ヨーロッパ - みる会図書館


検索対象: 世界史小辞典
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1. 世界史小辞典

はん一ひか パの北半を席捲し , ラテン系のヨーロッパ南部及び , 南ドイ ッ方面には旧教はなお偉大な勢力を残していた。改革運動は イタリア , スペインを中心におこって , 1545 年以後 , トリエ・ ントの宗教会議は , 異端の撲滅 , 禁書目録の決定 , 宗教裁判 の励行などが議せられた。また , スペインにおけるジェスイ ット派 * の旧教張運動は , サヴィエル * , ロヨラ * の努力に よって , 相当の成果をおさめた。 [ はんちん ] 中国の唐・五代におかれた節度使 * 藩鎮 経略使・団練使をさすが , 普通には節度使をさす。 HannibaI (). C. 246 ~ B. C. 186 ) カルクゴ ハンニバ ) レ のポエニ戦争 * で有名な将軍。 ノ、ミルカル = , ヾルカスの子。はじめ , スペインの地の経営にあたってい たが , 第 2 ポエニ戦争で , B. C. 218 年にスペインを出発 し , アルフ。スを越えて北部からイタリアに侵入した。作戦功 成らて , カンネー , その他の戦にローマ軍を撃破した。しか し , ローマの名将スキヒ。オ = アフリカスス (Scipi0'B. C. 235 ~ B. C. 183 ) が B. C. 203 年にカルタゴの本拠をつき , , ヾルは帰国して , ザマ (Zama) で B. C. 210 年に決戦したが , ついに大敗した。以後 , 、ンニバルはシリアにのがれ , ついに 自殺した。 ひ East lndia Company 東インド会社と 東インド会社 いわれる企業はいくつかあるが , そのう ちとくに重要な役割を果たしたのは , 1602 年に設立されたオ ランタ・東インド会社 ( ネーダーランド ) と , 1600 年に設立され たイギリス東インド会社で , 共に 17 ~ 8 世紀にかけて , アジアにおいて 槌民活動をおこない , 西ョーロッパ のアジアへの経済的進出のほこ先と なり , また政治的進出の面でも大き な役割をはたした。いずれも成立し た時期は , ョーロッパの絶対主義 * の時代であり , はじめは商業資本の 集中された形として , ョーロッパ経 済にも大きな影響を与えたが , 産業 資本の力が優位になるにつれて , 次 第に解体していった。 1 第第 イギリス東インド会社

2. 世界史小辞典

構成されているのである。 . 文献の残っていない原始の時代は別として , 古代の文明発 祥以来 , 歴史的世界が相互に接触して関連するに至ったのは , 地理上の発見以降である。しかし , もっと直接にヨーロッパ 世界と東洋の世界が接触するようになったのは , 1840 年に おこったアヘン戦争以後のことである。このような考え方か ら , 世界史の構成を図表化するとつぎのようになる。 人類の出現ど原始社会 文明の発詳 ( オリエント , インド , 中国 ) 古代社会ど古典文化 中国 股 , 周 , 春秋戦国 秦 , 漢 , 南北朝 , の三大世界 中世 イスラム世界 ョーロッパ世界 中 裂 ノレス の コフ ス イ 帝ム ド 国教 会 地理上の発見 近代の胎動 ルネッサンス 宗教改革 アヘン戦争 第一次・第ニ次世界大戦 現代の世界史的世界 7 ヘレニズム文化 ↓ ↓ ロ 唐・宋・元・明 イスラム帝国 なお , ちなみに , 本書の時代別 ( 単元別 ) 索引は , この構成

