炎の花 。局長と私は親子ほども年齢がちがうのだ。このまま、ずっと局長さんと暮せたらどんなにい いかしれないと私は何度も思った。白山下の暗い家の台所とちがって東に出窓のある広い明るい 台所で食事拵えをするのは気持のいいものである。 東吾が防空壕へ隠して置いてくれた缶詰類を少しずつ運び、毎日一箇だけ開けることにした。 味噌も東吾が千葉の方で手に入れたのが貯えてあった。毎朝みそ汁をつくると局長さんが喜んで くれた。私は庭の芝生をはがして野菜を植えることを考えっき、局長さんはどこからか葱の種を 貰って来た。何事も私の思うままになった。もしかしたらこんなのを、私のようなのを押しかけ 女房というのかもしれない。 世間ていもあると思うのだが、なんと噂さされても仕方がないのだ。局長さんも私も仕合せな ら、世間の思惑など気にすることではないと私は覚悟を決めた。 ひとりの男に仕え、昼は局に勤務して、二つの仏を守ることに私はなんの矛盾も感じなかっ 三等郵便局でも、局長夫人なら正々堂々、日の当る表通りが歩ける。私は裏通りの人生はもう 真平だ。局長夫人ともなれば東吾のことで刑事につきまとわれる心配もないだろう。 浅はかにも私はそう判断し、言いわけじみるが、東吾には済まないような気もした。でも私は もう、もとの自分には戻らないだろう。そんな気もした。 下北沢の、茶室のある家は、ひそかに手を廻し、私のものになっている。現金取引きであった 199
炎の花 母が死んた三月十日後からは、東京には暫く大規模な空襲はなかった。寒さがゆるみ、間もな く万灯火の里に生れた者には忘れることの出来ない春彼岸がやってくる。亡き父、亡き母の供養 をするのが、子のっとめではなかろうか。だが、新しい仏となった母の骨を風呂敷につつんで抱 き帰った私は、白山下の家へ戻る気にもなれず、ずるずると局長宅へ泊り込んでいた。七日七日 の夜、局長夫人の実家から片手の無い若い坊さんがお経をあげに来てくれた。私は局長さんにお 願いして、母の供養を一緒にして貰った。 片手の坊さんは透き通るいい声で、お経も上手だった。お骨の風呂敷包みはおかしいというの で、味噌ガメを丹念に洗ってそれに詰めたが、背の高かったわりに骨の量は少なく、これが母の 遺骨だろうかと疑ったほど僅かだった。局長さんは、あとがっかえているからざっとひろったん だろう、量が少なくとも骨はめったなことで間違える筈がないからと、慰めてくれた。局長さん こんな気 の側にいると私の心は妙に和んだ。頼りない私を愍れんでいてくれるのかもしれない。 持は私にとって生れて始めての経験である。決して女が男を愛するといった生々しいものではな
局長夫人は稽古にもっとも熱心な信太鶴代を可愛がった。鶴代の眼がいつも知識欲に燃えてい たからだ。 「あれは少し抜け目のない感じだねー 局長はそう批評したが、夫人は、 「あの娘は賢こいのよ、何んでもすぐ覚えてしまうわ。まるで吸い取り紙みたい。楽しみだわ」 と庇った。 確かに頭のいい娘たった。出来れば養女に貰いたいぐらいよと夫人は鶴代をやたらに可愛が る。何かと自宅へ呼びつけては用をさせるので、局員を私用に使うなと、局長が叱ったほどだ。 そんな場合でも夫人は決して負けてはいなかった。 「そんなら私に信太さんを下さいよー 冗談じゃないと言いながらも折れるのは局長の方で、苦い表情で妻の我がままを許してしま 夫人は強烈な平和論者であった。あまり出歩くことはしないが、出掛けるときは必ず和服で、 モン。へなどはかず人が振返っても毅然としている。 家 アメリカと戦うなんて、子供と大人の喧嘩でしよう。どうやって勝てるの。日本はきっと負け の 山ますと広言しては度々夫をはらはらさせた。 白 町内会の防空演習で、近所の、元在郷軍人であったという土管屋のおやじの号令で、走らせら 173
