" どっか田舎の闘牛場 , というのは気に喰わないねえ。しかし仕方ない。田舎でも我慢し よ , つ。 というのも実は、私はこの " 闘牛場におけるエヴァ・ガードナーふう , の場面を写真に 撮って、川上宗薫、遠藤周作らの面々に見せてやりたいのである。遠藤さんなどは年賀状 に「ばあさん、身体を大事にしろや」なんていう文句を書いてくる今日この頃である。 「老いたりといえども佐藤愛子、この通り ! 」 というところを見せて、いやお見それしました、と謝らせてやりたいのだ。 「ですからね、佐伯カメラマンに是非とも、そこんところをうまく撮っていただきたいの 「はあ : ・・ : しかしむつかしいですねえ」 とップシラさんは半笑いの顔で考え込んだ。 「そのお辞儀が果たして佐藤先生に向いているかどうか、それをわからせるように撮るの 「そこんところをうまく撮ってこそプロのカメラマンといえるんじゃないですかッ , 「え、ま、そうです。佐伯さんによくいっておきます」 そういういきさつの上で出かけて来たスペインである。「見物席から物を投げれば、ス
佐藤愛子 娘と私のアホ旅行 佐藤愛子 女はおんな 佐藤愛子 男友だちの部屋 集英社の文芸書 娘の背丈が母親を追い越した。二人並んだ写真を眺めて、母は感無量とな 佐藤愛子 良レ」 / の - 時司る。娘 0 父が」なくな 0 た 0 は、彼女が小学校一 = 年生 0 時だ 0 た。そ 0 時 から母は夜も眠らず原稿を書き、テレビ、講演と東奔西走 : : : 。多忙な著 者がふと、母親に戻って娘との小さな時間を綴る抱腹絶倒の異色ェッセイ。 怒りと情熱の愛子センセイが一大決心、冷静沈着な響子サンを伴って、初 めて外国へ旅立った。バンコク、デリー、カイロ、アテネ、ローマ、ロン ドン : : : 絶妙な母子コンビのゆくところ、次々におこる大事件、小事件 , 大爆笑の中に文明批評を秘めたユニークで痛烈な海外紀行 ! 家に仕え、夫に尽くし、教職に捧げ、初恋の人を想い続けて、三十余年ーー。 戦時中に別れた人を忘れられす五十六歳になってしまったさだ子さん、勤 続三十三年の独身教師の達枝さん、五十九歳にして遂に浮気を果した兼世 さんなど、人生の秋を迎えた女たちの愛と性をユーモラスに描く快作長編。 男と女、こんなに楽しい友情があるーー - - - ・ウソのいえないマコトの男・カッ パちゃん、むかしダンスを教えたウサギちゃんなどなど、哀れにも滑稽、 かっ愛らしき男たちとのふれあいの機微を、かわいいニックネームに隠 し、明るいユーモアにつつんで語る一味ちがう交友記。
しかし一八一二年九月、天中殺の日にロシア遠征でモスクワの大火に遭ったことが敗北 のきっかけとなった。 一八一四年三月、天中殺の月にバリは陥落しナポレオンはエルバ島へ流された 翌一五年、二月二十六日、まさに天中殺の日にエルバ島を脱出したが失敗、再びセン ト・ヘレナ島へ流される。 叩運学を無視し そうして天中殺が年と月と二つ重なる一八二一年五月五日に死んだ た王者の末路であった」と。 そうして東洋の三文作家佐藤愛子は、一九八〇年、天中殺に逆って海外旅行に出かけた。 佐藤愛子の方はわざと逆ったのである。 ナポレオンはただ無視しただけだが、 ナポレオンは「自分は金星の下に生れた」と己れの命運を信じて無視したのだが、佐藤 愛子の場合は己れは金星の下に生れた、などとは毛頭思っていない。金星どころかガラク はらん けんか りタ星。波瀾に次ぐ波瀾、苦難に次ぐ苦難、喧嘩に次ぐ喧嘩。どうせガラクタ星、苦闘には っ 馴れているんだ。今更、天中殺を布がったってどうということはない , や 命運もヘッタクレもあるかいな、ヤケクソで突進した。 ナ ロ セ 旅行の結果を見るまで その結果、。 とういうことに相なるかと楽しみにしていたのだが、 ちょうど もなく、のつけから ( しかも出発の丁度その日から ) 咽喉の痛みが突発的に起ったのだ。 ラ /
