北落師門 - みる会図書館


検索対象: 娘と私の天中殺旅行
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1. 娘と私の天中殺旅行

まさに天中殺の総仕上げともいうべき状況になって来た。両肩に布袋とバッグを掛けた 上に、両手にまだ紙袋その他、荷物を持っている。 必死で歩く。 漸く見憶えのある所へ出た。人がワャワャいる。 いつばい坐っている。その前を歩いた。 さすがに珍らしそうに私を見送る目が幾つかある。 ハアのヒッビーは珍らしい、そう思 っているのかもしれないが、そんなこと、知ったこっちゃない や 見たくば見よ ! 痩せても枯れても佐藤愛子、一旦緩急あらば、人目などかまわずかく も勇猛に、五十七歳のカふり絞るのだ。 この気力を見よ , そうでなくてなんで、波瀾の人生を生きて来られたか。人生は気魄である。意志である。 それを身を以て娘に教えようとして、かくも頑張っているのに、娘の方は一向に感応せす、 転んだぐらいで人目を気にしているとは清けなし : カウンター番前の長椅子に坐るなり、突然、説教をはじめた。気がつくとイベリア航 空の中では痰がからんでまだ少し出ていた咳がすっかり止っている。咳が止ったので気魄 が出てきたのか、気餽が咳を追いやったのか。気魄が天中殺を追いやったのか。天中殺が 過ぎたので気魄が出て来たのか。 たん 8

2. 娘と私の天中殺旅行

娘は遅れがち。左脚を引きすっている。 「痛いの ? 」 「 , っ′ん」 、よ。ジーンズの破れから膝小僧が見えるのを気にしているものだか ホンマに痛いのかしオ ら、はかばかしく歩けないんじゃないのか。私の眼力はたいていいつも真実を射ているか ら、この場合も多分当っているだろう。だがそれもこの際、あえて口に出さぬという有難 い親、いは我が愚娘にはわからぬであろう。 仕方なく私は娘の分の荷物も持っことにする。といっても両手はもはや一杯である。そ こで布製の大きな袋を肩から斜に掛けた。 「やあ、雪国の郵便屋さんだア : と娘は脚の痛いのも忘れたように喜ぶ。 右肩からハスカイに布袋を掛け、更にショルダー と交叉させて掛ける。 上 「今度は幼稚園の遠足 ! 」 仕 総 と娘はまた喜ぶ。 中 天喜んでいる場合ではないのだ。 バッグを左肩から、胸の前で布袋の紐 ひも

3. 娘と私の天中殺旅行

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4. 娘と私の天中殺旅行

っこちたのである。 「なにをしてるのツ ! 」 思わず怒る。こういう火急の際におっこちるなんて許せない しかもウォークマンを頭 につけて。娘は必死の形相で立ち上る。ジーンズの膝が横に裂けて向うズネに血が滲んで いる。本来なら立ち上りも出来ないくらい痛いのだろうが、そこが「カッコつけ」のつら さ。しかもここは彼女、れのロンドンだ。必死の力をふり絞ったものにちがいない 荷物を引きすってバスに乗る。最前列に坐った。坐るなり娘はいった。 「皆、こっち見てる ? 」 ハスの中には五人の男性が乗っている。私は娘に答えるべく、ふり返って五人を観察。 「人のよさそうなおっさんが一人だけ、心配そうにこっち見つめてる。あとの四人はどこ 吹く風よ。転んだことなんか、気がっきもしなかったみたい」 と慰める。娘は少し安心したようだが暫くするとまたいった。 「ホントに気がっかなかったかしら : : : 私が転んだとき、皆、見てたんでしよう ? 」 そんなこと知らんよ。娘が転んだ時に、娘の方を見ないでまわりの人の方を見る母親が いるものかね。そう、 ししたいが、この際だから抑えて、 「さあ ? 見てなかったんじゃないかな」 ひざ

5. 娘と私の天中殺旅行

男、何やら教える。 娘、肯く。 ( ホンマにわかってるのかいな ) 娘「サンキュー」という。 私も「サンキュー」とい , つ。 サンキューと、つこ。ゝ、 しオカ一向にターミナル 2 はわからないのである。行けど行けど、そ んなところは出て来ない。人気のない通路がつづくばかり。何人目かの人に訊いて、やっ とターミナル 2 はバスに乗って行くことがわかった。 「なんだ、バスなの。なぜそれが今までわからなかったの」 それは娘の語学力の問題か、教えた人のミスなのか、判定出来ぬのが我ながら困るので ある。 やっとバスの乗場が見つかった。建物の外についている階段を下りるのである。バスが もう来ている。 仕「早く早く」 ドシャーン ! ものすごい音がした。驚いて 先に立って降りて行く私の後ろで、突然、 中 天ふり返ると荷物を山のように持った娘が頭にウォークマンをくつつけたまま、階段からお

