考えてみるとそれはシャッポ旦那が努力して、文明がもたらす、自然破壊の力と闘って くれているわけではなく、迫る文明の力もまだ遠く、要するにほったらかしておくしかな いために残っているというところなのである。いい替えれば若者が出稼ぎに精出すスペイ ンの農村には人手がなく、さりとて機械を導入する経済力もなく、その気もなく、またそ の必要もないためなのである。 . し . し、カ、ら - シャッポ旦那としてはおそらくは水車やヒナゲシやアザミなど押しつぶしても、 収入を上げたいと考えていることだろう。何十年もこの美しさを見馴れて来た目には、こ の風景がそんなに価値あるものとは感じないだろう。我々日本人が、ありのままの自然の 殆どを失うまではその価値に気がっかなかったように。 シャッポ旦那に見送られて、私たちは車に乗った。サ工カメさんとのナントカカントカ のやりとりがひとしきりあった後、旦那は娘を見て一言、 「ポニータ ! 」ニコニコして首を振った。 ポニータって何です ? と訊くまでもなく、「可愛い」という意味である。 スペインの人はホント、お世辞がいいよ , 一右い娘にばっかり , 片手落ちじゃないのン ! ゴホンゴホンゴホン、とまた咳が出はじめたのであった。 1 2 2
成田空港に着いたときは咽喉は猛烈に痛んでいた。しかしスペインは真夏の暑さだとい う。スペインへ行けば風邪も吹き飛びますよ、と見送りの人にもいわれ、自分でもそう思 う。マジョルカ島は、観光地として世界中の人を集めているという島だ。そこでゆっくり 太陽の光を浴びて風邪を治そう。ヴィックスをなめなめ、そう思ったのだった。 成田からロンドンまでの機内のことについては特に記すべきことはない。風邪薬のせい - も、つ - わ、つ か朦朧とした目に、前方のグレーのターバン風の帽子が見えていたことを憶えている。グ レーのター バンはお供の方の バンは三笠宮妃殿下のおつむで、その後ろの座席の黒のター おつむであることが朦朧としながらわかった。 「色ちがいのター ハンシャッポのロンドン一打き」 と私のメモには下手クソな娘の手で一行、そう記されている。これぞ作家魂というべき 。後日のためと朦朧となりつつ、隣席の娘にメモを命じたものである。作家魂にしては くだらないメモだね、といい給うな。グレーのシャッポも黒シャッポも、いつ見ても真直 ウェガタ ぐ前方を向いたまま、微動もされぬその様は、さすが上っ方、我々のような野人とはちが , っ 機内のことはそれだけしか記憶にない。あとは、咽喉が痛いよう、痛いようと思いなが
工ルモソ ! マグニフィコ ! ) 美しい〃という一一 = ロ葉はスペイン語で何ていう ? 」 「えーと、えーと、エルモソ : ・カオ」 「ふーん、それじゃ、″素晴らし、 「えーと、ちょっと待って : : : マグニフィコだったかな、いや、ちがうかしらん、えーと、 「しつかりしてよ。何のために大学へ行かせてやってる ! 」 「とにかく″美しい〃はエルモソよ。間違いない」 「エルモッソ ? エルモソ ? どっち ? 」 「エルモソよ」 モッソじゃないね ? 「エル・ ツはなしだね ? 」 「うん : ・・ : そうだと思うんだけど : 私が詰めよるものだから、娘は自信を失って心細そうな顔になった。 「じゃ、 いうよ、シャッポの旦那に」 「 . 何とい、つのよ ! 」 「エルモソ , ってさ。この景色を褒めるのよ」 「エルモソって、一言だけ叫ぶの ? 」
「そうだよ、 「いや、べつにいけなかないけど : : : 大丈夫かな」 「どういうイミ ? その大丈夫かなってのは」 「いや、何でもない とにかくいってみてごらん」 私は意を決して叫んだ。 「エルモソ ! 」 そして並んで歩いているシャッポの旦那の顔を窺ったが、旦那は知らん顔をしている。 「オウ、エルモソ ! 」 もういっぺんいった。「オウ」をつければ感じが伝わるかと思ったが、 旦那はどこ吹く 風。ジプシー女と結婚したというので、親戚からロを利いてもらえなくなったという、ど ことなく寂しげな、人の好さそうな長い顔を真直ぐ前に向けて、長い脚を運んでいる。 「ダメじゃないのさ、あんた、間違ってるんじゃないのツ」 はず 「そんな筈はないわ、ママのいいかたがヘンなのよウ。何だか叱ってるみたいなんだもん」 なにも喧嘩してまで、感動を伝えることもないのだが、私としてはこのありのままの自 然を、よくそありのままに残しておいて下さいました、とお礼をいいたい気持でいつば、 なのである。 1 2 0
もら 私はスチュアデスに新聞を貰った。四月十七日付の読売新聞である。久しぶりの日本の 字だ。一面から順々に丁寧に読んで行く。最後の社会面を開いた。と、目に飛び込んで来 た文字。 「花に雪帽子 平年より五度低い その三日前は初夏のあたたかさ」 なんだと , 言葉もなくその新聞を娘に見せる。 「 , っノルツ , ・」 といった顔で娘は新聞を投げ出したのであった。 薄暮の中、飛行機は成田空港に着地した。ともあれ無事、我々は日本へ帰って来たので 、黒シャッポの先生とも目礼を交して機内を出る。一足、 ある。スチュアデスに礼をいい っ だタラップに足をかけて思わずわッと叫んだ。 ル又 天何たる寒さ ! 何たる風 ! っ や 私は陳え上った。スペインのどの町よりもすごい寒さだ。途端にゴホンゴホンゴホン。 ふる 199
