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検索対象: 小説 安宅産業
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1. 小説 安宅産業

「おい、あのおっさん、さっきうちの課にきとった人とちがうんか」 おなじ課の同僚たちが、声をひそめてさわぎながら三宅をふりかえった。 「なにしにきてはったんですか。三宅さん、新社長とコネがあるんですか」 目の色を変える若い社員もいた。 「けったいなおっさんやな。水戸黄門式の民情視察やったんか。あんなんが大阪にいて、しよっちゅ う見まわりしよったら、おたがい息ぬくひまもないなあー 「やりかたが中小企業ふうやな。その程度のことで民情が把握できるかどうか」 「しかしタフそうなおっさんやな。えらいコキ使われるかもしれんなあ」 松井の演説をききながら、三宅の同僚たちは小声でそんな感想をのべあっていた。 ロはわるいが、みんなの表情はあかるい。たとえ人気とりの意図があるにせよ、朝からオフィスへ すわりこんで一介の営業マンの会社批判をきく社長など、これまでの安宅産業では考えられなかった 、ら - 。こ 0 新しい社長がやってきた。なにかが確実に変わるだろう。沈没しかけた三宅たちの巨船が松井のカ でふたたび正常な航行能力をとりもどすかもしれないのだ。いや、あの男のもとで団結して、なんと かわれわれの運命を切りひらいてゆかねばならない。なにをおいても自分たちはそうあらねばならな ス いのだ。 ジ社員たちのそんな期待を裏づけるように、松井はカづよく語りかけた。 「みなさんが不満に感じている点、こうすれば安宅産業の現状を改善できると思う点は、遠慮なく私

2. 小説 安宅産業

だった。非鉄金属部門の商権に伊藤忠がこれほど関心をもつ以上、商権にかかわりあう社員も当然に ひきとられる公算が大きいと考えたからだ。おなじころ安宅産業内部では、伊藤忠の社内組織にあわ せて大がかりな機構改正、人事移動がおこなわれ、社員たちはいかにも合併近しの雰囲気、環境のも とで働くようになっていた。 六月なかばのある日、三宅はその部長に別室へ呼ばれた。取引上の打合せだろうと考えて部屋へ入 った三宅は、部長の顔をみて、くるものがきたと直感した。よく太った、色のくろい、柔和な顔をし た部長は、つねになく緊張した面持でソフアに腰かけ、三宅をみつめてあわてて笑みをうかべたので ある。 「例のマレーシアの資源開発。フロジェクトのことやけどな」部長は言葉を切り、まっすぐ三宅に視線 をあてた。「合併準備委員会で結論が出たんや。伊藤忠としては継承しない方針になった。あのプロ ジェクトの将来性もきみの努力も高く評価されてはいるが、当面の業績に寄与しないのが難とされ 「そうですかーーーやはりだめでしたか」 三宅は心のなかの一つの楼閣が音を立ててくずれ落ちた気分だった。 ここ数年、多忙な日常業務のほかにこの。フロジェクトの推進を担当し、将来の結実を楽しみにすべ てをとり仕切ってきた。片手間どころか、商社マンとしての浮沈をひそかにそこへかけていた。合併 で社を追われる安宅ファミリーの一部の者が再起の拠点にえらんだほど、それは将来性あるプロジェ クトだった。会社が経営危機におちいって以来、三宅はそのプロジェクトが伊藤忠へ継承され、自分

3. 小説 安宅産業

層へうかびあがりたい欲望とかよりも、安宅産業三千七百人の社員とその家庭をなんとか救ってやら ねばとい , つ、 すがすがしい使命感が松井の全身にみなぎり、にしみ出ていた。その使命感がなければ、 多忙な時間をさいてこんな席へわざわざ社員と話しにこないだろう。朝八時に出社して、いあわせた 一係長と長話もしないにきまっている。松井が発散させている熱つぼい迫力も、・ハイタリテイだけで はなくて、そのような使命感からも成り立っているにちがいなかった。 三宅も同僚たちも、このような経営者をはじめてみたのである。我欲をつらぬくことで企業の頂点 に出た人物はたくさんみてきた。経営の努力が、つまりは自分自身の栄燿栄華の追求と異なるところ のない人物も数多くみて、経営者とはそういうものだと思っていた。だが、松井はどこかがちがう。 トイレットで放尿の筒さきをならべながら、 「わしかて女もゼニもほしい。しかし、社員の生活をあずかってる思うと、自分のためにはなに一つ できんようになってしまう」 と、彼の・ほゃいた言葉が、ひどく真にせまって三宅の脳裡によみがえった。 三宅は、あらためて松井に親愛の念と期待を抱いた。こういう人物が上司にいれば、徹底的につい ていけるだろう。けちな出世欲は二の次に働けるはずだと彼は思う。 駐この十年、松井が社長をつとめた化学会社の社員がうらやましかった。まったくサラリーマンは、 ス しい経営者につくつかないで、運命が天と地ほどにもわかれてしまう。企業の規模は問題でなかった。 ネ 松井がいまから資本金百万円の小事業をはじめる予定で、その要員を募集するなら、よろこんで三宅 は駈けつけるにちがいなかった。

