人 : : : それから何語だか、私の耳では判別できぬ言葉をあやつる人々、じいさん、ばあさ ん、中ばあさん、中じいさん、おっさん、おばさん、にいさん、ねえさん、コドモ、中コ ドモ。西洋農キヨー風あり、西洋町内旅行風あり、カネモチ風、乞食風、新婚風、学究風、 何となく来た風 : : : とにかくどえらい人の数だ。それがモゾモゾモゾモゾ歩いている。そ の中に入って我々もモゾモゾ歩きの一員となる。 ところでカメラマンのサ工カメさんは、スペインに四年間も滞在したほかに、短期滞在 も含めるとスペイン行きは数十回に及ぶという、日本人だかスペイン人だか、自分でもよ くわからなくなってしまったのではないかと思えるほどのスペイン通ーー・・・というよりはス ペインを愛している人である。 そのサ工カメさんは何となく、自分の親戚の別荘でも案内するような、無造作な口調で 説明する。 「ここが大使の間です : : : アラビアの貴族をもてなしたんです、ここで」 「はあ、なるほど : ・ : たいへんなものですねえ、この壁の彫刻は : : : アラビア文字ですね。 てんじよう わあ、壁だけじゃない天井から床から : : : 凝りに凝ってるのねえ」 「は亠め。は、は、よ
暗雲低迷 だがその私でも、たまには夢を描くことがある。今を去ること二十数年前、私はエヴ ア・ガードナーの『陽はまた昇る』という映画を見た。これはアメリカの男女がスペイン あこが へ来てあれこれイロイロいきさつのある話なのだが、我がれのエヴァ・ガードナーが演 じる女がスペインの闘牛場へ闘牛見物に出かける。すると若きハンサムの闘牛士はグラン ドからエヴァを見つけてその前に進み寄り、うやうやしく帽子を取ってお辞儀をし、その 帽子をエヴァに向って投げる場面があって私はいたく心を動かされた。爾来、それが つまり闘牛場の観衆の前で若く凜々しき闘牛士にお辞儀をされるのが私の夢となったので ある。 スペイン旅行を思い立ったとき、まっ先に私の頭に閃めいたことは、何を隠そうこのこ とである。それで私はツ。フシラさんにいった。 ぜひ 「私ね、スペインでは是非、闘牛を見に行きたいんですけどね」 「はあ、それはもう大丈夫です。スペインでは闘牛はどこでも見られます」 「それでね、私、闘牛士にグランドからお辞儀をしてもらいたいのよ」 「はあ : : : お辞儀を : : : ですか」 「つまり『陽はまた昇る』のエヴァ・ガードナーの気分を味わいたいのよ」 「はあ : : : なるほど : ひら
ひとつ星まわる やがてスケジュールが決った。三月三十一日の夜成田出発、ロンドンへ直行しそこから バルセロナ経由で地中海の島マジョルカ島へ飛び、三日間の休養の後、スペイン本土に渡 ってバルセロナから、グラナダ、セビリアを廻りマドリッドを最終地とする。十七日間の 旅程である。カメラマンはスペインに詳しいという佐伯泰英さん。ハナ肇をノバしたよう な豪快、明朗、実に男らしい人だ 白石さんはいっこ。 「それに編集部からばくがお供することになりました」 ひとみ その白石さんのツブラな瞳は心なしか曇って顔は半笑い。この人は困惑したり心配した りするとなぜかいつも半笑いの顔になる。 私は早速、詩人であり評論家でもある松永伍一さんに電話をかけた。かねてから私は松 ぜひ 永さんから、外国旅行をするなら是非是非スペインへお行きなさいと勧められていたのだ。 それでスペイン旅行の心得などを訊くために電話をかけたのである。松永さんはいろいろ アドヴァイスをして下さったが、 出発の前日にわざわざ電話がかかって来た。 「二、三日前にスペインから帰って来た人に聞いたんですがね」 松永さんはいわれた。
マドリよ、お前もか ! 途端にツブシラさんはみごとな半笑いになった。 翌日、ツブシラさんは熱を出した。ツ。フシラさんは私の風邪がうつったのである。 それにサ工カメさんも熱が出て来た。サ工カメさんもまた、私の風邪がうつったのだ。 聞けばセビリアの永川先生、一日、我々が訪問し、私が咳をしまくって料理の腕をふる った、その翌日から発熱されたという。 めぐ 私は風邪のバイキンをふり撒きつつスペインをひと廻りして来た。 「これがホントのスペイン風邪です」 とサ工カメさん。 「いや、スペイン風邪というよりは天中殺風邪というべきではありませんか」 と私は訂正したのであった。 149