3. 世界史小辞典

ま、一まじゃ Mac Do れ d ( 1868 ~ 1937 ) 貧しい農 マクドナルド 業労働者の子に生まれ , 後 , 新聞記者とな って労働運動に強い関心をもち , 1900 年以来政界で活躍し , 労働党を育て , 1924 年労働党内閣を結成 , 1929 年には 290 名 の議席をえて , 第一党となり第 2 次労働党内閣を結成したが , 世界恐慌の波にのまれ , 労働党内の反対をおして , 挙国一致 内閣をつくった。これにより労働党は没落し , 1935 年ポール ドウインに首相の地位をゆづり , 2 年後に歿した。 マグナ = カルター→大憲章 Mazarin ( 1602 ・ ~ 61 ) プランスの政治家。 マザラン ルイ 14 世時代の宰相。リシ = リューのあとを うけて , プルポン朝の絶対主義の確立に努力した。 Madjapahit ジャワの王国。 1294 マジアパイト王国 年に , 前の王朝が元のクビライ汗の 遠征軍によって崩壊したことにより君臨した。第 4 代の王た るハヤム = ヴルの時代には , ポルネオ , マラッカ , スマトラ などを領有して強盛をほこったが , 15 世紀には滅びた。 MarshaIl plan 1947 年 6 月 5 日 マーシアル = フラン ト大学で講演した際に提案した「ヨーロッパ復 に , 合衆国の国務長官マーシアル 226 ア帝国として , その連合国家となった程度である。第一次大 たが , オーストリアにおさえられ , オーストリア = ハンガリ ッテルニヒ * の下に入り , 国民の自由と独立の気運が高まっ になり , 封建国家の一つとして盛衰していた。 18 世紀後はメ た。 11 世紀のころから定住生活に入り , 統一国家をもつよう が , 漸次移動し , 現在のハンガリア人民共和国の地にうつつ 原住地はウラル山脈の西南方であった マジャール人 Magyars ハンガリア人をさす言葉で , ォルム * も反対活動をおこなった。 拒否し , モロトフ計画なるもので , これに対抗し , コミンフ った。このマーシアル = フ。ランに対し , 東欧 9 ヶ国は参加を でも経済協力局が設置され , 実際的な活動が展開されるに至 は欧州経済協力機構が成立した。又 , 1948 年には , 合衆国側 月の両回に , 欧州復興会議が開かれ , さらに 1948 年 4 月に 的援助をおこなう計画を樹立した。 1947 年 7 月 , 1948 年 3 自立をはかるため , 合衆国は積極的にヨーロッパ諸国の経済 うことが考えられた。このように , ヨーロッパ経済の安定と これらの諸国を復興させる目的をもって , 経済援助をおこな 興計画」。第二次大戦後 , ョーロッパ諸国が経済的に疲弊し ,

4. 世界史小辞典

次 目 ・↓っ朝一 0 1 よ 00 -4 4 -4 -4 ・ LO 冖ー一 0- 0- -0 、↓ 1 よっ朝っ 1 ワ 1 00 4 ・ 1 上、 1 、 1 、 1 1 亠 1 上 1 1 1 、 1 11 ワワ 1 っ 1 ワ 1 ワ 1 ワ 1 ワ 1 っつんっ はしがき・・ この辞典の特色と使い方・・・ 世界史学習の手引・・・ 時代別素引・・・ I . 国家 , 人種民族・・・ 北 . 原始社会・・ 1. 時代と文化・・・ 2. 人類と遣跡・・ 圧古代・・・ 1. オリエント・・ 2. ギリシア 3. ローマ・ 4. べプライ及びキリスト教・・ 5. アジア ( 中国は唐まで ) ・ Ⅳ中世のヨーロッノぐ・・ 1. 民族移動と対建社会・・ 2. 中世の諸国・・・ 3. キリスト教と中世文化・・・ 4. イスラム世界と東ローマ帝国・・ 5. 中世商業の展開・・ V. 中国の変化・・・ 1. 宋・遼・金・元・・・ 2. 専制国家の完成・・・ Ⅵ . 近代のヨーロッパ・・ 地理上の発見 1. 近代の抬頭ルネッサンス 宗教改革 2. 絶対主義・・ 3. 産業革命と近代市民社会・・・ 4. 西欧勢力の進出とアジアの近代化・・・ 3 っっ 1 ワ 1 ワ

