味 - みる会図書館


検索対象: 女の人差し指
219件見つかりました。

1. 女の人差し指

食いしんば旅行 十 / 、日間 羽田を発っておりたのがサンフランシスコ。空港のレストランのミルクがおいしい。 ージも日本とは味がちがうがまあまあの味。アメリカの味も満更ではないそと安心したら次な るラス・ベガスでは腰がぬけた。ラス随一の豪華ホテルなのだが、そのますさ。量は馬が召し 上るほどあるのだが、あついものは冷めている。冷めてほしいものは生ぬるい。それでチップ ーになってしま をとられる。食べものの限みはバクチにたたって、かけた百ドルはキレイにパ つつ ) 0 ノ / イヤ、アポカド。 南に下って南米ベルー。首都リマでは、果物がおいしい。マンゴー 二いずれも一個五十円ナリ。玉ネギ、ジャガイモ、トマトも改良してないせいか形はデコボコで、 味は素朴で、何やら子供の頃に食べたなっかしい味がする。リマからバン・アメリカン・ハイ 二十八日間世界食いしんば旅行 た

2. 女の人差し指

三本組みになって二百円。値段は安いが味はみごとの一語に尽きる。といって、今日行って 今日の間には合わない。予約制で、お節句は来年はおろか次の年までいつばいです、という。 一週間先十日先なら、割り込めることもある。味よりもまず量産の時代に、これはまさに味も ゆきかたも稀少価値といえそうである。 辛党には、これも路地裏にある「鶴屋」の手焼きせんべいがいいおみやげになる。間ロ二間 ほどの小店だが、 ' 、ひき茶、甘辛、黒砂糖などの小丸せんべいが奥の大きな黒いいれものから手 品のように出てくる。予算を一言えば、いろいろ取りまぜて見つくろいで包んでくれる。 ここまで歩くとおなかがすいてくる。 やはり裏通りの洋食屋「芳味亭」でコロッケとごはんもよし、表通りの「京樽」ですし懐石 もいい。京樽は万事昔通りの人形町では異色の、店も器も凝ったっくりで、女だけの小人数の クラス会などにはびったりの雰囲気をもっている。 人形町へきて「魚久」へ寄らないのは片手落ちであろう。 えび 魚の京粕漬だが、甘鯛、いか、まながつおは勿論、平貝、たらこ、車海老までならんでいる。 切身一切れ二百円ほど。夕方は近所の主婦でいつばいになる。味に自信があるのだろう、切身 は必ず水洗いして、かすを取って焼いて欲しいという。その通りにしてみたが、実にいい味で

3. 女の人差し指

167 野草の味わいを覚えると、いままで死んだ野菜を食べていたことに気が付きます。日頃、雑 草と大ざっぱによんでいた草の中に、こんなに可憐な形と、こまやかな味わいをもつものがあ ったのかと、目を開かれる思いでした。 白ツバキの花びらは、揚げると、薄いアメ色に色づいて、控え目な気品のある甘さが舌に残 のります . 。 アズキナは、素揚げにすると杉箸に色が移るかと思えるほど、あざやかなヒスイの色に染ま ります。タラノメの天ぶらを王者の味とすれば、このアズキナは女王格の美しさとおいしさと いえましよう。淡泊なようでいて、強くて濃い味がいたします。 谷戸の上を、二羽のトビがゆっくりと輪を描いています。鹿の肉とヤマウドのフライをねら こまやかな野草の味

4. 女の人差し指

誰かがオレンジを二つに割ると、甘い匂いがバス中にただよった。かぶりつくとオレンジ色 リの何十バーセントかを占める重 の汁が、バスの床にしたたった。マグレプのオレンジは、パ 要な輸出品ですといっていた。 卵は、形はよくなかった。いやに丸っこいのもあるし、難産だったのかひょろ長いのもあっ た。しかし、味は素晴しかった。昔食べたなっかしい卵の味がした。 アトラス山脈を越えたモロッコの小さな町で、サハラ砂漠へ日の出を見にゆくツアーがあっ 塩味のバンと、ゆで卵が、ホテルの用意してくれた朝食であった。期待したサハラ砂漠の日 の出は、珍しくも雨が降り、見ることは出来なかったが、岩塩をつけて食べたゆで卵のおいし さは、今もなっかしく舌に残っている。そういえば、卵の親であるチキンに、さまざまな香料 とレモン、オリープの実をあしらい蒸し焼にしたタジンという料理も、みごとな味であった。 ( 「中東ジャーナル」・ 4 )

5. 女の人差し指

戦争が終って、英語が解禁になった。食糧不足で英字ビスケットどころか、ろくなお八 ? なくなってしたが、 、 ' その頃、不思議なものを食べた記憶がある。 主食代りに配給になった進駐軍のレーションのなかに入っていたお菓子である。 レーションといっても、若い方にはお判りないかも知れない。兵隊用の非常食糧のことで + る。食パンを焼いたラスクが二切れに肉の缶詰。コーヒーと砂糖に粉末ミルク。汚れた水を 毒する白い錠剤まで入っていた。その中に問題のお菓子があった。 せつけん ムは、はじめ石かと思った。 黒くて四角くて、キャラメル一粒の四倍ほどの大きさである。匂いをかいでみると、どう 7 石ではなく食べられるらしい 口に入れて噛んだら、ニチャリとして、歯の裏にくつついた。味は正直いっておいしくな、 った。昆布の粉にバターをまぜ込んだといったらいいカ 私たちは、昆布石詒といってした。・ 、 ' とう考えても、ほかのチョコレートやピーナツの入っ ヌガーのようにおいしいという代物ではなかったが、 食べられるものならなんでもよかった 石それと、生れてはじめてコカコーラをのんだときと似たような、妙に気持をそそる味もした 昆舌で接するアメリカの味というのだろうか。

