ョンの方を向いて。「ご異存はないでしようね ? 」 「ありませんとも。」 わたしたちは、二人の医師だけを残して廊下に出たが、うしろで鍵のかかる音を、わたしは聞 わたしたちは、そっと階段をおりて行った。わたしは、激しく興奮していた。少しは推理の才 能を持っていたので、バウエルスタイン博士の様子に、わたしの心には、さまざまな激しい推測 が生まれていたのだ。カヴェンディッシュ夫人が、わたしの腕に手をおいた。 事「どうしたんでしよう ? なぜパウエルスタイン博士は、あんなーーー変な顔をなすったんでしょ のう ? ・」 ズわたしは、かの女に目をやった。 イ「わたしがどう思っている・かおわかりですか ? 」 ス 「どうって ? 」 「ちょっと耳を。」わたしはまわりを見まわした。ほかの人たちは、話の聞こえないところにい わたしは、声をひそめてささやいた。「老夫人は、毒殺されたのたと思います ! バウエル スタイン博士は、それを疑っているにちがいありません。」 「何ですって ? 」かの女は、よろよろと壁によりかかった。瞳孔が、激しくひろがった。つづい いいえ、いいえーーーそんなことはあ て、わたしをぎよっとさせるほどの声で、突然、叫んだ。「 りませんーーそんなことは ! 」そして、わたしからとびはなれて、階段を飛ぶように上がって行
っていたのに気がっきました。」 「ああ、それで片がっきますね。」そして、ボアロは、しょんぼりした頻つきになった。 わたしは、一度だけ、かれの『ちょっとした思いっき』の一つが無駄になったのを、喜ばずに はいられなかった。 昼食がすむと、ボアロは、し 、つしょに家までつき合ってくれと、わたしに頼んだ。わたしは、 ちょっといやいや承知した。 「ご迷惑じゃなかったんでしようか ? 」大庭園をぬけて歩きながら、かれは、気にしてたすねた 件 事 「いいえ、ちっとも。」わたしは、冷やかにいった。 怪 荘「それなら結構ですが。それで、胸の荷が軽くなりましたよ。」 ズ これは、わたしの狙いとは、すっかり違っていた。わたしは、かれがわたしの態度の不自然さ イ タ に気がつけよ、 。しいと思っていたのだ。しかし、熱のこもったかれの言葉が、わたしの今しがたま ての心の不快さを、次第に柔らげて行くのだった。わたしの気持も打ち解けた。 「あなたのことづけを、ローレンスにいいましたよ。」と、わたしはいった。 「そして、何とかれはいいました ? かれは、すっかり途方に暮れたでしよう ? 」 「ええ。確かにあなたのいうことが、まるきりわからなかったようてすよ。」 ボアロががっかりするだろうと、わたしは予期していた。ところが、驚いたことには、って いた通りでまことにうれしいと、かれはこたえたのだ。わたしの自尊心が、説明を求めるのを許 さなかった。
「ああ、勇敢なドーカスー 二人で、その簟笥を調べましよう、そういってもーーいや、構わな とにかく、調べて見ましよう。」 わたしたちは、一つの窓から建物の中へはいった。ホールには誰もいなかった。それで、わた したちは、まっすぐ屋根裏へ上がって行った。 確かに、簟笥があった。立派な古風な品で、すっかり真鍮の鋲て飾りがしてあって、ありとあ らゆるタイプの豪華な衣裳が、あふれるほどにつまっていた。 ボアロは、遠慮なく、中のものをすっかり、床の上にさっさと引っ張り出した。色合いの変っ 件 怪た緑色の織物が一つか二つあった。しかし、ボアロは、そのどれにも首を振った。かれは、まる 荘で大した結果も予期していないかのように、どうやらこの搜査に冷淡なようだった。と、突然、か ズ れは、叫び声を上げた。 〕「何です ? 」 「ほら ! 」 簟笥は、ほとんど空になりかけていたが、その底に眠ってでもいるように、すばらしいまっ黒 なひげがはいっていた。 「おおう ! 」と、ボアロはいった。「おおう ! 」かれは、手の中で引っくり返し引っくり返して、 仔細に調べた。「新しい」と、かれはいった。「そうだ、まったく新品だ。」 ほんの一瞬、躊躇してから、かれは、それを簟笥へもどして、前のように、その上にいろんな 190
