顔には生気がなかった。四十五歳だと聞いたが五分も素裸になった。 十ぐらいに見える。男は時々ハンカチで顔を拭い男の愛撫は紀子の想像以上に執拗であ「た。紀 子は適当に羞恥を見せ、適当に呻き、男の欲望に こ。ハンカチは真新しいものではなかった。 応えた。 腕時計を見て、泉は男に言った。 ことが終っても、男は紀子から手を離そうとし 「じや私はこれで : : : ゆっくりしていって下さ なかった。 男は何回も顔を拭いた。男は踏みとどまろうか「あんた本当に泉さんの秘書かね」 「ええ、秘書ですわ、そう見えません ? 」 どうか迷っているのが、紀子には分った。 「私がお相手致しますわ、折角のんびりされたん「いやそんなことはないが、で、泉さんが、あん たにこんなことをしろ、と言ったのかね」 ですもの、ごゆっくりなさいましたら」 「大事なお客様だから、充分おもてなしをするよ 紀子は銚子を取り上げた。 うに、と言われましたの、それだけですわ」 泉が帰ると男は無口になった。 二人が隣室の寝所に入ったのは、それから間も「わしはあんたのように素晴らしい女の人に会っ なくだった。蒲団に入ると男は飢えたように紀子たのは初めてだ」 と男は暗闇の中で小さい眼を光らせながら言っ に飛び掛ってきた。まるで今抱かなければ永久に た。他の男が言えば吹き出したくなる言葉であっ 抱けない、とあせり切ったような動作であった。 紀子は男を冷静に見るだけの余裕があった。紀子た。がこの男にとっては真実のようであった。紀 子は艶然と微笑しながら、今一度男の身体をまさ は男の手を取り、 ぐっていった。 「待って : と言った。そうして男の寝巻を静かに取ると自翌日泉から電話が掛って来た。昨日の経過を詳
しく尋ねた。紀子の言葉に泉は満足げに頷いた。男は先に来ていた。男の嬉しそうな顔を見た時、 「今度の日曜も頼むよ」 紀子は男が待ちこがれていたのを知った。 と言って泉は電話を切った。 「あんたにあげようと思って、買って来たんだよ」 男が差し出す包みを、紀子は礼を言って受け取 った。考えてみれば、コールガールの商売に人っ こうして紀子は男と三度会った。会うたびに男てから、プレゼントを貰ったのは初めてだった。 は紀子にのばせて来たようだった。会う場所は泉紀子が開ける包みを、男はそわそわしながら眺 の指定で何時も変った。が、必す郊外であった。 めていた。 紀子がどんな表情を浮かべるかを期待 人眼を避けるためであろうか。 に胸をはすませているのだ。どうせ野暮ったい男 紀子には毎回一万円払い、旅館の接待費も馬鹿の贈り物だ。紀子は期待せす包みを開けた。見事 にならない。一体この男によって、どんなに重大な真珠のイヤリングであった。数千円はするに違 な取引が得られる、というのだろうか。紀子は知いない。 と田つよ、フになった。 「嬉しいわ、有難う、欲しかったの」 三度めに会った場所は甲陽園の旅館であった。 「真珠の指輪と首飾りをしているから、似合うと 山の中腹にあり、窓を開けると、樹々の緑、芦屋思って買ったんだよ」 の海が眼下に拡がっている。 照れたように言う男の額に、紀子は接吻した。 今日は泉は姿を見せなかった。紀子は指定され甘い男だと思う。泉にあざむかれているとは知ら た旅館に一人で来たのである。今日も男は二時にず、コールガールにこのような高価な贈りものを 来ることになっていた。何時も男は、時間きっかするなんて : : : が、舌を出す気にはなれなかった。 りに来るので、紀子もその時間に行った。珍しく この男は、紀子を本当に泉の秘書だと思っている
するかどうかで、うちの社の運命が決るんだよ」その瞬間紀子は男に対して自信を持った。 泉は紀子をその男に、月岡紀子さん、と紹介し 「大げさね」 と紀子は苦笑した。泉は笑わなかった。その喫た。男の名はきかないように、と泉に言われてい た。紀子はつつましく頭を下げた。 茶店で、泉は紀子に一万円渡した。 泉が接待する男は二時に浜寺の旅館に来ること「私の会社の秘書です」 になっていた。 と泉は紀子のことを説明した。酒が運ばれ飲む うちに座の緊張が解けて来た。 紀子と泉は一時半頃その旅館に行った。新しく 出来た観光旅館で、庭園は広く小さな人工の滝が紀子は上品な水色のツービースを着ていた。パ 、ヾールのネックレスが良く似合っ ールの指輪と あった。二人が通された部屋は二階の角の二方が ガラス張りの部屋であった。おそらくこの旅館で た。泉は絶えす冗談を言って男を笑わせた。