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検索対象: 世界史小辞典
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1. 世界史小辞典

せづーせむ かけてなお君主専制の形態が残って、いた。絶対主義の時代 は , 一方に封建的貴族の勢力が強く残存し , 他方に新興市民 の勢力が増大しつつあった時代である。官僚と常備軍の制度 はこの時代の特色であった。君主は , 貴族と市民の両勢力の 均衡状態の上に立って , 専制政治をおこなったわけである。 この時代の経済政策は一般に重商主義政策 ( フランスでは重 農主義もおこなわれた ) であって , 官僚 , 軍隊の維持のため にも貨幣の獲得に専心せざるを得なかった。従って植民地の 獲得に各国は狂奔した。ルネッサンス ( イタリア以外 ) , 宗教 改革 , 地理上の発見など , 近代の開幕の諸事象は , ほぼ絶対 主義時代におこったものであった。代表的な君主としては , フランスのルイ 14 世 * , イギリスのジームス 1 世 * , チア ルス 1 世など , 啓蒙専制君主としては , フ。ロシアのフレデリ ック 2 ・世 * , オーストリアのマリア = テレサ * , ロシアのカザ リン 2 世などがあげられよう。なお絶対主義時代の文化は , 一般に宮廷の保護をうけ , 豪壮 , 華麗な傾向をおびている。 [ せつどし ] 唐・五代の間に , 周辺民族にそな 節度使 えて , 辺境の各地に置かれた軍団の司令官。 710 年にはじめて設置され , 玄宗 * 朝には 10 節度使があり , 管内 の軍・民・財の権を握って強力となり , 8 世紀中ごろ安史の 乱 * に発展した。乱後は内地にもおかれるようになり , この 勢力争の中で唐朝は滅亡し , 五代に入ってから , これらの武人 武治が 50 余年続いた。宋に入って有名無実の状態になった。 1857 年にイギリスの支配に対抗して起 セポイの反乱 ったインド兵の反乱。セポイとはイギリ ス東インド会社のインド人傭兵の事で , イギリスの圧迫に対 し , はじめべンガルのセポイ連隊が武装蜂起し , 各地のセポ イもこれに応じ , デリーを占領し , ムガール皇帝は復活を宣 言し , 約 4 カ月後には全インドの 3 分の 2 に波及し , イギリ ス軍は大軍を出してこれを鎮圧 , おどろくべき残虐行為をイ ンド民衆に加えた。完全に鎮定したのは 2 年後で , これより インド統治権はイギリスの直接支配に入った。 アラビアを中心にする民族といわれる。セム族 セム族 の最初の移動は , 前 3000 年代の末チグリス・ユ ーフラテス地方に向かった。アッカド王朝のもとを開き , そ の一部は小アジア東部に植民した。以後この地方で活躍し , 一方南アラビアのイエーメン地方で , 前 1300 年ごろ活動 , 派はエジフ。トのナイル河上流地方に移住し , 後ェチオピア王 国として発展した。こうしてセム族はオリエント地方におけ 121

