声 - みる会図書館


検索対象: リツ子・その死
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1. リツ子・その死

ゆかたすそっま 絶えず沈下しつづけてゆくような妄念に追われているのだろう。左手で丹前と浴衣の裾を摘あ ふともも ける。例の足が現れた。例の太腿が現れた。腹までめくり上げるのである。左手を押えてみる。 無駄である。苦痛から来るのだろう。痙攣的な暴力だ。 「ウォーウォー」と天地の悪霊に呼応しているようた、それが雷鳴に混るのである。胸の浴衣を 掻きのける。半裸の悪鬼の姿である。 おていさんが二本の蝋燭を手にして上ってきた。 死「消さないで」と私が云う。もう一度首に両手を巻きつけてやる。 の「お医者さんも頼みましたが、見えまっせめえなあ」とおていさんが云っている。 そ 「ウォーウォー」とリッ子が私の首を抱寄せながら、上体を波打たせる。露出する足と腰を、お 子 ていさんが絶えす浴衣で蔽ってやる。 「あ、神様」と今度は云った。呻き声の間にひどく投けやりな声だった。哀訴の響きはこもって いなかった。絶望の冒漬の声のようだった。 はげしい雷鳴である。おていさんが慄えあがる。相変らすリッ子の呻き声は断続する。両手を ついているが、私の首は折れそうである。痙攣の異状に堅い手付である。 その手が次第にゆるんできた。呻き声がやるせない単調な哀音に変ってきた。パ ラバラと寄木 のように手がほどけた。そのまま蒲団の中に落ちこむのである。 「リッ子。おいリッ子」と今度は私がリッ子を抱きよせる。暫らく哀音の呻き声が続いていた。 両手がひらひらと揺れるたけである。

2. リツ子・その死

まも 2 よう。生みだされている以上は、心を洗って来源の声に、新しい快活の人生を積み上げたい。衛 こんりゅう り、戦うて、新しい自分の建立の上に乱舞してみたいのですよ。どれほどの私の生活が導き得る ゃぶうぐいす か。あわれであっても、毎朝が新しく待たれるのです。今日は、御蔭で、この谷に来て藪鶯 の声を聞きました。舌足りぬ幼ない啼きざまでしたが、あれでいい 。光を存分に浴びているでは ないですか。まぎれないで、自分の来由を正しく知るということは大層にむすかしい。天造の大 きな意志を自分に知り得るかどうか、果して、疑問です。でも、私なりに見えてくる世界を、 くても、一歩育てていって、生活にしてみたいような気がしきりにするのです」 すすりなき 死不意に歔欷の声がはじま「た。老父が葡萄酒に酔いきをはしめたようたった。葡萄酒の瓶を そかかえて、おいおい泣きながら、私のグラスにつぐ。 「先生。先生に裁いて貰わんならんことの、あるとだすやなあー」 子 とびら ッ老父は手放しで泣いたが、その先は続かなかった。突然扉を押してかけだしていった。可也君 き・つか は黙って千鶴子に眼くばせした。しかし、千鶴子はうなだれたまま動かない。静子が、気遣うふ やかま うに太郎と立上って、戸口のところまで、出ていったが、やがて、ガアガアと一斉に喧しい家鴨 の声がした。 がちょう まるで群集を引っれて海底を歩きわたってくるモーゼの姿のようだった。二十羽近い鵞鳥と家 鴨の群が、声を上げ羽搏きつつ、よろめきながら、老父の後ろについてきた。 「ほーら、坊っちゃん。ポッポたすやなあ」 あひる

3. リツ子・その死

ゆら すぎまかゼ 蝋燭の火が隙間風に絶えず揺めいている。雷鳴が聞えはじめた。 「今頃雷さんは珍らしゅうござすなーーー」というおていさんの声に、肯こうと思いながらも、 「あっ」と私はリッ子の側ににじり寄った。また両手を空に泳がせはじめたのである。 「ウォーウォー」と例の不吉な断続の声である。 私はおていさんの顔をちょっと見た。 ふる 「下をおこしまっしような」とおていさんは慄えながら蝋燭に火を移して、それを両手に持って 出ていった。 死「おいリッ子。おいリッ子ー もちろん の けいれん 勿論答えない。両手を握ってやった。先ほどのように首に巻きつけた。はけしい痙攣で私の頭 を抱きよせる。 子 ッ「ウォーウォー」と首の上に組合わせた両手を今度は空の方につき上げる。名状しがたい突発的 あか リな力である。蝋燭の灯りが消えそうである。稲妻に照る。歯を喰いしばっている。一緒に奈落の 底へさらわれそうな恐怖である。 「ウォーウォー」と苦痛と恐怖と哀願が混り合ったような声である。一人で耐えきれない。はや くおていさんが上ってきてくれないかと思うが、下では「もーし」「もーし」という声ばかりが 雨の音に掻き消される。はけしい雷鳴が加わった。私は首に巻いたリッ子の両手首をささえてい るが、疲労と恐怖で手をはすした。 かっこう 「ウォーウォー」と右手がヒラヒラ空を掻きさぐって、例の断崖に掴み、かかろうとする恰好た。

