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検索対象: 女の人差し指
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1. 女の人差し指

ただし、ナイフとフォーク、これは当り前のことだが欧米人に一歩も二歩も譲る。 一体、どこが違うのだろう。 この間、二週間ほど、青い目の人たちと三度三度一緒に食事をしたのを幸い、この研究をし てみた。答は、欧米人はナイフとフォークをふわりと持って、実にやさしい。それに引きかえ 日本人は、 めて 「右手に血刀、左手に手綱」 わ′」と ではないが、固いのだ。欧米人を和事とするなら、日本人は荒事である。 洋食の食卓に坐るときからして、目付きが違う。 「いざ出陣」 という面持ちである。 右手にナイフ。左手にフォーク。作法にのっとり粗相のないよう、子々孫々まで恥辱を残さ ぬよ , っ つまり皿の上でチャンバラを演じているのである。 さすまた ナイフは剣で、フォークは刺股である。食事のたびごとに人殺しの道具と同じもので、獣肉 を切ったり野菜を突っいたりするのは、気取ってるようでいて実は野蛮な行為である、という 人もいる。 ゅんで あら′」と

2. 女の人差し指

198 打ちといえる。煎茶によし番茶にも合う。袋が凝っていて、寿堂がこの場所に店を構えた明治 三十年頃の四季の和菓子の目録になっている。 こうほね 夏の部を見ると、卯の花餅に始まり、青梅、水無月、タ立 ( 壱銭より ) 、更に河骨、鯨もち とならんでいる。一体どんなお菓子だったのかと思いながら、店内を見渡すと、これが、東京 ぎう でも数少ないという坐売りなのである。 ショーケース いや、見本棚といったほうがピッタリする。見本棚の向うは一段上った畳 敷きで、若旦那も、品のいいその母堂も、膝を折り、畳に手をついて折り目正しく客に応対を する。江戸の昔から、随一の商業地といわれた人形町の " あきんど。の姿と、下町情緒が、黄 金芋の肉桂の香りと一緒に匂ってきた。 甘いものついでに、新大橋通りの「亀清砂糖店」をのぞいてみた。これこそ東京でも数少な い砂糖だけの量り売りの店である。 古めかしいガラス戸の向うから半紙がペタリと貼ってあり、 「ご進物にお砂糖。洗顔に黒砂糖をお使い下さい」 薄墨の枯れた筆である。 氷砂糖と糖蜜を買うことにした。糖蜜は黒砂糖から作った黒蜜で、バンにつけて食べるとお いしいよ、と年輩のご主人は、容れ物の用意のない私にジャムのびんをゆずってくれ、びん一

3. 女の人差し指

176 乾いたものは、もうひとつある。どうしたわけか伝票サイン用のポールペンが一斉に出なく なった。もっと困ったのは、手違いでレジスターが間に合わず、ソロバンで計算をしたのだが、 これが、レジが湯沸し場のそばのせいか、しめり気で、ビニールのソロバン玉がくつついてし まい、一つ上げるつもりが、二つ三つ、一緒になってラチがあかない。文房具店が仕舞ったあ となので、近所の酒屋さんにかけ出して、電卓を拝借して急場をしのいだ。 初日にごはんが足りなくなったことも、あわてたことのひとつであった。 「お代りご自由」「ふりかけつき」は当店の売りもののひとつである。「ままや」にままがあり あれはといですぐ炊いても五分十分で間に合うものではない。 ませんでは落語にもならないが、 妹は、ポールを抱え、目を釣り上げて、お隣りの焼鳥屋の「わか」さんに駆け出した。若旦那 は、こころよく新米ママに、ままを貸して下すった。 いちげん 九時すぎ、やっと雨もやみ、一見のお客も入って下さる。ほっとして表をみたら、開店祝い の花を抜いている人たちがおいでになる。 おもてへ飛び出して、丁重におとがめしたところ、逆ネジをくってしまった。「開店の花を はんじムう 持ってゆかれるのは、商売繁昌のしるしである。有難いと思ってもらわなくちゃ」 仏さんのお花にしようと、赤いバラを抱えてゆくお年寄りや、少しお酒の入った女性方に、 この方たちも、いすれはお客になる方かも知れないと思いながら、そんなしきたりは初耳の私

4. 女の人差し指

嘘か本当か知らないが、うちの祖母は、 「天皇陛下のお召し列車の運転手は、窓のところにローソクを立てて、火が消えないで発車出 来るように練習するんだよ」 いったん首がうしろにそっ と言っていた。私たちと一緒に汽車にのったとき、ゴットンと、 くり返るほど反動をつけて汽車が動き出すと、 「あ、今日は偉い人が乗ってないよ」などと私たちに目くばせをしてよこした。 行 旅祖母は、汽車にのり、大きな信玄袋を網棚にのつけると、つぎには手拭いを取り出して折り、 えり ばいえん 煤着物の衿を覆うようにした。煤煙から衿の汚れを防ぐためである。父が一緒の旅行のときなど 煤煙旅行

5. 女の人差し指

嫌になり、足が遠のいてしまった。 ついこの間、仕事関係の会があり新宿へ出かけた。帰りに、私と同じ昭和一桁世代の男性と ご一緒になった。昔、同じ歌声喫茶へ通ったことがある、というはなしになり、久しぶりに寄 ってみましょ , つかとい , っことになった。 すべては昔と同じであった。ル。ハシカはパンに変ったが、歌唱指導員が「赤いサラファ ン」をやっている。その人は突然、こう言った。 「ではそこのお父さんとお母さん、歌ってみて下さい」 お父さんとお母さんというのは、私たちのことであった。 ( 「週刊文春」・ 6 ~ 9 )

