「河内商事なら一番深い関係だ、おたくはどうして手を引いたんですか、おたくが、もっとめ んどうを見てくれたら、こんなことにはならなかったのに」 まるで千野木が悪者のようなことをいうのだった。 「うちも被害者なんですよ」 と千野木はむっとして答えた。 「被害者は被害者でも、おたくなどびくともしないじゃないですか、うちはね、従業員数人の しがない工務店だ、ここから金が入らなければ、潰れてしまうかもしれない」 「お気の毒だと思います、しかし私も債権者の一人としてここに来ているんですよ : ・ 千野木は語調を強めた。 この状態では、長くここにいるべきではない、と千野木は思った。頭に血が昇った債権者達は、 河内商事を自分達と同じ債権者とは思わず、松村建設の仲間と見るかもしれない。 「盛沢さん、僕はもう少し後から来てみます」 千野木は喫茶店にでも行ってお茶でも飲んで来よう、と思った。 この分では、夕方まで混乱したままだろう。松村の行方が分らないのに、債権者達は帰る様子 ・、よ、つこ 0 千野木は人を掻き分けて外に出た。 「あの失礼ですが、河内商事さんの方ですか」 振り返ると傍にいた女だった。
128 アリーに、加納や真由美を連れて行く気にはなれなかった・ 「相村君、君もお伴したら」 と加納が真由美にいった。 「それは野暮というものだわ」 と真由美は笑った。 戸口まで送ろうとする加納を押しとどめて、千野木はマリモを出た。 千野木が御堂筋の方に歩いて行くと、 「千野木さん、待って」 真由美の声がした。 真由美は小走りに追いつくと、千野木と肩を並べた。 「千野木さんが行く店って新地でしよう、私もアコに行くわ」 と真由美はいった。 この時、千野木は、加納と真由美の間に了解がついたのを感じた。 千野木を使おうとする会社の名前を教えることについて : ・ ライバル会社 「アリーに行くんでしよ」
「良いとも、家にでも来給え」 と待塚はいった。 0 会館の前で、千野木は待塚と別れた。 内田と親しかった男が、追い出した大池の庇護を受けている。 これはどういうことだろう。 ようや 御堂筋は漸く暮れようとしていた。 ・ヒルの窓々には灯がともり始めていた。 ひょっとすると唐津は、内田の退陣劇に一役買ったのではないか。 とすると唐津は内田を裏切ったことになる。唐津のような男なら、当然考えられるケースだっ 内田前社長が退陣した時に、重役で退陣したのは、長谷川取締役一人だけだった。後の重役は 全部大池についたのだった。 長谷川は、今どうしているだろうか。 標長谷川にも会わなければならなかった。千野木は地下鉄の駅の方に歩いて行った。 が、ふと思い直してタクシーに乗った。 マンではないのだ。タクシー代位にびくびくする必要はない。 巨もうサラリー ホテルに行くと、玄関前に警官が立っていた。 何処かの国の王様でも来たのではないか。 こ 0 ひご
千野木は一度行ったことのあるホテルの前にタクシ 1 を停めた。 ドアを押して中に入ると案内もこわないのに女中が現われた。 じゅうたん 赤い絨毯を敷いた長い廊下を歩き、階段を上った。一体、何部屋あるだろう。大きなホテルだ 二人が案内された部屋は二間あった。 さえぎ べッドルームとは厚いカーテンで遮られていた。千野木と真由美がソフアに腰を下ろすと、女 中が泊り料金を請求した。 三千五百円だった。一般のホテルに比べると安いようだが、昼から客が使用するので、大変な 儲けだった。千野木は七千円持っていた。 ホテル代まで真由美に払わすわけにはゆかない。 「二時間ほどしたら帰る」 と千野木は女中にいった。 「はあ、でも今からならお泊り料金をいただきます」 上 と女中は無表情に答えた。 千野木は二百円チッ。フを渡した。女中の表情が少し柔ぎ、お風呂を入れときましようか、とい 巨った。千野木は頷いた。 女中が去り二人は黙って顔を見合った。 千野木は真由美を欲してはいたが、まだそのムードにはなっていなかった。 うなず
234 「ほう、矢張りね、ああいう機械を扱うのは、やくざかい ? 」 「私のところにいって来たのは、若い女性だったわ、大学生だけどアル・ハイトでやっているん ですって」 「女子大生がね、驚いたな」 「そういう女性の方が、店だって安心するんじゃない ? 」 「そうかもしれないな、もし女子大生を使っているとすると、なかなか知能犯だな、儲けはど うなるんだい、置いた店の方も幾らか儲かるんだろう」 「ええ、四分六といっていたわ、お店の方が四分貰えるのね、客の入るお店だと、月に十万位 になるらしいわ、でもあの機械、法律で禁止されているんでしよう、お金にはかえられないでし 「案外、出廻っているね」 にく 「警察だって取締り難いんじゃないの、だって知らない人が来て置いて行くんだもの、機械を 置いて行った人が集金に来るまで、張り込んでいるわけにもゆかないでしよう、警察も人手不足 なのよ」 「そんなものかな」 と千野木は苦笑した。 しかし一台で月に十万になるとすると大変なものである。何台出廻っているのか知らないが、 はず 大儲けしている人間がいる筈だった。
