と鼻にある祇園の、置屋のおかみと思われた。連れは、十五、六の女の子である。 浴衣姿であったが、どうやらこの子は舞妓か、近々舞妓になる卵といったところらしい 。ししカら、あんたお上り、と 「おかあさん」は、二人一緒盛りに出された鮑の皿を、わたしよ、、ゝ いう風に女の子の前に置いてやった。それから、若い娘のよろこびそうなおいしいものをみつ くろって、つくってやって欲しいと言った。 言いながら、ちらりと私たちを見て、軽く会釈して、お愛想笑いをした。 若いもんに贅沢させて、とお考えでしようが、これも修業のうちどっせ、といっている風に 見えた。 預りものの女の子に、一流のところでこういう高価なものを惜しげもなく食べさせている自 分の気前のよさを、ちょっぴり自慢している風にも受取れた。なるほど、こういう風にして、 人は仕込むのかと思った。こういうことの積み重ねで、どんな人の席に出ても物おじしない舞 妓はんになっていくのであろう。 もうひとっ感心したのは、その女の子の食べつぶりであった。 うすい狐色に焦げ目のついた、くるりと巻き上った鮑の一切れ一切れを、何の感情もない顔 で、ポイと口に入れモグモグモグと噛むとゴクリとのどに送り込む。 またロにほうり込む。モグモグ、ゴクリ。 ぜいたく
122 イワ、タメ、サプ、ロク、テッ、ヨネ等々で花代りにこの名前を書いて活けていたのである。 ただし、同じサプちゃん、ヨネさんでも、出演して下さる役者さんが決ると、その個性に合せ て、本名を考える。「寺内貫太郎一家」でいえば伴淳三郎氏扮する石工のイワさんは、倉島岩 あんばい 次郎であり、左とん平氏のタメ公は榊原為光という按配である。 メモも取らす筋書も作らずに書くたちなので、名前にまつわる失敗も多い。お手伝いの名前 を″スズコ〃にしたのはいいのだが、 前半を印刷所に渡して、昼寝から覚めたら名前を忘れて しまった。たしか北海道名産の海産物だったような気がするなあ : : : と半分ねばけた頭で考え て″タラコ〃にして、ディレクター氏に笑われたこともあった。 気持の底に、名前と人物ーーという観念があるせいか、タクシーに乗ると必ず運転手さんの 名札を拝見する。なるほど、この人物にこの名前か : : : と感心することも多い。テレビニュー スの犯人の名前と写真も興味がある。生れた時は親もよろこび、洋々たる未来を願ってつけた であろう、立派な名前が、あまり立派とよ、、ゝ 。ししカねる顔の下に、空しく見えるのも皮肉な眺め である。 今までに随分と沢山のドラマを書き、登場人物たちに名前をつけてきたが、自分の名前をつ ふちょう けたことは一度もない。つけようと思ったこともない。名前など一時の符牒であると思ってい るがどこか居心地悪く書きにくそうだからである。
ねた 故郷を持たない人間にとって、郷土芸能ぐらい妬ましいものはない。根なし草を思い知らさ れるようで、冷たい視線でそっぱを向き、見ないで暮していた。 ところが、ひょんなことから阿波踊りの仲間に入れていただけることになった。 ねえ 着つけをして下さったのは、鷹匠町の料亭「初波菜」のお姐さんがたである。いい年をして ば・つだら じゅばん 着物を着たことのない、棒鱈のように突っ立っている私を囲んで、汗とりの襦袢がいる、いら 会ないで、お姐さん同士やり合ったりしている。少しでも足さばきよく踊れるように、自分の小 芸物を貸してくださる。噂に聞く通りの、情の濃い血の熱い阿波女である。 大俄か勉強の手ほどきのあと、紺屋町演舞場へ繰り込んだ。出を待つひとときの押し合いへし 合いと気負いの不安。どの顔もたかぶって上気している。運動会と学芸会が団体で押し寄せた 大学芸運動会
