社内で 千野木が松村建設の倒産を知ったのは、翌日の午後だった。 朝の間千野木は急用で取引先に行っていた。社に帰って来てから知ったのだ。 やつばりと思い驚いて電話を掛けたが、話中で通じない。 千野木は部長の待塚が来るのを待って、これから松村建設に行ってみようと思うが、と意見を 求めた。松村が社の上層部に喰い込んでいるだけに、この際、独自の行動は控えようという気持 があった。 く 「僕も今、石上部長と話して来たんだがね、松村建設には五千万の貸付以外、帳簿に記載され ていない金が、若干融資されているようだ。石上部長もその点はロをにごしたがね : : : 」 待塚は何となく沈痛な面持ちだった。 松村建設との取引は、待塚が第三部長になる前からで、松村が倒産したからといって、待塚の 標責任ではない。 なまして、課長の千野木に責任はない筈だった。千野木としては、良く一緒に飲み歩いた仲でも 巨あるし、松村建設の経営内容に、若干の疑惑を感じてはいても、ロをはさんだことはなかった。 ただ待塚には時折り、少し手を拡げ過ぎているとか、無理をして工事を引受けている点もなく はない旨、告げていた。 いしがみ
「いや、君よりも、僕の責任になる」 「部長そんな、部長に責任なんて」 責任を取るのは、松村を受け入れた上層部ではないか、と千野木はいいたかった。 松村は常務と親しいが、常務の一存で、これほど、松村に肩入れしたと思えない。 専務か社長の意見もあるだろう。 「サラリーマンて、そういうものだよ。これが、十億の損害となると責任の所在も変って来る がね、松村建設程度では、当然、僕が引受けなければならない」 千野木は返答出来なかった。 もし待塚が責任を取らされるなら、千野木だって安泰ではない。 待塚のことだから必死に庇ってくれるだろうが、千野木としては、待塚一人に責任を負わせて、 自分だけ課長の座におさまっているわけにはゆかない。 たけの 「ただね、僕が奇妙に思っているのは、松村は六年前に武野商事の下請会社にな 0 て、四年 前に下請を解かれている。ところが三年前にうちの下請にな「たということだよ。武野井商事と いえば一流の商社だ。その商社から下請を解かれた松村が何故、うちの下請会社になったか、そ れに内田社長が引退しても、相変らず下請会社でいる、何時かその間の事情を常務に尋ねたんだ が、松村はかまわないんだ、という返答だった。そういう点がどうもおかしい」 「ええ、それは僕も妙に思っていました、相田さんがいたら、幾らか御存知でしようね」 相田は待塚が部長になるまで第三部長だった。だが相田は昔から内田派と見られていて、内田 かば
このビルが建ったのは三年前で、かおりは、河内商事から融資を受けて建てたのだ。 かおりが河内商事から融資を受けられたのは、アンナが新地で屈指のクラ・フであり、経営内容 が確かな点もあるが、かおりが上層部に喰い込んでいたからでもある。 うわさ というより内田前社長との関係が噂されていた。 社長の大池始め、専務、常務などアンナに飲みに行く。 アリーよりも格の上では一段上だった。新地で店を始めてから、すでに十五年になる。 そういう関係で、かおりは、河内商事の地下に喫茶店を持ったのだった。 みどうすじ 御堂筋の傍だし、ビル街の真中なので河内商事以外の客もかなり多い 待塚と千野木は壁際の席に坐った。待塚は部長だが取締役ではなかった。 だから待塚も、上層部と松村とのつながりも、詳しいことは知らないようだった。 だが沈痛な待塚の表情は事態が容易でないことを告げていた。 「一番の原因は、勿論松村の経営内容が、うちではどうすることも出来ないほど悪くなってい たということだがね。石上さんは、直接の取引担当者が、何故今までぼやっとしていたんだ、と 上 いっていたよ」 石上は取締役経理部長である。 巨大池のお気に入りの部長だった。千野木は顔から血が引いて行くのを覚えた。 「申し訳ありません部長、僕が悪かったんです、まさかこんな事態になるとは。松村だけは別 格だ、と思っていましたので」
