遺産だと話した。誰も信じてはいないだろう。新円切換えで貨幣価値が変り、世の中は落着かな かった。戦争に負けたのだから、仕方がない。一夜で乞食生活に入る者もあれば、あれよあれよ と言う間に土地成金とか、大尽とか言われる人も出た。ひどい世の中だが、活気はあった。私は 運がよかったのだ。局長と結婚したことに依って運が廻って来たのだ。前夫人の残した茶道具は 全部私のものになった。のちのちまでのいざこざがないように、私は土蔵の中の前夫人の残した 道具類と引換えに、焼け跡の権利はすべて局長の身内に任せた。私はそれで充分だった。ひとり になった私はひとりで生きてゆくしかない。 やがて私は二度目の結婚相手と巡り合った。アメリカの日系二世でバイヤーだと名乗る男であ 私はこの男によってダンスを知り、ゴルフをお・ほえ、英語の片言ぐらいは喋べれるようになっ た。茶道に生きる女も、女を磨くことで社交術を会得するのだ。私に一番欠けていたのが社交だ ったような気がする。長い間、日蔭に生きた母からは受けるものが何もなかった。私はそれまで の引込思案を捨て、一人前の女として華やかに泳ぐことを覚えたのだ。彼との出会いによってそ れまで知らなかったあらゆる贅沢を身につけたが、仕合せな出会いとは一一一一口えないだろう。ロスア ンゼルス生れのこの男に、妻子のあることがわかって、私は憤然と別れた。しかし二年間の同棲 生活は愉しかった。私は真剣にアメリカへ渡る日を夢見ていたのだ。 別れてからも奇妙に彼を恋しく思う日がつづいた。下北沢の家を売って梅ヶ丘へ移ったのも二 206
何処にいるのか、知らせようもない。 とうとう独り。ほっちになってしまったのだ。どうやっ て生きてゆけばいいのだろう。 雨は遠退き、街が見えて来た。表通りに出ると本郷吉祥寺の一画が残っていた。 警察の前を通るとき、足が震え、鶴代は頭を垂れた。体はびしょ濡れだが寒いとも感じない。 道路を距てた警察寄りの空地に天幕小屋が出来て腕章をつけた警備隊員が担ぎ込まれる怪我人 を戸板にのせたままで手当をしていた。手当はしても此処へは置いてくれないのだろう。 道の片側が焼けてすっかりなくなっていたが、郵便局は無事だった。 「局長さんーーー」 激しくドアを叩いた鶴代は、防空頭巾のまま出て来た局長に獅噛みつくとおいおい泣いた。局 員は誰も出ていない。焼け出され、出ることも出来ずにいるのだろうか 本郷区内だけでも死者は二千人近くにもなった。おもな建物は、本富士署、本郷郵便局、消防 署も燃えてしまい、金助町から湯島へかけ、妻恋坂一帯が全滅だという。小石川、神田の被害も ひどかったようだ。 東の空は真っ赫だったが、江東方面の被害状況はまだ判っておらず、今までにない物凄さだと 家 のいうニ = ースが流れた。誰もが憔悴しきった表情でさまざまな情報を伝えるが、それを裏づける 山ように局の事務は停滞したままだ。電話のベルも鳴らない。・ とこもかしこも故障だらけなのだ。 白 医師の避難先がやっと判り、死亡診断書を貰うと雪乃の遺体はその夜のうちに町屋の火葬場へ 195
れるのがよほど口惜しかったらしい。赤い布袋に入った砂が焼夷弾、黄色い砂袋が硫黄弾だ。そ れっとばかりにばらまかれる演習に、煙りも出ないのに、砂袋に蹴っまずいたとか踏んづけたと か、散々に叱られたあげくが、焼夷弾がどこに落ちたかもわからぬ有様で戦さに勝てますかとや られ、百年戦争はどうの、敵が上陸して来たら竹槍で立ち向えよのと、土管屋の下手くそな演説 がえんえんとつづくのだ。 元在郷軍人かなんか知らないが、土管屋風情に何が判って、と夫人はきりきり怒ってそれ以 来、私は脚気で足が思うように動きませんのでと国防婦人会の襷まで返してしまった。局長はそ んな夫人に手を焼き、代理を頼まれるのが鶴代だった。