「まあ ! 」と、ミス・ハワードは叫ぶようにいった。「あの男は悪党だって、わたしがいつもあな たにいわなかったとおっしやるんですか ? あの男が、べッドの中て、あの女を殺しますよって、 わたしがあなたにいつもいいませんでしたか ? わたしがいつも、あの男を毒のように憎んでい なかったっておっしやるんですか ? 」 「その通りです」と、ボアロはいった。「それこそ、わたしのささやかな考えを、すっかり証明し てくれますよ。」 . 件「ささやかな考えって、何ですの ? 」 「ミス・ハワード。 あなたは、わたしの友だちがここへ着いた日の会話をおぼえておいででしょ の かれがわたしに繰り返していってくれましたが、その中で、わたしに強い印象を与えた、 あなたの言葉があるんです。あなたは、もし犯罪が行われて、誰でもあなたの愛する人が殺され タたら、誰が犯人か、たとい、 はっきり証明することは出来なくても、直感でわかるとおっしやっ / たのをおぼえていらっしゃいますか ? 」 「ええ、そういったのをおぼえています。その通り、信じてもいます。あなたは、そんなこと愚 にもっかない考えだと思っていらっしやるんてしよう ? 」 「とんでもない。」 「それだのに、あなたは、アルフレッド・イングルソープに対するわたしの直感には、何の注意 もおはらいにならないんですね ? 」 「そうです」と、ボアロは、そっけなくいった。「というのは、あなたの直感は、イングルソ】ブ ひと
奥さまはつづけておっしゃいました。『あなたが何といったって、どうもなりやしません。わた しには、どうす・れば 、、 : はつぎりわかっています。わたしの決心はきまっています。世間の 評判をおそれたり、夫と妻の間の醜聞が、わたしを思いとまらせるだろうなんて、あなたは考え る必要なんかありませんよ。』そのとき、お二人が出ていらっしやるのが聞こえたと思いましたの で、わたくしは、急いで、その場をはなれてしまいました。」 「あなたが聞いたのは、イングルソープ氏の声にちがいありませんね ? 」 「はい、旦那さま、ほかにどなたのはずがございましよう ? 」 事「それで、その次にはどうなりました ? 」 6 「後で、ホ 1 ルに戻 0 てまいりましたが、すっかり静かでございました。五時に、奥さまはベル を鳴らして、わたくしにお茶を一杯ーー食べ物はいらないからーーーお居間へ持って米るようにと とてもまっ青で、興奮しておいででし イおっしゃいました。奥さまはおそろしいお顔つきで ス た。『ドーカス。ひどいショックを受けたわ。』と、おっしゃいますので、『いけませんでございま したね、奥さま。おいしい、熱いお茶を一杯おあがりになれば、ずっとお気分がよくおなりなさ いますよ、奥さま。』と、わたくし、申し上げたのでございます。奥さまは、何か手にお持ちでご ざいました。手紙だったのか、ただの紙きれだったのか存じませんが、それに書いてございまし て、まるで書いてあることが信じられないとでもいうように、見つめつづけておいででございま した。わたくしのいるのもお忘れになったように、ひそひそと独り言をおっしやるんでございま すよ。『この二言三言でーー何もかもが変ってしまった。』それから、わたくしにおっしやるんで
1 ル・ボアロをね ! 意味深長な事実が、二つあるんですよ。」 「それで、どんなことですか ? 」 「第一は、昨日の天候の状態です。これがとても重要なんです。」 「しかし、昨日は、すてきな日でしたよ ! 」と、わたしはロを入れた。「ボアロ、ぼくをからかっ てるんですね ! 」 「とんでもない。寒暖計は、日陰でも八十度を示しました。それを忘れちゃいけませんよ、あな 件た。これが、すべての謎を解く鍵です ! 」 怪「そして、二番目の論点は ? 」と、わたしはたずねた 荘「重要な事実は、イングルソープ氏が非常に変った服を着ているということ、まっ黒なあごひげ レをはやして、眼鏡をかけているということですよ。」 イ 「ボアロ、どうも、あなたが真面目だとは思えませんね。」 ス 「わたしは、絶対に真面目ですよ、あなた。」 「でも、そんなこと、子供じみてますよ ! 」 「とんでもなし丿 、、ド常に重大ですよ。」 「それで、検屍陪審員が、故意の殺人だと、アルフレッド・イングルソープに不利な評決を出し たとするんです。そうしたら、あなたの説はどうなります ? 」 「十二人の愚か者が間違いを犯すようなことをしたからとい 0 て、わたしの説はびくともしませ ん ! しかし、そんなことにはならないでしよう。 一つの理由としては、地方の陪審 というも 130
