づる 弘枝がチーズケーキを見つめたままいった。 「ねえ、何ものなの ? 彼女・ : ・ : 」 と朝子の膝を突いた。 「知らないわ、はじめて見る人よ」 しんせき 「親戚でもなければ、あなたの家へ出入りしている人でもない。クラプへ来ている人でもない」 すると : 弘枝はまた朝子の膝を突いた。 「何ものなの ? え ? 何なのあの人 : ・・ : 」 とまた突く。弘枝の丸い顔は次第に角ばって三味線型になって来た。弘枝は感情が昂ぶると一 ぜか顎がはり出して来て顔が角ばるのである。 「見たところ、平凡な人妻ね」 くび たんち上 雪が低い冷やかな声でいった。この方は長い頸をすっくと伸ばし、あたかも朝日に向う丹佰 かえ 鶴のように端然と向うの柱を見つめている。どうやら雪は感情が昂ぶると却って冷然となるタ しっせき らしい。朝子はその間にはさまって、叱責されている劣等生のようにうつむいたきりである。 「人妻ーーじや不倫の恋だわ ! 」 弘枝はいった。 「朝子さん、ほうっておいていいの ? 春生ちゃんは前途ある青年よ。これからの日本を背負 ( て立つ人よ。それが、あんな : : : あんな : ・ ひゅ いいたいところなのであろう 弘枝はロごもった。ここであの女について何か痛烈な比喩でも じようじよう しかし痛烈な比喩を使うには彼女はあまりにも垢ぬけしており、嫋々と女らしく、文句のつ あご ひざ あか
370 老人性恋の病 春生はいった。 「はじめのうち、ばくは気がっかなかったんだけど、どうも親爺の様子がへんなんだな。夜にな ると何となくばんやりしているんだよ。だけど、親爺は前から、空中漫歩機をいじくっている時 以外はだいたいにおいてばんやりしている人間だったろう。だからばくもあんまり気に止めなか ったんだよ。お母さんのこともあるし、そんなことで考え込んでいるんだと思ってたんだ。とこ ろが坂部さんが来なくなったと同時にだね、飯を食わなくなったんだよ。もっともばくの作る飯 だから、坂部さんのよりはうまくない。そのせいかとも思ってみたりしたんだがね、ところが昨 夜、縁側に出て、月を見て、ひとり言をいってるんだよ。お母さん、なんていってたと思う ? 」 春生は朝子を見た。 「『苦しいよ、コト子さん : ・・ : 』親爺はそういってるんだよ : ・・ : 」 「そうして親爺はどうしたと思う ? あの床中小便器をとり出して来てさ、じーっと眺めてるん 時間にして二十五分は眺めていたね。ばくは時計を見てたんだから確かだ」 「ばくはわけがわからなかったんで、家庭医学全書というのを調べてみたんだよ。それで一応老 ちほう 人性痴呆というのに該当するんじゃないかと思ったんだ。それで井上に電話して聞いたんだが、 ほらお母さん、知ってるだろ、高校のときに二年上にいたサッカー部のキャプテンさ。彼、今、 おやじ
378 兄貴の作る飯はますくてね」 「そんなことをいったって、夏子 : : : 」 ろうじようはお 朝子は久しぶりで会った娘をつくづく眺めた。何十日もの籠城で頬が落ち、皮膚が荒れて〔 る。眼が鋭く油断ならぬ光りかたをして、朝子を他人のようにじろじろと見返した。 「お母さん、色つばくなったじゃないの」 夏子は笑いもせずにいった。 「うちで頑張ってた時よりよくなったよ。何というのかな、風情が出て来たよ」 「何をいっているんですよ、夏子。風情がわかるんなら、あなたも風情を身につけるようにな亠 「やあ、向うから、へんな親爺がこっち見てるよ、あれ、誰 ? 」 夏子が顎をしやくった方を見ると品川家のテラスに品川画伯がこちらを向いて立っていた。 あいさっ 「ここのご主人よ。絵描きさんですよ。お行儀よくして、ちゃんと挨拶してちょうだい」 みずあめ 「へえ、絵描きなの、ふーん。それにしちや水飴屋のオッサンみたいだね」 品川画伯はクレープのステテコに毛糸の腹巻きをしている。その格好は品川夫人の機嫌をと , うとする時に画伯が好んでする格好である。多分、画伯は昨日も何か夫人の機嫌をとらねばな《 ぬようなことをしたのだろう。その格好をしているときは、画伯の念頭に女の影がないことが ~ 婦の間では暗々裡に通じ合っているのである。 「や、オッサン引っ込んだよ」 夏子はそういってから、また、声を上げた。 めじりた 「や、オッサンこっちへ来る。今度は浴衣なんか着ちゃって : : : 目尻垂らして気取ってる。ス , あご