2. 世界史小辞典

い一せい た反動として , 老荘思想を背景として無為自然を説き , さら に礼教を無視した享楽生活をもおこなうに至った。また老荘 思想を儒教の中にとり入れて論ずる者も現われてきた 。っ して現実からかけ離れて , 空理を論ずる風が流行した。竹林 の七賢と呼ばれる者が有名。 [ せいでんほう ] 孟子 * が周代に行われていた 井田法 と説いた田制の事で , 900 畝の田を 100 畝づつ 井の字に 9 等分し , 中央の分を公田とし , 他の 8 つの区域を 私有させ , 公田を共同耕作させて , 収穫を国家に収める制度。 儒家の政治思想から生れたとされている。 金属時代の一つで , 銅器時代に続き , 鉄器 青銅器時代 時代の前になる。この青銅器の冶金術がど こで , 何時ごろ発明されたかはわからない。多くの学者はア ルメニアやカフカズ方面らしいと言う見解に傾いている。オ リエント地方では , B. C. 3000 ~ B. C. 2100 年ごろがこの前期 であった。メソボタミアではシ = メール , アッカードの諸王 朝が栄えていた時代である。このころ青銅は主に上層階級の 武器や装身具に用いられていたが , 型式は簡単なものであっ た。中期は B. C. 2100 ~ B. C. 1600 年ごろで , , くビロン第一王 朝 , カッシート王朝のころで , 青銅器としては剣・鉾・槍・ 闘斧などに用いられた。後期は B. C. 1600 ~ B. C. 1200 年ころ で , アッシリア帝国が起り , 各地に独自なものが表われてき た。青銅器には , いろいろな獣形のかざりがつけられ , 武器 や装飾品にも見事なものがあらわれた。エジフ。トでは , 錫が 少いので , 12 王朝 ( 約 2000 年ごろ ) から青銅器が現われ , 他 と比して余りふるわなかった。工ーゲ海方面は , クレタ土器 が発達していたので , 青銅器の製作は少なかった。中国では 殷周時代にあたり , 殷代前半では利器につくられ , 後半になっ て発達していろいろな器具が , これで製作されるようになっ た。ョーロッパではオリエント文化の影響をうけ , B. C. 18g 年ごろからと思われる。はしめ剣・短剣・鉾などの武器が発 達し , これと経済的分化に影響されて社会の分化が開始した。 この間にゲルマン人・ケルト人・スラヴ人という民族形成も 進んていった。しかし一般的にいってヨーロッパの青銅器時 代は , 他の古代文化圏に比べておくれていた。 、 ) Legitimacy 1814 ~ 15 年のウィーン会議で 正統主義 主導精神とされた主張。ナポレオンの擡頭と それに続くナポレオン戦争は , フランス革命の連続と考えら れた。従って , ナポレオン降伏後の事態の収拾は , 革命前の 117

3. 世界史小辞典

けれ一けん 動 * をおこなった。ゲルマン人は , 東ゲルマン人と西ゲルマ ゴート族 , ヴァン ン人に分かれ , さらにこまかくわけると , グル方矣 , アヴァルカ矣 , プルグンド方矣 , ス工ビカ矣 , ランゴノくル ド族 , フランク族 , アングロ = サクソン族 , ジ = ー ルマン族などにわかれる。移動の時期は , フランク族の日一 マ領内への移動が比較的早く , 全般的には 4 世紀の後半に始 まる。原始ゲルマン人の勇敢且っ素朴な生活は , タキッス * の「ゲルマニア」及び , シーザーの「ガリア戦記」によくえ がかれている。 Kerenskij ( 1881 ~ ) ロシアの政治家。 ケレンスキー ペテルスプルグ大学で法律を学び , 弁護 士となり社会革命党に所属して , 1917 年 3 月革命が起ると , 臨時政府に法相として参加した。この時ソヴィ = ト ( 労兵会 ) の政治的発言権強く , ケレンスキーはこれを圧迫したが , 11 月革命の際 , 包囲されたベトログラード ( レニングラード ) の 冬宮から婦人に変装して脱出し , イギリス・フランス・アメ リカの 3 国で亡命生活を続けている。 ( 1260 ~ 1368 ) モンゴル族の建てた中国の王朝で 元朝 モンゴル帝国第 5 代の汗フビライから元と称す。 〔概史 ] 都をカラコルムから大都 ( 北京 ) に移し , これか ら元朝の経略は東部アジアに重点がおかれ , まず高麗を従 え , さらに南宋をせめて減ぼし ( 1279 ) , その前後に日本を 攻め ( 1274 ・ 81 ) , さらに南海諸国にも還征したが , 海戦に は失敗した。元朝の領土はフビライ汗 ( 世祖 ) の時最大で , 中国本上・満洲・東蒙古・朝鮮・チベットなどを支配し , 4 汗国を監督下においた。しかし政治の方で , 蒙古人は農 耕社会に理解が少なく , 財政にくらく , 西域人や中国人に 財務をまかせ , 自分たちは奢侈な生活や仏事にふけり , ま ったく中国社会に寄生するような状態になった。その上民 族による蒙古人第一主義というような差別待遇は , 中国人 の反感をかい , 内政の混乱するうちに各地に反乱がおき て , 中国における覇権を失ってしまった。 「政治制度 ] 蒙古以来の固有の制度が多く , 特にフリル タイ ( 大集会 ) は , 汗位や国策の議決機関として重んじられ た。元朝になってもこれは残されていた。しかし多く宋 * の制度にならい , その上軍制を重視し , 地方官庁に断事官 [ ダルカチ ] を置いて政治の責任者とした。又各地にはじめ て省 ( 中書省の出張所行中書省の略 ) をおいた。 I 経済〕交通の便がよくなったので , 陸路り通商がよく 68