に咳込み、むせびながら局長に手を取られて私は夢中で走った。 燃え熾る焔の反射で翼を赤く染めた飛行機がすれすれの低空を飛ぶ。話に聞いた絨緞爆撃とは ~ これなのかもしれない。四方八方火で逃げてゆく方向が全くわからない。投下弾の炸裂音が判断 力を奪ってしまうのだ。 りくざえん 吉祥寺が燃えているぞーーと叫ぶ声が聴えた。逃げるなら六義園だと、群集はそろそろ廻れ右 で走り出した。走り出してから局長のいないのに気がついた。もう引返すことは出来なかった。 どこではぐれてしまったのだろう。私が夢中で引張っていたのは重要書類を入れたリ、ツクの紐 だった。ずるずるとリ = ックサックを引摺って走っていたのだ。その先に局長がいるものと思っ ていた。局長さんと呼んだが、煙りで声も出ない。私はリ = ックを持上げ、人の流れについて六 義園へ走った。投下弾の炸裂音が落雷のように追いかけ、熱風が火の粉を運ぶので走る足を止め ることが出来ない。前を走っている人の背中が燃えているのに消してやることも出来なかった。 火薬の臭いにむせ、眼を瞑って走った。息が切れてしやがみ、後から来る人に何度も蹴飛ばさ れ、飛び越えられ、突ン前倒っては起き上って走り、やっと六義園へ辿り着いた。 大きな樹の下にへたり込み、根っこに背中を押しつけたまま恐怖の夜が明けた。私は生きてい た。大勢の避難者達と一緒に六義園の大庭園で、私は生きていたのだ。 局長は一体どうなったんだろう。夫はどうなったのだろう。夜の白らむのを待ち兼ね、私はま だ燃えくすぶる焼け跡の道路を横切りむちゅうで郵便局へ戻った。 さか
運ばれた。火葬場は死骸の山だという情報が入ったからだ。遅れればそれだけ後廻しになる。 昆布巻のように毛布でつつんだ遺骸を、土管屋で借りたリャカーに乗せ、局長が引いてくれ た。それでも家を出る前に局長夫人の実家から坊さんが来てお経をあげてくれたのがせめてもで ある。近所の人々も寄り集って見送ってくれたが、誰もリャカーの後押しをしてやろうかと言っ てくれる人はなかった。 棺が出るとき、本当によかったです。あなたもこれでやっと救われましたねと、低い声で鶴代 の肩を叩いてくれたのは煙草屋のおばさんだった。近所の人達はみな鶴代を愍れんでいたのかも しれない。 夜中の十一時に白山下の家を出たが、途中何度もリャカーの後を押す鶴代がへばったので火葬 場へ着くまでに夜が明け、受付けて貰うのに昼までかかった。火葬料は二十円で、骨を渡すのは 一週間後だという。カメがないからポール箱か、風呂敷を忘れないで持ってくるようにと注意さ れた。たまり兼ねた局長は、これは心づけですからどうかみなさんでお分け下さいと手早く十円 札を四、五枚掌の下に忍ばせるように渡してくれた。一週間もかかるというのは、順番が廻るの にそれだけかかるということだろう。空襲があれば勿論途中でも火は消さなければならない。だ が一週間も放って置いたら遺骸は腐ってしまうだろう。文句は言えなかった。持って帰れと言わ れたら困るのだ。局長の差し出した心づけが効を奏したのか、それでは明後日の夕方ではどうで しようと受付が言った。何分にも混雑しているものですからと四囲をはばかる低い声だった。地 196
炎の花 予期したことだが、郵便局は燃えていた。側へ寄れないほどの熱気で柱は崩れながらまだ盛ん に炎を噴いている。母屋も殆んど全滅で、土蔵と離れの茶室が残った。あの時、階段の下にうず くまっていたら私達も直撃弾で焼死したにちがいない。私は局長を探がし廻った。 局長は忘れものを思い出して一旦局へ戻ったらしく、何か大事な書類を抱き締める恰好で、裏 の木戸口に倒れていた。転んだ拍子に大腿骨を折り動けず気を失っていたが、裏口へ逃げたのが よかったのだ。火は土蔵に遮え切られて、火傷もたいしたことはなかった。 しかし、町内は殆んど焼け、見渡す限りの焼け野原となった。不自由しないで済んだのは焚き ものだけだ。戦争が終ったのは、八月十五日の暑い夏の盛りであった。充分な治療も出来ず、局 長は年が改って間もなく亡くなった。六十一歳だった。私はまだ三十歳になったばかりだ。 或る日、駒込署の刑事が訪ねて来た。秋田でまった東吾が釈放になった報らせである。胸を 病んで度々喀血するので、姉が引き取ったという。 信じられないことだったが、刑事はこともなげに、大体に悪いことをする奴は必ずといってい いほど故郷へ舞い戻るもんでねえと言った。 東吾はちがう。私は唇を噛んだ。東吾が服役したのは一年足らずだったようだ。その後の東吾 はどうしているのだろう。私は怖しくて安否を訊ねるわけにはゆかない。焼け跡の整理が始ま り、私は白山下の家を家主に返し、下北沢の買った家へ移った。この家を世間の人はみな、局長 に買って貰った家だと思っているらしいが、その方が私にも好都合だった。局長の身内には母の 20 う