夫人の我がままが自分にも乗り移るよう で鶴代には頼しい存在である。 「信太さん、じたばたしなくとも戦争は必ず終りますわよ。百年もつづけられるわけがないでし よう。日本人は辛抱強いというけど負けた方がいいの。必ず平和が来ますからねー 日本が負けるとは信し難かったが、何時かは平和が来るということだけは信じたかった。 都会が焼け野原になれば人は焼け残った家を安く手放して地方へ逃げ出すから地価も下る。戦 争が終結すれば忽ち急騰するとヨーロッパの翻訳小説で読んだことがあるけど、それは本当でし ようねと夫人は鶴代に思わぬ知恵をつけた。東京が焼け野原となったらすぐに土地を買いまし ようよと夫人は局長に奨励しているらしい。二足三文になったときを逃がさず、信太さんも買う のねと夫人は鶴代にも奨めな鶴代がポーナスを、全部貯金していることを夫人が知っていたか 174
き、雪乃の腰に古布を当てて二人は勤めに出た。汚れても誰も取り替えてくれる人はいない。タ 方、二人のうちのどっちかが戻 ? てくるまで雪乃はじいっと待っているしかなかった。 雪乃にはもう自由がないのだ。淋しさや、苦痛を訴えることも出来ず、ただじいっと天井を瞶 め、時折涙を流しているが、誰ひとり見舞ってくれる人もいなかった。近所の噂さどおり、確か に変った一家である。 やがて隣り組の防空演習が始まり、疎開騒ぎがはじまった。故郷を捨てた三人に行き場所など あろう筈がない。ひっそりと世の成行きに身を任せるしかない。 百年戦争国民皆兵が叫ばれ出した。 「始めがあれが必ず終りがあるのよ。お祖母がそう言ったもの、私は百年戦争なんて信じない の。もう直ぐ戦争も終るわ。そしたら私は茶の湯の師匠になるー 鶴代は唇をきゅっと結び、そう東吾に宣言した。 鶴代が勤め先で熱心に茶の湯を習っているということは東吾も知っていた。鶴代の勤めている 三等郵便局の局長に子供がなく、局長の妻は近くの大きな寺の娘であった。幼いうちから茶の 湯、活け花を暮しの中に取り入れた、豊かな日常を送った人なのだろう。結婚してからも、実家 の寺で大勢の弟子達と稽古に励んでいる。土曜日は自宅で教え、ついでに夫の局で働く娘達には 特別に、月謝なしで教えた。つまりは道楽のようなものだが、小さな郵便局で働く娘達はそうで もしなければ長続きしなかった。 172
黒くねばっく重い雨だった。腕時計は九時を指している。職場はどうなっただろう。郵便局も焼 けてしまったのだろうか、局長さんはひとり。ほっちで頑張っているにちがいない。夫人が生きて いたらどんな相談にでものって貰えたのに、もうみんないなくなったのだ。一体誰に母の死を告 げればいいのだろう。 どうしても家へは戻る気になれず坂の途中まで行って引き返した。とにかく職場へ行ってみよ う。焼けた浅嘉町を避け、遠廻りして曙町へ出た。曙町もすっかり燃えて余燼が熱い風を煽る。 ひどい熱気だ。空襲のサイレンを聴いてからまだ八時間しか経っていないというのに、こんなに も広い範囲を焼き尽してしまうとは、信じ難いことだ。焼夷弾の威力である。焼夷弾が雨あられ と降ったのだ。あの落下音は悪夢などではなかったのだ。やがてみんな灰になってしまうのだ。 死者もたくさん出たようだ。逃げ惑い、焼け焦げて死んだのであろうか、逃げも出来ず押入れ の中で死んだ母の方がまだしも仕合せだったのだろうか。 止めどもなく涙は頬を転がり落ちた。母が死んだ。あれほど母を嫌悪し、死んでほしいと願っ た自分なのに、死なれて、何一つ心の準備のないのが悔まれる。死なせるのではなかった。 局長夫人につづいての母の死だが、不意にやってくる死の怖しさに耐え兼ね、地べたにうずく まって鶴代は号泣した。通りかかった人が怪訝な表情をしたが、声もかけずに通り過ぎた。誰の 心もみな虚しくて、空つ。ほなのだ。やがて鶴代は、掌についた土を払いながらその手をじいっと 瞶めた。涙にうるんで何も見えない。喜びも悲しみも、何もないのだ。東吾はもう帰って来な ー 94