4. 世界史小辞典

ひっーひひ ントウムで歿した。業績は宗教的なものにとゞまらす「ピタ ゴラスの定理」としての幾何学や , 「地球の球形説と自転説」 としての天文学の部門に残されている。 Hittite B. C. 19 世紀ごろ , インド = ョー ヒッタイト ロッパ語族の一部が , バルカン方面から小 アジアに侵入し , ヒッタイト王国をたてた。 B. C. 14 世紀ごろ 広大なヒッタイト帝国を作ったが , しだいにおとろえ , B. c. 8 世紀以後 , 活動は停止した。ボガズケイの発掘で明らかにさ れたヒッタイト文化も , 文字が解読されていないので詳細な 点は不明である。しかし , ヒッタイト人は , オリエントにお ける最初の鉄器使用者として著名である。 AdoIf Hitler ( 1889 ~ 1945 ) ドイツ総統 とットラー 兼首相。少年のころ両親を失い , 日傭労働 者となったが , その間に建築も勉強した。その間政治に対し て関心を示し , このころから国粋主義と反ュグヤ・反カトリ ック・ドイツの世界支配を考えた。第一次大戦中は下士官と して活躍し , 二度負傷した。 1919 年ドイツ労働党 ( ナチス ) * に入党 , 以後この党の指導者として活躍 , 1933 年以降総統と して , ドイツ経済を躍進させた。徹底した全体主義政策を遂 行し第 2 次大戦をひき起し , 敗戦におわる直前自殺した。 Hyppokrates ( 約 460 ~ 377 B. C. ) ギ ヒッポクラテス リシアの医学者。「医学の祖」といわ れ , かれ以前の医学上の文献をあつめ , 観察と経験による医 学のあり方を示し , それまでの信仰に従属した立場から脱脚 した。かれのいう液体病理は , 人間の体内の液体の増減が健 康を左右するという考え方はきわめて興味深いものがある。 Pithecanthropus ビテカントロプス = エレクトウス Erectus 1891 年 オラングの軍医デュボアが中部ジアワのトリ ール附近で発 見した化石人骨で , 直立猿人ともいう。頭蓋骨の形は類人猿 に似ているが , 明らかに直立して歩行し , 手を使って生活資 料を得ていたらしい。発見された人骨から推定身長約 5 尺 5 寸 , 頭脳容積 850CC で , ゴリラと現代人の中間になる。 Pippin ( 712 ? ・ ~ 768 ) フランク主。カロリンガ ピピン 朝の創始者。メロヴィンガ家の宮宰チャールス = マルテルの子。 751 年に法王の承認を得て戴冠し , フラン ク王となった。一方 , 法王の頼みによってロンバルド ( ランゴ バルド ) 族の征討をおこない , ラヴェンナの地方を抑え , この 地方を法王に献上した。これが法王領 * の起源である。後 , 193