6. 女の人差し指

207 人形町に江戸の名残を訪ねて まうげん 江戸時代初期の名医岡本玄冶法眼が将軍家光の病をなおしてこの地を拝領。そのあと代が、 げんやだな わって六本木に居を移してこの拝領地を町屋に開放した。以来玄冶店と呼ばれ、囲い者など 住んでいたのであろう。 「しがねえ恋の情けが仇」 の名セリフは知っていても、場所はどこなのか知る人は少ない。人形町にはまだ江戸の香〔 が残っている。古きよき東京の人情も、「あきない」と一緒に残っているように思えた。 ( 「、 セス」・ あだ カこ

7. 女の人差し指

どう考えても、いい匂いではなかった。 時分どきにぶつかったり、気の張る客が来ていたりすると、具合が悪いこともあった。 せいいつばい気取ったところで、人間なんて、こんなもんじゃないのかい 、と思い . 知らされ ているようで、百バーセント威張ったり気取ったりしにくいところがあった。 今はそんなことはない。 昔は、あからさまに明るい電気で照らすにしてはきまりの悪い場所だったのが、今は、天下 堂々、白一色、その気になればオシメの洗濯も出来ようかという、水洗トイレである。 見たくなければ、そのまま、水に流してしまえる。 しも ひと 他人さまに下のお世話をしていただいているうしろめたさもなく、恐いものなしで大手を振 って歩けるのだ。 男にも女にも恥じらいがなくなったのはこの辺が原因かも知れない。 がんしゅう 街からあの匂いと汲取屋が消えたのと一緒に「含羞」という二つの文字も消えてしまった のである。

8. 女の人差し指

114 で、あとから見ることは出来ないのです。私のような無責任派には、こんな有難いことはあい ません。心おきなく「嘘」がつけるというものです。 ドラマの書き手がドラマ以外の場で発一言したりお願いをするのは邪道だと思いますが、ひし つだけ聞いて下さい。 嘘をみつけるな、とお願いしても、無理でしようから、どしどし嘘をみつけて下さい。た しあなたも一緒に、嘘をお楽しみになりませんか ? なるほど、こんな考え方、言い方もあプ んだなあ、とも、考えて下さい。一億も人間がいるんだ。ひょっとして、こんな奴もいるか 知れないな、と思っていただけないでしようか こういう目で眺めていただけると、安い予算で、拙速で作っているホームドラマも、そう てたものではありません。 そして、あたしなら、この場合、こういう嘘をつくのにな、と、もっと上手な嘘を、 当らしい面白い嘘を、パッパッと思いっかれるようになったら、あなたは、ホームドラマの き手として、食べてゆけます。いや、それ以前に、あなたの家庭は必す円満です。私が保証」 たします。 ( 「婦人公論」・ 9 )

9. 女の人差し指

そういっては失礼だがあの糸みみずのような細いお目が、刑事のお眼がねにかなっていた ( である。 私は、ほかに大した取柄はないが物をおいしそうに食べることだけは悪くないと賞めて下亠 るかたもおいでになる。 おいしいおいしいと、盛大に食べるので、食慾のないときでも、あんたと一緒だと、食が んでよろしいといわれ、食事のお招きに預ったりすることもある。 別に人さまのお気に入られようとして、喜ぶわけでもないが、もともと食いしん坊なのと 目玉が大きいので、おいしいとよろこぶ気持が目に出易いためであろう。 ところがこの間、失敗をした。 ある席で、フグの唐揚が出た。 おいしいフグを食べさせるので有名な店だと聞いていた。それもフグ刺しゃ鍋だけでなく 三枚におろした骨のところを、塩焼にしたり、身を唐揚にしてポン酢で食べさせるのが絶ロ響 聞いていた。 大皿に盛られた唐揚はさすがにみごとなものであった。 私は、一番に箸をつけ、おいしいおいしいを連発した。

10. 女の人差し指

「食べかたが実に男らしいのよ。プリなんかでも、パクッパクッと三ロぐらいで食べてしまう のよ」 プリは高価な魚である。惜しみ惜しみ食べる私たちとは雲泥の差だなと思いながら、そのか たの、ひ弱な体つきや美文調の文体と、三ロで豪快に食べるプリが、どうしても一緒にならな つつ ) 0 そのかたは笑い方も 、ハッハッハと豪快そのものであるという。 なんだか無理をしておいでのような気がした。 男ま、・ とんなしぐさをしても、男なのだ。身をほじくり返し、魚を丁寧に食べようと、ウフ フと笑おうと、男に生れついたのなら男じゃないか。 男に生れているのに、更にわざわざ、男らしく振舞わなくてもいいのになあ、と思っていた。 その方が市ヶ谷で、女には絶対に出来ない、極めて男らしい亡くなり方をしたとき、私は、 豪央に召し上ったらしい魚のこと、笑い方のことが頭に浮かんだ。 魚の骨がのどに刺さると、ごはんをのみ込めと教えられていた。 大きなかたまりを、のどに押し込むようにして、噛ますにのみ込むのである。 大抵の骨はこれで何とか送り込むことが出来た。