聞い - みる会図書館


検索対象: 天気晴朗なれど
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1. 天気晴朗なれど

「やあ、すみません、ばくがバクバク食べたんですな」 青葉は快活にいった。 「申しわけありません、ばく、行って買って来ましよう」 「あら、そんな : 朝子は慌てて立ち上った。 「私が行って来ますわ。お客さまはどうぞ、ゆっくりなさって : : : 」 「じゃ、すみませんがお願いします」 品川夫人がいった。 「大丈夫ですか。ばくも一緒に行きましよう」 朝子が表へ出ると青葉が後ろからついて来た。 「ごめんなさい 、青葉さん」 朝子は小さくいった。その小さな一言には万斛の思いがこもっている。 「品川さんが家へ帰れといったんですって ? 」 青葉は性急にいっこ。 「おかしいな。品川さんの奥さんは、どんなことがあってもご主人の所へはもどるな、っていっ てたじゃありませんか」 朗「そうなのよ。それが急に変ったの」 気「ふーむ」 青葉は考えるように夜空を見上げた。 「ばくからよく事情を聞いてみましようか」 ばん一く

2. 天気晴朗なれど

朝子が家へ帰って来たのは十時を少しまわったところであったから、もう一時はとっくに過ぎ ているだろう。春生はまだ帰らない この頃、ずっと帰りが遅かったが、 ' 学生時代にはありがち のことと巴って気にも止めていなかった。 ' 学生時代というものは夜を徹して議論をして尚飽きぬ ものだ、と雄介と三無がいつも話しているのを聞いていたからだ。学生時代に宵の口から家にい るやつはロクでもないやつだった、と雄介はよくいった。若者は政治を論じ、芸術を論じ、人生 を論じる。論じることによって青春は燃え立ち、人生は可能性に満ちて無限に開けるのだ。若い 者を束縛してはいかんよ 3 時間や常識や大人のルールで拘束してはいかんよ : それは雄介にまだ若干の気魄があった頃の言葉だ。男の子が一晩や二晩帰って来んからといっ . て、心配して騒ぐようでは駄目だ : 春生の帰りが遅いので朝子が心配すると雄介はよくそんな風にいったものだ。 しかしその結果、親から自由と理解を与えられた春生は、夜を徹して人生を論じることはやめ て、少女歌劇のような衣裳を着て、中年女にかしすいて金を稼いでいたのだ。 朝子は寝返りをうち、欄間からさし込む廊下のうすあかりで隣に眠っている雄介の方を睨んだ。 朝子が帰って来たとき、まだ空中漫歩機に夢中だった雄介は、どこへ行って来たのかとも聞かず に、「発明の世紀」という本を持って寝床の中に入ってしまったのである。 それにしてもあのときの春生の、いささかも動じぬあの態度は何だろう。呆気にとられ、言葉 もなく見つめている朝子と弘枝に向って春生は一切の言葉を封じるようににこやかにいったのだ。 しかがですか、おビール。あツ、失礼しました。こちらはカクテルでいらっしゃいましたか。 ごめんなさい。気がきかなくて : : : 」 そうして春生は気どった手つきでライターの火を宙に向ってひと振りし、やって来たポーイに かせ

3. 天気晴朗なれど

「そりやそうだけど、でも、そんなノンキな顔して、人の分まで食べてる場合じゃないでし」 「′ : っ 1 してき、 ? ・」 春生はいっこ。 「今はどういう場合だい ? 」 「春生 ! 」 朝子は改まっていった。 「よく聞いてちょうだいよ、春生。あなたはどういうつもりでいるのか知らないけれど、あな、 、ハッキリ認識してちょうだい」 は今、大へんな危機に立っているのよ。そのことをまず 「危機 ? ばくが ? なぜだい ? 」 ほおば 春生は最後のケーキをゆっくり頬張った。 「しかしばくはこれ以上、お母さんと話をする気はないな。話をすればするほどお母さんは混 し、逆上するだろうからな」 春生は無表情にそういうと、立ち上って大きくノビをした。 「お母さん、ばくが何をしようとお母さんは心配することはないんだよ。ばくはどんな時でも宀 ど くは時代を利用する。しかし時代に流されはしない。必要とあればばノ 分を忘れてはいない。。 は、あのプタの蚊とり線香立てみたいなオッサンの、カマを掘ってやるかもしれない : 気「まあ、春生、何という : 朝子の絶叫をよそに春生は静かに靴をはいた。 「しかし今んところ、ばくはまだその必要を感じていないんだ。ばくは女の生殖器の一見複雑

