娘 - みる会図書館


検索対象: 子守唄の余韻
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1. 子守唄の余韻

その姉の怒り方をも、面白がってからかっている。 日頃、少々煙ったく思っていることの裏返しで、そんな姉をちらちら見ながらたのしん でいたに違いない。不謹慎なのである。 少しばかり父の言訳をすれば、間違えられるほどに成長した姉を嬉しく思っていたのだ ろうが、気恥しいような照れもあって、間違いのままにしておいたとも考えられる。病身 だから、かばそく、他の娘さんたちのはち切れんばかりの身体に比べて見劣りする姉が ″俺のみと間違えられた。そんなことだって父にしてみれば、とても嬉しいことなのだ。 娘盛りを結核のために、と、情の深い父のことだ、どれほど辛い想いで姉を見ていたこ とか。たまたま気分がよく元気でいるのを見れば、それだけだって気がはずんで、未だか って、母にだってしたことのない買物をしてやろうと思い立って連れ出したのだ。 ここまでで、ほんとにここまでで終れば、世の父親並みの父親でいられるのに、そこが そういかないところが、父で、せつかくの努力が可笑しなクイチガイで、姉に嫌われてし士 の まった。 母は、父に対して、自分の意見は何も言わなかったが、姉の気持の方に同情しているよ 似 うだった。 私は笑いが収まってから、言った。

2. 子守唄の余韻

父は終戦の年に亡くなった。 その年、家も焼けた。 戦後の混乱はひどく、廃墟になった東京には食料も物資も何もなく、闇屋と呼ばれる人 たちから粗悪な質でも食物や品物が買えれば幸運のようなもので、混りもののない木綿製 品など新しい品物を手に入れたいと望むのは夢みたいなことだった。お転婆な私の靴下な どは一日はいただけで穴があき、破れをつくろうのは日常のことだった。 ある日、学校の帰り、ごった返す駅のホームで、荷物を背負うた中年の女の人に呼びと められた。 「あのう、失礼ですが、もしゃ藤田さんのおじようちゃんでは ? 」 まったく見も知らぬ人に、そう言われて驚いたが、そうだと答えると、 「あんまり似てらっしやるんで、思わず声をかけてしまって」 その女の人が言うには、私に会ったことも見たこともない。また、父に末娘の私がいる ことも知らなかったが、あまりに父に似ているので、父娘ではないかと、つい声をかけて しまったのだと言う。 父は亡くなったと話すと、ごぶさたをしてしまったからと一瞬声を途切らせ、お母さん はお元気かと言いながら、荷物の中から黒い木綿の靴下三足と軍手を三足つかみ出し、剥 100

3. 子守唄の余韻

姉が、自分で選んだ柄と、呉服屋がすすめる柄と二つを肩にかけ、決めかねて父を見や ると、両方とも包んでもらえと父は鷹揚にうなずいた。 喜んだ呉服屋は、父に下品なおべんちゃらをたたいた。 「お若い奥様で、おたのしみなことで」 ″話みは急転直下、こうなる。 「節子が、怒って、青くなって帰ってきてね、もうお父さんとは、一生涯、買物に行かな と一言うんだよ。よくよく聞いてみると、呉服屋がそう言ったとき、お父さんがにやに や笑ったままで、打ち消さなかったって」 私は、きゅうきゅう笑った。父らしいと思った。姉らしいと思った。 世の父親なら、慌てて打ち消すか、慌てないまでも、「いや、娘だ」ぐらいのことは言 うだろうに。母の話の中には、父が帰ってきてからどう言ったかは入っていない。力、不 には父の気持がわかる。父はたのしんで遊んでいたのだ。節子がどう見たって奥さんに見 うぶ えるわけはない。そうか、呉服屋は、そう思ったのか。すると、この初心な娘を俺がたらし こもうと、機嫌をとっているという図か。よく見れば、年齢も相当離れているし、芸者あ そびに飽きて素人かなんて、こいつけしからんことを考えているのだろう。 また、父は、生真面目で潔癖な姉が心中怒っているのだってよくわかっている。だが、 212