が、局長夫人になった私を疑ぐりの眼で見る人はいないと思う。局長の、前夫人が残してくれた 数々の立派な茶道具も私のものとなって下北沢へ運ばれた。 四月一日の午前七時半頃、一機が淀橋と豊島区に投弾し、被害家屋は五十戸あまり、四十 名もの死修者が出たそうだ。その翌日の四月二日、午前二時頃に今度は中島飛行機工場が、爆弾 と時限爆弾の混投を受けたらしい。こうなれば、焼ける、焼けないは賭けのようなものだ。下北 沢の家も私にとっては運を占う一種の賭けとなった。 四月四日も午前一時から空襲警報が出た。敵機は立川飛行機工場とか中島飛行機工場などの軍 需工場を狙い出し、その死者千五百人と発表された。 四月十二日は午前九時二十分から四百七機が東京上空に襲来、十三日も午後十一時から十四 日の午前二時二十分まで、三月十日の空襲と同様の手段で三時間あまりも低空から焼夷弾攻撃を かけて来た。足立、荒川、王子、滝野川、本郷、牛込、淀橋、板橋、神田、四谷、小石川に杉並 区を加え、逃げ場のない混乱状態に陥すことが狙いのようだった。死者も二千四、五百名を越 え、負傷者を入れたらおびただしい数にの・ほるだろう。市内は殆んど焼けて丸坊主になった。た てつづけに四月十五日午後十時から翌午前一時まで、さらに四は数を増し二百機で襲撃をはじ めた。十八日は十二時から、そして十九日は午前十時から、四はまるでとどめでも刺すかのよ うに、という新手を引き連れているという。明日のことはもう何もかもわからなくなり、私 は、自分の見聞きしたことをなるべくくわしく、こまかに手帖に書きしるそうと覚悟した。書き 200
一機で飛ぶのは偵察だと局長が言った。今夜もまた空襲だろう。皆殺しにならなければ日本は決 して降参しないだろう。 白山下の家は別段変った様子もなかった。鍵をはずして入ると、カーテンを廻したたたきは意 外にひんやりしている。只今、それは何時もの口癖なのだ。驚いたことに、その声に応じるよう に、母がひとり。ほっねんと坐っていた。 母さん 若いときの美しい母だった。盛装した母は両手を突いてにつこり笑った。腰の抜けるほど驚い た私は、夢中でカーテンを引張った。 形ばかりの床の間に白い布にくるんだ母の骨壺がぼつんと置いてある。母の姿はどこにもな 。ある筈がなかった。母は死んだのだ。 私はなぜあんな錯覚をおこしたのであろう。確かに母の幻影を見たのだ。母は何か私に言いた いのだろうか。 母さん なぜ母はあんなに美しくなって私の前に現われたのだろう。家の中の空気を入れ替えると、台 所の揚げ板をとって、僅かばかり残った食糧を、提げて来た篭に詰めながら私は考える。食糧は 大豆と干し大根が少しあるだけだ。 東吾の戻った気配はない。私が坂下のこの家に母の遺骨と位牌を残して置くのは、東吾が何時 202
が絶えていた。心臓麻痺だと医者は診断したが、人の生命はこうも簡単に終ってしまうものだろ うか、信じ難いことだった。母のように優しくて厳しい師であった。戦争の終る日をあんなに待 っていた夫人が、終りを見ないで死ぬなどとは、鶴代は孤児になったような頼りなさで涙も出な 局長夫人の初七日の夜、雪乃が死んだ。春三月とは思えぬ底冷のする夜だった。初七日の勤め を終えて帰宅すると、母の様子が変だった。雑炊をつくってやっても、かすかに首を振るだけ で、食べようとしない。食べなきあ駄目よと叱ったが、眼に力がなかった。冷たくなった行火に 火を入れてやり味気ない雑炊に腹を満すと、自分も母の蒲団の行火へ足を入れた。暗闇の中でま んじりとせず、東吾はどうしているだろうと思う。