5. 世界史小辞典

たいーたい 事変 , インドシナの戦乱 , 原水爆間題など , 国際的対立は 随所にあらわれている。 ( 1850 ~ 1864 ) 中国の清朝に対して立ち上っ 太平天国 た , キリスト教を奉ずる軍のたてた国。清代 の社会不安に対して , 洪秀全 * が上帝会 ( キリスト教の会 ) を ひきいて , 広西で鋒起し , これに加わる農民も多く , 清軍を つぎつぎに破って北上し , 1851 年に太平天国と称した。 53 年 に南京を占領し , 都と定めた。これより 3 年間その勢は強く , 外国もキリスト教信仰のことで , 中立の立場をとった。 60 年 代になると曾国藩 * の組織した湘勇の軍を中心に , 清軍も反 撃に転じた。一方太平軍が上海に迫るようになると , 列国も 常勝軍などをむけてこれに対抗し , 国内でも地主・富豪の反 対にあって , 太平軍は衰えた。この太平天国軍の理想は , キ リスト教を取入れ , 中国の悪い習慣であるてん足や蓄妾など の禁止をさけび , 男女平等 , 土地均分など主張して実行に移 した。また弁髪をも取除こうとすることから , 彼らも長髪に したので , 長髪賊ともいわれた。 ( 太平洋防衛機構 ) Pacific Alliance 中 太平洋同盟 華民国 ( 国府 ) とフィリッピンが中心となっ て , 1949 年に提唱された太平洋の諸国の反共同盟。この反共 機構の考え方は , さらに韓国によっても支持されたが , イギ リス諸連邦は反対であり , アメリカも強い関心を示さなかっ た。その後 , 朝鮮事変の勃発を機会に , アメリカはアジア政 策を強化し始め , 次第にアメリカは英連邦諸国や , 英・仏両 本国をさそって , ついに 1954 年には , 東南アジア集団防衛 機 ht*(SEATO) が成立するに至った。 Continental barrier ナポレオン 1 世 * カ : 大陸封鎖令 イギリス攻略のために発布したイギリスに 対する経済封鎖令。 1806 年 11 月 21 日 , ナポレオン 1 世 が , フ。ロシアのベルリン滞在中に発布されたので , ベルリン 勅令ともよはれる。内容としては , イギリスとの通信及び通 商の禁止 , フランス及びその同盟国に居住するイギリス人の 逮捕 , イギリス商品の売買禁止などで , これによってイギリ スの国力の疲弊を企図した。しかし , ョッパの諸国は , 自国の農産物を輸出し , イギリスの工業製品を輸入して , 財 政をまかなっていたので , . この封鎖令をこころよく思わず , 結局 , この勅令を破ったロシアに対し , ナポレオンは遠征を 企図するに至った。ナポレオン 1 世のロシア遠征が , かれの 命とりになってしまったことは , 周知の如くである。 132

6. 世界史小辞典

しゅろーじゅろ 次第に商業資本の蓄積が活淡となり , 特に新大陸の発見はヨ ーロッパに価格革命をもたらした。こうして貨幣経済が発達 すると , 「貨幣が富である」という考え方が強くなり , 実際 に , 諸国家にとっては , 軍隊や官僚のための俸給が貨幣で支 給される関係から , 貨幣への要求が増大した。重商主義は , 貨幣は富という考え方を根底にもっている。重商主義とーロ にいってもいくつかの段階をもっている。 [ 重金主義 ] これは字の如く , 貨幣そのものを尊重し , 直接その獲得に努力する体制である。従って原鉱を産する 植民地が , 争奪の目標となった。その例として新大陸支配 の時代のスペインがあげられる。 「取引差額制度 ] これは , 直接の貨幣獲得の段階から進 んで , 外国品の輸人に対して , 国内の商品を輸出して貨幣 の流出を防ぐ制度で , 貿易差額制度といわれる。輸出人の 差額を貨幣で獲得する制度とともにおこなわれた。 「産業保護主義 ] この時代には , 産業資本が商業資本を 圧倒し始め , 国内産業の保護を目的として輸出の奨励 , 輸 入の抑制をおこなった。イギリス本国が , アメリカの植民 地に対しておこなった政策 , クロムウェル時代の航海条例 * などが , この政策のあらわれた例である。 [ 植民地 ] 植民地は , 重商主義の時代以後 , 貨幣獲得の ための地として , 又 , 商品の販売市場として , 原料の獲得 市場として , 大切な存在となった。なお , 重商主義の理論 家としては , フランスのコルべール * , イギリスのトーマ ス = マン (Thomas Mun, 1571 ~ 1647 ) が著名で , 特に重商 主義は別にコルべールティズムともいわれている。 LiberaI Party イギリスの政党の一つ。イギリ 重商主時代の植民地発展に関係する年表 1492 1521 1578 1581 1588 1600 1602 ヴァスコ = ダ = ガマのイ ンド航路発見 マジェラ . ンカぐフィリッヒ。 ンに到達 ロシアのシベリア進出 オランダ独立宣言 スペインの無敵艦除敗化 イギリス東インド会社設 オラング東インド会社設 1604 1651 1661 1690 1757 立 フランス東インド会社設 立 航海条例 イギリス , ポンべイを占 イギリス , カルカッタに 進出 フ。ラッシーの戦 ( イギリ ス , インドに覇権確立 ) 自由党 95 と保守覚 * ( 元のトーリー党 ) が , 典型的な議会政治の時代を スでは , 近代に入って , 自山党 ( 元のウィッグ党 )