4. 子守唄の余韻

その後、いかがですか 正月の飾りにと友が福寿草を届けてくれました。形良く植え込 み、苔を敷き白砂をあしらった盆栽風。福寿″幸福で長命なこ と〃の意を心こめて贈ってくれた友の優しさを嬉しく受けました。 障子ごしの明るい日射しを受けて、黄色い花びらが光るのを見 ながら、今読んだ記事から受けたやりきれなさに気持は複雑です。 八十五歳の寝たきりの老母を六十四歳の後家の娘が看病しています。旧の法律で財産は 弟が相続し、生活費は弟から恩着せがましく渡されるわずかなお金、この女性が受ける年 金を足してやっとの金額で暮している。その老母が「長生きしすぎたことを気がねしなが ら」寝ていると。これを書いた六十四歳の娘の哀しみや辛さは、強い言葉で書かれてない て せ から、なお、強く、ひしひしと伝わってきました。 ひと よ 身の周りに老人のいない人や若い人には、他人ごと、関心の薄いことかも知れませんが、 花 老いだけは平等です。私たちは、毎日、確実に、老いているのです。 年の始め、我が身の " 福寿。幸福で長命を願うのは万人の願いです。ならば、長生きしへ すぎたことを気がねさせるようなことがあってはならない、″福寿〃は盆栽ではなく、地 それでは、また に広く拡がり、根を張って咲かせる努力を、と、願いました。

5. 子守唄の余韻

イ品が後のお手本として飾られてあった。 しっそ気楽だったが、気楽になれないおまけがあ こうまで差がつくと、あの人は別と、ゝ った。それは学校のことでなく、姉がとても母思いで、日常、こまごまと気を遣って母を かばい助けたことである。外でも内でも何かにつけて姉と比べられたが、比べられて一番 こたえたのはこのことだった。姉が私の年齢の頃、母に対してどんな風に優しかったか、 などと聞かされると、我儘ばかりしている私は一度にしゅんとしばんだ。 姉と母は似ていた。落ち着いた態度。上品な好みや、面ざしにも共通したものがあった。 母娘の関係というばかりでなく、姉と母は互いに理解し尊敬しあう女同士という感じであ った。性質の几帳面で努力をするところなどはそっくりで、そのどちらもが欠けている私 は、姉が恐かった。叱るときは、ここのところも母に似ていてくれたらよかったのだが、 これが大違いで、容赦なく手厳しい 私と同じように、父もまた、姉をいささか苦手としていたようだ。勝気で生真面目な優 等生が、我が娘ながら煙ったいらしく、姉には少々態度があらたまった。父は茶目気の多 い気の若い人で、いや、気ばかりでなく実際若々しく、年齢よりずっと若く見えた。それ に引き替え姉は落ち着いていて、年齢より上に見られる。結核を病んでいたから、その故 であったかも知れない。 おも 210

6. 子守唄の余韻

い飲むと、あとからどかっとまわるぞ。みつともなく酔っぱらうから気をつけろ」 酒道家元は、さまざまの失敗例をあげて教えた。手ほどきを受けた娘は、長じて師範級。 姉は酔った父を嫌った。いつでも学年一の成績で、右、総代のお免状を授かった姉は、 生真面目で、酔態は下品この上ないものと思い、酒の上のくだらない話を軽蔑していたか ら、父は、そんな姉を少々煙ったく感じていたようである。それにひきかえ私は、酔って 朗らかになった父が特に好きで、べったりくつついて、姉の言うくだらない話を聞いては、 泪が出るほど笑った。 父の酔態を見ることで、父に対する敬愛の念が損なわれることはなかったし、正確に言 えば、そのとき、いささか〃敬みに対する部分に減少のきざしがあったとしても、それは 微々たるもので、それを補って余りあるほど父の酔いっ振りは楽しかった。 だが、それは、年齢の離れた末娘の私が見た父で、若い頃の父はそうでもないらしく、 ひと 他人ごとのように、澄まし顔で私に教えた失敗例は、どうも自分のことであったようだ。 具体的にこれこれと、母も姉も口にすることはなかったが、″あのとき〃で通じる話が 出ると、父が、目くばせ、苦笑い、照れ笑い、時によっては不機嫌と、いろいろやって話 を止めさせた。〃 あのとき〃の数の多さと多様さを、そのさまざまな表情の変化で知るこ とができた。 166