5. 世界史小辞典

せい一せい ヨーロッパにかえすという考え方をもってなされた。この考 え方が正統主義である。これは , フランスの代表タレーラン の提唱するところであって , 具体的内容としては , 王制の復 活 , 革命前への秩序の復帰 , 保守主義による支配の強化など があげられる。 Balance of Power 近代ョーロッパの政治 勢力均衡 思想の一つ。一大国が過度に勢力を増大して 他の群少国を圧倒し去る危険を阻止して , 群小国の勢力を 集して , 大国に対抗しようとした。 特に 17 , 8 世紀のヨー ロッパの諸国の間に , この思想がおこなわれ , 対ハプスプル グ , 対フランスの勢力均衡の政策がおこなわれた。近年は , 小国は , 大国の衛星国の観を呈し , , くランス・オプ・パワー を実現することはできなくなった。 はじめポルトガルがインド航路を発見し , ア 西カ東漸 ジア進出のさきがけをしたが , 本国がおとろ え , オランダが南海方面に進出した。これよりオランダ・イギ リス・フランスは , 各々東インド会社を作ってアジアに進出し たが , インドではイギリスが勢力をもつようになった。一方 中国へはヤソ会の宣教師が , はじめ多く渡り , 中国内にヨー ロッパ文化を伝えた。これを普通宣教師文化といっている。 しかしョーロッパの資本主義の市場として , 中国はなかなか 自由にならず , 資本主義の市場としての役割は , アヘン戦争 後にもち越されるようになった。 西カ東漸に関係する年表 1498 1519 1537 1542 1549 1551 1571 1578 1600 ヴァスコ = ダ = がマ , ンド航路発見 マゼラン世界周航でフィ リビンに達す ポルトがル人初めてマカ オに来る ザヴィエル , インドに来 る ザヴィエル , 日本に来る オランダ人東洋進出マラ ッカ占領 スペイン人マニラに根拠 地おく ロシアのシベリア開拓始 まる イギリス東インド会社設 イ 1669 1675 1699 1747 1757 1839 立東洋経略始む ベルギー人フェルビース ト ( 南懷仁 ) , 清に用いら る 清 , イギリス人にアモイ で寶易許す 清 , イギリス人に広東で 寶易許す 清 , 外国人宣教師の国内 居住禁す フ。ラッシーの戦 , イギ リス , べンがル地方をお 清 , 英船の入航禁す→ア ン戦争 118

6. 世界史小辞典

ひさーひた 軍の内乱やナチス空軍の惨劇に影響され「ゲルニカ」をかき , ナチ占領下もパリでがんばり戦後この聞の作を発表 , 最近で は「朝鮮の虐殺」にその思想傾向がよく現わされている。 東ローマの文化で , 古典ギリシア文化の ビザンツ文化 影響と , サラセン文化の影響および , ギリ シア正教の下に東方風の影響とをうけた。すなわち , シリア・ アルメニア・ベルシアなどの文化をつよくうけている。この 文化はバルカン , ロシアに大きな影響を与え , 西ョーロッパ の文化にも影響して , ルネッサンスへの一大要素ともなった。 ーー ) 東ローマを参照。 ドイツ帝国の成 Bismarck ( 1815 ~ 1898 ) ビスマルク 立の立役者で , 初代の宰相。フ乍シアのユ ンカーの家に生まれ , ゲッチンゲン大学に学び , 1847 年に政 界に入った。政界でしだいに勢力をもち , 1862 年フ。ロシア 宰相になり , このころからドイツ統一を目ざした。 1871 年統 ードイツ成立後 , その宰相として , 巧みな外交と , 強固な軍 事力によって対外的地位をあげた。しかしウィリアム 2 世の 積極的対外侵略策と意見があわず 1890 年引退した。特に統 一後は , 対カトリック教徒の文化斗争 * , 社会主義鎮圧政策 に腐心した。かなりの大食家であったといわれる。 Peter the Great ( 1672 ~ 1725 ) ロシア ピーター大帝 の皇帝。ヒ。ョートル , ペートルなどとも よぶ。ロシアを , ョーロッパ諸国に比肩し得る強国とし , 「ヨ ーロッパへの窓をあけた」といわれる人物。彼の時代にロシ アは , トルコと戦って黒海へ進出 , 北方戦争でスウ = ーデン と戦って北海に進出して , 一躍ロシアはヨーロッパ列強の仲 間入りをするに至った。一方 , ピーターは , ・みずからョーロ く諸国におもむき , 文物 , 制度の移入につとめた。特にア ムステルグムでは , 船大工の中に入って造船業を学んだりな どした。税制 , 軍制 , 郵便の制度の改良 , 産業の振興などに っとめ , 実績も大いにあがったが , これらの改革は , いわゆ る「上からの改革」であって , 社会の根本からの変革ではな く , 表面的な近代化に終ってしまった。 Pythagoras ( 571 ? ・ ~ 497 B. C. ) ギリシア ピタゴラス の哲学者。イオニアに生まれ , エジフ。トを はじめ地中海周辺を旅行して智識をひろめた。僣主のため 故郷のサモスをおわれ , 南伊のクロトンで学校を経営した。 霊魂の不滅とその輪廻をとく神祕的な宗教をといたといわれ る。しかし 6 世紀末ここの民主勢力の首領におわれ , メタポ 192