「三百万だよ、そんな金で人間を売れるか ! 」 「他の重役は皆、受け取ったんでしようか」 「そりやそうだよ」 「唐津はどうして、内田さんの傷口を知ったんでしよう」 「それは、僕も知らない、社内で知っていたものがいるとすると、石上だね、しかし石上が外 部の人間に洩らす筈はないからね」 石上は取締役経理部長だった。 大池の子分であった。石上から大池、岡田に洩れ、唐津に伝わったのではないか。 唐津がそれを武器に他の重役達に迫った。 そう考えるのが妥当かもしれない。 「おかみさん、今からアンナに行くそ、千野木君の分も、僕の方につけておいてくれ給え」 「結構ですよ」 「構わないよ、僕だって今は、小さいが一国一城の主だ、さあ、千野木君行こう」 「かおりさんによろしく」 と圭子は長谷川にいった。 長谷川はこの時、かおりが内田の女だった、と千野木に告げた。 その時圭子の眼が光ったようだ。千野木は噂では聞いていたが、長谷川の言葉で事実を知った。 だから圭子は、かおりには良い感情を抱いていないのかもしれない。
確か一年近い前、松村と一緒にアリーで飲んでいた男だった。 その日は千野木は一人でアリーに行ったのだ。 松村とその男がいた。千野木が松村の席に行くと、松村が千野木にその男のことを紹介した。 からっ 「唐津さんです、会社のことで、色々めんどうをみて貰っている人ですわ」 と松村はいって、千野木を河内商事の課長だと紹介したのだった。 千野木は名刺を出したが、唐津は出さなかった。簡単に会釈しただけであった。 席が別なので千野木は直ぐ別れたが、余り良い感じを持たなかった。 色が黒く、表情のない男だった。もしそれだけなら、千野木は忘れていただろう。 だがそれから数日して、千野木は思い掛けず、唐津という男が、岡田と一緒に社から出て行く のを見たのだった。社の前には車が待っていた。 すると岡田は唐津を先に車に乗せたのだった。 ごうまん 岡田は傲慢な男だった。そんな岡田が丁重な態度を取るのは、岡田にとって大切な人物に違い よ、つこ 0 十ノ、刀ュ / 松村が千野木を紹介した時に、唐津が軽く会釈をしたのは、唐津が河内商事の幹部と親しいの で、千野木のような課長など、問題にしなかったのかもしれない。 後日千野木は、松村に唐津について尋ねた。 「昔から、私が世話になっている人です、えらい顔の広い人でしてね、おたくの社長さんとも 親しいですわー
外に出ると加江子が追いかけて来た。 「岡田は僕がいたこと、知っていたかい ? 」 、え、でもママが席についたから、話すかもしれないわ、店に飲みにくる位、構わないじ ゃないの、何か具合の悪いことでもあるの、おかしいわね」 「少しね、岡田は僕に、松村のことはロにするなと、しつこくいったんだ : : : 」 「どうしてかしら」 「秘密でもあるんだろう、ママは喋るだろうな、まあ仕方ないよ」 じちょう 千野木は自嘲気味にいった。 もし岡田が、千野木と芽久美の会話を知ったら怒るに違いなかった。明日は相当説教されるか もしれない、 と千野木は思った。 「何だか心配だわ」 「君は心配しなくても良いよ」 まっす 「今日は真直ぐ帰るの ? 」 「その積りだ」 標 真由美と会うことは喋る必要もないだろう。千野木は、加江子と別れて新地本通りの方に歩い 巨て行った。手帳を出し、真由美に教えられた店に電話した。女の声で、アコです、といった。 千野木は相村真由美が来ていないか、尋ねた。真由美はいなかったが、伝言があった。 千野木に、アコの店で待っていて欲しい、というのだ。場所を聞いて千野木はアコに行った。
250 と唐津が誘った。 「折角ですけど、飲み過ぎて頭が痛いんです、もう帰ります」 と千野木は顔をしかめた。 翌日千野木は真由美の電話で起された。 「昨夜は旨くいったわね : : : 」 「大丈夫だったかい、疑われなかった ? 」 「大丈夫よ、私ね、ひょっとしたら唐津と会わないかと思って、あなたを連れて行ったのよ、 私、昨夜色々と考えたんだけど、あなたが、松村建設の倒産に不審を抱いて、その原因を調べて にお いる、ということを、唐津に、私の口から匂わしておいた方が良いんじゃないか、と思った 「じゃ、どういうことになるんだい ? 」 「そうすればね、唐津はきっと、私にあなたがどういう行動をしているか、調べろ、というに 違いないと思うの、そしたら、私とあなたが会っていても不思議はないし、唐津は私を信用する 千野木は、自分だけが危険な立場におかれそうな気がした。 何だか、真由美だけが安全な場に立とうとしているように思えた。 真由美は千野木の感情を読んだらしく、
と真由美はいった。 きゅうかく 「良く分るね、君は大変な嗅覚を持っている、情報屋にびったりだよ」 と千野木は答えた。 「それは皮肉のようね。でもあなたがそんな皮肉をおっしやりたい気持、良く分るわ、ね、ま だ時間があるでしよ、一寸散歩しない」 と真由美が誘った。 御堂筋に出た。渡れば新地の ' ハ 1 街だった。 「散歩か」 きらめ 千野木は立ち停って空を柳いだ。徴かに星が煌いていた。だが、千野木が少年時代に眺めたよ うな美しい星は、最早大阪の夜の空には見られない。 「中之島公園にでも行ってみましようよ」 左に行けば中之島だった。 「そうだな」と千野木は答えた。 標二人は堂ビルの前を通り大江橋を渡った。市役所と川の間の道を東へ歩いた。 れんが 川の上を高速道路が通っている。川の向うは赤煉瓦の裁判所で、その隣の病院は売り払われて 大 はいきょ 巨廃墟のようになっていた。 四夜の散策には、良い季節であった。間もなく右手に図書館が見えた。その先が中央公会堂であ る。 もはや