休みに上がっていらっしゃいました。」 「すると、七時十五分から八時までの門 日、ココアは、左棟のテープルの上においてあったんです 「はい、旦那さま。」アニイの顔が、だんだん赤くなってきていた。そして、だしぬけにわめくよ うに叫んだ。 「そして、その中にお塩がはいっていたって、旦那さま、わたくしのせいじやございません。わ 牛たくしは、決して、その近くにお塩なんか持って行きはしなかったんです。」 「その中に塩がはいっていたなんて、どうしてそんなことを、あんたは思うんだね ? 」と、ボア の 口がたずねた レ「お盆の上に見たんです、旦那さま。」 「お盆の上に、塩があるのを見たんだね ? 」 「はい。あらい、料理用のお塩のようでした。お盆を持って上がった時には、ちっとも気がっか なかったんですけど、奥さまのお部屋へお持ちしようと思って来て見ますと、すぐに眼にはいっ たんです。それで、もう一度、下へ持っておりて、料理人に新しいのをつくるように頼もうと思 ったんですけど、急いでおりましたもんで、というのは、ドーカスが留守でございましたもので すし、それに、まあココアは何でもないんて、ただお塩が、お盆の上にこほれたんだろうと思っ たんです。それて、エプロンではらって、中へ持って行ったんです。」 興奮を押さえるのに、わたしは、ひどく困った。自分では知らずに、アニイは、重大な証拠の
ある急激な感情の反動が、わたしを襲った。何という完全な偽善者だろう、この男は ! 「急いで、行かなくちゃいけませんから。」と、いいながら、どこへ行くのか聞かれないのをあり がたいと思った。 ストウェイズ・コティジのドアをたたいていた。 二、三分して、わたしは、リー 返事がないので、わたしは、いらいらしながらたたきつづけた。すると、頭の上の窓が用心深 く開いて、当人のボアロが顏を出した。 かれはわたしを見て、おどろきの声をあげた。わたしは、惨劇が起こったことを説明して、助 事力をしてほしいのだと話して聞かせた。 「ちょっと待っていてください、あなた、中へ通ってください。そして、わたしが着かえる中に、 ズもう一度、事件をわたしに詳しく話してください。」 すぐに、かれは、ドアの閂をはずしてくれたので、わたしは、かれの後について二階へあがっ ス た。部屋へはいると、かれは、わたしに椅子をすすめた。そして、かれが念入りに、悠々と身ご しらえをしている間に、わたしは、一切をかくさす、どんなにつまらないことでも落とさないよ うに、事件を繰り返して話した。 わたしが起こされたことから、イングルソープ夫人の断末魔の言葉、かの女の夫の不在だった こと、一昨日のいい争いのこと、わたしが小耳にはさんだ、メアリーと姑の間の会話の断片、イ ングルソープ夫人とイヴリン・ハワードとの、その以前のいい争いのこと、イヴリンのあてこす りの言葉などを、わたしは、かれに話して聞かせた。
のが、その評決そのものに責任を取りたがらないということです。それに、イングルソ , ープ氏は、 事実上、この地方の大地主としての地位のある人ですからね。それにまた」と、かれは、静かに つけ加えた。「わたしが、そんなことは許しません ! 」 「あなたが、 許さないというんですね ? 」 「許しません。」 わたしは、こもごも困惑と興味を味わいながら、この風変りな小男を見つめた。かれは、すさ ましいほど自信たつぶりだった。わたしの胸の中を読んだかのように、かれは、おもむろに、う 件 事なずいた。 の「ああ、そうですとも、あなた、ロでいったことは、きっと、わたしは実行します。」かれは立ち 以上がって、わたしの肩に手をおいた。かれの顔の相は、すっかり変っていた。眼には、涙が浮か イんでいた。「ねえ、あなた、わたしは絶えず、亡くなった、あのお気の毒なイングルソープ夫人の スことを思っているんです。夫人は、特に人に愛されたという人ではありませんでしたーーーそうて はなかったのです。しかし、わたしたちベルギー人には、非常にご親切てしたー、ーわたしは、あ の方に借りがあるのです。」 わたしは、ロを出そうとしたが、。、 ホアロはさっとつづけた。 「これだけはいわしてください、ヘイスティングズ。もし、今わたしが、あの方の夫の、アルフ レッド・イングルソープを逮捕させるようなことをすれば、あの方は、決して、わたしを許して 川はくださらないてしよう わたしの一言が、かれを救えるという時に ! 」
いてはさ。」 われわれの一人か ? そうだ。きっと、そう そうだ、まったく、誰にも夢魔だったのだー ちがいない、たた 一つの新しい考えが、わたしの心に浮かび出た。あわただしく、わたしは、それを考えて見た。 みんな、びったり合うじゃないか。 ホアロの奇怪な行動、かれのヒント 光明が増して米た。。、 この可能性を前に考えなか 0 たというのは、わたしは、何という馬鹿だろう。何と、わたしたち みんなが安心していたのだろう。 事「いや、ジョン」と、わたしはい 0 た。「われわれの中の一人じゃないよ。そんなはすがないよ。」 「わかっているよ、だが、しかし、ほかに誰があるんた ? 」 ズ 「想像がつぎませんか ? 」 「つかないね。」 スわたしは、用心深くまわりを見まわして、声をひそめた。 「パウエルスタイン博士ですよ ! 」と、わたしはささやいた。 「とんでもない ! 」 「ちっとも。」 「でも、いったい、かれがどんな得をするんだい、ぼくの母が死んで ? 」 「それは、わたしにもわかりませんよ」と、わたしは打ち明けてい 0 た。「しかし、ボアロもそう 田 5 っているということは、わたしもいえますよ。」