7. 世界史小辞典

とうーとう 臨時首席となったがすぐ辞任した。後「フランス国民連合」 (RPF) を指導しているが , あまりふるわないようになった。 [ とうざいこうしよう ] 東西交渉がひらかれ 東西交渉 たのは , 前漢の武帝の時 , 張騫 * が 2 回にわ たって , 貿易使節をともなって西域にいってからで , これ以 後シルクーロード * が生まれた。その後もつゞけられ , 仏教も 中国に入った。唐の時には , 西域・南海をも通じて , さかん に西アジアとの交渉があり , 文化もさかんに交流した。蒙古 が東西の洋にわたって大帝国をきづいてからは , ョーロッパ 人もさかんに , 陸路・海路を廻って元にきている。明代に入 ってから鄭和 * が 7 回にわたって南海に遠征し , 南海諸国が 多く朝貢してくるようになった。これ以後はインド航路もさ かんになり , 東西交渉は海路をもって , 頻繁におこなわれる ようになった。 東西交渉に関係する重要年表 B. C. 329 B ℃ . 139 B. C. 1 世紀 A. D. 97 166 アレクサンダー大王西ト ルキスタンまで遠征 前漢の張騫 , バクトリア まで行く (—B. C. 126 ) これより西域との貿易開 かる 中国の絹パルチアを通じ ヨーロッパに伝わる ( シ ルク = ロード ) 班超の部将 , 苻英べ . ルシ アに行ってかえる ローマ帝マルクス = アウ レリウスの使漢にくる 59 ~ 75 仏教中国に伝オ ) る 399 冊法顕インドに至る ( ~ 414 ) 401 鳩羅什西域よりくる 500 このころゾロアスター教 伝わる 629 冊玄弉インドに至る ( ~ 645 ) のころ 671 694 712 755 1219 1246 1294 1405 1492 旧義淨インドに至る ニ教唐に伝わる 玄宗即位 , このころ西域 の風俗長安で流行す 唐 , サラセンと戦う , 紙 の製法サラセンに伝わる 唐盛んに西域と交渉ネス トル ( 635 ) 伝わるイスラ ム ( 700 ころ ) 伝わる 蒙占大帝国をつくり東西 交渉さかえる 法王イノセント 4 世フ。ラ ノ = カルビ = を元都につ かオ ) すマルコ = ポーロ元 にきたる ( 1275 ) このころヨーロッパ人多 く泉州に至る 明の鄰和南海諸国に遠征 ヴァスコ = ダ = ガマ ンド航路発見 ( 1860 ~ 7 の清朝の末の同治帝の時 , 内外の 同治中興 政治の再建に努力し , 或る程度の成果を得た こと。太平天国 * やアロー号事件 * によって , 国威がおちた のをもりかえそうとして , 人事を届リ新し , 機構を改めて留学 生を派遣し , 洋式軍隊制を採用した・り , 官営工場を設立した 156

