盆の家は、灯を飾る すだれと岐阜提灯は、涼を呼ぶ室内装飾品と して日本が世界に誇っていい傑作でしよう。私 の家でも宗教的な意味とは関係なく、夏のタベ には、必ず岐阜提灯をともして楽しむことにし ています。 とうろう 昔は、戸外に灯籠のさおを高くたてて、新盆の 家は六月末日から、一般の家は七月から灯をい れたのが、しだいに最初と最後の日とか、十三 ま日から十六日だけに灯をともすようになり、そ 日 - 晦れがさらに室内にさげるようになりました。提 ら灯は本来は白張りで、いまでも新盆だけは白張 日一りを用いるところもありますが、江戸の末期ご 元 ろから変り形となりました。現代では、さまざ 四まに美しく彩色したり、草花などを描いたりし たものが好まれています。 362 ′ヾ 新盆の家は、盆提灯を飾る 219
としドみ 正月の行事は歳神様を祝うためにある 期正月は水道の蛇口に輪じめを飾る わかみず 正月に家々に迎える神様を歳神といいます。 元日一に汲む水のことを若水といいます。この くもっ 別の名をお正月さま、若年さまなどとも呼びま水で歳神様への供物や家族一同の食べものを炊 す。昔、お正月さまは、白髪の福相の老人だとき、また、めいめいが口をすすいだり、茶を点 考えられていたようです。いまでも、ある地方てたりします。若水を汲むときは、鏡餅や米を ふん となごと では、若者が白髪の老人に扮して、大晦日の夜水神様に供え、縁起のよい唱え言をして汲み上 家々をめぐって子どもたちを訪れ、お年玉としげます。井戸のない都会でも、元日一の朝、小さ もら て餅を与える行事が伝えられているところがあな輪じめを飾った水道の蛇口から若水を汲んで ります。 すがすがしい気持ちを味わうのもよいことだと としだな えほうだな 思います。 ま歳神は、ふつう、年棚とか恵方棚を新しくっ 裏千家では、元旦の午前四時ごろになると、 海くっておまつりします。そしてこの棚を、しめ 大なわ ら繩や白紙で飾ります。神前にはお神酒とともに家元が黒紋付の正装で、井戸から若水を汲み、 ぐりしがき こん 、かかがみもらそな 旦鏡餅を供え、さらに、白米、かち栗、干柿、昆そのとき、前日から井戸につるしておいた三角 とそ えび 布、するめ、海老など歳神がお好きなものや、袋入りの屠蘇も引き上げます。炉には若水を汲 てまえ うらじろ 四おめでたいものを裏白やゆずり葉にのせてお供み入れた大釜が掛けられ、家元のお点前で大福 茶が点てられます。 えして、感謝の気持ちをあらわします。 じゃぐちわ
死亡した日に医者の支払いをすませる 遺体が家にある間は、神棚は扉をしめ、白 医者〈の支払いは、病院で亡くなった場合は紙を貼っておく 遺体となって退院するときにすませます。病気 不幸に見舞われた家の家族なり近親者は、た が治って喜々として退院するのとちがって、医だちに家の中の派手な装飾を取り除き、整頓さ 師の処置が完全ではなかったとか、看護婦が不れていないところは、見苦しくないように整理 親切だったとか、遺族はどうしても不満を抱い しなければなりません。神棚は扉をしめ、白紙 たり、うらんだりしがちです。あきらめるにあを貼って封じます。 すだれ きらめきれぬ思いでしようが、しよせんはそれ 戸口には、外から一見してわかるように簾を きちゅうふだ でまでの寿命だったと考えるしかありません。で裏返しにして下げ、その上部に忌中札を貼りま 養きにくいことですが、精一杯尽くしてくれた医す。一般には、半紙を真四角に切って黒輪郭を 忌師や看護婦には丁重に礼を述べ、特別に世話をつけ、中に「忌中 . と書きますが、地方によっ わく らかけた人には、それ相応のお礼のお金を包むのては黒枠をつけず、また半紙も原形のまま縦長 が礼儀です。 にして使うところもあります。葬儀の日時が決 自宅で病死した場合も、かかりつけのお医者まったら、この忌中札の下の部分に書き入れま 三さまへの支払いは、すべてその日のうちにすます。現在では、これらの用意も、葬儀社でやっ せます。 てくれる場合が多いようです。 みゼな とびら 131