私「これ見よ , この垢 ! 」 今もその垢の大群は目に浮かぶ。 、ようがないねえ。ごらんよ , 私「こ , つなるとも , っ壮観としかいし 見られるか見られないかの景色ですそ ! 」 娘「そんなの見たくないよウ。それより、旅の思い出。ーー」 私「だから、最大最高の思い出がこの垢ですよ , り主玉す , 」 きれい 娘「汚いねえ。もっと綺麗な話をしてよ」 私「綺麗な話 ? 綺麗な話とはどういうことですか。私は常に真実を語る人間です。垢 に真実があれば垢について語る : : : 」 娘「真実もいいけど、楽しい話もいいでしよう、例えば娘の私がモテたことについてと 私「ふん、モテた ? どこで ? 」 娘「どこでって、行く先々ですよ。ポニータとか、グアパとか、いわれたでしよう ? 」 る 去 殺 私「ロンダのおまわりですか ? アスナルカーサ村の鳥打シャッポの旦那にですか ? 」 中 天娘「そればっかりじゃない。セビリアのホテルのポーイも、私の出入りのたびにじーっ この垢の中にスペインのすべてがあ これ : : : 一生に一度、
よ、という顔でさっさと向うへ行ってしまった。 最麦こ「ヾ ードン」という一一 = ロ葉がひとつあったから、多分、自分の方の間違いがわかっ て謝りに来たのであろうと推察する。 ほっとして長椅子の背にもたれ、ふと見ると、番のカナコナのミコト、まだひたと私 を見ているのであった。 いったいなにゆえかくも私が珍らしかったのか、いや、それとも、今考えるとあれは私 を見ていたのではなかったのではないか、それを確かめすにその場を立ち去ったのが今も 心残りである。 いよいよ最後に天中殺の巻き返しが来たかと思ったが、。 とうにか無事に切り抜けた。ッ プシラ、サ工カメ両氏も揃い、搭乗時間が来て日航機の人となる。 このあと、起り得ることとしては日航機の墜落だ。機内を見廻す。若い歌手やタレント が乗っている飛行機は事故がないと聞いたことを思い出したからだ。若くして ( 才能もた いしてないのに ) 有名になったタレントは運勢が強いのでそうなった。従って若いタレン トが乗っている飛行機は事故が起きかけても無事に切り抜けるというのである。 あたりを見廻していると、黒いソフトをかぶった何だか見たことのあるおっさんが目に ついた。どこで見たのだろうと考えていると、その人はおもむろに黒シャッポを脱いだ。 6
だがおしゃべり娘ーーもう今はムスメではないけれど : : はご亭主の出稼ぎ好きを一向 こ気にしているふうもなく、極めて朗らか。小 鳥のように囀りながら、洋服工場へ行くと いって私と娘のホッペタにキスをして出て行った。 いかにものびやかな、好人物揃いの平和な村である。村一番のカネモチだという旦那が 案内してくれた原つばには、ヒナゲシ、アザミ、黄色い小さな花、紫の花など色とりどり じゅうたん に野の花が咲き乱れ、五色の糸で織った絨毯のよう。麦畑に風がそよぎ、小川が流れ、 水車が廻り、牧場の馬は走り、くぬぎの大木は若いカップルを待っているかのようにこん もりと葉を繁らせている。 まるで映画の一シーンだ。 島打シャッポをかぶったヌウと背の高いカネモチ旦那に、、、 コホンゴホン咳をしながらム クミ顔で歩いている東洋女のカツ。フルはどうも似合わない。 といって今や半笑いが地顔に : どうかねえ : なってしまった感のあるツ。フシラさんと我がソラマメ娘のカップルも : あんまり合うとは思えなかったんだけれど : 素晴らしい景色だ。 「美し、 しー・」といお , つか ? ・「亠睛らし に伝えたい。そこで娘に訊く。 い ! 」といおうか。私はこの感動をカネモチ旦那 さえず
カメラマンの佐伯さん。ーー即ちサ工カメさんの運転でホテルを出発した。紺碧の海、緑 の森、復活祭ゆえかシャッターを下ろし、人気のない街並。暫く走ってあまり高級ではな さそうなホテルが建ち並んでいる通りへ出た。日本の温泉町か海水浴場の目抜通り、とい う感じだ。カランとしてただ明るいだけの、簡素なレストランで昼食をとる。何を食べ、 何を飲んだかは忘れてしまったが、美輪明宏さんによく似た美女が、マジメくさってイカ 「車で出かけてみましようか。カテドラルとかべルベル城とか、ごらんになっては ? 」 カテドラルはゴシック様式の寺院で、完成までに数世紀を費したといわれている。パル マに着いてホテルへ行く途中、その前を通った。 「ゴシック様式の寺を見たってねえ、どうということはありませんよ」 「ではベルベル城は」 「マジョルカ王の居城ですか。見なくたってだいたい見当はっきますよ」 どこへ行っても観光というと、寺か城に決ってるのが怪しからん、と怒る。 ひな 「ではどこか鄙びた村へでもドライプしてみましようか」 ップシラさんの顔はダダをこねる腕白小僧の気を逸らそうとしている親の顔の、半笑い になっていた。 こんべき