女に も最高の部屋であろう。 対する失敗談が主であった。 泉が緊張していることは、紀子にも分った。待泉の失敗談はほんとかもしれない、が泉はその っている間も余り喋らず、絶えす腕時計ばかり眺失敗のあとで、きっと女をものにしているに違い よ ) っこ 0 めていた。 ナ、刀子 / 野暮な男だということだが、どんな男であろう。 男は時々窺うように紀子を見た。視線が合うと 鼠のようこ艮・、 冫目カ小さく、背の低い男ではないか。慌ててそらし、ロへ運ぶ盃から酒をこばした。 愛撫もぎごちないに違いない。だがそんな男の方れが会社の営業部長なのであろうか。紀子はバー が御し易かった。 に来る部長連中を思い浮かべ、疑間に思った。 二時きっかりにその男が現われた。紀子は思わ泉は男に対し鄭重な言葉を使っていたが、おど 9 ず吹き出しそうになった。想イ、 、象通りだったからだ。おどしているのは寧ろ男の方であった。しなびた
結局、加奈子は会うことを承諾してしまった。 そんな或る日、加奈子に電話が、かかって来た。 男からである。 金で解決っかないだろうか、兎に角、その男の 8 真意を知るのが先決であった。青木に知られるの 「奥さん、誰だか分りますか ? 」 は、なんとしても避けたかった。 と電話の声はいった。さすがに加奈子は真青に なった。渋いその声は、新宿で会った情事の相手離婚を怖れたのではない、青木の前に、自分の であった。どうして、青木の妻であることを知っみじめな姿をさらしたくなかったのだ。 たのか。あの時は、なに一つ証拠はなかった筈勿論加奈子は、たわむれの情事の相手に、いさ さかの愛情も感じていない。愛情を抱いていたな 男は加奈子の質問に答えなかった。そんなことら、まだ救われる道もあった。 昼間会ったその男は、ジャン・マレーとは似て はどうでも良いじゃないですか、といって会うこ とを求めた。男の言葉には、あの時と違って、強も似つかなかった。確かに彫りの深い顔だが全体 制的な響があった。 に薄汚れている。どうして、こんな男と肌を合わ 「僕も一時のたわむれの積りだったんです、でもせる気になったのか。 あなたが悪い、あなたの魅力が、僕の理性も、女「どんなに未練があっても、その場かぎりで別れ 性観も変えさせたんです、とにかく会って下さい」るというのが、あなたの主義じゃなかったの」 り「電話でお伝えした筈ですがね、奥さんのたえが 加奈子は、なにもいわずに電話を切った。怒 たい魅力に、僕の主義が崩れたって、あなたは酷 が加奈子の胸を満たした。男に対する怒りであり、 ひと 男の誘惑にのった、自分自身に対する怒りてあつい女だ」 と男はぬけぬけといった。なにをしている男な 一分とたたないうちにまたベルが鳴った 時、加奈子は恐怖を感じた。 のか。スポーツウェアのような派手なチェックの
「僕は、あの夜の夢を、もう一度味わいたいだけると思うと、死んだ方がましのような気がする。 ですよ、それだけですよ、奥さん : : : 」 長い時間がかかり、飽くことのない欲望を満た 8 「一度だけじゃないわ、二度も三度も引張り出すすと、男は満足気な顔で煙草を吸った。 わ」 加奈子が青い顔でべッドから下りた。スリップ 加奈子は呟くようにいった。女であることの佗を着た時、男が思い出したようにいった。 しい声であった。男は微笑した。そしていった。 「奥さん、あんたのような女を持って、青木さん 「将来のことは、将来のことにしましよう」 も、青木さんだな、という俺だって、長い付きあ その日加奈子は、代々木のホテルで、その男に いの女がいるが : 散々身体をもてあそばれた。男は加奈子の裸体の 加奈子は、きっとその男を見た。が、たとえ、 隅々を、まるで六十歳の老人のように、味わいっ夫の秘密に関することであっても、ものをいう気 くした。加奈子は恥辱と後悔とに、眼尻に涙を浮はしなかった。加奈子は服を着ると、一人でホテ かべながら、男のなすままにされた。 ルを出た。 「素晴らしいよ、見た眼には美しい身体でも味が 4 それ程でもない女がいるが、奥さんは特別だ、こ の吸いっき加減 : : : 」 電話のベルが隝るたびに加奈子は、どきっとし 男は先夜と打って変り、野卑な言葉を吐き散らた。このまま日を過せば、神経衰弱にかかりそう であった。 した。聞くまいとしても耳に入る。 ああ、もう嫌だ、なにもかも夫に告自して離婚青木が仕事で、また家を数日留守しているのが、 しよう、そう思う一方、でかでかと、低級な週刊せめてもの救いだった。 誌のトップに写真がのり、知人の嘲笑のたねにな その日、何気なく新聞を見た加奈子は思わす息