社宅の引越しの挨拶は、夫婦でまわる 引越し先の挨拶には、はがきや手拭いを用 いる 近所づきあいでもっともむずかしいのが、社 転勤などによる引越し、新しく家庭を持つな宅住まいの場合だといわれています。会社での ど、新しい土地に移ることが多いのも四月です。ご主人の身分が社宅の交際にもちこまれ、社宅 のニュースが、そのまま会社内に運ばれるので なれない新しい土地に移ってきて、やはりなに かとたよりになるのはご近所です。「向こう三すから、交際には慎重を要します。 社宅に移ってきたら、まず挨拶まわりをきち 軒両隣り」というのが昔から近所づきあいの範 囲でした。近ごろは家の建て方や世帯数まで雑んとしておくこと。社宅の場合は、夫婦そろって 然としてきたので、このことばがそのままでは少しでも関係のある家へはまわっておくのが礼 ま通用しないかもしれませんが、その心づもりで、儀でしよう。最初の印象をよくしておけば、あ 晦引越してきたら、さっそく挨拶をしておきましとあと気楽です。頭を低くしたからといって、一 銭のソンをするわけではありませんから、だれ らよう。はがきを五 ~ 十枚くらいか、手拭いなど に名刺をそえて「どうぞよろしくごとまわりまかれを問わず笑顔でていねいなお辞儀をしてお きましよう。特定の人とあまり親しくならず、 四ア。ハートなら同じ階の両隣りと、上下の家に耳にしたゴシップは他にもらさないこともお忘 れなく。 挨拶をしておくとよいでしよう。 あいさっ てぬぐ
葬儀の形式は故人の気持ちを尊重して決め葬儀社へは予算をはっきり言っておく る 葬儀社への連絡は早ければ早いほど便利で 葬儀の形式は家の宗教で決めるのがふつうです。電話をすれば、道標の貼紙や、祭壇の見本 すが、故人が生前、家宗とは違う宗教を信仰し帳などを持って出張してくれます。ですから、 ていた場合は、故人の気持ちを尊重して、その通夜に祭壇を設けるときには、初めから葬儀社 に来てもらうことになります。 宗教の形式を選ぶのが順当です。 葬儀の形式のほかに、都会では葬儀の場所を 葬儀社にはざっくばらんに予算を告げて、相 どこにするかも、頭の痛い問題です。通夜は近談にのってもらうといいでしよう。ふつう、葬 おおい 親者だけが集まって自宅でやるとしても、本葬儀料には、寝棺、納棺用付帯品、棺覆、霊前祭 儀は家が狭くてとても会葬者を収容しきれな壇用品、祭壇飾付道具、告別式用焼香具、記録 れいきゅう 、という場合がよくあります。このようなと用紙、霊柩自動車、火葬費、納骨容器などの費 くもっ きは、寺院、教会、公共の斎場などで営みま用が含まれています。ただし供物や供花は別で す。仏式なら寺、神式なら神社、キリスト教なす。葬儀料は、下は四万円ぐらいから、上は五十 万円ぐらいまであります。そのうち、祭壇はニ ら教会でします。斎場ならどの宗教でもかまい ません。死者や喪主の社会的地位、交際範囲な万円から二十万円、寝棺は一万円から五万円、火 どによって、適当な場所を選びます。 葬料は一一千円から一万円ぐらいにあたります。 138
うけしょあてな 目録と受書の宛名は、本人名とする 結納は、双方持ち寄りで交換するのもよい 結納の使者は、男性方の結納を女性方〈とど結納目録や受書の用紙は、ふつう大奉書を縦 うけしょ け、その受書とともに女性方の結納を持って男折りにした二枚重ねを用いますが、いまは、目 性方 ~ もどり、男性方の受書を持ってまた女性録も受書も結納飾りとセットになって印刷され たものを売っていますから、持ちなれない毛筆 方へとどけてめでたく授受が終わります。しか し、両方が遠方だったりすると使者がたいへんで無理して書かないでもけっこうです。ただ、 はんざっ です。最近は煩雑さをさけ、仲人の家で行なう名まえだけは書き込まなければなりません。 ケースが多くなっています。この場合は、中央家と家との婚姻であった時代は、結納も両家 下座にすわった仲人が、男性から女性貸女性の親から親〈の受け渡しでしたが、現在は、本 人同士が主体です。したがって書き込む名まえ から男性へと双方の結納品を取りつぐのです。 恋愛の場合は仲人もいないので、双方が一堂は本人名を書くのが当然です。このとき、気を すみ つけなければならないのは墨の色と書体です。 に会して結納を交換するのが合理的です。私の 知人で、男性の両親と本人が、女性側に結納を持墨の色が薄いのは不吉につながりますから、で かいしょ 参して行ってごちそうになり、女性側からのおきるだけ濃くすって書くこと。書体は楷書。く そうしょ ぎようしょ 返しはなしにしたという話をききましたが、薹ずしてもせいぜい行書までです。草書で書くの は、昔から目下へのときで失礼になります。 れも現代的な結納としておすすめできます。 そうう もくろく だいほうしょたて
