した。いつのまにかサンエージェンシーの番号を廻していた。 それから朝子の指はふと動、 青葉芳次はテキパキと男らしい ( と朝子は思った ) 口調で電話に出て来た。この間の見舞いを 、、、北海道へ行っていたことをいう。 「青葉さん、また困ったことが起きちゃったの」 朝子は巴わすよりかかるような調子になりながらいった。 「春生が大学をやめて、美容師になるっていい出したの。しかも相談なしに、もう退学してしま ったのよ」 朝子はしゃべりはじめた。息子の考えがわからぬこと、雄介は例によって空中漫歩機に夢中に なり、朝子はひとりでオロオロしていること。 「あとで伺います」 ハリトンでいった。 青葉は頼もしくも快い 、「伺ってよく相談しましよう」 「そう、来て下さる ? 嬉しいわ。なるべく早くね」 電話を切って茶の間にもどると、いつの間にか春生の姿はなく、夏子が朝子の分のヤキメシを 食べていた。 「ジャッキー来るの ? イダテンさん」 夏子はいっこ。 「お母さん、嬉しそうだったね。声がなまめいてたよ」 「何をいうのよ、夏子 : : : 」
う。青葉さんは偶然会ったといったけれど、本当はあたしが呼び出したのよ。車にぶつかりそう になって転ばなければ、あたしは、青葉さんど何をしていたかわからないのよ : : : しかし雄介は 何も知らす、にこにこと自転車を : いや空中漫歩機を漕いでいる。キイコ、キイコ、キイコ 「ごめんください」 玄関で男の声がした。朝子が出て行ってみるとラクダが立っている。 「夏子さん、いますか」 「いますけど、まだ寝ています。何だか昨夜は夜中すぎに帰って来たものですから」 「上らせていただいていいですか」 朝子は驚いた。 「でも : : : 夏子はまだ寝てるんです。今、起しますから : : : 」 いいんです、ばくが起します」 「でも、そんな : : : あの : : : ラク : 朝子はロごもった。ラクダの名前を忘れたのだ。朝子がロごもっている間に、ラクダは靴をぬ いでどんどん二階へ上って行ってしまった。 「誰だね ? 」 庭から雄介が聞いた。誰が訪ねて来てもいつも知らぬ顔をしている雄介が、珍しく訪問者を気 「ラクダですよ。夏子のポーイフレンドの : : : この頃の若い人ってのはどういうんでしよう。男
「開けっ放してどこへ行ってらしたの、用心が悪いじゃありませんか : : : 上ってみたら誰もいな : どこを見てもゴミだらけ」 いんでしよう。それに家中の汚いこと : というロ調は、半年前のあのロやかましい丈夫で長モチする主婦の口調である。 「この板と板のつなぎ目はラチェットでつなごうと思うんだよ。風が吹くとラチェット、ロ 。、、題ま波のないときだ : 走る。波に揺れてここが動くんで走るんだカ尸。、、 雄介は照れ隠しのようにひとりでしゃべっている。 「そこで三輪車の。へタルを取りつけて、それを踏んでラチェットを廻すことを考えたんだが 「何ですか、それ」 朝子はいっこ。 「また、役にも立たないものを考えて : : : 」 一つの感情がーーー役にも立たぬ発明にウッツをぬかす夫への、あの燃 そのとき、馴染み深い え上る憤りが久しぶりで胸になっかしく湧きひろがって行くのを朝子は感じたのだった。 「同じ発明するなら、もう少し現実性のあるものを考えたらどうなのかしらねえ。空中漫歩機か ら墜落してやっと空飛ぶ夢から覚めたと思ったら、今度は水上漫歩機ーーーサルマタの前にワレ目 をつけただけで一億儲けた人だっているのよ。発明するからには儲かるものを考えたらどうなの かしらねえ : : : 」 すわ 。しいながら雄介の前に坐った。それはかって友田三無が訪ねて来て、雄介の顔がみるみ 朝子ま、 じようぜっ ひるあんどん が廻って
「何ですって、もう一度いってちょうだい」 「空中漫歩機 : ・・ : 」 「空中漫歩機 ! それ何です ! 」 「人間が空を飛べたらどんなに楽しいだろうと思ってね」 雄介はいっこ。 「それはオレの子供の頃からの夢だったんだよ」 「子供の頃からの夢 ! 五十六歳になってそのつづきをみようってわけですか ! 」 朝子は叫んだ。 「三無さんにかぶれるのもいい加減にしてちょうだい ! 」 十 / 、し諸ん」 「お母さん、うるさいねえ、テレビが聞えないじゃよ、 春生が炬燵からいった。 「どうしてお母さんって、そんなに声が大きいんだろうねえ」 「どうして声が大きいかって : : : 答えてあげるわ、お父さんのせいですよ。それにあなたのドラ ムのせい。あなたたち二人がお母さんの声を大きくさせたのよ ! 」 「人間が空中を歩行するということは、人がみなもっ夢ではないかね」 雄介は誰に向っていうともなくいった。息子のドラムにまだ一度も苦情をいったことがないよ うに、朝子の大声にも平然たるものである。 朝子は叫んだ。叫ぶと同時に顔が熱くなった。 「夢ですって、夢 ! 」 こたっ