8. 世界史小辞典

った国民意識を是正する使命をおびているといっても過言て はない。 個人が , 社会において自山 , 且つ平等な基本的人権をもっ ているのと同じように , あらゆる国家 , あらゆる民族が , 世 界共同社会において , それぞれ平等な権利と義務をもっとい う考え方こそ , 世界史学習の方向なのである。西洋編重の傾 向はこの意味で反省されなければならないし , 誤まった自国 讃美 , 愛国精神は是正されなけれはならない。従来の西洋史・ 東洋史という二本建てのゆき方は ンに世界史としてまと められるに至ったのである。 . 世界史はどのように構成されているか 世界ということばを聞くと , われわれは地球上のすみから すみまでの広大な空間を予想する。もし , そのような世界を 世界史の学習の上に考えるならば , われわれは , ミクロネシ アや , ポリネシアの土着の人々や , ェスキモー人たちの歴史 をも注意深く学ばなけれはならないことになる。しかし , か れらの歴史が , 一体どれだけわれわれの現在の生活に影響を 与え , 且つ関連をもっているであろう。おそらく , 殆ど関係 がないといってもよかろう。 そこで , 相互に歴史的関連のある一つのまとまった世界を , 世界史を学ぶために予想せざるを得なくなる。このような世 界を一般に歴史的世界とよんでいるが , これが現在 , 地理な どでいうところの , 地球大の世界と異なることはあらためて 説くまでもない。歴史的世界というのはつまり , オリエント 世界とか , 地中海世界とかョーロッパ世界とかいう , 歴史的 な経過の中にあって相互に関連する世界をさしているのであ しかし , 中世のヨーロッパと日本は , まず異った歴史的世 界にあったといえよう。この二つを同じわくの中にはめ込ん で学ぶことは不可能である。特に東洋では , かなり長い間 , 中国・インド・日本などの諸国はそれらを含めた東洋世界と いう大きな統一体を構成することがなかった。従って , 各国 が , それぞれのテンボで , 独自の歴史的発展をとげて来た。 前にものべたように , 歴史は , 現在の理解のためのものであ るという点から , 現在という基点にたては , 分裂していた歴 史的世界がどのようにして世界史的世界へと発展するに至っ たかということが世界史の課題であることがおのずから明ら かとなるであろう。また , 世界史はこのような構想のもとに 6

9. 世界史小辞典

ちん一一ちん 戦死したが , 部下の 1 部と 1 隻の船は , ついに世界 1 周を 成し遂げた ( 1522 ) 。 〔発見の結果 ] 上述のような地理上の発見は , ョーロッ パに大きな変革をもたらした。即ち , 第 1 には異常な商業 の発達であって , 東方からの胡椒などを含む香味料も多く 輸入され , ョーロッパの商業は急速に活化した。また , 新大陸からの英大な量に及ぶ , 銀の流入はヨーロッ六に価 格革命 * をひきおこし , 商業の活浚化とともに , いわゆる , 重商主義 * の発達を促進する結果となった。この際 , イタ リア都市 , 南独の都市の勢力が急速に衰え , 変って , スペ イン , ポルトガルなどの新興国家が強大になったことを見 のがしてはならない。第 2 には , キリスト教の弘布があげ られる。スペインやポルトガルはイスラム教徒をイベリア 半島から駆逐した旧教国であったことを考えてもすぐわか ることであるが , 地理上の発見後 , ヤソ会 * が東洋布教 した事実が , そのことを物語っている。取りまとめて , 地 理上の発見は , ョーロッパ人に未知の世界への目をみはら せ , ( アジアにおいてはヨーロッノぐ人の渡来という形では あるが ) 地球上の世界の地が , 何らかの形で世界史の流 れに加わってゆく動機をつくったことなど , きわめて重要 な意義をもっている。 1483 1489 1492 1497 1500 1521 1522 1532 地理上の発見に関係する年表 = ディアス , 喜望岬を発見 ノ、一ソロミュ インドのカリカットに到る ヴァスコ = ダ = ガ・マ コロンプス , サン = サルヴァドル島到着 ( 新大陸発見 ) アメリゴ = ヴェスデッチ , 南アメリカを発見カボット北米東 岸へ カプラル , プラジルを発見 コルテスのメキシコ占領 マゼランの部下の世界 1 周成る ビサロのベルー征服完了 [ ちん ] ( 557 ~ 588 ) 中国の南北朝時代の南朝最後 陳 の王朝。梁朝の権臣であった陳氏が建国した国で , 北 朝の北周と戦ったが , 北周にかわった隋 * に滅ぼされた。 ( こ の他安南で 1225 ~ 1413 の間建っていた王朝も陳朝という。 ) [ 成吉思汗 ] ( 1167 ? ~ 12 幻 ) 蒙古帝国の建 チンギス汗 設者で太祖とよぶ。幼名はテムチン。 1204 年モンゴル全部族を統一 , 1206 年にチンギスの名を奉られカ / の大位についた。以後大遠征をはじめ , 中央アジアから 料 3