ただし、なかなかチャッカリしていて、写真をうっす料金として二百シリング ( 六千円 ) く れと要求されました。 パイナップルで酒をつくり、テラピアという一メートルもある白身の魚をくん製にしていま がっかりしたのはマサイ族です。 アフリカで一番勇敢な部族と聞いていました。槍一本でライオンを倒す誇り高い戦士たちだ と思っていました。 ところが、ナイロビに近いマサイの村の人たちは、すっかり観光すれしていて、実にしつこ く手製のアクセサリーを売りつけ、自分を写真にとれ、そして金をくれと、バスの窓に群がり はえ ました。マサイの村は道も家も牛フンでできていますから、鼻が曲りそうに匂います。蠅も物 凄く、笑ったりするとロの中に飛び込むほどです。 そんなことより、立派な姿や顔立ちをしながら、物売りをするマサイが悲しくなりました。 見物に行くこちらにも、大いに責任のあることですが。 ハスの運転手に二百シリングの賞金を賭けてヒョウを見つけてもらいましたが、これだけは 見られませんでした。アフリカも、このところへきて、急激に変ってきているといわれます。
223 昔、花山天皇が、当山参詣の折りに、 今までは親と頼みし笈摺を脱ぎて納むる美濃の谷汲 という御詠歌をわが笈摺とともに奉納された。 これにならった西国巡礼の善男善女が、結願と共に笈摺を奉納するようになったというのだ が、どういうわけか、小さなこのお堂は、十一面観音像の前にあふれんばかりの千羽鶴なので ある。 どうやらオイズルがオリヅルと間違って伝えられたようですなあと、案内役をかって下さっ た、梅田文夫氏は苦笑しておられた。 心をひかれたのは、本堂両脇の柱に打ちつけられた青銅の鯉である。 西国三十三カ所の巡礼を終えた人たちは、ここで笈摺を納め、この鯉を指でなで、その指 舐め、精進落しの印にしたというのである。 汽車もタクシーもない時代である。 歩 しししながら、ひたすらわが足で歩き、病いや追いはぎの恐れもあったろう、 皿後生を願うとま、、 の念仏三昧、ひたすら精進潔斎して結願にたどりついた人が、背のびして冷たいかねの鯉をなで 舐める図は、考えるだけでうれしい眺めである。 ねえ さあ、風呂に入って、酒をのむそ、なまぐさものをたら腹食べてやるそ。お酌の姐さんの白
、、。男は床柱を背に腕組みしたり、縁側でカカトの皮でもむしっていてく 男ならそれでもしし れればすむが、女がそれではホームドラマはサマにならないのである。何もしないで「かっ こ」がつくのは九条武子夫人とデビ夫人くらいのもので、ナミの女は、ト / まめに体を動かして くれないと、セリフが書きにくい。 江戸の末期ですらこの騒ぎだから、これが鎌倉時代、八百年前となると、もう、絶望的であ る。去年脚色した「北条政子」はその意味で全く閉ロした。 政子サンは、伊豆の大金持の令嬢である。そうそう作者の都合で掃除洗濯もさせられない。 やむを得ず、「花を活ける」とト書きに書いたところ、日頃温厚なディレクター O 氏が、「花 は : ・・ : ねえ」と珍しくシプい顔をする。 「花の首が落ちるといって武士の家では嫌ったらしいですよ」 一事が万事この始末であった。いかに八百 、冫学非才を恥じて、髪をくしけずるに改めたが、 年前でも、足の爪はのびただろうから、湯上りに爪を切ってもらおうと思ったが、さて当時の 武家の娘の湯上りの衣裳、更にハサミの形、となると、もう見当がっかない。ただでさえ原稿 がおそくて大道具小道具さんを泣かせているのだから、とまたしても「政子、髪をくしけず ーどころかロクな商店もないから買物も出来ぬ、茶の湯いけ花、歌舞音曲の稽古ごと