「食べかたが実に男らしいのよ。プリなんかでも、パクッパクッと三ロぐらいで食べてしまう のよ」 プリは高価な魚である。惜しみ惜しみ食べる私たちとは雲泥の差だなと思いながら、そのか たの、ひ弱な体つきや美文調の文体と、三ロで豪快に食べるプリが、どうしても一緒にならな つつ ) 0 そのかたは笑い方も 、ハッハッハと豪快そのものであるという。 なんだか無理をしておいでのような気がした。 男ま、・ とんなしぐさをしても、男なのだ。身をほじくり返し、魚を丁寧に食べようと、ウフ フと笑おうと、男に生れついたのなら男じゃないか。 男に生れているのに、更にわざわざ、男らしく振舞わなくてもいいのになあ、と思っていた。 その方が市ヶ谷で、女には絶対に出来ない、極めて男らしい亡くなり方をしたとき、私は、 豪央に召し上ったらしい魚のこと、笑い方のことが頭に浮かんだ。 魚の骨がのどに刺さると、ごはんをのみ込めと教えられていた。 大きなかたまりを、のどに押し込むようにして、噛ますにのみ込むのである。 大抵の骨はこれで何とか送り込むことが出来た。
230 あれはエルフードだったのかチネルヒールだったのか、メモもとらすただ目にうつるものを 面白がって旅をしていたので、いまとなっては思い出せないのだが、とにかくモロッコのカサ 。フランカからバスで何日目だったか、アトラス山脈も越えサハラ砂漠の入口の小さな町だった。 週に一度の市にぶつかった。 イスラム特有の、城壁のなかに広場がありそこでスーク ( 市 ) がひらかれている。 素焼のカメを売っている男がいる。 どう見てもポロ布としか思えない色とりどりの布を山と積んで、そのなかにばんやりと坐っ ている男がいる。 地べたに布を敷き、茶をのむときのへこんだャカンや欠け茶碗などを五つ六つならべたのは、 モロッコの市場
ル一一〇番」用のシノブシスを発表する。出来がいいと脚本にするーーという段取りでした。 私は駅前のそば屋でこの番組を見せてもらい、スジをひとつつくりました。殺された男はた ばこをすいかけであったが、 マッチもライターも持っていない。火を貸した男が犯人じゃない とい , つよ , つな いま考えるとかなり他愛ないしろものですが、きっとほかになかった んでしよう。これを脚本にしてオン・エアすることになりました。と、 いっても私は犯罪音痴 兼位階勲等音痴で、部長刑事と刑事部長とどっちが偉いのか何度レクチャーを受けても忘れる 始末なので、同じ仲間の先輩格服部氏が共作者として加わって下さいました。題名はたしか、 「火を貸した男」。ディレクターは北川信氏であったと思います。原稿料は 八千円だったか 一万二千円か、そのへんでした。オン・エアの次の日、出社して、バレはしなかったかと、か なりビクビクしていましたが大丈夫でした。人気番組と聞いていたけど、たいしたことないな と思って、ちょっとガッカリした覚えがあります。 以来、お小遣いが欲しくなると、スジを考え、もってゆきました。スキーにゆきたい一心で、 冬場になると沢山書くようになりました。い ってみれば季節労働者です。この頃の台本は、最 初の一本も含め、全く残っておりません。 よもやこの職業であと二十年も食べることになろうとは夢にも思っておりませんでしたから、 オン・エアが終ると台本は捨てていました。日記もつけず、数字年号日付が全くダメときてい
グハグで、叱られているほうも身が入らない。父も拍子抜けがしたらしく、 「・も , っ いいムフ日はこれくらいにしておく」 と途中で打ち留めにしていた。 学校を出たか出ないかの時期だったと思う。男友達のうちに招かれたことがあった。 両親や兄弟たちも在宅と思い込み、身なりなどにも気を遣って出掛けていったら、家族全員 お芝居に出かけて留守である。 、 ' ヘートーベンか 居心地悪いような、嬉しいような気持で、応接間でレコードを聞いてした。・ モーツアルトか、その手の鹿爪らしいものだった。 そのとき、例の匂いが漂ってきた。 汲取屋がきたのである。 気取って音楽の解説をしていた男友達は、急に調子が乱れて来た。クラシックとあの匂いは、 全く似合わないということがよく判った。 彼はムッとした顔で、黙り込み、坐っていた。 私はこういうとき、運が悪いたちである。良縁を取り逃し、オョメにゆきそびれたのも、こ の辺に原因があったのかも知れない
39 糸の目 おいしいのかますいのか 嫌いなのか好きなのか。 全く無表情無感動なのだ。 ガムを噛むように鮑を噛み、ごはんをのみ込むようにのみ込んでゆく。 目鼻立ちのととのった、肉の薄い顔であった。この顔に白く白粉を塗り、おちよば口に紅を 塗ってだらりの帯をしめると、絵に描いたような舞妓さんが出来るのだろう。 私は感心して、席が鉤の手になっているのを幸い、次々と鮑をのみ込んでゆく小さな口許と、 何の感情もうかがえない目許だけを眺めていた。 こういう目はどこかで見たことがあるなと思ったら、京人形の目であった。 「女の目には鈴を張れ 男の目には糸を引け」 ことわぎ という諺があるという。 舞妓さんのはなしは別として、女は、喜怒哀楽を目に出したところで大勢に影響はない。 だが、男はそうではいけないのだという。 何を考えているのか、全くわからないポーカーフェイスが成功のコツだという。 かぎ