10. 世界史小辞典

ふい一ふえ PhiIip Ⅱ ( 1527 ~ 1598 ) イス / フィリップ 2 世 ア王。神聖ローマ皇帝チャールス 5 世 の子。フランドル地方 , ネーデルランドを領有し , さらに海 外では , 新大陸に広大な植民地をもち , イスパニアの絶頂期 を形成していた。 トルコと戦って , レバントの海戦 * でこれ を破り , 地中海に君臨したばかりでなく , ポルトガルをも合 併 ( 1588 ) して , 東洋にもさらに積極的に進出した。しかし イスパニアの絶対主義も , ネーデルランドの反抗 , オランダ の独立 * , 無敵艦隊 * の敗北 ( 1588 ) を機に , 衰退の一路をた どるに至った。なお , フィリピン * という呼び名は , フィリ ップ 2 世にちなんだものである。 HC over Moratorium ド フーヴァー・モラトリアム イツの賠償問題が , 1931 年にヨーロッパをおそった恐慌のため , ゆきなやみの状態と なり , ョーロッパ諸国も , アメリカへの戦債の支払いが困難 となった。ここで , 1931 年 6 月に , アメリカの大統領フーヴ ( 1874 ~ ) は , フーヴァー・モラトリアムという支払猶 ア 予を宣言し , 1 ケ年間 , ドイツの賠償支払いならびに , ョー ロッパ諸国のアメリカへの戦債支払いが猶予された。 Containment Policy アメリカのトル 封じこめ政策 ーマン主義 * にもとづいた対共産主義勢 力の政策。このことばは , 前アメリカ駐ソ大使ケナンが使っ たものであるが , 具体的には , ソ連圏の勢力を現在 ( 当時 ) の線でおさえようとするものであった。しかしこれは , 1952 年以後の共和党の「捲き返し政策」に比べると , 線の弱い消 極的なものであった。 Fair DeaI フェア = ティールは , フェア = ディール ルーズヴェルト * のニ ル * の名に因んで , よばれたことばで , トルーマン大統領によ るアメリカの経済政策である。第二次大戦後のいわゆる戦後 プームの好景気の時代をへて , な新しい経済政策が期待された。 = ディールをつぐよう 1949 年 1 月に再選された トルーマン大統領は , 失業防止 , 生産の活撥化を , おこなう ため , フ = ア = ディル政策をおこなった。これによれば , 鉄鋼業への政府の融資 , 電源の開発 , 最低賃銀の引上げ , タ ートレー法 * の廃止 , 社会保障の充実 , 経済の安定 フト・ などがはかられた。しかし , 間もなく , 朝鮮事変が勃発した ため , 経済は臨戦態勢に切りかえられ , フ = ア = ディールは 実現されなかった。 198