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お食い初めは、生後百日めか百ニ十日めに する お食い初めの祝いは、箸ぞろえ、箸初め、魚 味の祝いなどといい、赤ちゃんに初めてご飯を もら 食べさせる内祝いです。昔は、五十日めに餅を ついて祝いましたが、それがいつのまにか百日 めか百二十日めのお食い初めになりました。 わん ほんぜん この祝いの本膳に使う膳、椀、箸などは、す べて新しいものをととのえます。昔のしきたり でどおりにすると、本膳は一汁三菜で、ご飯を山 業盛りにして、その上に小さく丸めた握りめしを 二つか三つのせます。汁の身は鯛か鯉。菜は金 ゃなぎ 、刀がしら 産頭 ( ホウボウ科の魚 ) の焼物。箸は柳の白木、椀 かわらけ 皿は土器です。しかし、現在は、赤ちゃん用の ミルクコップつきのランチ皿などで、お料理も アイデアを生かして祝ってあげてください。 かな おい初めは、生後百日めか百二十日めにする ノ 109
K をみ〃 0 イ ES KOBUNSHÅ 光文社の「カッパ・ホームス」誕生のことば カツ・ハ・ブックス集団に、また新しいシリーズが生まれた。 ハ・ホームス」である。日本人の家庭生活にかかわる、あらゆるテーマ を読者とともに考えていくものだ。 戦後一一十四年、社会のめまぐるしい変化は、家庭の中へも急速に浸透 してきた。父の権威を中心とした「家」は、夫婦を軸とする「家庭」へ ちゅうばう へんばう と、大きな変貌をとげている。「男子厨房に入るべからず。」という古い 考えは一掃され、愛情と理解の上にきずかれる近代家庭が育らはじめて だが、家を社会からの逃避の巣とえ、夫と妻の一一人だけのしあわせ を生きがいとする無気力なマイホーム主義者もふえている。 「カ、 ツ・ハ・ホームス」は、このような現実をふまえ、家庭とはなになのか、 しや生きるとはどういうことなのかを、素朴なで追究していきたい。 今後発表する多くの本によって、男女を問わず日本人の一人びとりの これが、「カッパ 生活が、より明るく、より豊かになってほしい ホームス」創刊の願いである。 昭和四十四年十一月一日 そばく
酉の市で買う熊手は毎年大きくしてゆく 語知人の受賞を知ったら、とりあえす祝電を とり おおとりワ】 打っ 十一月の酉の日に行なわれる開運の神、鷲 みようじん 十一月三日の文化の日には、いろいろな授賞明神の祭礼は、昔は「トリのマチ」といいまし の発表がおこなわれます。この日は、明治時代た。マチは祭りの意味です。一の酉、二の酉、三 の酉といい、三の酉まである年は火事が多いと は天長節、その後は明治節として祝われ、昭和 いわれます。鷲明神は大阪堺 6 大鳥神社が本社 二十三年から「自由と平和を愛し、文化をすす で、その他は末社といわれ、東京にもあちこちあ める」国民の祝日、「文化の日」となりました。 あさ・、ま、 じんりよく この日、科学、芸術、文化の分野でとくに尽力りますが、浅草のお酉さまがもっとも有名です。 いりふね たふく 露店には熊手、お多福面、入船などのほか、 し、国家に貢献、功労のあった人に文化勲章が ざさ らんこうりよくおう かしら かしらいも 贈られます。このほか、藍、紅、緑、黄、紺、人の頭になれるというので頭芋をおかめ笹に通 しじゅ ほうしよう おんし 紫綬の六種類の褒章、芸術院恩賜賞、芸術院賞、したものなどの縁起ものが売られます。熊手の その他、公的私的なさまざまの賞があります。売買が成立すると景気づけに手拍子をして渡す 親戚や知人がこれらの賞を受けたら、さっそのも、昔ながらの江戸情緒。縁起をかつぐ商家 く花なりお酒なりを持って、飛んで行ってお祝では、商売が繁盛して店が大きくなっていくよ いをのべましよう。もし、時間がなくてすぐ行うに、という願いをこめて、毎年少しずつ大き な熊手に買い替えていきます。 けないときも、祝電だけは忘れずに。 こん とり くまで さか、
