手 - みる会図書館


検索対象: ツナグ
330件見つかりました。

1. ツナグ

なった私を、アユミくんが気づいて手を伸ばし、支えようとする。嵐さん、とまたロ が動いた。 目の縁が痛くなるほど、自分が瞳を見開いていることが、他人のことのような気が とっさ した。咄嗟に引き返し、エレベーターの方へ駆け出そうとした私を、アユミくんの手 が止める。 離して、と私は彼の手を払った。 得離して。御園にもう一度、会わせて。 「嵐さん ! 」 の アユミくんの声がすぐ耳元で放たれて、身体がさっきとは別の針で突かれたように 友 親しゃんとなる。そうなってもまだ、私はアユミくんの手から逃れようともがいた。細 はば く見えた手は、意外なほど強いカで私を阻んでいた。 「行かせて。御園のところに、もう一度。少しでいいから」 ダメなんだ、と困惑した声が言う。涙を何度も拭った頬が引き攣ったように痛い。 お願い、お願い、と私は叫ぶ。 じゃあ、あなたが行って。御園と一緒にいてあげて。 「まだ御園がここにいるなら、渋谷くん、あの子が消えるまで、一緒にいてあげて。 279

2. ツナグ

「横になるより、座ってたい、です」 呂律の回らない声だった。 出血がさらに激しくなるのではないかと心配だったが、どうやらそうしないと痛み に耐えられないようだった。額を覆ったタオルの下から、彼女の顔を血が何本もの線 になって流れる。少女は懸命に歯を食いしばっていた。私は慌てて、自分のハンカチ を取り出し、彼女の口元を拭った。 のぞ 得丈の短いスカートから覗いた足が、踏みしめたことで自然と横に開いていく。目の おおまた やり場に困ったが、完全に大股に広げた足は色つぼさとは無縁で、むしろ、若い女の の 人子が人前でこんな格好をせねばならないほどなのだと思うと、ただ痛々しくて見てい ち 待られなかった。 「大丈夫ですよ、もうすぐ救急車が来ます」 うなず 声をかけると、彼女が無言で頷いた。 拳を握っていた手が、タオルを押さえた私の手の上に触れた。夢中でそうした、と いう感じだった。手は、ひどく汗ばんでいた。 救急車が到着し、隊員が彼女に駆け寄る。離そうとした私の手を、彼女の手がぐっ と引いた。 ろれつ

3. ツナグ

のど 駆け寄った私の体に手をかけた老婆は、喉と胸の間あたりをもう片方の手で押さえ ていた。しやっくりをするように、大きな息を呑み込んでいた。 「ああ : ごめんなさいね」 「大丈夫ですか ? 」 肌寒い中庭には、他に誰の姿もなかった。 私は、老婆の肩に置いた自分の手が、眼鏡を持 0 ていないことに気づいた。懾てて グ振り返ると、べンチの前の地面にフレームが開いたまま逆さに落ちていた。老婆をベ ンチまで連れていき、座らせた後で拾い上げると、レンズの表面に砂がついていた。 「悪いね、お兄さん」 謝る声がまたした。 「私、目の前がふっと暗くなって」 「大丈夫ですか。誰か呼んできますよ」 「貧血で、すぐ、よくなると思うんだ」 ここの人院患者なのだろう。ピンク色のガウン姿だった。眼鏡をかけると、輪郭が はっきりした。それまでぼんやりとしか見えなかった彼女は、改めて見ると、痩せて はいても、そう線が細い人ではなかった。年は七十歳ぐらいだろうか。今は背中を丸 ナ