朝子は無言で品川夫人を見つめた。 わき 「私、とっさにビンカンと来ましてね、脇の男を見れば、どこやら夏子さんに面ギ、しが似ていま す。その男ーーーっまり奥さんのご主人ですわね、ご主人の渋紙色の頬にもその時キラリと光るも のが : 「泣いてたんですか、主人は ! 」 めがしら 「そのようでした。眼頭も濡れていました。そのことは後で酒井さんとも話し合って確かめまし みだ たが、どうやら二人は涙を流しつつ何やら淫らな打ち合せをしていた様子でしたわ」 不しいましたの、なでしこ会という婦人会の者ですが、さる人のご紹介で奥さまにもご参加 願いたくてまいりました : すると坂部さんはこう、 しいましたわ。折角ですが私、婦人会のた 、には入らないことにしております。そこで私、いい ました。この会は夫の浮気に悩む全国の 妻の幸福をはかる会です。どうか趣旨だけでも聞いていただけませんでしようか。するとあの女 ふる の顔色がサーツと変りました。みるみる真赤になって、慄える声でいいました。あのう、私、今、 かえ 気分が悪いものですから、ここで失礼させていただきます : : : これ以上攻め入るのは却ってよく ど れないと思いまして、一応、引きましたの。帰るふりをしてそっと様子を伺うと : 品川夫人はいっそうその顔を朝子に寄せた。 気「二人は黙々と野原を横切り、そうして竹藪の後ろで、かたくかたく : 「抱き合ったんですか ? 」 「手を握ったんです」 たけやぶ
「それだけですの ? 」 「残念ながらそれだけでした。今日のところは : 品Ⅱ夫人はいっこ。 「しかしあの人たちは遠からす結ばれますね」 「ではまだ、あの、ナニはしてませんので : : : 」 「していない と私はニラみましたが」 品川夫人は厳しい表情で朝子を見た。 よくばう 「したいという慾望の湯気が二人から立ちのばっていましたね」 「まあ、湯気が」 「そうです。私には湯気が見えました。特に湯気は坂部夫人の方が多く、顔がかすんで見えるほ ど立ちのばっていましたが、ご主人の方はためらいがちに上っていましたね。ご主人はあの方の 機能はこのところ、衰え気味なのではありませんか」 「ええ : ・・ : 衰えているのかどうか : 私とはも , つ、あんまりそ , つい , っこともなくなっ ておりまして : : : 」 「私のニラみでは、やや、インポテンツの傾きありと見ましたが」 品Ⅱ夫人はいっこ。 「その意識がご主人の湯気をためらいがちにしていたのだと思いますね」 「はあ、そうでしようか」 「ですからね、今が防止のチャンスですね。男というものは奥さん : : : 」 品川夫人は突然、言葉を切った。品川夫人の眼は凝然と一点に集中されている。その視線を追
「あなたという人ま、 ゅうぜん 思わず声が慄えた。春生は悠然と下駄箱からとび下り、靴を脱いでコートのを払い、朝子を 見ていった。 「ただいま、お母さん、まだ起きてたの」 ものう その顔は眠たげな、懶げな、いつもの愛想の悪い息子の顔だ。髪の金粉はどこにもついていな 黒いトックリ首のセーターに西洋乞食のような長い皮のコートを着ている。 「おやすみなさい」 そういって二階へ上ろうとするのを呼びとめた。 「春生、どういう気なの ? 」 「どういう気って ? なにが ? 」 と面倒くさそうにふり返る。 「ジキル博士のご帰還ってわけ ? 春生。とばけないで ! 」 朝子の声は急に大きくなった。かって雄介が朝帰りした時だってこんなに平然と、こんなに厚 顔に朝子の前を通って行ったことはなかった。 「なにお母さんそんなに興奮してんだい ? 」 れ春生は階段に片脚をかけたままいった。 ナ : し、刀」 「そんな興奮するようなことは何もないじゃよ、 気「何もないんだ 0 て ? 大の息子があんな所でアルバイトをしているのを見て興奮しない親が 天 : それでも男のするこ どこにいます、妙チクリンな服着て、髪に粉ふって、女の機嫌をとる , とですか、男の ? えッ ? あなた、男として恥すかしいという自覚はないの ? 大の名誉を
発浮 朝かだ春 明 ソ無 う子だ子 いは い見ん見 : 雄フ 挨ん 家一 黙お いま 兀ま う器な器 っ母 ・母ロ のふま無 の しは はそ 常ん考も そた ま知そて に 途 がと れ は我 三拠 電が ちは し 、ま のす そな じだ か やろ 奥そ 出 発 ばい めな しん んて まな のた す途 つれ った のま す組 食ま 事ま て見 いせ 気 も 方のお も作っ なれた 夢すで . そ 方 な も の と と発そ発は と を ん て ウ と っ ク ) り ま のすねをま き 気 見 し、 っ も の は れ な の ろ つ 介 い方と を あ窺かが に つが頭ん し や と 、ど っ 、な き 、い した生 無 六 暫ばう く勹 しん て き て い る 証 の よ つ 唸 た 春小ぉ朝 生父じ子 カ ; 拶 を し オこ が そ に 対 し て も 事 し な 失。 