れ、大きな目の長い睫をシバシバさせて、 「そ、それでは、とにかく、 手配をしてみます」 そうこう 蒼惶と帰って行った。その様子を見聞きしていた娘の方は浮かぬ顔で、 「わたしも行くの ? 」 「当然です」 ( 何のために高い月謝を払って大学でスペイン語を勉強させているか , ういう時に役に立てずして、何の勉強ぞや ) 「ふーん」 なお 娘は尚も浮かぬ顔。 「でもママは天中殺なんでしよう」 「だから行くんです。天中殺だから行く ! 困苦に立ち向うのがママの人生です ! 」 「ママの人生はそれでもし 、いけど、わたしはどうなるの」 「共に闘って苦難を乗り越えるのです ! 」 「わたし、ママの天中殺に巻き込まれるのイヤだ」 「何をいう ! 自ら試練を己れに課す ! それが偉人の生きる道です」 「わたしは偉人でなくていいのよウ : ばやく娘を黙殺してスペイン行きは決定したのであった。 まっげ
「一四九二年一月二日、わが両陛下がヨーロツ。ハを圧していたモーロ人との戦いに終結を 告げられた日、わたしは両陛下の旗があの町の城郭アルハンプラの塔の下に翻り、モーロ 人の王が市門を出て、わが女王陛下と王陛下の手に接吻するのを見た : : : 」 コロンプスは航海日誌の冒頭にそう書いている。この文章の中の「あの町」とはグラナ ダのことである。 それまでスペインは七一一年にジプラルタル海峡を渡って侵入して来たアラビア人とモ ーロ人 ( アラビア人とベルベル人の混血 ) によって支配されていたのだが、実に七八一年 返 ようや の間、スペイン人は国土回復の戦いをつづけて、この年、漸くモーロ人をグラナダにうち の 破りスペイン統一が成ったのであった。 中 天 そのグラナダのアルハンプラは、この敗北の日まで太守として君臨していたアラビア人、 天中殺の巻き返し 7
「アディオス ! 」 といかめしく挨拶する。 「いやあ、これから暑くなりそうですねえ。雲が下の方にあって、上の方が青く抜けてる、 こんな空は暑くなります」 とサ工カメさんはいう。 「ああ、口惜しいわねえ。まるで私のためにスペインの天候が狂ってたみたいじゃない 「でも、これで天中殺も抜けたということじゃありませんか」 「そうかもしれないわねえ。まずますこれでめでたし、めでたしということね」 といったが、ホントはめでたしめでたしになったのはスペインの方だけであって、当方 は一向にめでたくなったわけではなかったのであった。 ヮ 6
「手を伸ばせばいくらでも採れるほどに実ったオレンジの街路樹と、公園にそびえ立っシ ュロの樹が明るい南国的な第一印象を与えるセビーリヤは、アンダルシア地方を代表する 陽気さをそなえた街である。 三月から十月まではセーターなしで過ごせるだけに夏の暑さは格別で、日中は活気がな 、夜ともなれば街灯に明るく映えるオレンジの並木道を若者たちはセビーリヤ民謡を 歌い歩き、街の中心であるプラサ・ヌエバはタ涼みをする人々でいつばいになる」 セビリアのホテルの午前三時、私はべッドの中で「プルーガイド海外版、スペイン」を 読みつつ腹を立てていた。 といっても「プルーガイド海外版、スペイン」に腹を立てたのではない。 「三月から十月まではセーターなしで過ごせるだけに : セビリアもまた , 9
天中殺総仕上げ 午前十時、イベリア航空でマドリッド空港を飛び立ちロンドンへ向う。来たときと同じ く、ロンドン経由で我々は日本に帰るのである。東の空にかかる白雲はぶ厚い真夏の雲だ。 のぞ その上にまっ青に輝く空が顔を覗かせている。 「ああ、あの空、あれこそスペインの夏の色ですよ」 とサ工カメさんがい , つ。 「いよいよ、スペインの天候も定まりましたね」 散々悩まされた寒さ、咳、そして雨。 口惜しいことには天気が定まったと同時に咳の方もすっかり鎮っている。 だが我々の旅はもう終るのである。 チェッ , 今になって天気がよくなってもしようがないよ , 天中殺総仕上げ しずま いや、これ見よとばかり
「スペインはとても暑いらしいですよ。もう真夏の暑さだそうです。夏服を持って行かれ た ~ 力がいいよ , つですよ」 「そんなに暑いんですか ! 」 と私は落胆した。というのも私はこの旅行に備えて毛皮のコートを買い調えていたから なのである。 もつば 長年にわたって私は毛皮のコートは身につけないという主義 ( といっても専ら経済的事 情によるが ) を貫いて来た。その主義を破ってまで毛皮を買ったのは、一年前の春の外国 旅行で思いがけない寒波に遭い、毛皮のコートの必要を痛感したからである。分不相応の ミンクのコートを購ったのは、スペイン行きのためだ。折角購ったそのミンクが、不要と ーまよは いうのは甚だ面白くないのである。 「すると、コートはいらないのですか」 「いらないようですね。真夏の暑さでフウフウいったといいますから」 「毛皮のコート、 用意したんですけど」 「毛皮はいらないでしよう」 あっさりいわれた。 「でも日が暮れると気温が急に下るんじゃありませんか」