7. 子守唄の余韻

桟敷にお酒やビールを運んでいた。二階の上の方に、バルコニ 1 のように張り出した貴賓 席があったこと。国技館の丸天井のてつべんで、小学生がキイキイ声で応援をしていたこ と。相撲見物の記憶の全部である。 昭和九年から十二年頃までの、両国国技館のことをご存じの方にお教えいただきたいと 思っている。桟敷の枠のこと、裸電球がずらりとぶらさがっていた花道のこと、自分の記 憶を確かめたい。綺麗なおねえさん二人は、芸者さんだったことは確かである。 戦前、下町では夏になると近所の神社の境内で相撲大会が開かれた。町会の役員や世話 役がテントの中に陣取り、朱塗りの角樽や一升瓶のお酒が並び、熨斗をつけた賞品が積ま れた。寄贈者の名が墨で筆太に書かれているのも景気付けだ。 町内の老年、中年、青年、少年、もっとちびちゃい男の卵まで、それぞれ四股名で呼び 出され、取り組んだ。勝負の方はあまり大したことはないが見物客の応援は、身贔屓、贔 屓の引き倒しまで入り混って力が入った。 それにも増して野次は痛烈豪快にとんだ。お酒の勢いにのっての応酬にどっと笑い声が あがる。取り進み、カ自慢の勝ち抜きなどは女たちまで湧いたものだった。 若い娘たちは、四、五人ずつ固まって見物していた。日頃きちっと着物を着て店に坐っ ている糸屋の息子や、人気のある若衆が、きりりと締込みをつけて土俵にあがると、娘た つのだる わ 4

8. 子守唄の余韻

たのだ。娘が働いているから、歌舞伎見物は我慢して、観たい気持を素振りにも見せなか とからかった。 った。泪が出そうになったのをごまかして笑って「お見合に行くみたい 以来、都合がつく限り、歌舞伎の切符を買い、母一人出すのが心配でお供をしているう ちに、私もすっかり歌舞伎が好きになった。しかし義太夫や清元、長唄などはよくわから ず、母をつついて今、何を言ってるのと訊ねると、私の膝に手を置いて、小さな声で今い いところを語っているからとささやいて、私のロを止めた。訊ねたことも知らぬ気に、首 を少し傾け聞き惚れている。もっと早く知っていたらとその母の様子を横目で見ていた。 昭和二十六年頃か、帝劇で「モルガンお雪」が上演された。戦後初めての日本のミュー ジカルである。初日の一等席を二枚いただいたので母を誘ってみた。新装成った帝劇を見 たいというので出掛けたが、場違いな母娘であった。 周りは派手で華やかな人たちが、互いに見知った間柄らしく、日本人離れした大仰な身 カ舞台はわかりやす 振りで賑やかに挨拶を交している。どうも一等席がいけなかった。ゞ、 く二人ともども楽しく観ていた。 合間にコーラスガールが出てきた。トップレス、スパンコールのバタフライを付け、袖 だけすけすけの薄い振袖という妙なスタイルで歌って踊った。ストリップを見たのは私も 初めてだったから、どきまぎとして恥しかった。そっと母を盗み見た。母は真面目な顔で 188

9. 子守唄の余韻

幼にして育まれたか、天生に磨きがかかったのか、私はくだらない話が好きだ。人のも の哀しく可笑しな生き方のほうに人間らしさを強く感じる。そして、可笑しなことに落語 を聞いて、笑いながら泪ぐんだりしている。 父が生きていてくれたら、八十を越す。 元気でいたら、「父の日」は機嫌よく酔って、年とった末娘を相手に、くだらない話を してくれるだろうか。想像は愉しく、想い出す父の姿は、亡くなったときのまま、若い。 170

10. 子守唄の余韻

いつの間にそんなに酒の手をあげたんだ」 「こんちきしよう、 父も私もそんな言葉を使うわけはない。まるで安手な芝居の科白である。それでも、そ んな風に言って、父を誘い、父の馴染みの店の勘定を払って、父娘ともども、ほろほろ酔 いに出来上り、風に吹かれて、ふうらり、ふうらり歩いて帰る。 一度、それがしてみたい。 酔が出て、火照った頬を風になぶらせながら歩くのは気持がいい。隣の男の歯ぎしりも いっか風に吹かれていってしまった。右肩の重さも消えた。入れ替って、懐かしい笑顔の 父が並んでいた。 酒の〃百薬の長〃の長たる所以か、親の功徳か。 2 ) 父親伝授飲酒戒