ルサノフ - みる会図書館


検索対象: ガン病棟 上巻
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1. ガン病棟 上巻

このグズーンは、ロジーチェフはまじめな男だ、もっと詳しい証拠を見せてくれなければ納得で きない、 と言って騒ぎだした。そしてあくまで自説を固執した結果、二日後の夜、この男も逮捕 され、三日目の朝にはロジーチェフもグズーンも反革命地下組織のメンバ ーとして、恙なく党か ら除名されたのたった。 今ルサノフが気に病んでいるのは、グズーンが頑張っていたその二日間に、情報の源はルサノ フであるということを -V 部の人間が心ならずもグズ , ーンに洩らしたのではないか、ということな のである。もしそうだとすれば、流刑地でロジーチェフと出逢ったとき ( 二人は同じ事件で追放 棟されたのだから、どこかで出つくわしたことは充分に考えられる ) 、グズーンはきっとロジーチ よみがえ エフに話したたろう。だからこそルサノフは、この思いもかけぬ不吉な帰遠を、この死者の蘇り を、これほどまでに恐れるのたった。 ン もちろん、ロジーチェフの妻が事情を察したかもしれないが、ただ、あの女はまだ生きている ガだろうか。ロジーテエフが逮捕されれば、当然その妻のカーチカはすぐ追放処分になるから、ル サノフ家はこの住居ぜんたいを占領し、バルコニ ] もルサノフ家が独占できると、カーパは期待 していた ( 今となってみれば、ガスも出ない十四平方メートルの一部屋がそれほどの重大事だっ たとは、まるで信しられない。 もっとも、あの頃は子供たちがまだ小さかったが ) 。この部屋の 一件はすっかり了解がっき、いよいよカーチカは追い出されることになったが、そのときカーチ 力は出しぬけに自分は妊娠していると申し立てた。証拠が必要だと言われると、すぐ診断書を持 って来た。間違いなく妊娠している ! 法的には妊婦を追放することはできないのである。そこ で追放は冬まで延期になった。それから永い永い数カ月間、カーチカは大きなおなかをして歩き

2. ガン病棟 上巻

282 ガン病棟 する者、あまりにも大胆な自己批判を好む者、七面倒くさい知識人、そういった連中は消え去り、 沈黙し、息をひそめ、代ってあくまで原則に忠実な、粘り強い人間たち、ルサノフの友人や、ル サノフ自身が、大手を振って罷り通ったのである。 ところが今はがらりと変って、何かしら曖昧な、不健康な時代になった。今では、かっての市 民としての最善の行動を恥じねばならないのか。あるいは、わが身に振りかかる危険を恐れねば ならないのか おくびよう 恐れる ! 馬鹿な。ルサノフは過去の生活を振返ってみて、自分が臆病な人間だとはどうして も思えなかった。何かをこわがったことは一度もない ! 特に勇敢な男だったわけでもないが、 おび ひどく臆病な振舞いをした記憶は全然なかった。もし戦争に行っていたとしても、実戦に怯えた だろうと考えるべき根拠は一つもなかった。ルサノフは掛替えのない有能な職員ということで前 線に引っ張られなかっただけなのだから。爆撃や戦災にあって取り乱しただろうとも考えられな 市からは空襲が始まる前に疎開したので、家を焼かれた経験はないのだったが。同様に、 裁判や法律を恐れたこともなかった。なぜなら法律を犯したことは一度もないのだし、裁判はい つもルサみフを擁護し、支持してくれたのだから。そしてまた一般民衆に摘発されることも、ル サノフはこわくなかった。民衆もまた、つねにこの男の味方だったのである。地方紙にルサノフ 攻撃の文章が載る心配は全然なかった。そんな文章はクジマ・フォチエヴィチかニール・プロコ ーフィチが事前に抑えてくれるだろう。そして全国紙がルサノフのことまで取り上げる気遣いは 全くない。そんなわけで、新聞も恐ろしくなかった。 、アし、刀し、・つ・カ・ 黒海を汽船で横切ったときも、大海は少しもこわくなかった。高い所が恐ろしくよ、