6. 女の人差し指

いよ , つのない , つまさ。 ここの女あるじは、沖縄風の髪型、衣裳である。美人で愛嬌もよく、極めておいしそうなひ とだが、私はこの人を横目で鑑賞しながら、たちどころに「足てびち」を三切れ胃袋に納めた。 「そうめんちゃんぶるう」はそうめんの炒めものである。私はこれが好物で自分でもよく作る が、そうめんがくつついて団子になってしまう。ところがこの店のは、一本一本が離れ、味も あっさりしていておいしい。女あるじにコツを伺った。 そうめんは固めに茹でてから、炒める前にサラダオイルを少量かける。これがくつつかない 秘訣であった。聞けば何でもないことだが、コロンプスの卵である。 鍋を熱くして、油を入れずいきなり野菜を入れる。これもコツのひとつであろう。野菜の水 ここにいり卵とネギを入れ、そうめんを加えて塩で味をつけ、かっ 分で焦げつくことはない。 お節をかけて出す。おひるや軽い夜食にびったりである。 しいかも知れない 左党なら「うりずん」をのそくのも、 泡盛を四十八種置いてある民芸風の酒場である。「うりずん」とは、響きの美しいことばだ が「木の芽どき」という意味らしい ひしやく 沖縄の古い民家をそのまま使った小ぢんまりした店である。大きな甕から柄杓で汲んで「カ ラカラ」に入れて持ってくる。のどがカッと灼けるようなのを流し込む。暑気払いには一番で かめ

7. 女の人差し指

旅 こまやかな野草の味 「ままや」繁昌記 母に教えられた酒呑みの心 二十八日間世界食いしんば旅行 わたしのアフリカ初体験 人形町に江戸の名残を訪ねて でこ書きするな 眼があう 揖斐の山里を歩く モロッコの市場 230 169 216 167 181 196 185

8. 女の人差し指

いて坐り直し、森永キャラメルを一粒、ロにほうり込む。キャラメルは、、 しつもは一箱五銭十 個入りだが、汽車にのるときは特別というので、二十個入り十銭のを買ってくれた。 エンゼルマークの森永キャラメルは、この間復刻版というとおかしいが、昔なっかしいあの 包装、あの味のものを作ったらしく、知人がもったいぶって一箱、分けてくれた。口に入れた ら、昔の味がした。 靴をぬいで、窓のほうを向いて坐り込んで眺めた。「後へ後へと飛んでゆく」田圃やわら き屋根の農家のたたすまいを、久しぶりに思い出した。 昔の汽車で思い出すのは、床にあった埋め込みの金色の痰壺である。痰壺兼灰皿兼小さなゴ ミ入れだったらしく、吸いがらやミカンの皮が突っ込まれていた。いまは全く見かけないので 自分が脚本を書いたテレビドラマ「あ・うん」でこれを再現してもらうとき、若い大道具さん にこれを説明するのに、大汗をかいたことがあった。 車輛から車輛をつなぐ連結器も、私にとってスリルのある場所であった。 あそこを通るときは、なぜかきまって、揺れがひどくなる。蛇腹になった幌のような部分の 行 旅横のほうが破れていたりする。夜汽車だと、そこから闇がのぞき、闇のなかに外の景色や光が 煤赤く点滅しながら消えてゆく。 いま、レールの上を凄いスピードで走っているんだという実感があった。スウッと下へ吸い すご

9. 女の人差し指

父が酒呑みだったので、子供の時分から、母があれこれと酒のさかなをつくるのを見て大き とい , つほ , つでは くなった。父は飲むのが好きな上に食いしん坊で、手の甲に塩があればいし なかったので、母は随分と苦労をしていた。 の 酒呑みはどんなときにどんなものをよろこぶか、子供心に見ていたのだろう。父のきげんの み 酒いい時には、気に入りの酒のさかなを、ひと箸すっ分けてくれたので、ごはんのおかずとはひ れと味違うそのおいしさを、舌で覚えてしまったということもある。 教酒のさかなは少しずつ。 間違っても、山盛りに出してはいけないということも、このとき覚えた。 出来たら、海のもの、畑のもの、舌ざわり歯ざわりも色どりも異なったものがならぶと、盃 母に教えられた酒呑みの心

10. 女の人差し指

ごはんを食べたり、お茶を飲んだりの、普段使いのものを気に入ったものにしたい、 と思い はじめたのは、親のうちを出て、ひとりでアパート暮しをはじめた十五年ばかり前のことであ る。 父と言い争いをして、猫一匹を抱えて家を飛び出したので、当座の鍋釜や茶碗は、手つとり 早くデバートのグッド・デザイン・コーナーというようなところで取り揃えた。白一色に、せ いぜいグレイや濃い茶のモダンなクラフト類は、大正・昭和初期の、ときには悪趣味とも思え るポッテリした瀬戸物で育った眼には、新にうつったものだった。 ところが、だんだん味気なくなってきた。 ツルンとしたしゃれた茶碗でのむと、煎茶が水つばいような気がしてくる。新しようがに味 眼があう