としおと ( 寒が明けると、いよいよ春を迎える節分の行毎年、節分の日のテレビ・ニュースや新聞に 事です。節分の夜に大豆を打ちつけて邪気を払は、人気俳優や歌手などが年男として神社やお う行事は、室町時代に始まったものです。江戸寺の豆まき役をつとめている光景が出ます。 時代の宮中の豆打ちは、天皇がご自身で三度豆年男というのは、正月の祭りの祭主のことで、 かわらけ をお打ちになったあと、土器からお年の数だけ一家を代表して正月行事のいっさいを取りしき 豆を召し上がりました。いっぽう徳川将軍家でる男子をいい、その家の主人とか長男があたり すすはら は、豆打ちは老中が行ない、将軍の祝膳は、年ました。年の暮の煤払いの行事から、松迎え、恵 さんばう かも なわ 齢に一つ加えた数だけ大豆を三方にのせ、鴨の方棚の飾りつけ、しめ繩張り、若水汲みなどが おおさぎ 焼物、大鷺の吸物などとともに食べたそうです。年男の役でした。裏千家では、初釜に使う若水 節分の豆は年取り豆ともいわれ、民間でも年汲みは当代の家元の役目です。ところが、本来 の数だけ食べるのと、一つ加えた数を食べるのは家の主人の役目であったものが、しだいにこ おお やくどし と二通りの風習があります。一つ加えるのは大れを家来や召使いなどにやらせたり、厄年に当 みそか 晦日に行なうときに来年の分を加えるのです。 たった者から選定するようになりました。最近 えと ですから、節分が二月に行なわれる現在は、年は、その年の干支にあたる人をみんな年男と呼 の数だけ食べるのが正しいわけです。 ぶようになりました。 節分の豆は年の数だけ食べる せつよん 322 節分の豆は年男がまく
せ、ナ 東京工大家清 至家相の科学。 \ 三三 0 ス ー建築学が発見したその真理ー ム 沁子さん ( 家事評論家 ) 評 家相は迷信ではないー 家相を建築学的に解明することで 角形の敷地は凶」など、家相を 住みやすい家の目のつけどころをわ ア一建築界の最高権誠が科学的に解 かりやすく教える。住まいに関心の あるすべての人にすすめたい・ 明、よい住まいの秘訣をさぐる。 0 ティの本煢 三三 0 は ームードとゲームを楽しもうー ーティ、いた郞薤さん ( 歌手 ) 評 べッ 2z ー′ 4 ン・ びつくりするようなアイデアとき ずらバーティなど、いつでも、 の らきら光るパーティがぎっしりつま 社 どこでも気軽に開ける意外なバ った宝石箱のような本。おかげで、 文 光 ーティのアイデアを公開。 私もバーティ上手になれそうです。一
K をみ〃 0 イ ES KOBUNSHÅ 光文社の「カッパ・ホームス」誕生のことば カツ・ハ・ブックス集団に、また新しいシリーズが生まれた。 ハ・ホームス」である。日本人の家庭生活にかかわる、あらゆるテーマ を読者とともに考えていくものだ。 戦後一一十四年、社会のめまぐるしい変化は、家庭の中へも急速に浸透 してきた。父の権威を中心とした「家」は、夫婦を軸とする「家庭」へ ちゅうばう へんばう と、大きな変貌をとげている。「男子厨房に入るべからず。」という古い 考えは一掃され、愛情と理解の上にきずかれる近代家庭が育らはじめて だが、家を社会からの逃避の巣とえ、夫と妻の一一人だけのしあわせ を生きがいとする無気力なマイホーム主義者もふえている。 「カ、 ツ・ハ・ホームス」は、このような現実をふまえ、家庭とはなになのか、 しや生きるとはどういうことなのかを、素朴なで追究していきたい。 今後発表する多くの本によって、男女を問わず日本人の一人びとりの これが、「カッパ 生活が、より明るく、より豊かになってほしい ホームス」創刊の願いである。 昭和四十四年十一月一日 そばく
結婚祝いのいれ物を返すときは、おうつり える は入れない 花嫁は、結婚祝いとダ。フらないように、嫁入 さて、お祝いを受けた側ですが、ふつう、い り道具をそろえます。私の知っている青年が地 ただきものをしたお盆には、必ずおうつりとい って半紙とかマッチを入れて返すのが礼儀です方の旧家からお嫁さんをもらったところ、 が、結婚祝い品にかぎって、 " 一度きりで二度のかわいいアパートは花嫁道具でふさがり、 とないように。という縁起から何も入れないで当人たちは家具の谷間で暮らし、まだ半分くら い親の家の物置に入れてあるそうです。 返します。そして、丁重にお礼を申し上げ、 > 昔は、嫁入り道具というと、荷の数でお嫁さ ただきものは床の間の結納品の前に並べておき ます。デパートなどから配送されてきたり、離んの評価が決まったほどです。一種の財産わけ の意味もあって、「娘三人持っとひさしが傾く」 れた土地から郵送された祝い品には、忘れずに というくらいきばったものです。しかし、現在 すぐお礼状を出すことです。 の都会の住宅事情は深刻です。多くの荷物や家 そして、お礼状を出したら、どなたに何をい ただいたかを、簡単なメモでよいですから必ず具は邪魔になるばかりです。ですから、嫁入り 記録しておくことです。後日お返しをするとき道具は住居が決ま 0 てからととのえ、あとは必 要に応じてそろえるのが賢明です。 の資料になりますから。 嫁入り道具は、住まいが決まってからそろ