4. リツ子・その死

かコガラのような啼声もきこえてくる。 「檀さん、いる。ほら」 とその兵士が指さした。 あた こみち 丁度小径のうねり角の辺りから、林の中に遙入りこんだ所に、一匹の黒大がいた。木の根を楯 にでもするように、じっとこちらを向いていた。 「打ちますか ? 」 死「さあーどうでも」 の と、私はためらった。 「やりましよう」 しはら 子 少年兵は不器用に銃をあやつりながら、引鉄を引いた。黒犬は暫くよろめくようだった。 あた 「中った。檀さん。ついて来て」 と、こわいのであろう。少年は私を招きながら、走り出した。私はのろのろと続いていった。 くさむら 見たくないのである。突然大が叢の中から狂い立つように飛び出した。山の方に走るのである。 「オウーイ、何だ」 と発砲の声をききつけたのだろう、遠くから連れの兵士らしい声が聞えて来る。 「大でーす」 と、少年兵はわめいてそれから手負いの犬を追うていった。そのまま山の方に駈け上がってい ってしまった。パーン、。 ( ーン、と、追うて、撃つのであろう。銃声だけが木魂している。私は

5. リツ子・その死

くだ 病院の方に下るのである。 太郎の尻にまわした静子の手が、堅く組み合わされているのを見つめながら、私も黙って降り ていった。 放念しているようだった。降り際の潮のところでどやどやと村の衆に行き合って、声をかけら れたが、静子は心持首を垂れたばかりである。もう何も聞いていない。まっすぐ前をみつめなが もてあそ ら、と ' ほと。ほと歩いていた。太郎が、所在なく、その髪の毛を弄んでいるのである。 家の前に出た。玄関の上り口に太郎を置き、静子は、 死 の「さよなら」 そとそれだけ云うて、面を上げず、帰っていった。 子 階上に上ってみるとリッ子の母が泣いている。私の袖を曳いて太郎の部屋の階段のところに連 れだして、ぶるぶる顫えながら、 「まあ、檀さん。リッちゃんな危篤ですげな、なあ」 私は黙って ~ 冂いた。 「なんごと、かくしなさすと ? 親ですよ」 かんばし とリッ子の母の声が癇走った。私も昻奮から鼓膜が部厚になってゆくようで、他愛もなく遠い 声のように聞えていた。 ぶどうとう 「こんなにして、放っておく人がありますか。何処からでも医者を呼んできて、葡萄糖や強心剤 そ 0

6. リツ子・その死

そうだ、又太郎を預けようかと、云われるままに私も決心した。云おうか云うまいか、しばら く迷ったが、つとめて低い声で、思いきって、 「リッ子はもう一月持たんそうです」 「えつ」と静子が青ざめた。しばらくぶるぶると頭えやまぬようだったが、 「そげなことがあって、よござすもんか」 ふるいたつようなしつかりとした声だった。じっと太郎の手の花を見つめている。が、押えき れぬように涙が一つ二つ落ちてくると、静子はそれを抱きしめている太郎の服に頬ごとこすりつ 死けて拭うのである。 の そ 海は珍らしいくらいに凪いでいた。玄海丸の屋根に冊い上って、一人、白昼の海の青をむさぼ あわ へさき ッるように見つめている。舳先の潮がくりかえしくりかえし同じうねりに昻められて、泡立ち、捲 リき返され . て、消えていた。 まうし . 一 ~ 、 あざわら ありがた 三十日か、有難い。とふいに例の讎漬の魔性の声が湧き上る。己の悲哀を嘲笑うのである。新 しい生涯を次々と招きよせる例の軽薄好奇の不常心だ。 それにしてもこんな真昼の船の中にリッ子と二人乗っていたことがありはしなかったか ? ゃながわ 柳河で式を挙げ、人吉に廻って、それから東京、東京から支那へ旅立っ道すがら、福岡で別れ ている。おや、するといつだったろう、ともう一度記憶をたぐり直してみたら、結婚の前のこと げんそく だった。二人で志賀ノ島に行ったのだ。舷側に、うっとりと夢見るように波のひたを眺めていた ふる わ