炎の花 戻っても直ぐ判るようにして置きたかったからだ。そのために無駄なことだが家賃も払って住居 をそのままにしてあるのだ。決して母を捨て置くわけではない。 窓を閉め、カーテンを廻すと仄暗い部屋の中に、白い布につつんだ骨壺だけが浮き上って、じ いっと私を視ている。抱きしめてやりたいような切ない気持になりながら、私は東吾の戻ってい ないことになぜか吻っとするのだった。 山の手に大空襲のあったのはその夜で、時計の針は十時半を指していた。昨夜も空襲警報に起 されたので、またかとうんざりだが最初の警戒警報が忽ち空襲警報に切り変ったので、寝ている わけにはゆかず身仕度をした。防空壕に入らぬうちに四数十機が頭上で旋回しはじめ、筒型の 焼夷弾が雨あられの如く降った。局長に早く早くとせきたてられても恐怖で足が前へ出ないの だ。ザザザーツ、キーンキーンと耳の底まで突き刺さる金属音に耐え兼ねて私は暫く階段下に身 をひそめた。動けなかった。たとえ防空壕へ入っていたとしても、直撃を受ければそのまま焼け 死ぬだろうと私はとっさに判断した。これまでとはちがう爆撃音の凄まじさだった。此処にいま しようよと私は局長の手を引張って無理にしやがませた。同じ死ぬなら少しでも呼吸の楽な方が 、、 0 狭い防空壕で窒息死したり蒸し焼きになったりするのは我慢がならないと思ったのだが、 局長は此処は危ない。外へ出よう、逃げようと、聴いてくれなかった。 噂さにたがわず、二十七日の海軍記念日を目前に、焼け残った住宅街を一軒残らず焼き尽すっ もりのようだ。やっとのことで外へ出たが、どっちを向いても火の海だ。轟音と異様なきな臭さ 203
白山下の家 獄の沙汰も金次第とはこのことかもしれない。助かりました。有難うございますと鶴代は窓口の 事務員とも局長へともなく幾度もふかぶかと頭を下げた。 死体渡しが済むと番号を打った書類を貰い、後髪のひかれる思いで火葬場を出た。軽くなった リャカーを鶴代が引いた。本郷へ戻るにはどっちから入っても坂を登るしかない。動坂の途中で 四が姿を現わした。偵察なのだろうか悠々と一機、大空に白い飛行雲を残して間もなく姿を消 した。 、つ。ほけな国の小っぽけな人間共を四は嘲けっているのだ。 小さな公園に入って一休みすることにした。局長は手巻の煙草に火を點けた。不味そうに吸い 終ると、もう戦争も終りだなと、。ほっんと呟いた。しかし、まだ終ってはいない。 197
晴天には窓を開け放って日光浴を手伝い、栄養は。 ( ランスだと、あれこれ食べものにも気をつ かった。人間は五穀の他に赤黄緑の野菜を毎日欠かさず食べれば必ず元気になると局長が教えて くれたという。鶴代は勤め先の局長を尊敬しているようだ。 鶴代の努力が眼に見えて効果をあけた。ふらふら散歩に出ても東吾は熱を出さなくなったし、 銭湯にも行けるようになった。これまでの寝たきりが信じられないことのように思われ出した。 「タワシ療法が利いたんだろうかねー いまではめったに体温計も見なくなった。 「東さんのことになると、鶴代は夢中なんだから、東さんは東さんで、一にも二にも、鶴うこ鶴 うこで、二人は何をやってんだかー 厭味にもとれるようなことを雪乃は平気で言うが、二人が仲が悪くても困るのだ。学校を止 め、勤めに出た鶴代の生活態度が刺戟になったことは確かで、東吾の元気になれたことが、雪乃 にとって嬉しくないことはない。 地獄のようなどん底生活から這い上る日も、どうやらもうそこまで来ているようだ。
アメリカ軍の攻撃が激しく、マリアナ諸島の基地から四が飛び立つようになると、東京は言 うに及ばず、日本国中の都市が襲撃されているのに、鶴代達の住む坂の下の家が無事なのは不思 議なほどだった。 「ねえ東さん、戦争が終ると土地がものすごく値上りするんだってよ」 「戦争は終るのか ? 」 「終るでしよ。百年戦争だなんて馬鹿ばかしい。出来っこないじゃないの。沢山の人が死んじゃ って、食べるものも着るものもないのにどうやって続行するの、もう直きお手上げよ」 茶の代りに水を飲みながら、鶴代は確信めいたロの利き方をした。コップは汚れでくもり水は 不味かった。 「新聞だって、四分の一べらになってしまったじゃないの。資源涸渇で、もう長くはないって、 うちの局長さんも言っていたわ。いまはみんな逃げ出して空家も多いし、土地だって捨て値同様 だって、でも、戦争が終れば途端に地方へ疎開した人達がどっと戻ってくるでしよ。家だとか土 地とかが先ず値上りするんだってよ 「局長が言ったのか」 「そう、家を買いましようよ」 「どうやって買うんだ。金もないのに」 「私いま考えているの。東さんが闇物資を求めて小田原だの沼津方面へ出掛けるでしよ。千葉や 182