そのとき弘枝の電話が邪魔したのだ。それでその後の青葉の言葉が聞けなかった。朝子はその つづきを聞きたいと思う。青葉にいわせたいと思う。 「でも ? 何です ? 」 とどろ そこまで順調に進んだ。朝子の胸は轟いた。 「ばくはねえ、奥さん」 青葉がそういったとき、又しても電話が鳴り響いた 「もしもし、あ、奥さん」 カまかせに電話器を取った朝子の耳に、せつかちな三無の声が響いた。 「ご主人が、ツイラクしました。空中漫歩機から、ツイラクを : : : 」 墜落 「まあ ! なんてことなの ! 」 三無との電話を切ると、朝子は叫んだ。夫が空中漫歩機から墜落したという。空中漫歩機のテ ストは最初は成功したかに見えた。雄介を乗せた漫歩機は三メートルほど上昇し、三無がバンザ からだ イと地上で叫んだとたんに、身体が横に傾いて均衡を失って落ちたのだ。 朗「ではすぐにまいります」 気朝子の答は夫が墜落したと聞いた妻の答にしてはややそっけなさすぎるものであったかもしれ ない。雄介は墜落はしたが下が柔らかな春の若草の原だったために腰を打っただけでたいした怪 我ではなかった。それを聞いたとたんに朝子の心配は憤怒に変化したのだ。それはいうならば恋
「何をそんなに怒るんだね、朝子」 雄介は納得しかねるようにいっこ。 「わしは春生にこういう夢を与えてやりたいと思うんだ。空中漫歩機の魅力を教えて、春生を、 救ってやりたいと : 「もう沢山」 朝子はすっくと立ち上った。 「キチガイがもう一人増えるなんて、もう沢山ですよツ」 ぶぜん すわ 立ち上って気がついた。布団の裾に坂部夫人が坐っている。この坂部夫人の横に三無が憮然と - 、まめ 腕を拱いていたのだ。 「あらまあ、三無さん、どうも失礼しました。春生が」 しいかけるのを制して、 「新聞で拝見しました」 と沈痛にいっこ。 「私も今朝からすーっとこのことを、青木君に伝えるべきか伝えざるべきか、思案しておったん ですが : : : その間、私なりに春生君をいかに善導すべきかについて考えた結果が、偶然、今の青 ど 本君の意見と同じでしてな。いや、空中漫歩機が危険と心配されるなら、あえて空中漫歩機をす ・ : 彼は少年 朗すめはしません。何でもいい、 、発明のよろこびを私は春生君に教えたい : そうめい 気の頃から実に聡明でしたからなあ。春生君がもし本気で発明に取り組むならば、おそらく日本の エジソンになるでしような」 そのとき、坂部夫人が傍からいった。
そういっているうちに目の中が熱くなり、涙が湧いて来た。いつもは腹の立つばかりの夫だの に、なぜ、涙が湧いてくるのか。朝子は我と我が言葉に感動していった。 かわいそう 「お父さんは可哀想な人ですよ。戦争さえなかったら、もっと出世した人なのに : : : それでも愚 痴ひとっこばさず、あなたや夏子のために、お父さんは : 「よせよ、お母さん」 さら 春生はヤキメシの皿に残った飯粒をスプーンで掻き寄せながら無感動にいった。 「何も今更、お父さんを持ち出すことはないよ。へタな芝居じゃあるまいし : また 朝子は春の野原で真剣そのものの面持ちで、漫歩機に股がっている雄介を想像した。雄介は昨 日の夜、酒屋で借りたライトバンに発明品を積んで、友田三無の家へ出かけて行った。今朝は早 朝より三無の家の近くにある野原で漫歩機のテストをすることになっている。 朝子は三無の家へ電話をかけた。こんな重大問題が起っているというのに空中漫歩機などにウ ツツをぬかしている夫に腹が立つ。もっとも雄介が出かけるときはこの問題はまだ起きていなか ったのだから、一概に雄介を咎めることは出来ないのだが、そういう場合にミソもクソも一緒に なってしまうのが朝子の : いや、女房というものの共通性なのである。 れ 一人暮しの三無の家では、三無が留守になると電話を聞く人 いくら呼んでも電話は通じない。 朗 がいないのである。三無と雄介はさそや今頃、野原で漫歩機に夢中になっていることだろう。 : と煮えくり返る胸の中で 気朝子は頬に手を置いて考えた。ホントにホントにあの人ったら : 「かんじんのときには、いつもいない人だわ : つぶや ほお
