名古屋 - みる会図書館


検索対象: 幸福の絵
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1. 幸福の絵

232 いかにも年輪を重ねた医師らしく、老いて落ちついた耐二の声が聞えてきた。 「突然、申しわけないと思ったんですが、実は比呂子のことで困ったことになりましてね」 「どうしました ? 」 短かく私は訊いた。サイン会で会った青年のことが頭に浮かんだ。 「実はね、比呂子が病気になりましてね、それが : どうも困った病気でして : : : 」 私の頭に今度は「妊娠」ということが浮かんだ。 「どうもね、それが、急性の白血病らしいんです」 「はあ」 と私はいった。 確かにその病名を認識した筈なのに、衝撃はすぐに来なかった。ただ厚い雲のような、ぼーっ としたものが私を包んだのを感じただけだった。私は静かに耐二の声を聞いていた。 はじめは歯グキが腫れた。血が止らず、高熱が出た。それがつづくので病院の歯科医は内科へ 廻した。内科で検査をしたら、白血病だった : 病院からの連絡で耐二はすぐに上京した。手許で十分の看病をしてやりたいので、特別の寝台 車で一昼夜かかって名古屋まで運んだ。それで今は比呂子は名古屋の病院にいる。本人はまだそ の病名を知らない。 耐二の説明には感情の軌跡がなかった。あまりに淡々としているので、私はきっとまだ希望が

2. 幸福の絵

という心配があったためもあります。ご機嫌よくご帰京なさいますよう、東京は今日は空ッ風が 吹いて、いよいよ師走らしくなってまいりました」 その手紙をハンド・ハッグに人れたまま、何日か私は持ち歩いた。それをいっ投函したかは記憶 にない。私の中には堂本への期待はまだ生れていなかった。ただ漠然とだが、堂本が満ち足りて いないことを私は察知していた。そしてその孤独はその時の私の慰めとなった。 比呂子のことを、誰もが明るくて素直ないい娘だと褒めた。実際に比呂子はそうだった。人々 がいったことは必ずしもお世辞ではない。のびやかで人見知りをせず、どんな環境にもすぐ溶け 込んで、自然に振舞うことが出来る性質は、私にも町子にもないものだった。彼女にはおのずか ら分を心得ているといったところが備っていた。だからうるさく感じたり、気を遣って負担に思 うことは全くなかった。欠点を探そうとしてもなかなか思い当らないような、そんな比呂子の性 絵質はどうして作られていったかについて、私はもっとよく考えるべきだったと思う。 福比呂子が自分について語ったことはあまりない。彼女がはっきり一一一口葉にしたことといえば、肉、 幸 殊に鶏肉が嫌いだということと、「名古屋の伯母さん」が大嫌いだということぐらいだった。し 的かし、「名古屋の伯母さん大キライ」という時も、彼女は明るく朗らかなので、聞いた方はつい

3. 幸福の絵

その夕方、堂本と私は、名古屋の、そこがどこともよくわからない街角に立っていた。喧騒と 埃の向うに濁った太陽が傾いていた。太陽はびつくりするほど大きくまん丸で、その暗くぼんや りした赤さは不吉を感じさせた。誰もそんな太陽の色には気を止めていなかった。今日も一日が 終りに近づいているのだ。だが街を行く人々は、一日が終ろうとしていることにも気を止めてい ない風だった。誰もが忙しそうに歩き、信号で止り、また気忙しく一斉に動き出す。 「どうする ? 」 堂本がいって煙草に火をつけた。 「コーヒーでも飲むかい」 「そうね」 私の気のない返事に堂本は疲れたかいといった。「疲れたかい」と堂本がいうのを今までに何 十度聞いたことだろうと私は思った。堂本はそれが癖になっている。そしてそう問われると「う ううん」と私が首を横にふることも。しかし「うううん」ということは今は私の疲労の印のよう 絵 「帰れるかい」 の 福と堂本はいたわるようにいった。 「帰れるわ」 「コーヒーでも飲むかい」