「そうです。まず第一に、イングルソープ夫人の死によって、ほかに誰か利益を受けるものがあ るとしても、一番多く利益を受けるのは、夫人の夫でしよう。それ以外に、出発点はなかったん です。あの最初の日、あなたとごいっしょにスタイルズ荘へ行った時、どういうふうにして犯行 が行われたかということについては、わたしは、白紙だったんです。しかし、イングルソープ氏 について知り得たところから、かれと犯行とを結びつける何かを見つけ出すのは、とてもむずか しいことだと思っていたのです。邸に着いて見て、即座に、遺言状を焼いたのはイングルソープ 夫人だと、わたしは感じたのです。そのことは、話中ですけど、不服はいえないんですよ、あな 事こは。だって、真夏に寝室に火をたいた意味を、極力、あなたにわからせようとしたじゃありま のせんか。」 ズ 「そう、そう。」わたしは、じりじりしていった。「それからーー」 「ところが、あなた、正直にいうと、イングルソープ氏が犯人だというわたしの見込みは、非常 ス に動揺したのです。事実、かれに不利な証拠が非常に沢山あったものですから、かれがやったの ではないと信じそうになったくらいです。」 「いつ、気が変ったんです ? 」 . 「わたしが、かれの嫌疑を晴らそうと骨を折れば折るほど、かれが逮捕されようと自分から骨を 折っているのに気がついた時です。それから、レイクスの細君とは、イングルソープは関係がな いので、実際は、そんな方面に気があったのはジョン・カヴェンディッシュだということがわか った時、わたしは、確信を得たのです。」 298
たちが部屋へはいってからはじめて、ボアロが口をさしはさんだ。 「わたくしがですか ? 」 「そうです。わたしたちは、昨夜、イングルソ 1 プ夫人が、あなたに手紙を書かれたと聞きまし た。今朝、それをお受け取りになったはずですが。」 「受け取りました。が、別に何も書いてはありませんでした。ただ、今朝、訪ねてくれるように、・ 重大事について、わたしの助言がほしいからという、短いお手紙でした。」 件「その重大事がどんなことかは匂わしてはなか 0 たんですね ? 」 「あいにく、ありませんでした。」 荘「そりや残念だな。」と、ジョンがいった ズ 「大変残念です。」と、沈痛に、ボアロも相づちを打った。 イ ホアロは、しばらく考えにふけっていた。 やがて、かれはまた、・ 誰も、ものをいわなかった。。、 ス 弁護士の方を向いた。 「ウエルズさん、一つお聞きしたいことがあるんです。ーーこれは、もしかすると、職業上のエチ ケットに反することかもしれませんが。イングルソ 1 プ夫人の死によって、どなたが、かの女の 財産を相続されるのですか ? 」 弁護士は、一瞬ためらっていたが、やがて、こたえた。 「それにつきましては、もうすぐ公表されることですから、カヴェンディッシュさんさえご異議 がなければーーー」
氏を指しているのではないからです。」 「何ですって ? 」 「をうです。あなたは、かれが罪を犯したと信じたがっていらっしやるんです。それをやっての けられる男だと信していらっしやるんです。ところが、あなたの直感は、かれが、それをやらな かったと、あなたにささやくのです。それ以上のことを、まだ、あなたにささやくのですーーーっ つけましようか ? 」 かの女は、呆然となって、かれを見つめていた。そしてかすかにそうだというように、手を動 事かした。 の 「どうしてそんなに、あなたがイングルソープ氏に対して悪感情を抱いておいでになったのか、 ズ いって見ましようか ? それはね、あなたが信じたいと思っていることを、信じようと努めてい イたからなんです。それはね、あなたが自分の直感を、押さえつけもみ消そうとしておいでになっ ス たからなんです。あなたに別の名前をささやく直感をーーー」 「いいえ、ちがいます、ちがいます ! 」ミス・ハワードは、両手をふり上げて、荒々しく叫ぶよ 嘘です ! にいった。「そんなこと、いわないでちょうだい ! ああ、いわないでちょうだいー 本当なもんですか。どうしてそんな気ちがいじみたーーーそんなおそろしいーーー考えが浮かんだの か、わたしは知りません ! 」 「わたしのいう通りですね ? 」と、ボアロがたずねた 「ええ、ええ。そんなことを考えるなんて、きっと、あなたは魔法使いのような方ね。でも、そ 197
第十三章 ボアロ、説明す 「ボアロ、人が悪いですねえ、あなたは」と、わたしはいった。「首を絞めてやりたいくらいです よ ! どうして、あんなふうに、わたしをだましていたんです ? 」 わたしたちは、図書室て向かい合って腰をおろしていた。熱狂的な数日は過ぎ去った。階下の 部屋では、ジョンとメアリーが、また楽しい生活に帰っていた。アルフレッド・イングルソープ 事 とミス・ハワードは、収監されていた。そして今、やっとのことで、わたしは、ボアロを独占し 怪 の て、また燃えているわたしの好奇心を満足させることが出米ることになったのた。 ズ ボアロは、ちょっと、わたしの言葉にもこたえなかったが、ようやく口を開いた。 「あなたを、だましたりなどしませんでしたよ、あなた。せいぜい、あなたの誤解をそのままに スほっといただけですよ。」 「ええ。でも、どうしてです ? 」 「さあ、そいつは説明しにくいですね。つまりね、あなた、あなたという人は、とても正直な性 質をお持ちで、すぐに顔に出しておしまいになるーーーっまり、肚にあることをかくすなどという ことが出来ないんですよ ! もしも、わたしが考えていることをお話したら、その次、あなたが アルフレッド・イングルソープ氏に会えば、あの抜け目のない紳士はーーーあなた方の意味深長な 『くさいな ! 』と感づくでしようからね。それじゃ、かれをつかまえるチャン 言葉でいえば 296