たなばた たんざく 七夕飾りは六日の宵に飾る 七夕飾りの短冊にはけいこごとの上達ばか りでなく、恋の祈願を書く 七月七日の七夕祭りは、本来は旧暦のもので あまがわ す。そのころにしないと天の川も見られなけれ 陰暦七月七日の七夕の風習は、中国から伝わ っゆくさ ば、露草もまだほころばず、ほんとうの七夕の って以来、宮中のだいじな行事の一つになって せんだい 情趣は味わえません。有名な仙台の七夕祭りは いましたが、江戸幕府が七夕を五節句の一つと 一月おくれで行なわれています。七夕の行事は定めたため、民間にも広くひろまりました。 けんぎゅうせいしよくじよせい 天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが、年に 一般では、手習いの普及とともに七夕竹の風 一度、七月七日の夜に相会するという星祭りで習が広まり、色紙、短冊のほか、手芸の上達を そろばんすずり す。中国伝来の書道や裁縫の上達を願う祭りの願う五色の糸、算盤、硯、筆など、そのものズ たなばため 、きこうでん ま乞巧奠と、日本固有の棚機っ女の信仰がいっし ハリの品をくくりつけて、上達を祈るようにな 晦ょになってできたものといわれています。 りました。でも、七夕祭りはもともと織女と牽 五色の短冊に歌や文字を書いて笹竹に結びつ牛の美しい恋物語の伝説にもよるのですから、 日一けた七夕飾りは、六日の夜に飾ります。芋の葉ただ習いごとの上達を祈るだけでなく、もっと の露で墨をすると、習字がじようずになるとい ロマンチックな願いをかけてはいかがでしょ 章 四われ、七枚の梶の葉に歌を書いてたむけたりも う。若い人なら、星に恋を祈願するなど、すて します。 きではありませんか。 たんぎく かじ 211
かきぞ 8 はつがま 書初めも十五日に燃やす ためしふできっしょふではじ 書初めは、試筆、吉書、筆始め、初硯などと 松の内も終わりに近くなるとおけいこ始めの もいいます。宮中では、昔から二日に「吉書始時節です。お茶のおけいこ始めを初釜、点初め ごぎっしよさぎちょう め」の行事が行なわれ、十五日を御吉書三毬杖などといいます。一般のお茶の先生方のところ といってこれを焼きました。この行事は現在もでは、だいたい松の内に初釜が催されます。 すみ かん つづいており、一般でも、若水で墨をすり、菅初釜の席をつくるには約東事があります。床 こう はつはる 公の画像をかけ、恵方に向か 0 てめでたい詩歌の掛物は初春にふさわしい語句、和歌、消息な てんが ゃなぎつばき の句などを書きます。私の実家の裏千家でも、 どの典雅なものを。花は結び柳に椿ときまって 二日に、家元が年始まわりから帰るのを待っ います。床の間の天井近くから途中で輪に結ん て、一家中で書初めがはじまります。お習字はで、しかも床畳にゆたかに流れるほどの長い柳 だいすこうらいじよく あまり得意でなかった少女時代の私も、この日を使います。台子、高麗卓、その他棚物にはし ちよくだい ばかりは半日筆を持たされて、勅題や「君が代めをかけます。道具立てすべてにそれぞれその ・ : 」などを書いたものです。 年のよそおいを凝らします。いっぽう、平素は この書初めを十五日に焼き、紙が炎の勢いで ミニスカートでおけいこなさるお嬢さん方も、 高く舞い上がれば上がるほど、手が上がる、つ この日はお振袖で和やかに睦び合って、初釜の まり字がうまくなるといいます。 雰囲気は高まります。 317 しよけ人 初釜は松の内に開かれる むつ 194