7. リツ子・その死

と伯父はしばらく世間話をしていたが、リッ子が眠ったらしいのを見とどけると、声をひそめ 「もう二三日げなな ? 私はそっと肯いた。 「今日道で Z さんに会うて聞いたとたい。太郎ちゃんが、一番きついたいなあ」 伯父は鼻にかかったような声でそう云いながら、煙管を火鉢にポンと叩いこ。 「なーん ? ん。なーん ? ーと一度リッ子が薄目を開いてこちらを見たから、私達はあわてて顔 を見合せたが、また何事もなかったように、すやすやと眠ってゆく。 薄暗い電燈である。低いが確実な波の音である。リッ子がひょいと上半身蒲団の上におき上っ かっこう て、敷布の上を指で蚤を追うような恰好をする。 「どうした、おい、どうした ? 「蚤のおりますとよ」と相変らず指をくねらせて蚤を追うような手付である。浴衣が乱れて乳の は・世まの あた 辺り、皮膚が青白くたるんで見えた。乳首がさむざむと櫨豆のように萎縮している。けれどもも どうこう う視線も瞳孔も拡散して、何か空を泳ぐような眼と手である。 「リッちゃん。あんた蚤が見ゆるとな ? 」と伯父は驚いて声をかけている。 、え、ナーンも見えまっせんと」 こんこん リッ子はカ無さそうにそう云って、ゴロリと横になり、やがて又昏々と眠っていった。おてい さんが寝具の辺りを直しながら、 リッ子・その死 て、 のみ いしゆく

8. リツ子・その死

「もう寝ました」 「よかたい。ちょっと上ってゆきなさい」 「いえ、もう」 と成程ガラス戸の外に静子の声がする。 「いつも、どうも」 あいさっ と私は戸口に半分体を出して、静子の方に挨拶した。 死「くされカナギをもらいに行っとりましたら、お母さんに会いましたと」 の「ああ、肥料の ? 」 そ うなす 子 と静子が肯いている。 ッ 「それで、もらえたの」 「ええ、明日の朝、リャカーで曳きますと。リッ子さんのお加減な ? 」 と低い調子に声が変って、静子が見上げた。 「はあ、相変らずです」 「卵、持って来まっしよか ? 「よかったら、持って来ておやんないー とリッ子の母が言葉を取った。 : カリッ子のロは通るまい。 「じゃ、明日朝早うに寄りまっしよう。お大事に」 ひ

9. リツ子・その死

よふけ きれい らわしになっている。なるべく綺麗にしておいてやろうと夜更に二三度は断崖を降りて洗ってく る。海水と砂を掬いこんで、ざらざらと揺ぶるのである。雨と風の日にはさすがに嫌だった。吹 き上げる潮と一緒にお厠の洗い棄ての水しぶきを浴びるのである。波打際は物音一つ聞えない。 ザザザザーーー・と汚物を運び去る波の音に唯、例の山羊の啼声が断続して混るのである。 嫌な声だ。朝からメーメーと頼りなげに貧相な声を挙けている。井戸端の洗顔の後に、太郎は 山羊メーを見てくると云って出ていった。太郎が駆けだしてゆく、その裏山の庭隅にいつのまに か桜が一本だけ、。ほっと白く咲いていた。 死 少し遅目にリッ子がふーっと目を覚した。枕元には早くからお湯をしゅんしゅんたぎらせてい の るのである。湯を汲んで顔と手を拭ってやった。 そ 「ロをゆすぐの ? 」 子 ッ答えない。手を左右に振ってみせて、それから喉とロの辺りに何か特別な異状を訴える。 「あけて御覧」、 あおじろ 蒼白い顔を歪めながら、大きく口を開いている。ふるえている。舌が真白くなって、幾条にも 裂けていた。いや、ロの中全体が粉をふいて、皸のように裂けている。気をつけて見ると、唇も みじん いつのまにか微塵のひびに犯されているのである。いつのまにこんな様になったろう。おそろし っこ 0 「オーオー」と喉を細めて泣くのである。 はちみつ ただ ひび のど

10. リツ子・その死

んだ。 「痛うござっしような」というおていさんの声に誘われて、 「あいたー・ー」と声を永くひいている。 そのまま、眠っているのか醒めているのか、かなり長い時間である。私とおていさんは左右の 足をさすっていた。 「ああお厠。お厠」とリッ子が云う。出すのだろうと思っておていさんが脇にゆくと、気がつい 死たのか、 の「おていさん、お厠入れてーー」 そ 「ええ ? 人れとるですな ? はいっとりますばい。出すとでつしよう ? 」 のぞ 子 おていさんが顔の上から覗きこみながらそう云うと、リッ子はいかにもけげんな顔をして、 「はいっとりますと ? 「ええ、もう永く入れとりますばい。出しましようか ? 」 はいっとるとね。私の頭の間違うとる。すみまっせ 1 ん。おていさん」と今度 「おかしか は、浮れたように、それでもはっきりとそう云った。 「きついでつしようもん。出しまっしようか ? 」 しいえ、入れといてー、ト」と答えた。 またすやすやと眠るようである。余りに長いから出してやろうか、とおていさんと話し合って いると、