スにさよならというわけですよ ! 」 「あなたの考えているよりは、もうちょっとかけ引きの腕を持っているつもりですがねえ。」 「あなた」と、ボアロはたのむようにいった。「お願いだから、おこらないでくださいよー とに何とお礼をいっていいかわからないほど、助けていただいてありがとうございました。ただ わたしがちょっと気を配ったのは、あなたの極端に善良な性質だけなんですよ。」 「そうですか」と、わたしは、いささか機嫌をなおして、いった。「でも、ヒントぐらいは与え ) くだすってもよかったのにと思いますね。」 事「でも、あげたじゃありませんか、あなた、いくつも。あなたが受け取らなかったんですよ。 怪 のえ、ジョン・カヴェンディッシュが有罪だと思うといいましたか ? それどころか、カオ。 ズ罪になることはほぼ確かだといいませんでしたか ? 」 イ「ええ、でもーー」 ス「それから、その後てすぐに、犯人を法律にてらして罰するのはむずかしいといいませんでし、 か ? 二人のまるきり違った人間のことをいっていたのだということが、あなたにはわかりま んでしたか ? 」 「ええ」と、わたしはいった。「わかりませんでしたな、わたしには ! 」 「それからまた」と、ボアロはつづけた。「はじめに、いまはイングルソープ氏を逮捕したくな、 と、何度も繰り返していいませんでしたか ? あれで、何かあなたに伝えたはずですがね。」 ま ,
なたの手がふるえるのを見たのは。」 「ひどく腹を立てている時だったんでしようね、ぎっと。」と、びどく隠かに、。ホアロはいった。 「そうですよ、まったく ! あなたは、ひどくかっとなっていたんですね、おぼえていません イングルソープ夫人の寝室の小箱の鍵がこじ開けられているのを発見なすった時のことですよ。 あなたは、マントルビースの傍に立って、いつものように、その辺の物をいじっておいてでした が、あなたの手が、葉っぱのようにふるぶるふるえていましたよ ! きっと、あれはーーー」 しかし、わたしは、急に口をつぐんだ。というのは、ボアロが、しわがれた、わけのわからな 件 事い叫び声をあげて、またトランプの家をぶつつぶしたと思うと、ひどく苦悶に襲われたかのよう のに、両手を眼にあてて、前後に体をゆすぶり出したからだ。 ズ「ねえ、ボアロ ! 」と、わたしは、叫ぶようにいった。「どうしたんです ? どっか悪いんです イ タ ス いいえ」と、かれは、息を切らして、「そのーーそのーーー思いついたことがあるんて 「ああ ! 」わたしは、ひどくほっとして、大声ていった。「あなたの『ちょっとした思いっき』で すか ? 」 「ああ、とんでもない ! 」と、率直にかれはこたえた。「こん度は、すばらしい思いっきですよー 途方もない思いっきですよ ! そして、あなたがーーーあなたがです、せ、わが友、あなたが、わた しに教えてくれたんですぜ ! 」 277
ほっと、深い安堵の息をはいた。 「あなたは、火曜日の午後、あなたの夫人と議論をしましたね ? 」 「失礼ながら」と、アルフレッド・イングルソープはさえぎった。「あなたは、間違ったことを聞 かされていら 0 しやるようですね。わたしは、愛する妻と口論などしませんでした。一切の話は、 絶対に嘘です。その日の午後はずっと、わたしは、家にはいなかったのです。」 「誰か、それを証言出来る人がありますか ? 」 「わたしの言葉があるじゃありませんか ? 」傲然と、イングルソープはこたえた。 事検屍官は、こたえようともしなかった。 の「あなたが、イングルソープ夫人と争 0 ていたのを聞いたと、誓っていう証人が二人、いるのて 以すそ。」 イ「その証人たちは間違っているんてす。」 スわたしは当惑した。この男は、わたしが迷うくらいの、びくともしない確信を持ってしゃべっ ているのだった。わたしは、ボアロを見た。かれの顔には、わたしには理解出米ない狂喜の表情 が浮かんでいた。とうとう、かれは、アルフレッド・イングルソープを有罪と確信したのだろう 「イングルソープさん。」と、検屍官はいった。「あなたは、あなたの妻の臨終の言葉が、ここで繰 り返されたのをお聞きになったでしようね。それについて、なんとか説明出米ますか ? 」 「もちろん、出来ます。」 151