7. 世界史小辞典

ふん一ふん ぞいてにいずれも亜熱帯に属しいずれも大河の流域にある 農耕が , 早くから発達した地域である。共に大河の増水期に もたらす肥えた土は , 沿岸を絶好の農耕地としたため , 経済 生活の向上から文明が生まれたのである。これらの地域で は , 治水の関係上 , 専制政治がおこなわれることが多く , 社 会的には奴れい制度がおこなわれていた。 エジフ。トでは B. C. 4000 年ごろからハム族 〔エジプト ] * の都市国家が成立し , やがて , ナイル三角洲を中心に下ェ ジフ。ト王国 , 三角洲の頂点から第一瀑布に至る間にエジフ。 ト王国が成立し , これが B. C. 3000 年ごろ統一された。こ れ以後 B. C. 6 世紀ごろまで古王朝 ( 2850 ~ 2052 B. C. ), 中 王朝 ( 2052 ~ 16 川 B. C. ), 新王朝 ( 1610 ~ 525 B. C. ) と分け られている。一時中王朝末期ヒクソスの侵人をうけて , こ れらの支配下に入った事もあった。 [ メソボタミア ] メソボタミアでは南部に B. C. 4000 年 どろ , 早くもシ、メル人が都市国家をつぐり , 楔形文字が 発明され , 農業季節の予想や耕地測量のため , 暦法や数学 なども知られた。その後周囲つ遊牧民がしばしば侵人した が , やがてセム族の古ノヾビロニア王国が立ち , ハムラビ王 * がでて古代メソボタミア文化の黄金時代を現わした。この エジフ。ト・メソボタミア両方の文化はオリエント文化とし て統一された。宗教としては王は現神とされ , また農耕に 関連して太陽神の信仰がおこなわれた。なおエジフ。ト人は 霊魂の不減を信じ , ド * におさめ ミイラを作り , ヒ・ラミッ たのは有名である。オリエントの文化遺産として重要なも のに , 文字がある。エジフ。ト文字は絵文字から発達し , 六 ビルス * にかかれた。シュメール人も楔形文字 * を用い , いずれも音標文字・表意文字をうんで , フェニキアに伝わ り , これからアルファベットが生まれるに至った。またオ リエントの沖積平野は毎年洪水にみまわれたので , 農業気 象を知る必要があり , 天文・暦法が発達した。エジフ。トで は一年を 36 日とする太陽暦もつくられた。バビロニア では早く月の運行を標準としていた。そして天文現象を人 事に関係させて予見する占星術もおこなわれた。さらに耕 地の測定や利子の算定などのために幾何代数の発達をみ た。メソボタミアではまた 60 進法が発達し , 建築は神殿 や宮殿などの宗教関係のものが多く , エジフ。トでは巨大な ンド , 人面獣身の石像のスフィンクスなどがある。 [ インダス文明」インドには旧石器文化もあるが , 新石 209