3. ガン病棟 上巻

317 手はやわらかい、女の手たった。それがほかならぬエリチャンスカヤであることは、直ちに分っ 「ルサノフさん ! 」と、男の耳元に口を寄せて、エリチャンスカヤは穏やかに尋ねた。「ルサノ フさん ! 娘はどこにいますか。どこに預けて下さったの」 「安全な場所に預けたから心配しないで下さい、エレーナ・フヨードロヴナ」と、ルサノフは答 えたが、依然として振向かなかった。 「安全な場所って ? 」 巻「施設です」 ただ 「施設って、どこの ? 」それは間い質すというよりは、むしろ悲しげな口調だった。 「それは言えないんです、申しわけないが」ルサノフは親身になって答えたいのたが、自分でも 知らないのたった。ルサノフがそうさせたわけではないが、娘は更に別の施設へ送られたかもし 上れない。 「私の名前で預けました ? 」肩ごしに聞えてくる女の質間はひどく弱々しく響いた。 「いや」とルサノフは気の毒そうに言った。「名前は変えるという決りなのでね。そういう決り たから、私にはどうしよう、もない」 うつぶ ルサノフは俯せに横たわったまま、自分がかってエリチャンスカヤとその夫をほとんど愛して いたことを思い出していた。この夫婦にたいして含むところは何もなかったのた。それなのにエ リチャンスカヤの年老いた夫を訴えたのは、常日頃この老人を煙たがっていたチュフネンコに頼 まれたというたけの理由からたった。そして夫が投獄されたあと、 ' ・ルサノフは親身になって細君

4. ガン病棟 上巻

ある。現実にはあり得ないそのイメージを振払うことはどうしてもできなかった。 ロジーチェフとルサノフは、かって同じコムソモールの細胞に属していた友人同士で、その共 同の住居も工場から二人同時に貰ったのだった。やがてロジーチェフは予備校から労働者大学へ の道を進み、ルサノフは組合の仕事から労務課へ移った。初めに仲が悪くなったのは細君同士で、 - まもなく男二人もうまくいかなくなった。ロジーチェフはしばしばルサノフを侮辱するようなこ こと・こと とを言っただけではなく、常日頃あまりにも自分勝手な振舞いが目立ち、事毎に組織と対立した のである。隣合せに住んでいることは耐えがたくなった。それやこれやで、お互いの反目がひど ノ 巻くなった挙句、 ーヴェル・ニコラーエヴィチはこんな情報を上部に伝えた。すなわち、ロジー 訳注一九三〇年に反革命サポタージ、 チ = フはルサノフとの私的な会話のなかで既に粉砕された産業党 ( のかどで逮捕され裁判にかけられた找 師・大学教授らが二五年頃から組 織していたといわれるグループ ) の活動について好意的に発言し、自分の工場で有害分子の組織化を計 画したというのである。 上ただルサノフはこの事件に自分の名前が出ないよう、そして自分が法廷に立たなくてもすむよ う、くれぐれも判事に頼んだのだった。裁判所でロジーチェフと対面することは考えたたけでも そっとした。だが判事は、法律の見地からしてもルサノフの名前を明かす必要はないし、ルサノ フが法廷で証言する必要もない 被告の自白だけで充分だろうと保証してくれた。ルサノフの 、、訳注ならす者、こよ 最初の密告書を予審調書に加える必要すらないたろう。だから刑法二百 ~ 条 ( / 無頼漠を裁く条項 き・つか って裁かれる被告が隣人の名前にぶつかる気遣いは最後まであり得なかったのである。 はず こうして何もかも順調に行く筈だったが、ここでグズーンという男がーー・工場の党委員会書記 幻が登場した。ロジーチェフは人民の敵であり、党から除名すべきであるという指令を受け取ると、 あげく

5. ガン病棟 上巻

なぐ とルサノフは考えたのだ したのだろう。何はともあれ、ロジ , : チェフは殴りに来るに違いない、 った。ロジーチェフあるいはグズーンに正式に訴えられる心配はない。法律的には、かれらはル サノフにたいしていかなる請求権ももたぬ筈である。だが、かれらの肉体がいまたに頑健である とすれば、俗な言いまわしを使うと、ルサノフに一発喰らわしたくなるかもしれない。その場合、 どうなるだろう。 ーヴェル・ニコラーエヴィチの最初の本能的な驚きは不必要なも だが冷静に考えてみれば、パ のであった。ロジーチェフが帰って来たというのはテマかもしれない。デマであってくれればい うわさ 棟 近頃の名誉回復についての一連の噂はただの駄法螺なのではあるまいか。というのは、 きざし ヴェル・ニコラーエヴィチは自分の仕事に関ナる限り、何か生活の大変動を予告するような兆を 全然感じていなかったからである。 ン それによしんばロジーチェフが本当に帰って来たとしても、市に帰って来たのであって、こ ガの町にではない。その場合、自分がまた市から追い出されないように用心することだけで精一 杯で、とてもルサノフを探すどころではないだろう。 万一探し始めたとしても、この町まで糸を手繰るのは容易なことではあるまい。市からこの 町まで来るには、八つの州を横切って、汽車で三畳夜もかかる。かりにこの町まで来たとしても、 ーヴェル・ニコラーエヴィチは この病院にではなく、ひとますルサノフの自宅へ行くだろう。 この病院にいれば絶対安全ではないか。 しゅよう こつけい 安全 ! : なんと滑檮なことだろう : : この腫瘍をかかえて安全だというのか : いっそのこと死んだほうが そう、まったく、時代が今後ますます不安定になっていくのなら、 290