4. 天気晴朗なれど

はやさしげな口もとの微笑だけにしたかったのだが、ロもとがこわばっていうことをきかなかっ たのだ。そこでやむなく顔全体のニタニタ笑いになってしまった ) 誰にいうともなくいった。 「突然こんな風に気分が悪くなるなんて : : : どうしたというんでしよう。私、心配ですわ : : : 」 せりふ さりげなくいったつもりがまるで素人芝居の台詞のようにギクシャクしてしまった。コト子も 雄介も黙っている。朝子がその顔のニタニタ笑いを ( それはこわばって容易にもとに戻らない ) 庭の方に向けたとき、ガサゴソと音がして、植込の向うから三無が姿を現した。 「いやはや、この節のおまわりときたら : 三無はそう、 しいながら近づいて来るとどっかと縁に腰を下ろしていった。 かつは 「低能無智。わしがこの合羽を着て全力疾走の実験をしておったら、必死で追いかけて来おった よ。待てエ待て工というから、何ごとかと思って立ち止ったら、何ごとですか、しったし いやがる。こっちこそ聞きたいくらいだっていってやったよ。せつかく人が走っているのを勝手 : ところで青木くん、この宇宙合羽だがね : : : 」 にとめて、何ごとかもないもんだ : 一息にそこまでしゃべった三無は、雄介のビクともせぬ布団の方を見て、けげんそうにコト子 「どうしたんですか。さっきまであんなに元気に、奥さんと散歩したりしていたのに」 ど 「それが突然、気分が悪くなりましたのよ」 朝子はもう押えきれぬ激した声でいった。 気「私が家へ帰ろうといいましたら、急に : しかしそういう朝子の顔は、健気にもまだニタニタ笑いに固まっていたのである。

5. 天気晴朗なれど

盟レちゃったのよウ : 朝子はサヨナラともいわずに電話を切った。こんな仕打ちを弘枝にしたのは初めてだ。朝子 ( 青葉をふり向いていった。 「弘枝さんからよ」 まゆ 青葉はかすかに眉をしかめた。 「まだ酔っ払ってるんですか」 「よくわからないの。さっきは酔ってたんじゃなくて、酔ったフリをしてたっていってるのよ 朝子は青葉を見た。 「青葉さんにシビれちゃったのよウって叫んでたわ : : : 」 青葉は苦笑した。その苦笑は朝子の気に入った。それで朝子はまたいった。 「青葉さんって、やさしくってハンサムでカモチでっていってたわ」 「そんなことより、奥さんの話を聞きましよう。ばくはそのことが心配でこうして飛んで来た , ですから : : : 」 朝子と青葉は目を見合せた。朝子はいった。 「ホントに飛んで来て下さったわね。あたし、とても嬉しかったわ。もどって来て下さったと ~ は、特に : : : もうあのまま、もどって来て下さらないと思っていたから」 せりふ 台詞はさっきと同じになった。 「どうしてです ? だって今日は奥さんの相談し こ乗るためにばくは来たんですよ」 「そりやそうだけど・・・・ : でも : 「でも ? 何です ? ばくは :

6. 天気晴朗なれど

「ファン ? 」 「春生さんいますか」 「へフ、いませんが、どういうご用でしよう」 「春生さんに会いたいんです。それに、サインしてほしいんです」 「本人は今、留守ですから、お答え出来ません」 すると電話の向うで何やらコソコソと相談する気配がして、 ( どうやら電話のまわりには三人 以上の女の子がいるらしい ) 別の女の声がいきなりいった。 「あの、お聞きしたいことがあるんですけど : 「 . 何でー ) よ , つか」 「春生さんはミスウェディングドレスのコンクールに出られたとき、女モノのパンティをはいた んですか、それとも男子用プリーフですか」 「そんなこと、知りませんよツ」 ふる 受話器を持っ朝子の手は慄えた。 「すみませんけど、そのこと聞いといて下さいませんか。私たち、カケをしたんです」 「カケ ? 」 れ「。ハンティ組が三人、プリーフ組は二人なんです。明日の朝、また電話をします。それからもし 朗パンテイだった場合、パンティの色は : 気ガチャン ! 話の途中で朝子は電話を切った。 電話を切ったと思うと、玄関でブザーが鳴った。出て行くと四十がらみの一見、紳士風の大男

7. 天気晴朗なれど

「まあ ! 心臓ガン ! 心臓ガンというのはあまり聞きませんが、やつばりあるんですか」 「そりゃあ、ガンは人間の全身、どこにも出来るんですから、ございます」 朝子はいささかムキになって答えた。 「まあ、こわい ! 」 タヌ川夫人はその狸色のふくらんだ頬をすばめていった。 「じゃあ、うちの主人、この頃、心臓がときどき痛むっていうんです。ガンじゃないでしようか、 奥さま」 「さあ・・・ : ・一度、よく検査をなさった方が・・・・ : 」 朝子は腰を浮かした。 「では私、次で下りますので、失礼いたします」 「あら、奥さま、東京駅へいらっしやるのでは ? 」 「ええ、その前にちょっと寄るところがありまして。いずれまた」 ほうほうてい 朝子は這々の体でバスを下りた。 「いっ頃、お帰りでいらっしゃいます ? 奥さま」 タヌ川夫人は窓から顔をつき出して叫んだ。 「一度、お伺いさせていただきます。心臓ガンのことについて : : : 」 朝子はバスを下りたところにあった小さなレストランに入って汗を拭いた。考えてみれば朝か らろくに食事らしいものをしていない。スパゲティを注文して、もう一度青葉の会社に電話をか けてみた。青葉はまだ留守のままである。青葉のアパートの電話番号と住所を聞いて朝子は電話 ほお