男女は同権とかいわれるけれど、女がハンドバッグを抱えて歩いている間は、ほんの半歩だ が、男よりうしろを歩いている気がする。 格別の理由はないのだが。
いう感じです。 霊長類ヒト科のはなしもしましよう。 アフリカには何十という部族がいます。ケニヤにも、いま政治を握っているキクュ族、牛 追って昔ながらの暮しをしているマサイ、ワカンバなど沢山いますが、私たちは、セスナ機一 スーダンに近い砂漠地帯に住むトルカナ族をたずねました。 幻の部族とか、青い人たちと呼ばれ、文明に背中を向け、ト / 動物の狩りと漁で細々と生き一 いる連中です。 しゅうちょう 草で作ったマンジュウ型の小屋に住み、はな輪をプラ下げた年寄りの酋長を中心に大家← で暮しています。 体一夫多妻のようにみえました。 カ子どもは全員ハダカ。大人も漁をする時は、一糸まとわぬスッポンポンの男もいました。 フ なかなかおしゃれで、男は赤、女は濃紺や渋い赤の、原由美子さん好みのいい色の布を体〔 ア しまきつけています。 わ エチオピア人を思わせる彫りの深い顔立ちと、一メートル八十センチはある身長。その脚 ( 線の美しさといったらありません。
張り切ってサファリ・ルックを作ったというのに、大きな日除け帽子を買ってきたというの 、今までのアマゾンは、蟻が日本の倍の大きさで、少しむし暑いということをのそけば別に ど , っとい , っことはありません。 ワニもいなければ、サルもいないのです。 「冒険ダン吉」とい ハン刀でジャングルを切りひらき、アプや蛇と戦いつつ進んでゆく うマンガの読みすぎなんでしよう。そう思って鼻の穴をふくらましてやってきたので、少し落 胆していたのですが、ここにきて、俄然生気をとりもどしてきました。 目の前に、葉っぱで屋根をつくった掘立て小屋が二つありました。 なんとか族。名前は忘れましたが、アマゾン原住民の住まいでした。かなり大家族の二家族 が住んでいました。 その中をのそかせてもらいますと、暗い土間のまんなかにあるのは、素朴なカマドひとつで す。あとはなにもありません。 男も女も絵に描いたような腰ミノひとつです。家長らしい老人は、頭に鳥の羽根でつくった かぶりものをかぶっています。男たちは吹矢の道具を手に持ち、遠くはなれた木の幹に向って 矢を吹き、私たちにもやってごらんと手真似ですすめたりするのです。 これこそアマゾンです。
、、。男は床柱を背に腕組みしたり、縁側でカカトの皮でもむしっていてく 男ならそれでもしし れればすむが、女がそれではホームドラマはサマにならないのである。何もしないで「かっ こ」がつくのは九条武子夫人とデビ夫人くらいのもので、ナミの女は、ト / まめに体を動かして くれないと、セリフが書きにくい。 江戸の末期ですらこの騒ぎだから、これが鎌倉時代、八百年前となると、もう、絶望的であ る。去年脚色した「北条政子」はその意味で全く閉ロした。 政子サンは、伊豆の大金持の令嬢である。そうそう作者の都合で掃除洗濯もさせられない。 やむを得ず、「花を活ける」とト書きに書いたところ、日頃温厚なディレクター O 氏が、「花 は : ・・ : ねえ」と珍しくシプい顔をする。 「花の首が落ちるといって武士の家では嫌ったらしいですよ」 一事が万事この始末であった。いかに八百 、冫学非才を恥じて、髪をくしけずるに改めたが、 年前でも、足の爪はのびただろうから、湯上りに爪を切ってもらおうと思ったが、さて当時の 武家の娘の湯上りの衣裳、更にハサミの形、となると、もう見当がっかない。ただでさえ原稿 がおそくて大道具小道具さんを泣かせているのだから、とまたしても「政子、髪をくしけず ーどころかロクな商店もないから買物も出来ぬ、茶の湯いけ花、歌舞音曲の稽古ごと
寺内きんーー十五画 これは当っていない 福寿双全の暗示あり。人当りよく ドラマのおきん婆さんは、自分 に得になると踏めばお愛想もするが、人当りは極めて悪いからだ。まあ当るも八卦、当らぬも 八卦、先を見よう。幾分強情なむきがあるが、常識に富むため円満に世をわたり、社会的地位 にもめぐまれ、最後の幸福を握る。 子供にも恵まれ家庭運もよい運数だとある。この人物は、日本のお婆さんにしては大胆とい うか奇矯といおうか、出るの引っこむのという騒ぎも毎度のことなのだが、運勢で見る限りは 息子の貫太郎に死に水を取ってもらって、大往生を遂げるようで、作者としても安心をした次 第である。因みに、このきんという名前は、私の祖母のを借用した。 どちらかといえば横着なほうだが、 それでも二十六回連続のドラマの主人公ともなると、 前には多少苦労をする。雑誌の懸賞当選者発表のページなどを参考に、役のイメージに合って いて、呼び易く、しかも字画のあまり多くないものを選ぶのである。間違っても黒柳徹子など という書くのに骨の折れる役名はつけないことにしている。 いっそや、私の家に遊びにみえた客が、紺のガラスの壺に、細長い画用紙を七、八本挿して 附 名あるのを見つけ、何ですかとおっしやった。答は簡単で、男の役名なのである。私は、男のそ れも職人などには、幾つかの好きな名前を持っていて、使い廻すことにしている。