4. 小説 安宅産業

「家内がですかーー」山本は顔をしかめ、ややあって面目なさそうに頭をかいた。「女の希望的観測 いうやつですわ。ひょ 0 とすると伊藤萬にひきとられるかもしれんと話したのを、真にうけて吹聴し よるんです。見栄つばりで、困った女でして」 ういうことだったのか。伊藤萬へ移られるときいたのに」 「なんだ。そ 「そんな悠長な状態やおまへんねん。あと一カ月もせんうちに、われわれ繊維部門は新会社になりま す。赤字やから、態よく切りすてられるわけですわ。その赤字会社のめんどうをみてくれる親会社を、 いまトップが必死でさがしているところで」 きいてみると、山本たちは転職がきまって一安心どころの状態ではなかった。 繊維部門は噂のとおり、この十一月中に資本金七億円の新会社安宅繊維として再出発するそうであ る。だが、業績不振で伊藤忠商事に合併を拒否された繊維事業部がそんなかたちで独立しても、将来 にわたり自力で存続してゆける保証はなかった。だから安宅産業のトツ。フやメイイ ( ンクの住友銀行 は、新会社を傘下におさめてくれる大企業を懸命にさがしているところなのだ。伊藤萬も、そうした 大企業の一つだった。住友銀行の圧力で伊藤萬が親会社になることを承諾してくれたら、というのは 目下、繊維部門の全社員の願いであり、山本さんはそんな願望を妻に語っただけなのだが、妻のほう は、願望を真実ととりちがえて近所に公開したわけである。 「見栄つばりで、困った女で」 ( スのなかでくりかえす山本が気の毒で、三宅はやっと失笑をおしころした。 合併を前提とした伊藤忠商事との業務提携が発表された時分、山本の妻は、実家が大きな材木間屋

5. 小説 安宅産業

そんな話をしながら、三宅は入社以来はじめて市田に親密な気持を抱いて酒を飲んだ。 大崎ばかりではない、組合の先頭に立 0 て合併首切り反対をさけんだくせに、再就職のロをみつけ るなりさっさと退社した男。課員をスカウトにきた人物に向かって課員の悪口を告げ、代わりに自分 を売りこんだ課長。会社の経営危機が本格化したのち、出入り業者からリべートをとりはじめてクビ になった中年の社員。何千万円かの焦げつきの責めを部下にかぶせて社長室スタッフへ報告し、その 部下と立ちまわりを演じた部長。せつばつまって地金をあらわした連中が、社内のいたるところにみ うけられた。上役の強烈な肩たたきにさらされたり、自分の関係する商権が伊藤忠商事にほとんどひ きとられないと知って彼らは常軌を失したのだ。しがみつくべき。フロジェクトが一つあるだけでも、 三宅は幸運な部類に数えられる身の上だった。 一時間近く飲んで市田とわかれ、三宅はリエの待っ部屋へもどっていった。 を室内にながし、リエは裸でべッドの毛布にくるまって文庫本を読んでいた。 三宅をみるとリエは本を投げだし、寝そべったまま彼のほうへ両手をのばした。そのまま彼はリエ の上に倒れこんでくちづけし、肩から胸、腋へくちびるを這わせた。 「おそすぎるわ。もう眠とうなってしもた。熱がさめたわ。三宅さん、責任もって私の体、燃えさせ てくださいね」 乳房をさぐられながらリエはいった。 三宅は彼女の体を覆っている毛布をひきはがした。そして、すんなりとした優雅な肉づきの脚にか わるがわるくちびるをつけ、ゆっくりとさかのぼり、リエの体のいちばん女らしい部分へたどりつい