ーしていつ、こ。続、 して商売意識がよみがえって来 紀子はのろのろ起き上ると、トイレに入り、 スにつかった。バスを出る時水を浴び、紀子はべ ッドに戻った。その時紀子の前にいるのは、最早 取引の済んだ一人の客にしか過ぎなかった。 横たわっていた男が低い声で命令した。 二回めのいとなみはすさまじかった。紀子は商「動くな、そこに立って ! 」 売を忘れ、歯を喰いしばって呻き、汗みどろになずしんと胸に響くような声であった。 って全身の筋肉を蠢動させた。紀子の爪は男の汗「なによ、えらそうに言って」 ですべりながら、たくましい男の背に喰い入った。 「ヌード料は別に払う」 男の盛り上った腕は、紀子の肋骨を折れる程締め男の眼が紀子の身体を凝視した。さっきの昂奮 つけ、紀子が喉を隝らすたびに淫語を喚き続けた。のかけらも残っていない氷のような眼であった。 紀子の昻奮は男の淫語の中に解け、男が力をいれ紀子はだらんと腕を下げて全裸で男の前に立っ るたびに、沸騰した。最後が来た時、紀子の眼の た。恥かしさはみじんもなかった。 前に灼熱の光りが走った。 楙紀子は二十三歳、コーを カールであった。身 掛け布団はべッドから落ち、枕はべッドの端に長は五尺三寸体重十四貫、そのかもしかのような 飛んでいた。 足と、個性的な彫刻のような顔は、日本人には珍 二人は暫く無言で息をはすませていた。 しい最新鋭の美人であった。 シーツの濡れた冷たい感触が、先ず紀子の炎を鼻梁は高く眼窩は窪んでいたが、双眸は美しか 夜の花が落ちた
「凄く魅力のある女性と街で偶然会って、知りあ「私、亭主が浮気している、哀れな人妻に見えま って、数時間後、その場限りのこととして、別れす ? 」 られる男は、残念ながら、日本には少ないですと加奈子は仮面のような微笑を浮かべていっ な」 と、 いうことは、自分なら後麕れなく別れられ「えつ、奥さんだったんですか、僕はまた、気ま まに人生を楽しんでいるお嬢さんかと思った」 る、ということであろう。 と男は初めて驚いたようにいった。 「私、誘惑にのるような女に見える ? 」 「失礼ね、独り者よ」 「そんな人に話しかけても、つまりませんよ」 と加奈子はいった。この時加奈子は、自分は酔 確かに、どのせりふ、どのせりふも、加奈子よ 一枚上手であった。加奈子はつい、三杯あけてっている、と思ったようだ。 加奈子は、トイレに行って、身元を知られるよ しまった。二杯が限度なのだ。が、加奈子の心が うな、ものはないか、とハンドバッグの中を調べ 崩れたのは、次のような、男の言葉であった。 「日本の人妻はあわれですよ、亭主が浮気してもた。なにもなかった。 じっと辛抱せねばならない、その点、あちらの人男は、そのせりふ以上に、性の技巧はたけてい 妻は、男女平等ですからね、結構、亭主に復讐した。加奈子は、青木と結婚する前、一人の男を知 っていたが、相手はまだ若かった。 ていますよ」 加奈子は、千駄ヶ谷のホテルで、羞恥心も罪の 今までで、最も陳腐な言葉だった。が、所詮言 って、この 葉が決定的な意味を持つのは、聞く方の気持の状意識もかなぐり捨てて燃えた。と、 冫いささかなりと、愛情を感じたの 3 態による。この男は、私が人妻であることを感付見知らぬ男こ、 いているのだろうか、加奈子は凄く腹がたった。 ではない。幾ら女をたらすせりふと、性の技巧に
い。この男を愛し、自分の色香のあせるまでこの いぜ、世の中の男をなめるなよ、百万円は無条件 で貸そう、利子はいらない、余裕が出来た時に返男の秘書をしている。思っただけで胸がふくらむ してくれれば良い ようである。美知は涙を流した。これからはどん 吉村は懐から小切手帳を出すと金額を書き込なことがあっても出せない涙を今夜だけ出し尽し み、美知に渡した。美知がはっと気付いたのは吉てしまいたかったのである。 吉村の身体はたくましかった。筋肉でごっごっ 村が部屋を出てからである。小切手を損んだまま、 している。その胸をまさぐりながら、 美知は呆然と坐っていたのだ。 美知は小切手をハンドバッグに入れると、吉村「社長さんはどうして浮気をなさいませんの、奥 さまを愛してらっしやるから : : : 」 を追いかけた。吉村の前に立ち塞った。 吉村は窪んだ眼に柔かい微笑を浮べた。 