6. 娘と私の天中殺旅行

「え ? 何ですか ? ロンドンの地って、ここロンドンでしょ ? 「いや、我々は税関を通って外へ出ることになったというイミです」 なお と尚も半笑い 「実はマドリッドで荷物を預けた時に、うつかりしてロンドン止りにしてしまったんで だから手続きし直しのために外へ出なければならなくなったという。 「日航東京行きはターミナル 2 の番ですから、そこで待っていただけますか」 「よに、ターミナル 2 ? とこよ、それは」 といっているうちに二人は入国の人たちの行列の方へさっさと行ってしまった。 何だかしらないがとにかく歩く。 いいながら。ップシラさんとサ ターミナル 2 の 3 番。ターミナル 2 、ターミナル 2 、と 工カメさんが行ってしまったので、二人が持ってくれていた手荷物がモロにこっちへかぶ さって来た。それを提げてヨタヨタ歩く。入国手続きの行列の中にいるツブシラさんが 仕我々をふり返って、もどかしげに、 総 「ちがう、そっちじゃありませんよツ」 殺 中 天 と叫んでいる。そこで反対方向に向う。通路が二つに分れている。来合せた人に娘が訊

7. 娘と私の天中殺旅行

いるのだけれど、ロンドンの人にとっては何も変らぬ昨日と同じ一日、そして明日につづ く一日が開かれているだけです。時刻は午後一時三分過ぎ。これより着陸態勢に入る」 しみじみとそういっているかと思うと、突如叫ぶ。 「 < エキスプレスのさんは怪しからん ! 」 「出ましたな。怒りが」 と娘。 腸の手術をした人が、手術後におならが出ると、 「出たツ ! ガスが出ましたよッ ! と看病人、病人、共どもに喜ぶ。この場合はそれと似たようなものなのだ。いっか怒り は私の健康のバロメーターになったかのようである。 旅行社のさんがなぜ怪しからぬかというと、このイベリア航空の航空券は、ファース トクラスの料金を払っているにもかかわらず、エコノミイになっていたのだ。それに気が ようや ついたのは、搭乗手続きの際である。すったもんだして長い時間をかけた末、漸くファー・ 士ストクラスに替えてもらった。解決したのであるから、何もここで急に怒り出すことはな ゅうしゆっきぎし 総 几ス いのだが、この怒りは元気湧出の兆なのだから喜んでガマンしていただきたい。 中 天 「日本へ帰ったらさんに怒ってやるといったら、ツ。フシラさんは何といったか , 179

8. 娘と私の天中殺旅行

に上天気になんかなってほしくない これではいかにも厄介者がいなくなるので、それま 8 す で拗ねていた太陽が、機嫌を直して出て来たようではないの , だがいすれにせよ、気分はい、。 飛行機は青空の中を央調に飛んでいる。 スペインよ、アディオス , 咳よ、アディオス , 寒さよ、アディオス ! 飛行機の爆音の中でそう叫んでいる私の声がテープレコーダーに入っている。 「トナリのおっさん、よう食べるねえ ! 食べるためにファーストクラスに乗ったんじゃ ないのか訊いてみたいね」 ともいっている。 「こんな機内食、いらないから航空料金を安くしてもらいたい」 ともいっている。 かいふく 要するに私は元気が恢復して、はしゃいでいるのである。 「今、飛行機はロンドン空港の上空へ来ました。ロンドンは春霞がたなびき、実に日常的 かんかい なたたすまいであります。我々旅人は特別の感懐をもってロンドン空港に降りようとして

9. 娘と私の天中殺旅行

「アディオス ! 」 といかめしく挨拶する。 「いやあ、これから暑くなりそうですねえ。雲が下の方にあって、上の方が青く抜けてる、 こんな空は暑くなります」 とサ工カメさんはいう。 「ああ、口惜しいわねえ。まるで私のためにスペインの天候が狂ってたみたいじゃない 「でも、これで天中殺も抜けたということじゃありませんか」 「そうかもしれないわねえ。まずますこれでめでたし、めでたしということね」 といったが、ホントはめでたしめでたしになったのはスペインの方だけであって、当方 は一向にめでたくなったわけではなかったのであった。 ヮ 6

10. 娘と私の天中殺旅行

私「人生というものもかくありたいものね。何のかんの文句をいい暮しても、死ぬ時は ああいい人生であったと思いたし」 娘「私は思 , つでしょ , つ」 私「私も思 , つでしょ , つ」 勤めに出る人がちらほら見えはじめた。顔にネッカチーフをかぶった娘と父親らしい初 老の男が、灰色のオー ーを着て歩いて行くのが寒そうだ。人が歩いている姿ひとつでも、 旅人の眼で見るのと、その地の生活者として見るのとではぜんぜん違う。普通に歩いてい たたず る姿さえ、旅人の眼にはロマンチックに見える。まして旅の終りのひと時に佇む旅人の眼 には、すべてが懐かしく別れの哀しさに満ちているのである。 「実に空が広いわねえ」 「東京にはないわねえ、こんな空は」 煙突から煙が出はじめた。何の煙かな。とにかく一日のはじまりだ。 朝焼が薄らぎ、幾筋もの横雲の上に水から上げたばかりのような青空が現れた。鈴かけ の林の青みどりが朝日を受けてパーツと輝く。その向うのパレスホテルの屋上の旗が風に はためいている。 上天気だ ! 快晴だ , しかも気温はぐんぐん上って行くらしく、道行く人はオー