娘と私り大屮物」 佐藤愛子
佐藤愛子 0 娘と私の天中殺旅行
: 娘と私の天中殺旅行娘 定価 880 円 0095 ー 772374 ー 3041 集英社 佐藤愛子 集、社
娘と私の天中殺旅行 一九八二年四月二五日第一刷発行 定価八八〇円 著者佐藤愛子 発行者堀内末男 発行所株集英社 東京都千代田区一ッ橋二ー五ー一〇 郵便番号一〇一 出版部 ( 〇三 ) 二三八 電話 販売部 ( 〇三 ) 二三八 印刷所凸版印刷株式会社 検印廃止 乱丁・落丁本はお取替えいたします。 Printed in Japan 0 AIKO SATO 1982 0095 ー 772374 ー 3041
バルセロナもやつばり寒い チラニキの命がびつくりして立って行ったのも無理はない。 それにしても、どうも英国式の数えかたはナットクいかないねえ。なぜもっと素直にな れないのか 「ママ、よく今日まで作家としてやってこれたねえ」 と娘はつくづく感心したようにいった。私もそう思う。 バルセロナへ行ったら暖 それにしてもバルセロナの寒さといったらなかった。誰た , かいでしょ , っといったのは , せき 空気の冷たさが気管支を刺激してやたらに咳が出る。翌日は一日、ホテルで寝ていたか った。しかし、せつかくはるばる来たバルセロナである。貴重な金と時間を使ってここまで 来させてもらって、ホテルで寝ていたとあっては集英社ノンノさんに申しわけが立たない。 「ママ、寝てた方がいいんじゃないの」 と娘がいえば、 「いや、行く ! 死んでも行く ! 佐藤愛子は斃れて後、やむのだ ! 」 と叫んで、無理に出かける。 バルセロナの動物園には白ゴリラがいるという。その白ゴリラを見に行かねばならない たお
娘は月見うどん。私は鮭茶漬。デザートにあん蜜を食べてホッと一息。分量も適当でし っとりと胃の腑に納まった感じである。 おそらくは「ひろ子」という名前なのであろう「ヒロコ」のマダムは、髪を束髪にして キリリ、さつばりした三十がらみの日本女性である。もの悲しげな顔つきのテリアを抱い ている。そのテリアは膀胱炎で、水を飲ませてはいけないのに飲ませたので、へこたれて いるのだそうである。 話好きの人でいろいろ話す。 「佐藤愛子さんでしよう ? 」 といわれる。 「ノンノでときどき拝見してます」 もしないだろうが、とにかく一応は喜びそうな とップシラさんがいれば、飛び上り ことをいった。しかし私の方としては、指名手配、ここまで行き渡っているか、という感 : と書きたいところだが、 じでギョッとし、ああひそかなる恋人と一緒でなくてよかった : お 書けないのがいささかシャクである。 よ いつだってどこだって娘を連れて怒りながらノコノコ歩いている。また娘の方もそうだ。 しいまだに母親に怒られながら、ついて歩 マもういい加減恋人と歩いてもよさそうなものこ、 14 丿
みしたであろう浴室をさまよった。またある時は、南国の夜のさわやかな空気、濃厚な花 こうこう の香り、皓々たる月の光、水のさざめきに包まれて、夜のふけゆくままに心がたかぶり、 ついに眠りもやらず夜を明かしたのであった」 富永浩氏の名文はつづく まさしく芸術家というものは、こうでなくてはならないのだ。古の浴場の跡を見れば、 そこに香料入りの湯ぶねの中で湯あみしたであろう美女を想い描くアーヴィング , 片や湯気ヌキの星形に怒る佐藤愛子 ! 「この部屋が一応、アーヴィングが住んでアルハン。フラ物語を書いた部屋だということに なっているんですが」 と 、バルコニーのついている部屋で、サ工カメさんはいった。 「はあ、なるほど」 と私は愛想がない。アルハンプラ物語はアラビアの美女と捕虜になったスペイン勇士と の恋物語だという。私なら「星形の湯気ヌキ」という小説を書くね。偏執狂になってしま った大工を主人公にして。 私が久しぶりにエキサイトしたのは、多分、咳が鎮って体調が好転して来たためであろ -6