4. 幸福の絵

というのを聞いて我に返った。 「そう、そう、そうね、なにも大病というわけじゃなし : : : 」 と急いで私は笑った。 「堂本さんはどうしてるの ? この頃、テレビでもあまり見ないわね」 「劇団をやめるとかいい出してるわ」 私はいった。 「あのね、今、下に来てるのよ。丁度、仕事で名古屋へ来てたの、比呂ちゃんさえよかったら呼 んで来るけど」 比呂子は驚いた様子だった。 「会う ? 呼んで来ていい ? 」 比呂子は黙っていた。すぐに同意しない比呂子の心を私は測りかねた。私は比呂子が喜ぶとば かり単純に思っていたのだ。 看護婦が顔を出して医長の回診が始まるといった。病室を出て廊下に立っていると、耐二と路 子が向うから歩いて来た。二十年ぶりで会う耐二は鬢が白くなり、ゴルフ焼けをした広い額に深 い皺が刻まれていた。 「やあ」 と耐二はいった。

5. 幸福の絵

謝絶の札が掛っている扉も少くない。幾つ目かに中山比呂子の名札があった。私はドアをノック / さな控えの間があり、その奥に花模様の夏がけを したが、返事がないのでそっと開けてみた。ト かけたべッドのが見えた。 私は人って行った。仰向けに寝ている比呂子が目に人った。 「比呂ちゃん」 と私は呼んだ。比呂子はゆっくり頭を動かして私の方に顔を向けた。 「どうしたの ? 」 比呂子はびつくりしたようにいった。いつもと少しも変らない元気な声だった。 「あなたこそ、どうしたの はりつめた気持のまま、出来るだけ軽く聞えるようにいおうとすると、声が不自然に大きくな っこ。 「病気だって聞いたから来てみたのよ。仕事で名古屋まで来たものだから」 比呂子がいぶかしむようにいった。 絵 「誰に聞いたの ? 」 の 福「あなたのお友達だって人が電話をくれたのよ、人院してるって : : : 」 「誰かしら ? 電話した人って : : : 学校の友達かしら : : : 」 比呂子が考えようとして目を天井に向けた時、右側の白目に赤い血膨れが出来ているのを私は

6. 幸福の絵

「ああ、来てやって下さい。どうか、来てやって下さい」 耐二の声は男らしい父親の声だった。 「比呂子がそちらへ伺っていることを、実はぼくらは知っていました。路子の姪が東京にいるも のですから、その姪に比呂子が話していたんですよ」 「じゃあ耐二さんたちが知っているということを、比呂子は」 「いや、まだ知りません。こんなことになるのだったら、もっと早く、いってやればよかったと 悔んでいます」 「それでは私が耐二さんから連絡を受けて、見舞いに行ったということになると、比呂子はそん なに重病なのかと思うでしようね」 「ですから、比呂子の学校友達がそちらへ電話をかけたということにでもしていただけませんか。 何か、名古屋についでがあったので立ち寄ったとでもいう風に」 「わかりました。仕事の整理が出来次第、行きます」 電話を切った後、私は病に抵抗しようとする病人のように、二、三歩、無理に歩いた。 比呂子が死ぬのか ? そう思った時、堂本の顔が浮かんだ。あと一か月の命だと耐二はいったが、その言葉は私を取 り巻いている真空の環の向う側から、まだ私の心臓をみには来ないのだった。遭難者は明らか な絶望の中にいながらも、最後まで絶望を信じないにちがいない。庭のヘちま棚の下を家政婦が

7. 幸福の絵

「どんな夢 ? 」 「君に結婚しようといっているんだよ。するとね、今頃、そんなこといい出してももう遅いわっ て、クソミソにいわれてる夢だ」 私は低く笑っただけだった。そうして私はまた眠りに人った。 翌日は快晴の、暑い日だった。 昼近く、私と堂本はホテルを出て坂道を下りて行った。白く乾いている広い道幅を挟んで一筋 の街並があった。正午近い、強さを増しはじめた光の中に、古ぼけた木造の建物が並んでいた。 いずれも門口が広くて大きく、大きいままにさびれて、どの家にも人が住んでいる気配はなかっ た。建物の横に張った羽目板には薄緑の。ヘンキの名残りがあった。ペンキは剥げて雨に晒された 地肌がむき出し、白く縁どりした窓には、ガラスの代りに板切が打ちつけてあった。 「まるでゴーストタウンだな」 と堂本がいった。 「戦争中はここは賑やかだったんだ。海軍の療養所もあったしね。食糧難の頃でもここだけは魚 があるというので、大阪や名古屋から人が押しかけて混雑したものだ」 今、戸を閉している廃屋は、かっての遊戯場や土産物屋や旅館だった。コンクリートの広場に 休憩所が立っている。そこだけが新しい光に照らされているようだ。しかし人影はない。大の子