「部長、辞表の件ですね」 「そうだよ、岡田常務から電話があってね、しかし、僕は君に思いとどまれ、というのじゃな 、僕だって、そんなお人好しじゃないよ、安心し給え」 「ほっとしました : : : 」 「しかし一応、常務の意向だけは伝えておきたい、それに今後の君のことも心配だし」 「分りました、僕の方から参ります」 「そうしてくれるか、何ならタ食でも一緒にしながら」 「いや部長、今日は一寸約東がありますので」 「そうか、それじや今から会おう、もう部長は止せよ」 と待塚はいった。 待塚は会社でない方が良いというので、 0 会館のバーで会うことにした。 千野木は直ぐ家を出た。 ーに行ってみると、待塚はもう来ていた。待塚は温厚な笑顔で千野木を迎えた。 上 標二人はテー・フル席についた。客は殆んどなかった。 あわ 「常務はかなり慌てていたようだな、それで、君が思い直すなら、広島の支店次長の席を用意 大 巨しても良い、といっていたよ」 「どうしても、僕を大阪から離したいんでしよう、一度見切りをつけた会社です、もう、戻る 積りはありません」
リートコースを 笠原卓造は長身だった。東京の大学を出、会長の娘を嫁にした笠原には、エ まゆせいかん ふんいき 歩んで来た若手の重役らしい雰囲気があった。色は浅黒く眼は大きい。黒く長い眉が精悍さを与 くちびる えている。薄い唇が締っている。 びりよう ただ整った高い鼻梁に、この男の冷酷さと計算家らしい感じが現われていた。 加納が紹介すると、笠原は愛想良くソフアをすすめた。窓からは北大阪のビル街が眺められる。 千野木と会うために、わざわざこの部屋を取ったに違いなかった。 笠原はル 1 ムサ 1 ビスを呼んでコーヒーを注文した。 長い足を組み、外国煙草を吸いながら千野木を眺めた。 マン全体の問題です、松村建設の倒産を、待 「この度は大変だったでしよう、これはサラリー 塚部長とあなたに押しつけるなど、河内商事さんも、どうかしていますねー 「会社には、皆、そういうところがあります」 と千野木は答えた。 「そんなことはありませんよ、うちなど、そういう非情なことはしません」 上 標冗談じゃない、 と千野木はいいたかった。一億円の手形がばくられた時、武野井商事の総務部 長が責任を取って子会社に移っているではないか。 巨 武野井商事だって一緒なのだ。 「それで、河内商事さんの方を辞められる決心を固められたとか」 「一応その決心はしました、武野井さんの方で僕を迎えて下さるというので」 や
158 と告げた。 千野木は人事部長と一緒に、応接室で岡田と会った。岡田は不愉快そうだった。 「一体どういう積りなんだね、会社に対する反抗かい ? 」 「そんな積りは全然ありません、この辺りで、一仕事やってみたいという気持になったんです」 「一仕事というと、独立したいという意味かい」 「何をするかは、まだ全然考えていません」 「おいおい、そんな子供のようなことを、君、年を考えてみろ、今が大事な時だ、君が東京に 行くのがそんなに嫌ゃなら、素直にいえば良いんだ、社として考慮する余地はあるんだから、何 故、君は東京に行くのが嫌ゃなんだい」 「別に嫌やじゃありません、理由は今、お話した通りです」 千野木の言葉は事務的だった。態度も冷静だった。岡田はそれを自分への反抗と受け取ったよ うであった。 岡田は人事部長にいった。 「千野木君がそういう希望じや仕方がない、一応受理しておき給え、君はもう戻り給え、僕は 千野木君と、もう少し話しあいたいから」 人事部長が去ると岡田は作り笑いを浮べた。 「君が社を辞める決心をしたのは、松村建設の今度の事件に関係しているだろう、いや、隠し おもしろ たって分っている、君が面白くなく思っている気持は僕にも分るよ、しかしね、待塚君の場合は、 あた
