄』の擱筆としています。 そうぎあらた ぞくみよ , フたま 親鸞、僧儀を改めて、俗名を賜ふ。よって僧にあらす俗にあらす、しかるあひ とく じ しよ、つ そうもん おんも , つじよ , っ だ、禿の字をもって姓となして、奏聞を経られをはんぬ。かの御申し状、いま うんぬんるざいし」 ぐとくしんらんか げきのちょ、つおさ に外記庁に納まると云々。流罪以後、愚禿親鸞と書かしめたまふなり。 ( 「歎異抄」後序 ) ( 親鸞は、僧侶の身分を改めて、一般人の名を朝廷から下された。よって親鸞は、僧 侶でもなく、かといって単なる俗人でもない、そこで、禿の字をもって自分の姓と し、この旨を朝廷に上奏して許可を得た。この上申の書類は、今も外記庁〈詔勅・上 つかさど 奏文の起草等を司る役所〉に保存されているという。流罪後は、「愚禿親鸞」と、 えちごのくにざいめい へ 162