8. 世界史小辞典

あーく一あしゃ 14 歳で即位し , 親政中 , デカン高原を除くインドの大半とア フガニスタンの大部分を領有するに至った。みずからはイス ラム教徒であったが , ヒンズー教とイスラム教の融和につと めた。イスラム教教徒でないものへの人頭税の廃止 , 信仰の 自山の承認 , ヒンズー教徒の王女との結婚などがその例であ る。なお , 帝の治世の聞 , 政治や法律の制度の整備 , 文芸の 保護など各面に良政がおこなわれた。 Arkwright ( 1732 ~ 1792 ) イギリス人 アークライト で , 紡績機の発明をおこなった人。 1750 年頃理髪師となり , 1769 年には馬を利用する紡績機を , 1771 年には水力利用の紡績機を発明した。 1786 年サーの称号を うけている。 Acrop01is ギリシアの都市国家の中心 アクロポリス にある小高い丘。アクロスは「高い」とい う意味。政治 , 宗教の中心で , 防衛上の味を兼ねていた。 アテネのアクロポリスのパルテ / ン神殿は特に有名である。 Agora ギリシアの都市国家の中心の町。政治 アコラ の中心であり , 又商業取引場でもあった。 Afro-Asi an Conference 1955 アジア・アフリカ会議 年 4 月に , インドネシアのバン ドンで開かれたアジア及びアフリカの諸国の会議。有色人踵 の 29 ヶ国の参加が見られ , 日本からも代表団が派遣された。 この会議は議題として , 特定のものを用意していなかったし , 参加諸国は , 中共のようにソ連圏に属するものや , セイロン・ フィリピン・ダイのような親米国 , インド・ピルマのような中 立国などの各にわたり , 議事の運営には微妙な問題がふく まれていた。しかし , 中共の周恩来首相が会議をリードし , 諸 国の協力によって , 次のような諸問題がとりあげられ , 採決さ れた。①経済協力 , ②文化上の協力 , ③原子力の平和利用 , ④植民地主義及び人種差別反対 , ⑤世界平和宣言 , ⑥原子兵 器の使用ならびに実験の禁止。その他 , 中国とラオスの不可 侵条約 , 中国・インドネシア協定などが結ばれた。 Ajanta ンべーの東北部にあたる地 アジャンター 方。有名なアジャンターの石窟のある場 所。石窟は 30 近くもあり , その時代的分布は , 西歴前後から 7 世紀の前半に及んでいる。仏教の伝説図を多く , その画題 としインド古代文化の最高潮期のグフ。タ様式の美が十分発 揮されている。画風は , 唐 , 日本に影響し , 法隆寺の壁画の 様式にも影響を与えている。 4

9. 世界史小辞典

ゅん一よーま 越えた基本的人権の尊重 , 教育の機会均等ならびに文盲の撲 滅 , 未開発地域の開発 , 文化遺産の保存及び保護などである。 特に , 教育については力を入れ , 世界共同社会に生活すると いう国際理解の立場を強調して全世界によびかけている。現 在参加国は 50 ヶ国以上にのぼっており , その活動も活で ある。「心の中に平和のとりでをきずき上げる」ことが , ュネ スコ憲章の前文にのべてある目標なのであって , わが国も現 在ュネスコに加盟して , 活動がさかんになって来た。 Junker 「若い地主」という意味で , フ。ロシア ュンカー の農奴制にもとづく , 大農業経営を支配的に おこなっていた封建的貴族の総称。フ。ロシアでは , 19 世紀の 初期に , 上からの農奴解放 * がおこなわれたが , なお土地所 有者はその力を失わず , その地位を巧みに変換するか , 又は 依然として強力な土地支配をおこない , 資本主義的な農業経 営をおこなっていた。従って , 農奴制度はなくなったのでは なく , かえって強化されたかの如き観があった。しかも , ユ ンカーは , 資本家と結びつくか , もしくはみずから資本家と なりおおせ , 手工業者や農民は , 商業資本家や , ュンカーの もとに苦しんだ。従って , ドイツには , イギリスのヨーマン リー * のような自主的な産業市民層がなく , 市民革命は十分 におこなわれなかった。ュンカーはそのような意味で , 近代 化を阻止し , またはおくらせる存在であった。 よ Yeomanry 15 世紀頃に , イギリスに発 ヨーマンリー 生して活躍した独立自営農民層のこと。 イギリスでは , 既に 14 世紀の頃から地代の金納化がおこな われ , 農奴は , 土地の緊縛から解放され始めた。このヨーマ ンリーにもいろいろな種類があって , 「 40 シリング以上の収 入のあるフリー = ホールダー」を意味するかと思えは , 「自己 の土地を耕作するものは , すべてョーマンリーとよぶ」とも いわれる。一般に富裕な農民層というように考えられている が , 彼等は発展性のない都市のギルド制から逃避した小親方 (small Masters) とともに , 資本主義的な経営のしかたで毛 & にイギリスの農民は , 織物工業をいとなむに至った。こ 方に富裕なもの , 他方に貧困なものとに分かれたが , 前者は 産業の経営者として , 後者は賃銀労働者に転じていった。と にかく , トマス = モアの表現のように , 「羊が人を喰いつぶし 245

