非僧非俗 - みる会図書館


検索対象: わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵
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1. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

名言です。そして私は、僧俗を昇華した境地が「禿」の名で示される純粋他力の信心の境 地だと信じます。 ぞくひじり 非僧非俗に似た言葉に「俗聖」があります。俗聖は、俗人でありながら聖僧のような 徳行のある人をたたえる敬称で、「非僧非俗ーとは似ているようですが、まったく違いま すがた す。「非僧非俗」は外見の姿ではなく、絶対他力に任せ切った信のにじみ出た相そのもの です。 「相」は人相という熟字があるように、目に見えない内面のさまが自然に外にあらわれた すがた 相です。親鸞の目に見えない心中の阿弥陀仏の本願に任せきるさまが、おのずから親鸞の 「非僧非俗ーの人柄を創ったのです。 私は「非僧非俗」の相が、親鸞が自称する「禿」である、と重ねて信じます。もっとも 「愚禿」の呼称は、親鸞以前の文献には見えませんから、「愚禿」は、親鸞が造った言葉で あろうといわれていますが、私も同感です。 親鸞が、法然とともに僧籍を奪われ、屈辱的な罪名として「藤井ー姓を名乗らされた件 について、世間はあまり関心をはらわないようですが、当人にとっては大きな衝撃です。 親鸞らとはまったく状況を異にしますが、姓の呼称を変えられただけでも、一種の淋し こと 170

2. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

自分の名をお書きになった ) きようしんしやみ 親鸞が心の師とした教信沙弥の生き方 ひそうひぞく ここで、親鸞が用いた「非僧非俗」という言葉について、考えてみたいと思います。 はくだっ ざいめい ふじいよしざね 親鸞は僧位を剥奪されて、罪名 ( 罪人としての名 ) を、藤井善信と命名されます。これ 地は、当時の国法である律令による処分ですから、明らかに僧ではない「非僧」になりま す。しかし、非僧にはされたが、僧の姿で念仏しているから、俗人でもない。「非俗」で 超あるーーと、一般には、「非僧非俗 , をこのように解釈しているようです。 着でも私は、この考え方には従えません。なぜなら親鸞のいう「非俗」の意味を知るに きようしんしやみ は、親鸞がつねに模範とし、心から慕っていた教信沙弥の事蹟を学ぶのが何よりです。 教信は八六六年 ( 八六五年とも ) に亡くなっているので、親鸞よりも六世紀あまりも前 の大先輩です。親しく教えが聞けたわけではありませんが、親鸞は、心の師としてその行 蹟を追慕して手本にしていました。 しやみ 章教信沙弥 ( 沙弥には多様の意味がある。修行中の青少年の男僧、ここでは徳力はあっても世 こうにん に出ず、社会に隠れて黙々と仏道を行ずるをいう ) は、四九代光仁天皇の皇子と伝えられま した 163

3. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

惑で念仏を称えるのではないから、修行でない。また自分の意志で善事をするのでも ないから、善行でもない。つまり、念仏はただただ阿弥陀如来からたまわるのであっ て、自我のはたらきを越えているから、念仏を称える者にとって、念仏は修行でも善 行でもないのだ ) ひこ、つ しゅぎようあら ひぎよう 境「非行」は修行に非ず、という意味で、よくない行為の〈非行〉ではありません。念仏 妣は、わがカでする修行にあらずと否定し、昇華して、阿弥陀仏の本願による修行になるの 着「非善」も同じです。自分が善行するのだという自我を打ち消します。さらに非善と非行 が昇華されて、弥陀の本願のはたらきによる善行になるのです。 親鸞のいう「善」は、倫理道徳の「悪」に対する善ではありません。親鸞は、ただ念仏 を称えるのを、善行といっているように思えます。 私は親鸞の「非僧非俗」は、僧でもない俗でもないどっちつかずの中間的存在ではな にわふみお すがた 章く、僧と俗の相対的関係の昇華統一された相であると思います。作家の丹羽文雄さんが、 「非僧非俗」を「在家と出家の対立を超えた真実の生活を意味するーと解説されますが、 わく 169

4. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

親鸞は、源信の「非有非無」にならい、僧と俗という対立的関係を止揚するために「非 僧非俗」を呼称したのではないでしようか。 念仏は修行でも善行でもない ひぎようひぜん 彼はまた『歎異抄』第八条で、「非行非善」という表現を用いています。 ぎようじゃ ぎよ、フ ひぎようひぜん 念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非 ぎよう ぜん ひぜん 行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他 りき じりき ぎようじゃ うんぬん ひぎようひぜん 力にして自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行・非善なりと云々 ( 「歎異抄」第八条 ) きわめて短い一章ですが、否定の「非ーを、止揚の意味に用いている点に注意を要しま す。現代のロ語文に直すと、こうなるでしよう。 おも ( 念仏を称える者にとっては、念仏は修行でもないし、また善行でもない。自分の思 168

5. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

の「禿」の一字にこめた親鸞の願い き私は、唯円が『歎異抄』の巻末で記す「しかるあひだ、 ( 親鸞は ) 禿の字をもって姓と なして」とある禿の字の一字に注目します。「しかるあいだ」というのは「僧にあらず俗 ひそうひぞく にあらず」の非僧非俗 ( 5 章で詳述 ) の状態をいうのです。 し切 私は、親鸞が「禿」を姓に選んた点に、禿に寄する親鸞の深い願いを偲びます。 そして、彼の願いとは、まず第一に、非僧非俗の対立した相対観念を止揚して創造され た、新しい宗教人格「禿」に生きる総括的な願いです。 いっこうせんねん 第二に、一向専念の行者として、禿に徹する願いです。 章一般に「禿」というと、毛髪の抜けた頭や、木の生えていない山を連想します。本来あ った毛髪や草木がなくなった状態が禿です。親鸞も念仏迫害によって、むざんにも彼がそ 禿 しよう 125

6. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

いたします。 もち よ 「非」はあらずと訓み、多くの場合、否定の意味に用います。しかし、非僧・非俗という ふうに、正と反の双方をともに打ち消す場合の非は、たんなる否定ではありません。両者 アウフヘーベン をより高い立場で統一して、新しい意味と価値づけをいたします。すなわち止揚する機 らき 能が「非」です。 ひうひむ そのよい先例に「非有非無 ( 有るのでもない、無いのでもないこと ) 」という、「非僧非 おうじようようしゅう げんしん そうづ 俗 , と同じ型の熟語が源信 ( 恵心 ) 僧都 ( 九四二ー一〇一七年 ) の名著の『往生要集』 に見えます。『往生要集』は平安中期を代表する浄土教の教典で、わが国だけでなく当時 の中国にも知られた大著です。 とら 「非有非無」も有と無とを止揚して、有無のいずれにも執われないところに真理のあるこ ーベンの機能を持っている とを示します。このように「非」には、論理学の上でアウフへ のです。 ぞうけい もりまさひろ 森政弘先生 ( 一九二七年ー ) は著名なロポット工学者ですが、仏教思想にも深い造詣を お持ちです。先生に『非まじめのすすめ』 ( 講談社刊 ) という名著があります。同書の文 庫版の「あとがきーに記されている「非ーについての先生のお話を伺いましよう。 はた

7. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

きようしんしやみ ぎひょう る儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと云々。 うしぬすびと これによりて、「たとひ牛盗人 ( 人を罵るに用いたことば ) とはいはるとも、 ごせしゃ ぜんにん もし ( く ) は善人、もし ( く ) は後世者 ( いかにも来世を願っている者らしくふる ふるま ぶっぽうしゃ まう ) 、もし ( く ) は仏法者 ( 仏の教えを信ずる者 ) とみゆるやうに振舞ふべから ( 『浄土真宗聖典』盟ページ ) す」と仰せあり。 地 境 じよ、つ 親鸞が平素ロぐせのように言われたのが、「わたしは賀古の教信沙弥の定なり ( 如くで え 超ある ) 」であり、親鸞は自分のすべてを教信沙弥に投げこんで、教信と一体になるのです。 したた 着そして親鸞は「承元の法難」を縁として、みずから「愚禿」と認めるようになった、とい うのです。 この説は具体的で、昔から浄土真宗では、教信沙弥の徳が讃えられています。親鸞の 俗 「非僧非俗 , の理想が、教信沙弥の生き方にあることは論を待たないでしよう。 章「非」という一字が持つはたらき 私は、親鸞の教信沙弥への傾倒を信ずるとともに、「非僧非俗」の「非」の一字を重視 おお たた 165

8. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

5 章「非僧非俗」ーー執着を超えた境地 逆境を活かし、人間らしく生きる ひそうひぞく

9. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

はす 二千年前の蓮の実が、なぜ発育したのか しゆくめい ーレゅ / 、み・よ、つ 「宿命」と「宿命」の違いとは ゆいえんいさ 弟子・唯円の勇み足 ひそ、フひぞく 執着を超えた境地 5 章「非僧非俗」 逆境を活かし、人間らしく生きる つらぬ 法難の中て貫く釈尊の教え 流罪をプラスに転じさせた法然 ′、、つけい 流刑て深まった日蓮の法華経への造詣 「非」という一字が持つはたらき 6 念仏は修行ても善行てもない ねんぶつ お、つに ) よ、フ 往生へのただ一つの道 6 章「念仏」 みようごうおのれ 名号と己が、一体となる世界を目指して 173 151

10. わたしの歎異抄入門 : こころ豊かに生きる知恵

ふじいよしざねうんぬんしようねん 親鸞は「承元の法難」で「親鸞は越後国、罪名、藤井善信云々、生年三十五歳なり」 と流罪に処されます。 榎本栄一さんの詩にしたがえば「南無大悲の ( 阿弥陀 ) 如来さまは、親鸞を無限にお育 てくださるのか、つぎつぎと苦をたまわるーのです。苦をたまわった親鸞は流罪が縁とな ひそうひぞく って「非僧非俗ーと「禿」という深い浄土思想が開発されるのです。唯円は、この事実を したた かくひっ 次のように認めて『歎異抄』の擱筆としています。 そうぎあらた ぞくみよ , フたま 親鸞、僧儀を改めて、俗名を賜ふ。よって僧にあらす俗にあらす、しかるあひ とく じ しよ、つ そうもん おんも , つじよ , っ だ、禿の字をもって姓となして、奏聞を経られをはんぬ。かの御申し状、いま うんぬんるざいし」 ぐとくしんらんか げきのちょ、つおさ に外記庁に納まると云々。流罪以後、愚禿親鸞と書かしめたまふなり。 ( 「歎異抄」後序 ) ( 親鸞は、僧侶の身分を改めて、一般人の名を朝廷から下された。よって親鸞は、僧 侶でもなく、かといって単なる俗人でもない、そこで、禿の字をもって自分の姓と し、この旨を朝廷に上奏して許可を得た。この上申の書類は、今も外記庁〈詔勅・上 つかさど 奏文の起草等を司る役所〉に保存されているという。流罪後は、「愚禿親鸞」と、 えちごのくにざいめい へ 162