6. ガン病棟 上巻

巻 277 ノフの気に入った、あのどんぐりまなこの看護婦、ゾ ] ャだった。今、ゾーヤは大きなグラフ用 紙を拡げ、患者たちのことなそ忘れたように、髪の乱れたオグロエートとふざけ合っていた。ル サノフがアスピリンを下さいと頼むと、ゾ 1 ヤは切り口上で、アス。ヒリンは昼間はいけませんと 答えた。それでも体温を測り、そのあとで何かの薬を持って来てくれた。 1 ヴェル・ニコラーエヴィチは、さきほどから 食料品はひとりでに病室中に行きわたった。パ まくらしゅよう の望み通り、枕に腫蕩を押しあてて横たわり ( ここの枕が充分にやわらかく、家から自分の枕を 持って来る必要がないのは、まことに不思議というほかない ) 、頭から毛布をかぶった。 さまざまな考えが頭の中で揺れ動き、脈打ち、炎のように燃え拡がり、肉体の他の部分は麻酔 にでもかけられたように無感覚たった。もはや病室の中の馬鹿けた会話は耳に入らず、エフレム が歩くたびにべッドが揺れても、その歩行を全然感しなかった。外では空が少しずつ晴れてきて、 日没の少し前に、建物のこちら側ではないが、どこかに日の光がさしこんだけれども、ルサノフ 上はそれにも気づかなかった。時間の経過も全く意識しなかった。薬のせいだろうか、少しうとう とし、まもなく眠りに落ちた。目が醒めたときは、もう電燈がついていたが、それからまた眠っ た。そして真夜中のくらやみと静けさの中で、ふたたび目が醒めた。 もう眠れないたろう、とルサノフは思った。善人の皮はすでに脱け落ちていた。恐怖が胸のあ たりにしがみつき、そこに痼をつくっていた。 種々雑多な考えがルサノフの頭の中に、部屋の中に、暗黒の空間いつばいに群れ集い、急速に 回転し始めた。 考えというより、それはただの恐怖感たった。ルサノフはひたすらに恐ろしかった。ロジ 1 ・チ ひろ しこり

7. ガン病棟 上巻

こうして、そのような人物の権威というものが生れる。 もう一つ、今度は音楽の比喩を用いるならば、ルサノフはその特殊な立場のために、小さな板 おもむ 切れをたくさん集めた木琴のようなものを所有していて、好き勝手に、空想の赴くままに、どの たた 板切れでも叩くことができた。どの板切れも木である一」とに変りはないのだが、叩いて出る音は それそれ違っている。 なかには、きわめて慎重に扱わねばならない板切れもあった。たとえば、ルサノフがある人物 に不満であることを、その本人に伝えたいとする。あるいは単に少しとっちめてやりたいと思う。 あいさっ 棟その場合、ルサノフは独特の挨拶の仕方を心得ていた。その相手が挨拶すると ( もちろんルサノ フよりもル兀に ) 、 ーヴェル・ニコラーエヴィチは事務的にその挨拶に答え、決して笑顔を見せ まゆ ないのである。あるいは眉をびくりと動かし ( その動かし方をわざわざ事務室の鏡の前で練習し わず ン た ) 、ほんの僅かの間をあけてーーそれはまるで、この人間に挨拶する必要があるだろうか、こ ガ いつにはそれだけの価値があるだろうかと疑っているように見える , ーーーそれからおもむろに挨拶 する ( この挨拶にも、首を完全に相手の方向へ向けるのと、半分しか向けないのと、全然向けな いのと、三つの段階がある ) 。このような僅かの間合いは絶大の効果をもたらした。冷たくあし せわ いぶ らわれた職員の頭の中では、自分がどんな悪いことをしたのだろうと訝かる気持が忙しく駆けめ ぐり始める。こういう疑惑を植えつけることには、植えつけられた本人がより慎重に振舞うよう になって、すんでのところで犯したかもしれぬ過ちが回避されるという効用もあった。もちろん、 ーヴェル・ニコラーエヴィチはそのことをあとになって知るだけなのだけれども。 もっと強力な手段としては、その人間に逢ったとき ( あるいは電話をかけてもいいし、特別に あやま えがお