6. 小説 安宅産業

は、結局大阪本社の一人だけだった。みんな自力で新しい職場をきめていたし、他から買い手がつく たけの能力の持主でもあったようだ。 大阪の非鉄金属部門からも、三名の男子社員がきのう退職を申しでていた。最強の鉄鋼部門にはお よばないが、黒字を計上しているだけ比較的らくに伊藤忠商事へ吸収されるだろうこの部門をすてる だけあって、その三人はいずれも三十歳代の、所属の課の中心的な働き手だった。三人とも外部から さそわれて、好条件で再就職をきめたらしい。うち一人は三宅と同期入社の岡村という男だった。三 宅はその日、岡村を会社の近くの喫茶店へ呼びだしていろいろ話しあった。 うやないか。おめおめと伊藤忠商事へ寄生することはないよ。 「小糠三合もったら養子にいくな、い おまえも早うとびだせ」 岡村は自信と希望を目もとにみなぎらせて魅力的な表情をしていた。 ある中流の電線メーカーの営業課長に彼はなるらしい。これまでの取引を通じてつかんだ再就職ロ である。三宅は自分の担当の取引先を一つずつ頭に思い描いてみた。何十回、いや何百回もやってみ たことだ。しかし、幾度やっても、三宅をうけいれる余地のある取引先はなさそうだった。岡村はな ういう取引先をもっていただけ幸連だっともいえるのである。 るほど有能だが、そ 「おれは思うんやが、仕事のできる人間はどんどん外へ出てしまう。のこるのは能力ないやつだけや。 銀行式に人数の辻棲だけ合うても、戦力はさつばりいう結果になるで」 「そうかもしれん。おれも出たいんやが、なかなか気にいったロがないしーー」 「希望退職を申しでて、例の求人リストみてみたらどうや。曲りなりにも銀行がさがした就職ロや、

7. 小説 安宅産業

大人の秘めごとにしては妙にチャチで、子供つぼくて、二人の姿が周囲からはっきりと浮きあがった 感じになるからだろうか。 それでも、希望退職者募集がはじまった日の息のつまる雰囲気の向うに、三宅はやっと一つあたた かい灯火をみた思いだった。均整のとれた、中肉中背の、若竹のようによくしなるリエの裸身が目に うかび、ホテルの部屋で彼女とすごすはげしい時間を想像して、書類つくりの手に力がこもった。さ きゅきの不安などどうでもいいと思えてくる。深刻な不安におそわれたり、その反動でリエとの情事 におそろしく熱がこもったり、外からみれば以前とおなじサラリーマン生活だが、やがて同業他社に 吸収合併される会社の社員の心のうちはすでに波乱万丈なのだった。 「おい、電話番の者だけのこしてみんなあつまってくれ。上からありがたーいお達しがあったさかい、 伝えとくで」 一時間前から事業部の部課長会に出ていた課長の大崎がもどってきて、むくんだような顔で四課の 全員に声をかけた。 十五名の課員のうち、リエたち三人の女子課員をのこして、みんな椅子をひつばって課長の席のま わりにあつまった。間仕切りの向うで、二課も三課もおなじように緊急の課内会議をはじめたらしい。 下意上達はさつばり実現しないが、上意下達は以前から比較的うまくいっている会社なのだ。 「総務部のほうに就職あっせん係ができることになった。安宅産業の社員にたいする求人のリストが そこにあるそうや。希望退職に応じる者はそこで求人リストをみせてもらえる。割増しの退職金をも らった上に新しい仕事のロがさがせるというわけやな」

8. 小説 安宅産業

ができあがった。だが、以後も会社は月々二十億円の赤字を計上しているとの話である。従業員の削 減をまず実行したくなるのは、経営者の立場では当然のことかもしれなかった。 希望退職者の募集人員は九百名。全社員数が現在はおよそ三千四百名であるから、四人に一人弱が 退職をもとめられていることになる。募集期間は九月一日から二十二日まで。この期間の退職者には、 退職金と、その約四十パーセントにあたる特別加算金が支給されるそうだ。なお希望者には各営業本 部長が中心となって再就職をあっせんする、と通達の末尾に社員の好奇心をそそる一つの条項がつけ 加えられてあった。 「九百名か。なるほど。第一段階で人員を二千五百にして、出向その他でもう五百削って、最終は二 千名で伊藤忠入りいうわけか」 「しかし、四人に一人はきびしいな。これが麻雀やったら、ゲーム不成立やないか。そんなに削って 会社はやっていけるんかいな」 「そこが銀行サンのやることや。売上高と人数の辻棲が合うとりやいいと思うとる。どういう人間が 出てどういう 人間がのこるかのほうが重大問題なんやけどな」 大阪本社、非鉄金属第二営業部四課のオフィスで、三宅たちは仕事の手をとめ、しばらくそんな噂 話をした。 もう午後三時で、三宅たちのデスクに窓から西陽がさしこみ、冷房のきいているはすの室内にむつ と温気が立ちこめている。電話で話したり、書類をつくったり、来客と話しあったりする男女社員の 顔に脂が浮き、疲労と倦怠の色がにしみでていた。スナックバーや麻雀屋の気のおけないざわめきが、 8