「社長さん、美知を抱いて下さい」 「なにを一一一口う」 「僕の顔は女にもてる顔じゃない、いや、君の意 「仕事を始めれば汚さねばならない身体です、美見は分っている、例外だ、だがね、もう十年すれ 知には恋人がいません、お願いです、大人になつば幾分落着きと人間の重みが加わるだろう、それ て闘いたいのです」 までには、会社ももっと大きくなっている、そう その夜、美知は初めて男を知った。痛みは余りしたら、静かにひそやかに浮気を始めるよ、家庭 感じなかった。ただ吉村に抱かれながら、この男に波風の起らない程度にね、今夜は有難う、僕に を愛してしまいそうになる情熱を押えるのに必死は初めての経験だった、でも、僕に援助出来るの だった。男を愛するなんて、なんて簡単で楽な生は、さっきの百万だけだ、分ってくれるね」 き方だろう。女に取って男を愛するのは本能であ「分っていますわ」 る。本能のおもむくままの行動ほど楽なものはな美知ははっきり答えた。 271
はしかりのような衝動に憑かれていたのかもしれ男がゆっくり近付いて来た。加奈子は恐怖に顔 よ、つこ。 オ ) 刀 / を引き吊らせて、叫ばうとした。 州本に声をかけられてから、はや二カ月になる。 が、声が出ない。男は、青木ではなく、畑輪で 樹の葉が変ったと同じように、日、 カ奈子も変ってしあった。 まった。なにも知らないで青木が帰って来ても、 「奥さん、お手伝いしましようか ? 」 すでに加奈子にとっては、怖ろしい人間であった。 と畑輪はいった。相変らず、低い沈んだような ふと加奈子は、もし将来、再び自分が結婚する時声であった。 があれば、たとえ夫が犯罪者であっても、夫とし「いやしい方、あなた、私をつけていたのね」 て眺められる男と結婚したい、と思った。 と加奈子はいった。畑輪は陰気に笑った。 加奈子は、ドライバーで戸を開けようとした。 「人間をつけるのが、私の商売でしてね、でもっ が、そんなものでこわれる鍵ではなかった。加奈けたのは奥さんじゃありませんよ、青木です、青 子は汗を流して力を込めたが、だめであった。 木はこのスタジオにいますよ」 加奈子は絶望して額の汗をぬぐった。窓には、 と畑輪はいっこ。 よろいど 鎹戸が下りている。窓からも入れない。 「虚、青木は東北よ」 その時加奈子は、スプリングコートの襟を立て、 思わずいってしまって、加奈子は、はっと胸を 電柱の蔭に立って、自分を眺めている一人の男の押えた。 姿を見た。何故加奈子が、その男を夫だ、と思っ「東北に行ったのは、二日間だけです、昨日から たのか、それは分らない。ただ加奈子は、その男戻って来ています、この間の、北海道の時と同じ が青木であり、青木は自分を殺すために戻って来ように : たのだ、と思った。 「北海道の時 : : : 」
リュームがそこにあった。 や、ゆて卵の殻が散らかっている。が、仙子は平 加奈子がおとすれたのは、午後二時だったが、気のようであ「た。 仙子は漸く起きたばかりのようだった。 いかにも州本の愛人らしかったが、こんな女が 加奈子のノックに応えたように、ドアが開いたベストテンなのか。 時、加奈子は思わず、ぎよ「として、後ろに下「「へえ、あんたが吉次にいかれたんだ「て、驚き た。男が出て来たからだ。加奈子が息を呑んだのね」 は、その男の感じが、余りにも州本に似ていたか 加奈子は思わす赤くなった。こんな世界の女の らだった。 気持は、加奈子にはさつばり分らない。 勿論顔は別人である。男はじろじろ加奈子を見「で、一体、話「てなんなの、私はあの男が死ん た。なめ廻すような眼付だった。年は州本より若でほ「としているのよ、一時はショックだ「たけ く、二十七、八、。 どね、まさかなぐさめ合いに来たんじゃないんで 「おい仙ちゃん、お綺麗なお客さんだぜ」 しよ」 立ち竦んでいる加奈子に手をあげて、男は出て ぶつきら棒な話し方だが、別に怒っている様子 行った。 もない。根は良い女なのかもしれない、と加奈子 仙子は、赤く染めた髪を掻きながら、加奈子をは思った。 部屋の中に入れた。加奈子は思わず、眼をそむけ「ええ、未練だとか、恨みだとか、そんなことで た。乱れた布団が敷かれたままであった。枕元の来たんじゃないんです、仙子さんも御存知だ「た 灰皿には、吸殻が山盛りになっている。 と思いますが、あの人は人の弱点をんで、ゆす 加奈子は隣の部屋に通された。キッチンルームることを仕事にしていたようですわね」 だが、テープルの上には、かじりかけのトースト 「それしか出来ない男だからねえ」