4. ツナグ

最初に祖母の病室で引き受けた時よりも、自分の言葉で返事ができるようになった。 祖母は何かを言いかけるように下唇を解きかけ、けれど結局、頷いた。 「じゃあ、始めようか」 祖母がガウンの裾から、そっと青銅の鏡が人った巾着を取り出して、面食らう。 まだ日が高い、人もたくさんいる病院の中庭だった。「こんなところでいいの ? 」 と尋ねる歩美に「いいさ」と涼しい口調で答えた。 得「仰々しくやらなきゃならないって決まりはないんだ」 紫色の巾着ごと、手の上に鏡を載せて歩美に差し出す。「手を置いて」と、柔らか の い声が先導する。 者 使「引き継いだ後で、詳しい交替のやり方も教えるよ。今はとりあえず、私がいいと言 うまで、目を閉じて」 歩美はゆっくりと、祖母の手のひらに自分の手をかぶせた。もう、お互いに言葉は 発しなかった。 まぶた 瞼を閉じると、それまで見ていた空の青の残像が裏側に刻まれていた。 引き継ぐこの瞬間に、目を閉じていても光が感じられるほど温かい場所にいられる こと、今日がその日だということが、誰かからの祝福のように感じられた。 すそ ほど きんちゃく

5. ツナグ

ろくめいかん 「今日、チケットができたの。演劇部の公演。 : : : 卒業式の後でやる、『鹿鳴館』」 ひとみ 青白い顔の頬の肉はさらに落ち、そのせいで落ちくぼんだ瞳の光はますます強調さ れて不自然なほどの存在感を放っていた。手渡されたチケットは、押されたスタンプ のインクがまだ乾いていなかった。 「観に来て」 あの面会から、一カ月近くが経っていた。話すのはそれ以来だったが、嵐は相変わ 得らず身構えるような、強引な話し方をする。歩美の手に、義務を押しつけるようにチ ケットを渡す。だけどその手が、震えていた。 の 意地を張るように尖った声を出すのに、自分でも、震えは押さえられないようだっ 者 使た。隠すように、すぐに手を下ろした。 「わかった」 呟くように答えた瞬間、嵐の瞳が歪んだ。何かを責めるようにも、こらえるように も見えた。すぐに下を向き、さっきよりもいくらか緊張を解いた声が「じゃあ」と言 あんど 俯いた顔が、安堵と感謝を浮かべていた。歩美の気のせいではないと思う。それな のに、そっけなく、また元通り肩に力を人れて去っていく。後ろ姿を見られることま うつむ ゆが

6. ツナグ

かった。もし少年の話が事実なら、私は今日、それまで自分の中で生きていたキラリ の死を認め、彼女を確実に殺すことになるのだ。 足先が、遠のいた。 顔を一度伏せたら、もう上げられなかった。ホテルに背を向け、駅の反対側に歩き 出す。歩きながら、胸ポケットから取り出した携帯電話の電源を切った。会社帰りの からだ 人の波に揉まれるように横断歩道を渡ると、身体がふらついて、前が満足に見えなく 得なった。持っていた傘を開くことを忘れた。 少しでも考えたら立ち止まってしまいそうで、一つなぎの息をするように、すべて の 人を一瞬で決めた。私は、逃げ出した。 待 飛び込んだ喫茶店は、客の少ない、寂れた店だった。 頼んだコーヒーが来ても手をつけられず、雨に濡れたことも手伝って、体温が下が り続けるのを、ただ全身で感じていた。テープルの前で手を組み、何も考えたくなく うつむ て俯いた。時間は、緩慢にしか流れなかった。重たい液体が流れるのを見つめるよう に、私は自分の腕時計を眺め、店の掛け時計を眺め、ただずっと、耐えていた。祈る ように組んだ手は、同じ姿勢のまま動かせなかった。