朝子が家へ帰って来たのは十時を少しまわったところであったから、もう一時はとっくに過ぎ ているだろう。春生はまだ帰らない この頃、ずっと帰りが遅かったが、 ' 学生時代にはありがち のことと巴って気にも止めていなかった。 ' 学生時代というものは夜を徹して議論をして尚飽きぬ ものだ、と雄介と三無がいつも話しているのを聞いていたからだ。学生時代に宵の口から家にい るやつはロクでもないやつだった、と雄介はよくいった。若者は政治を論じ、芸術を論じ、人生 を論じる。論じることによって青春は燃え立ち、人生は可能性に満ちて無限に開けるのだ。若い 者を束縛してはいかんよ 3 時間や常識や大人のルールで拘束してはいかんよ : それは雄介にまだ若干の気魄があった頃の言葉だ。男の子が一晩や二晩帰って来んからといっ . て、心配して騒ぐようでは駄目だ : 春生の帰りが遅いので朝子が心配すると雄介はよくそんな風にいったものだ。 しかしその結果、親から自由と理解を与えられた春生は、夜を徹して人生を論じることはやめ て、少女歌劇のような衣裳を着て、中年女にかしすいて金を稼いでいたのだ。 朝子は寝返りをうち、欄間からさし込む廊下のうすあかりで隣に眠っている雄介の方を睨んだ。 朝子が帰って来たとき、まだ空中漫歩機に夢中だった雄介は、どこへ行って来たのかとも聞かず に、「発明の世紀」という本を持って寝床の中に入ってしまったのである。 それにしてもあのときの春生の、いささかも動じぬあの態度は何だろう。呆気にとられ、言葉 もなく見つめている朝子と弘枝に向って春生は一切の言葉を封じるようににこやかにいったのだ。 しかがですか、おビール。あツ、失礼しました。こちらはカクテルでいらっしゃいましたか。 ごめんなさい。気がきかなくて : : : 」 そうして春生は気どった手つきでライターの火を宙に向ってひと振りし、やって来たポーイに かせ
Ⅲら考えていることがあるんだ」 「考えていること ? 何ですか」 朝子は少し興奮をおさめた。これでも父親、岸辺に逾い上った海亀みたいに、 ただ目を開けた り閉じたりしているだけではなかったのだ。 「わしは春生は今、打ちこむものがほしくて模索しているところなんだと思う。何ものも信じら れない、何ものにも情熱が持てない、今の若者の悩みはそこにある。そこでわしは考えた。春生 に打ちこむものを与えよう : 朝子は期待にみちて夫を見つめた。重々しく妻を見返して雄介はいった。 「それは空中漫歩機の完成だ」 「今回の空中漫歩機の失敗は、漫歩機が上へ上り、前進するときの浮力の平均化に失敗したんだ。 とにかく三メートルは確かに上昇したんだ。これは大成功なんだ。それから後の研究を春生と一 緒にやる。春生はきっと打ちこめるものをここに見つけると思うよ。人間が自在に自分の家の庭 から、あるいは屋根の上から空に向って飛び立っ : : : のんびりと、空をめぐってヒバリと挨拶を し、鷲と競争する : ・・ : 」 くちびるか ほお 朝子は唇を噛みしめ、紫八端の布団の中で天井に向ってうっとりと頬を上気させている雄介 を睨みつけた。あまりの怒りにすぐには声も出ない 「なにがヒバリと挨拶ですよッ , やっと声が出た。 「夢物語もたいがいにしてちょうだい」 うみがめ
こうとうむけい の荒唐無稽な空中漫歩図である。朝子は世間では一家団欒の日とされている日曜日をその日に当 てた。日曜日をその日に選んだことに朝子はこれ見よがしなレジスタンスを掲げたつもりなのだ しかしレジスタンスというものは、相手が鋼鉄の壁のごとく、断乎たる権力をもってそばだっ いうならば出 ている故にこそ充実感を味わうことが出来るのだ。しかし朝子のレジスタンスは、 来損ないのコンニヤクの山を相手にしているようなものだった。朝子の一突きをそれは決しては ね返さぬのである。平気でその一突きをめり込ませ、抜き取ったあとはヘこみは元へもどってケ ロリとしている。 朝子は何となく面白くない気持で美容院から帰って来た。帰れば友田三無が来ていて、雄介と 炬燵で酒を飲みながら空中漫歩機の話をしているところだった。 「エンジンはね自動車工場へ行けば、ポロポロで軽いのが買えるよ」 三無はそういうとふり返って朝子を見、 「いやあ、これは ! 」 と声を上げた。 「いやあ、奥さん、今日はお美しいですなあ、どこの別嬪さんが入って来たかと思いましたよ」 朗しかし雄介はちらと朝子の方を見たきりで、髪の変っているのにも気がっかない。 気「ところでこのガソリンなんだけどね。どんなものに入れたらいいだろう」 「それは君、ほら麦茶なんかを冷蔵庫で冷す容器があるだろう。ポリエチレンの : : : 」 「ああなるほど、あれは軽くていいや、一 リットル入りのがたしか、うちにあったな」 こたっ だんらん べっぴん