し し いたた中を っ返三入る 。お 腹 ; お が っ が し事無 カ ; いなん い き ら や と 。にふ る と 、無て が気家 も 思朝た 。 0 ま の気 し、 起 し の 玄 と り 血 も 夫 オこ た に 子 供 た と を れ て る よ り し よ つ が く な る 。んん の り た し、 の 話れん な 。て お き つ い つ と つ つ ん だ つ 要 す る 題 や た か ど 218 っ生 は ケ リ と て 、ひ た ろ た つ お て し、 に て し 、閃三 空すっ み . 、腕を と も な雄入 にすを きけ関 ま た で つ ぐ ま す
142 朝子は雄介の顔のそばへにじり寄った。 「あなた ! 」 声が慄えたのは、何ものに対してともわからぬ怒りのためである。 「今朝の新聞をごらんになって ? 」 「いや、新聞は読んでないが : : : オレの墜落が記事になったのかね」 「何をいってるんですよ、あなた : ・ たた 朝子は思わす八端の布団の上から雄介を叩いた。 「春生が、女の格好をしてコンクールに出て、一等になったんですよツ」 朝子はハンドバッグから新聞の切りヌキを取り出して雄介に見せた。 「すまんが読んでくれ。老眼鏡は昨日の事故でこわれてしまったんだ」 怪人物 と雄介は唸った。 それが大事な息子が、女の格好をしてコンクールで一等になったと聞いたときの、父親の返事 である。それから雄介は黙った。黙って目を閉じ、暫くして目を開いた。何かいうかと思ったが 何もいわない。たまりかねて朝子はいった。 「あなた、・ 雄介は天井を見ていた目を、またゆっくり閉じた。 ふる
73 つは と枝 うす 紹い いあ んの ! 気 つにいはがい のた ま プの ? 青 ラ女 木は そ子 時ほ あは 代ん 瞠な葉 にケ へか子す つ でん 日を す 真お らで わ のが のす 窓れ 中さ ソ事揚当そ友 はつ、 際て にせ をな の土右て かん い親たま 曜に ル座左ま ノ、ヨ でい ド支・雪・ 朝お る黙 見ま たで は道 気た 味表 のた い中 かの 天気晴朗なれど し んたあ ね ん き ま 、、がイ た し ん 束頁 ま れ て ロ メ オ が な よ つ そ れ と な く 監 視 出 か て ま そ し て 、弓ム 枝 ヌ ヌ ケ と ウ っ た でこ弘 力、には 対 し 、は弘を生 、枝 し分げ ら ロ メ オ た ひ と り 子 んし て、 の ソ は り 気上か た 。あ た く し - 子・ 。親の ロ メ と と っ じ め つはま い弘す て枝わ の の ら な ク ) よ っ や り と 子 そ て れ と カ ; 目 を り 卩ら イ す ) ら と や し、 ま ロ メ オ の 母 ら し や る し した入る店とっ たち出 が つのと た出並 り らあくら は人を 黙混歩 つみし たをそ 上 り 丸 丁 坐 し ば く の 人 て アて人りは つ朝ま 、暮ん供 日弘オ の枝オ あ雪 い しれ ′つ て や や つ れ よ押ろ 力、 き き なはが 息弘オ ま なそ払 、あち ので落 友ので で暫ば
静かに春生はいった。 「ばくはこの仕事を意義のない仕事とは思ってないよ。男にもてぬ女とかお母さんのような人を 慰める数少い男、男の中の男だよ。ばくらは : ・しかし楽しくてやってるわけじゃないさ。しかし 金銭的にワリのいい仕事ってものには、何らかの意味で精神的苦痛が伴うものなんだ。ばくはこ とが の仕事、やめるつもりはないよ。お母さんが行ってたからって、咎める気もないよ。じゃおやす そういって怒りと寒さに慄えている朝子を残して、春生はすたすたと階段を上って行ってしま つものようにむつつりとコーヒーとトーストで食事をし 翌日、春生はいつもの時間に起き、い て、夏子と前後して家を出て行った。昨夜のことは夢の中の出来ごとだったかのようにケロリと している。朝子は食卓の上を片づけながら、雄介の様子を見た。昨夜、話の途中で春生が帰って 来たので、話はそのままになってしまった。朝子が寝室へもどったときは、雄介はイビキをかい て眠りこんでしまっていたのだ。話の途中で眠ってしまったのだから、今朝になってから、つづ きを聞くかと思ったら何もいわずに新聞を読み、近頃目に見えて薄くなった後頭部を朝の日射し れの方へ向けて頭をあたためながら、またもや空中漫歩機の設計図を眺めている。 「あなた」 気朝子は改まった声を出した。改まって「あなた」と呼ぶときは、たいてい文句をいうときにき 天 まっている。ふだんは「あなた」などと正式に呼びかけたりしない 「何だね」 ふる