10. 世界史小辞典

るい ~ るい ナントの勅令 * を廃止してユグノー * を圧迫した。経済政策 としては , コルべール * を重用して重商主義政策を展開し , 国 内産業の育成 , 外国製品の流人を防いだ。一方 , 海外政策に ついては , 1664 年に東インド会社の再興をおこなったししか しョーロッパにおける列国との戦争は , すべて結果的には 有利ではなかった。終始 , 対ハフ。スプルグ政策に意を用い その抑圧に腐心した。ネーデルランド継承戦争 ( 1667 ~ 68 ) , オランダ戦争 ( 1672 ~ 78 ) , ファルッ継承戦争 ( 1689 ~ 97 ) , イ ーア継承戦争 ( 1701 ~ 14 ) などの諸戦争は , すべてフラ ス . ハー ンスにとって成功とはいえず 1 そのもたらしたものは , イギ リスの優越と , フランスの財政難であった。ルイ 14 世の時 代 , ヴ , ルサイユ宮殿の建築をはじめ , いわゆる宮廷風の文 化が繁栄し科学や芸術も保護され , こ & にフランス文化は , ョーロッパにおいて高い地位を保つに至った。 Louis XVI ( 1754 ~ 93 ) フランス革命前の ルイ 16 世 フランス王。 14 世以来悪化して来た財政状 態の回復策につとめ , チ = ルコ・一 * やネッケル * を採用して , 財 政改革にあたらせた。しかし , 一部の妨害者もあり , 回復は 困難であった。しかもこの間 , アメリカ独立戦争に援助をお こなったため , 財政はますます困難となった。 1789 年に , ネ ッケルの言を容れて , 打開策として 3 部会の召集をおこなっ たが , これを動機に貴族・僧侶と市民の対立が深まり , ついに 革命が勃発した。はじめ , 革命は立憲君主制の否定にまでは 至らなかったが , 王妃マリー = アントワネット * の出身がオー ストリアであったため , 王と王妃はオーストリアへ逃亡し , 反革命をおこそうとした。これを「ヴァレンスの逃亡」とい うが , その結果 , 1791 年 6 月に王及び王妃は捕らえられるに至 った。 1792 年 8 月にパリ市民はチ = ルリー宮におしかけ , 王 はタンプルの獄に幽閉された。後 , 国民公会で投票の結果 , 1793 年の 1 月に断頭台上の露と消えた。 Louis Napoleon ( 1808 ~ 1873 ) ルイ = ナポレオン ナポレオン 1 世の甥。ナポレオン 1 世の名声を巧みに利用し , 7 月革命後に次第に抬頭し , 左右対 立の混乱の上に立って , 2 月革命後は , ボナバルティズム ( 左 右の均衡した対立を利用してその上に独裁権力をふるう政 治 ) を発揮して頭角をあらわした。第 2 共和制の大統領にえ らばれ , 後 , 1851 年にクデターをおこなって大統領の任 期を延期し , 1852 年には皇帝となり , ナポレオン 3 世 * と称 した。これを第 2 帝制という。帝は , 国内では , 資本家と労 252