8. 天気晴朗なれど

といってはいけないんです。ばくはそう思う : 朝子は髭を剃ったばかりの青葉の朝の顔に見惚れた。 しつ・く 「これから私、自活するの、もう二度と家庭の桎梏の中には戻らないわ。青葉さん、私の相談に 乗って下さるわね ? 」 もちろん 「勿論ですとも」 青葉はじっと朝子の顔を見返した。 「次長には申しわけないとは思いますが、しかし、ばくは奥さんのお役に立ちたいと思います 「ありがとう、青葉さん・・・・ : 」 やす 朝子は青葉に近い方の手をテープルの上にさりげなく乗せた。青葉が握り易いように出来るだ け青葉の方に近づけた。青葉はその手を見た。それから頭を廻らしてあたりの人の目を伺った。 きようがく と、その顔に驚愕の色が浮かんだ。 「や、や、あれは、国井夫人じゃありませんか」 はすじま 青葉の顔が凝然と固まった方向を眺めると、今し弘枝は赤白の斜縞のパンタロンに同じ赤白の ターバンを巻いてエレベーターを出て来たところである。 「そう、弘枝さんも一緒なのよ」 朝子は思い出していった。今の今まで弘枝のことなど忘れてしまっていたのだ。 「国井夫人も一緒 ? 一緒に : : : 彼女も家出をしたんですか」 青葉は急に脅えた表情になった。 「私が家出したと聞いて、弘枝さんも急に思い立ったのよ」 おび

9. 天気晴朗なれど

さび 「いやよ、いや。こんな淋しいところに一人でいるなんて、いやよウ : 「わかりましたよ、奥さん、そんな大ごえを出さなくても : 青葉は手をさし出していった。 「走れますか、奥さん」 「バカにしないでちょうだい。あたしはこれでも昔は、四百メートルの選手だったのよ」 雨の中を朝子は青葉の先に立って走り出した。強い雨脚に打たれながら夜の舗道を走るのは気 持がよかった。こうして町中を走ることなんか、もう十数年絶えてなかったことだ。 「奥さん、奥さん」 どこかで青葉の声がけたたましく呼んだ。とたんに急プレーキの音がして、朝子は雨の中に倒 れている自分に気がついた。 朝子が青葉に送られて家へ帰ったのは、午前二時を過ぎていた。朝子のスーツは舗道の泥水を 吸って重たく、靴の片方はどこを探してもなかった。頬にもいくらかのかすり傷があり、倒れた 拍子に打ったのか、片方の腕も痛かった。 「しかし、たいしたことがなくてよかった」 れ青葉の説明を聞いて、雄介がます最初にいった言葉はそれである。 「青葉君と一緒でよかったよ。青葉君に助けてもらったようなものだ」 気青葉は朝子が車道に出て走っている車に接触しそうになったので、とっさに後ろから朝子をつ 天 き飛ばしたのだ 「次長には、偶然お会いしたので、ばくが食事にお誘いしたといっておきました」

10. 天気晴朗なれど

レごレも靫な一け・こ、つこ。 「奥さん ? 」 「そうですよ。別れたのに時々やって来るんです。そうして迫るんです : : : 」 「迫る ? 何を ? 復縁を ? 」 「え、まあ、そういったようなことですが : : : そんな話はやめましよう。女一房のことなんか、思 い出すのもイヤだ・ : 青葉は吐き出すようにいうと、朝子の手を軽く握っていった。 「じゃあ、会社が退けてから電話をします。後のことはそれまでによく考えておきます : : : 」 朝子はソフアの中で思い出し笑いをした。 ロビーに弘枝さんがいやしないかと、へつびり腰で様子を伺いながら出て行ったあの人の 格好ったらなかったわ : 朝子は急に空腹を感じた。考えてみれば昨日の夜から何も食べていない。支えていた胸の澱が 急に解けて、頭も身体もスッキリと軽くなったような気持である。愛しているわという一一 = ロ葉と一 緒に、二十年の間溜まりに溜まった女房生活の欲求不満がすっかり吐き出されてしまったのかも しれない ど れ青葉はいった。 朗 : わかりますか、奥さん、永遠の愛とは心 ばくは奥さんと、永遠の愛の花を咲かせたい : ばくはそれを目ざしたい : 気の結合です。終りなき愛 ! 真実の結合 ! 何という素晴しい人 ! ロマンチスト , 朝子はうっとりと家の向うに目をやった。 おり