8. ガン病棟 上巻

「なんたって」とエフレムは訊き返した。 「生れ故郷・ : ・ : 自分が生れた土地で生きるということさ」 「ああ、なるほど : : : しかし必ずしもそうじゃないぜ。おれは若い頃カマ川とおさらばしたけれ ども、今頃あのへんがどうなっていたって知ったこっちゃないからな。ただ川が流れているだけ だもの、どうでも、 しいようなもんじゃないか」 「いや、生れた土地にいれば」シブガートフは静かに反対した。「病気も重くならない。生れた 土地のほうが気楽に暮せる」 「分めたよ。ほかには ? 」 「なんだ ? なんだね ? 」とルサノフが元気よく口を挾んた。「どういう質問なんだ」 から エフレムは低く呻きながら左側を向いた。窓ぎわの二つのべッドは空つ。ほで、そちら側にはル サノフたけが残っていた。二つの手で骨の両端を持ち、鶏の足の肉にかしりついていた。 まるで悪魔のいたすらのように、虫の好かない同士がむかい合っていたのである。エフレムは 目を細めて尋ねた。 「こういう質問だよ、先生。人は何によって生きるか」 ーヴェル・ニコラーエヴィチは少しも迷わなかった。鶏肉を放しもせすに言った。 「それはもう、答えは決 0 ている。よく覚えておきなさい。人は思想性と社会的利益によって生 きるのだ」 そして一番うまい関節の軟骨にかぶりついた。あとは足先の皮と、垂れ下がった筋しか残って いなか・つた。ルサノフは床頭台に拡げた紙の上に骨を置いた。 上 159 びろ

9. ガン病棟 上巻

今は煙草を吸いに出るほうが差し迫った間題ではないか。そこでルサノフに渡そうと新聞を畳み かけたが , ーーふと何かの記事が目にとま「たらしく、喰い入るように読み始めた。読みながら、 緊張した声で、一つの言葉を舌の上でころがすように何度も何度も繰返した。 「こりや傑作だ : : : けえっ・さ・く・だ : : : 」 べートーヴェンの運命のテーマの四つの音符が、コストグロートフの頭上で鳴り響いた。だ。、 病室の中のだれにもそれは聞えないのたった。たとえ新聞を読ませたところで、必ず、その音が 聞えるとは限らぬ。コストグロートフはその一つの言葉を繰返す以外に何ができたたろう。 揀「なんだね、一体」ルサノフはす 0 かり興奮していた。「早く新聞をよこしなさい ! 」 コストグロートフは、たれにも何も説明しようとはしなかった。ルサノフにも返事をせず、新 聞を元通り四つに畳んだ。たが六頁の新聞は折り目が前の通りには重ならず、少し嵩がふえた。 ン コストグロートフはルサノフに一歩たけ近寄り ( ルサノフも相手に一歩近づいた ) 、新聞を手渡 ガ した。そして病室から出て行かずに、煙草入れの袋を開き、震える指先で刻み煙草を巻き始めた。 ーヴ = ル・ニコラーエヴィチも震える手で新聞を拡けた。コストグロートフの「傑作だ」と いう言葉は、まるでナイフのようにルサノフの胸に突き刺さったのたった。オグロエートにと「 て「傑作」とは一体何なのだろう。 じんそく 要領よく、迅速に、ルサノフは一つ一つの見出しを目で追 0 た。と、突然 : : : なんた「て ? なんだって ? ・ さほど大きくない活字が、事情を知らぬ者には大した意味をもたぬ文字が、紙面から叫んでい た ! 叫んでいたー ほんし」、つかー 一一「ロしられないー 最高裁、全員更迭 ! 最高裁が ! 31C

10. ガン病棟 上巻

323 体を起し、ガンガルトが傾けてくれるコップの中身を最後の一滴まで飲んた。 「今日は辛かったです」とルサノフは訴えた。 、え、それほどでもないでしよう」ガンガルトは同意しなかった。「今日は注射液の量をふ やしただけです」 新たな疑惑がルサノフの胸を刺した。 「毎回、量をふやすわけですか」 しいえ、あとは今日の量を繰返します。馴れれば楽になりますよ」 巻「しかし最高裁は・ ・ : : ? 」とルサノフは言いかけて、首を竦めた。 うつつ もう何が幻で何が現なのか、ごっちゃになっているのたった。 トリカプトの根 ルサノフがエムビチンの許容量にどう反応するかが心配で、 ' カンガルトは一日のうちに何度も 様子を見に行き、仕事が終ってからも少しのあいだ付き添っていたのだった。オリンピアーダ・ ヴラジスラーヴォヴナが当直たったら、こんなにしげしげと行かなくてもすんだのたが、オリン ビアーダはやはり組合計理士のゼミナールに引っ張られてしまい、その代りに今日の畳間はトウ のんきもの ルグンが当直をしていた。トウルグンは暢気者たから、あてにならない。 注射にたいするルサノフの反応は辛そうたったが、とても耐えられぬというほどでもなさそう 上 すく