「奥さんに気をつけてあげてくださいね、ヘイスティングズさん。かわいそうな、わたしのエミ だれもかれもみんな。わたし、何をしゃべってい あいつらは、みんな人食い鮫ですわ るか、自分のいっていることはわかっています。あの連中と来たら、だれもかれもお金につまっ ていて、かの女からお金をせしめようとしていない者は、一人もいないんです。わたし、出米る だけのことはして、かの女を守って来ました。これで、わたしがいなくなれば、みんな、つけこ むにきまっていますわ。」 ワード。 」わたしはいっこ。 「おっしやるまでもありません、ミス・ 事どんなことでもします。しかし、あなたは興奮して、思いすごしていらっしやるんだと、わたし のは思いますが。」 ズ かの女は、ゆっくりと人差し指を動かして、わたしをさえぎった。 わたしは、あなたよりずっと長いこと、この世に住ん イ「お若い方、わたしを信じてちょうたい。 スで来たんですよ。わたしがあなたにお頼みすることは、よく注意していてくださいということて すのよ。いまに、わたしのいうことが、きっとおわかりになりますわ。」 開けはなしの窓から、自動車の響きが聞こえて来たので、ミス・ハワードは立ち上がって、ド アの方へ歩いて行った。ジョンの声が外で聞こえた。手をドアの把手にかけて、肩ごしに振り返 って、かの女は、わたしに会釈をした。 びと 「何よりも、ヘイスティングズさん、見張ってくださいね、あの悪匱をーーーあの女の夫を ! 」 ワードは、抗議とお別れとの それ以上、何をいう時間も、何をする時間もなかった。ミス・ハ 25 「わたしに出米ることなら、
か狂暴な感情が、かれを支配しているような気がした。かれは、通りがかりに、わたしの窓を見上 げたが、わたしには、すぐに誰だかわかった。もっとも、最後に会ってからすぎ去った十五年の 間に、ひどく変ってはいた。それこそ、ジョンの弟の、ローレンス・カヴェンディッシュだ。それ にしても、あんな妙な表情を顔に浮かべているのはどうしてだろうと、わたしはいぶかった。 が、やがて、わたしは、かれのことなど忘れて、わたし自身の物思いにもどった。 カヴみ その夜は、十分楽しくすごした。そしてその夜、わたしは、謎のような女、メアリー・ ンディッシュの夢を見た。 子翌朝は、晴れて輝かしく明けた。そして、わたしは、この訪問が楽しいことになるだろうと胸 の をふくらませていた。 ズ 畳食の時間まで、カヴェンディッシュ夫人の姿を見かけなかったが、その時になって、かの女 は、わたしを散歩に誘い出し、わたしたちは森の中を歩きまわって楽しい午後をすごし、五時ご ス ろ邸に戻った。 わたしたちが大きなホールへはいって行くと、ジョンが、わたしたち二人を喫煙室へ招き入れ た。その顔つきで、何か厄介なことが起きたなと、すぐにわかった。かれにつづいて喫煙室には いると、かれはすぐ後のドアをしめた。 「ねえ、メアリー、 厄介なことになったよ。エヴィが、アルフレッド・イングルソープといい合 いをして、出て行くというんだ。」 「エヴィが ? 出て行くんですって ? 」
わたしは、汽を横に振った。 「と「さに、かれは、縦に細長く手紙を裂いて、こよりによ 0 て、マントルビースの上の花瓶の 中の、ほかの、こよりのまん中へ、急いて押しこんだんてす。」 わたしは、感嘆の叫び声をあげた。 「そこを探そうと思う人間は、誰もいないにきま 0 ています。」ボア 0 はつづけた。「そして、都 合のいい時に、もど 0 て来て、かれに不利益をもたらす、このた 0 た一つの証拠物を破毀してし まうことが出来るのです。」 事「それじゃ、その間ず 0 と、わたしたちのこの鼻の先の、イングルソープ夫人のこより壺の中に のあったんですね ? 」わたしは、叫ぶようにいった。 ズ ボアロは、うなずいた。 「そうですよ、あなた。そこで、わたしは、わたしの『最後の環を』見つけたのですよ。しかも、 スその幸運の発見は、あなたのお陰なんですよ。」 「わたしの ? 」 「そうですよ、あなた。わたしがマントルビースの上の装飾品をなおしている時に、手がふるえ ていたとおっしやったのをおぼえていませんか ? 」 「ええ、ですけど、わたしにはーーこ っしょにあそこ え、でも、わたしにはわかったんです。おわかりでしよう、あなた。ごし 繝にいた時、マントル。ヒ 1 スの上の物を、みんなきちんと直した、あの朝早くのことを思い出した