東吾は自分を愛してくれているのだろうか、 それとも母の方をよけいに愛しているのだろうか、もしそうだとしたら許せない。断じて許せな 母が何か言ったようだ。尿意だろうか、寝言だろうか そのままほんの少しうとうと眠 ってしまった。突然キーンキーンと鼓膜へ突き刺さるような金属音が窓ガラスを揺すった。来た なと身を起し、遮光幕を引いたが、西の空は真っ赤に染まり、四の爆音が頭上すれすれに通過 した。キラキラ光りながら落ちてくる無数の焼夷弾に、ズドンズドンと地響を立てる高射砲の音 のが入りまじって忽ち地獄の阿鼻叫喚となった。バケツを叩いて逃げろ伏せろと警護団が家の廻り 山を走った。 白 白山下は本郷台地の下になるのでそう呼ばれている。花柳界を越えて本郷通りへ出れば帝国大 191
一ノ関東吾について警察はそれ以上のことは訊ねなかったし、鶴代も要心ぶかく、訊かれたこ と以外は答えなかった。それでも警察は次第に執拗になり、刑事が二三日置きに、白山下の家へ 訪ねてくるようになった。鶴代は狼狽したが、母はロが利けないので助かった。ロ裏を合せるこ とも要らず、半身不随の母が庇ったかたちになった。思えば罪深い母娘である。国民服にゲー ルを巻いた刑事は鋭い眼つきで、出身地についてもう一度訊ね直し、 「帰って来たら必ず届けろよー と言った。鶴代は落着いて、わざとあどけなく、 「何か悪いことをしたんですかー と、刑事の顔を見た。リ 廾事がじろじろ家の中を見廻したからである。 「あの人は悪いことなんか出来る人じゃありませんわ。気が小ちゃいんですー 刑事は片頬に薄笑いを泛べて、返事をしなかった。鶴代は更に要心しなければと思った。東吾 はっていない。当然警察はこの家を見張るにちがいない。 三月四日の空襲は本郷、下谷、足立区、城東豊島区を焼き、杉並を襲った。 午前十時に鶴代は職場で爆音を聴いた。上野の方から聴えて来たような気がして、直ぐ防空壕 へ入ったが、朝から降っていた雨がみぞれに変り、じいっと蹲んでいると凍えそうだった。この 日、三月四日は鶴代にとって終生忘れることの出来ない日となったのだ。 空襲警報が解除になって吻っと息つく暇もなく局長夫人が倒れた。医者が来たときにはもう息 ー 90
生きなくてはと、東吾は愛しげに鶴代を眺めるようになったのだ。 鶴代の性格は祖母のりんに似たのかもしれない。雪乃はどっちかというと投けやりで、思い切 りのいい代りにだらしない面もあって、そのもの憂いような動作に株かれながらも東吾は、鶴代 の几帳面で、とことんやり抜く性分が好きなのだ。 女学校を途中で止めたことについても一言の不服も言わないが、勝気なこの娘にとってそれは どんなに辛いことたったかしれない。 口に出さぬだけにいっそう不愍が増した。 病み上りの不自由な体で、鶴代の手を借りる度に、自分は何の役にも立てないことが残念に思 われ、恥じるのだった。働けるようになったらこの娘を、もう一度女学校へ入れ直しさせてやり たい。天罰に報いるのはそれしかないと思い、自分の娘に逢うのはその次だと思う。いっかはき っと尚子に会って詫びたいと思うのだ。 雪乃は夜が遅いので、朝は十時過ぎまで眠っている。鶴代はひとりで朝食をつくり、東吾に食 べさせ、天気がよければ洗濯を済ませて勤めに出て行く。肌着の洗濯ものにもきちんとアイロン を当てて東吾へ渡した。少しの時間もじっとしておらず、働き惜しみをしなかった。 ゅ て 亀ノ子タワシの健康法というのを勤め先の局長さんに教わったと、東吾を裸にして体中をこす 生 ってくれた。 れ全身摩擦を励行すれば皮膚が丈夫になり、薄着でも風邪を引かず、体の中心に向ってこすり上 そ げるので心臓の働きも丈夫になるというのだ。弱くなった東吾の足の裏はとくに念入りにこすっ