7. ツナグ

これが、歩美の知る彼らの姿だった。噂で聞く、失われた後の彼らではなく、自分 の中で生きていた両親は、そういう人たちだった。 死の事実は変わらず、失われたものも、依然として返ってはこない。けれど、両親 は疑い合わなかった。むしろ、信じ合っていたからこそ、不幸な思いの掛け違いが引 き起こされたのだ。 発見された時、父の手は母の手を掴んでいた。どこか遠くへ行ってしまうのを引き 得留めるように。 しわ 祖母の目は、もう完全に濡れていた。涙が流れた顔の皺が、いっそう深く、はっき の りと筋を浮かべる。祖母が顔を覆った。すぐに、指を閉ざした手のひらでも抑えきれ 者 おえっ 使なかった嗚咽の声が洩れ始めた。 彼女の背中をさすりながら、歩美は唇を噛んで、手に力を込めていた。真相はどう なのかわからない。だけど、歩美の中の真実はこうだ。 そうだろう ? 父さん。 すきま 目線を上げると、木々の隙間を濾された光が雨粒を弾いて輝いていた。目を細める と、太陽の光が細長く引き延ばされた。歩美の幼少時の記憶を満たすのと同じ、目映 つな い黄色が視界の端と端を繋いだ。 おお まばゅ

8. ツナグ

得鍵を渡され、エレベーターを待っ間、ロビーに立っ少年を振り返った。ホテルでも の らったタオルで髪を拭きながら、つまらなそうに顔をしかめてこっちを見ている。 人「悪かった」と謝ると、「いえ」と元の他人行儀な口調に戻り、気まずそうに下を向 待いた。 「僕の方こそ、すいません。失礼なことを言って」 「いや、おかげで決心がついたよ」 泣き疲れた後のように、気持ちがすっきりしていた。 エレベーターに乗る時、手を上げると、ドアが閉まる直前に少年が髪を拭く手を止 めた。「いってらっしゃい」と、そのロが動いた。 乱暴な言い方で、彼が言った。険しかった顔つきがふいにゆるみ、それからまた、 思い出したように丁寧に、小声になった。 「会ってください。お願いします」 かぎ

9. ツナグ

ナ 御園が徴笑む。 「最後に、きちんと話せて嬉しかった。アユミくんのそのコート、ジュンヤワタナベ のだよね」 「ああ」 歩美が肩についたレザー部分に手を当てると、御園が続けた。 「私、ギャルソンだったら川久保玲のデザインの方が好きだったんだけど、アユミく そのこともずっと、話し グんのを見て、ジュンヤもかっこいいって初めて思った。 たかったの」 「嵐さんと同じこと言うね。川久保玲の方が好きって」 笑いかけた、つもりだった。コートに手をかけ、「やつばり親友だから ? 」と続け ようとした。 しかし、できなかった。歩美の声を受けた御園の顔が、完全に表情をなくした。こ あぜん れまでで一番大きく見開かれた目は何も見ていない真っ暗な穴のように変わり、唖然 としたように、唇が開いていた。 「御園さん ? 」 これには歩美が驚いて、思わず彼女の顔を覗き込んだ。解いた唇が引き結ばれ、顔 37 イ のぞ ほど

10. ツナグ

つぶや う。「うん」と呟いて、歩美は病室を出た。 使者の役目や、学校のこと、何より、先延ばしにしている自分自身の問題でいつば いになっていたはずの頭が、静かになった。 振り返っても、祖母は廊下に出ていなかった。 前回の依頼があった頃、祖母は歩美を毎回玄関まで見送りに出て、話す時には中庭 を選んだ。だけど今日は。ハイプペッドの手すりに手を置き、そこから離れない。起こ 得した身体を今頃大儀そうにべッドに戻す姿を想像したら、今すぐ部屋に取って返した いような、それでも、絶対にその姿を見てはいけないような正反対の気持ちが同時に の 胸を打った。 者 ひきよう 使自分を卑怯だと認めるような後ろめたさを引きずりながら、歩美は照明に壁の色を 変えられた夜の廊下を歩き出した。 歩美を見た御園奈津は、凍りついたように動きを止めた。 ホテルのドアにかけた手をそのままに、ただ歩美を見上げている。半分だけ開いた