業績の順調な会社の社員と、そうでない社員とでは、何となく顔付が違うような感じがするの ・こっこ 0 千野木の顔見知りの者もいて、おやっという表情で視線を向けたが、眼が合うと、とまどった ような、会釈をするともしないような表情で視線をそむけるのだった。 社員達は、千野木が辞表を出したのを知っているようだ。 あいさっ おそ 千野木に挨拶する社員もいたが、声を掛けられるのを怖れるかのように足早に去って行く。 彼等の気持は、千野木には良く分るのだった。 ただ大抵の社員は、馬鹿なことをした奴だ、と内心笑っているだろう。 どちらが馬鹿かは今に分るだろうと千野木は胸の中で呟いた。 人事部長は席にいた。明らかに千野木を待っていた様子だった。 千野木が傍に行くと、 「やあ、御苦労さま」 田と千野木の来社をねぎらうようにいった。そして人事部長は直ぐ席を立ち、岡田の部屋に連れ て行った。岡田も千野木を待っていたようだった。 「君の決心が変りそうにないので、辞表は受理することにした、大溝君、退職金を : : : 」 大 巨 人事部長はいったん部屋を出たが、直ぐふくらんだ封筒を持ってきた。 そして退職金の明細書を千野木に渡した。税金を引かれて百五十万円近くあった。 千野木は領収書に判を押した。 かれら
「男ですって、まるで浪花節のようね」 千野木はそれには答えず新聞の社会面に眼を通した。松村の記事はもう出ていない。 警察でも、自殺か他殺か事故死か分らないのだろう。この様子では多分、事故死ということに なり兼ねない。千野木は何となく、事故死という気がするのだった。 社会面には、千野木の眼をひいた記事が出ていた。相馬商会の横浜支店長が二億の手形を乱発 しっそう して失踪した記事であった。 相馬商会といえば、資本金百五十噫の一流商社だ「た。構浜支店長といえば、本社の部長クラ スであった。そんな地位にある人間が、何故自分勝手に手形を乱発したのか。新聞記事によると 手形・フローカーなどが絶えず出入りしていたという。 女だろうか、それとも、株か、商品取引に手を出していたのだろうか。 人生には、その人間が想像も出来ない、突発的な事故があるものだ。 そういえば、何年か前に武野井商事が一億の手形を。 ( クリ屋に盗まれたことがあった。 その事件は幸い新聞には掲載されなか 0 たが、業界の人間なら知っている。ただ何故、武野井 標商事ともあろうものが・ ( クリ屋などにやられたのか。それは秘密だった。 ただそれから三月後に武野井商事では人事異動があり、総務部長が子会社に移った。 巨つまり、責任者は総務部長で、詰腹を切らされたわけである。当時、確か松村建設は、武野井 商事の下請会社だった。 よ下請を解かれている。 その事件があって間もなく、松村建設を なにわぶし
は今まで、小説の上だけのことだと思っていたのだった。 その宿命的な悲哀が、今の待塚を襲おうとしているのだった。 もしこれで、待塚や俺が左遷されたりしたら、俺は黙っておれるだろうか、と千野木は思った。 電話のベルが鳴った。 松村建設への電話が通じたなら、知らせるようにいっておいた部下からの電話だった。 「課長、大変らしいです、松村さんは相変らず姿を消したままで、数え切れない債権者が押し 掛けているようです」 だれ 「電話に出ているのは誰だ ? 」 「営業部長の盛沢さんです」 「僕が直ぐ行くから、といっておいてくれ」 「分りました」 部下との話を終えて席に戻ると、待塚は立っていた。 「部長はお行きになりませんか」 「僕は行かない、しかし君は一応行った方が良いね」 「分りました」 待塚と千野木が二階の第三部に戻ると、課長代理が待っていたようにいった。 「課長、今、常務から直ぐ来て欲しいという電話がありました」 「僕にか ? 」 す もりさわ
「はい、課長にです」 常務から直接の呼び出しがあるというのは珍しい 松村建設の件だった。 うなず 千野木が待塚を見ると、待塚は黙って頷いた。千野木は五階の重役室に行った。 営務の岡田は背が低いが肩幅が広くがっちりした身体だった。ゴルフはシングル級の腕前で社 内一である。 まだ五十六歳だった。 岡田は内田時代は平取締役だったが、大池が社長になってから常務に出世した。昔から大池派 だったのである。 繊維部長、金属部長、と重要な職務を勤めあげたやり手だった。 何れは社長になるといわれている男で、大池の信任が厚い。 千野木が頭を下げると軽く頷き、 上 「坐り給え」 と傍の子をさした。 巨「失礼します」 千野木は腰を下ろした。 つや 丸顔で唇が厚く鼻頭が大きい。赫ら顔で艷は良いが、柔和な顔ではない。髪はまだ黒くふさふ いず あか からだ