8. 幸福の絵

き、やがてどん詰りが来る。その時が近づいていることを私は予感していた。 残暑の中の名古屋の街は、まだ昼前だというのに息が詰るような熱い空気に蔽われて、濁った 金魚鉢のようだった。私と堂本は比呂子の寝室へ持って行く花を探して歩いたが、どういうわけ か、どこの花屋にも昨日の売れ残りのような花しかなかった。仕方なく私は見映えのしない蘭の 鉢植えを買ってタクシーに乗った。堂本が病院の名を告げた。 「堂本正さんですね ? 」 タクシーの運転手が・ハックミラーを覗き込みながらいった。 「どこかで見たことのある人だと思ったんです、テレビ、見てますよ」 「どうも」 「病院へ、お見舞いですか ? 」 「ええ、そう」 堂本は不愛想にそういっただけだった。 病院の玄関を人ると、堂本はここで待っているから、ひとまず一人で行くようにといった。彼 は比呂子の病室に耐二夫婦が来ているかもしれないことを思ったのだ。私は蘭を抱えてエレベー ターに乗った。受付で教えられた通りに、廊下を真直に歩いた。長い廊下の中ほどをガラスドア が重々しく遮っている。重いそのドアを身体で押すようにして中へ人り、また真直に歩いた。ガ ラス戸から内側は重症患者の病棟なのだろう。両側の扉はどれも閉されていて鎮まり返り、面会

9. 幸福の絵

堂本と「はやらないコーヒー屋」に坐っていた夜、私の留守中に比呂子が来たことを、翌朝に なって私は母から聞いた。その日は比呂子が家から戻って来る日だったことを私は思い出した。 比呂子は町子の宿題を見てやったりして、十時まで待っていたがよろしくといって帰って行った。 比呂子が持って来たごぼうの味噌漬の土産が茶の間の棚の上に置いてあった。 私があの町へ行ったのは、二十七、八年も前だ。私が嫁いで住むことになるその町について、 その時私は婦人雑誌の附録についていた全国都市案内で調べたことを覚えている。その町につい ては、 「特産、菊ごぼう」 と書いてあるほか、何の説明もなかった。 戦争が下り坂になり出した頃のー・・・・その中には晴れた日もあったろうに、思い出そうとすると うすら寒いような曇った空ばかりが浮かんでくる、そんな沈んだ時代だった。名古屋で結婚式を 挙げた翌日、初めて訪れたその町は、古ぼけて黒ずんだ木造の駅の、ガタゴトと音を立てる階段 を上って下りた改札ロの柵の向うに、一枚の陰画のように静かに凍てていた。ガランと広い駅前 広場からつづく商店は、売る品物がなくて半ば大戸を下ろしている所もあり、僅かに下駄の台や つけ木のようなものを並べているだけの店が、その淋しさのために目についた。とっかかりの店

10. 幸福の絵

子が不治の病にかかり、しかもあと僅かの命と知らされる。すでに、比呂子は名古屋へ運ばれ、 人院している。 〈私〉は比呂子を見舞いに行く時間をつくる。堂本も同行すると言う。〈私たちは逢引のために 一緒に旅に出るのではなかった。死にかけている娘を見舞うという目的があった。その不幸な事 実が私たちに正当性を与えていた。目的が何であれ、人の目に映る私たちの姿は同じであるに拘 らず。〉 車中の堂本の話の様子では、彼は仕事への意欲が落ち、疲れているようだった。〈私〉も、恐 らく彼の妻も疲労していた。〈三人の中の誰かが動き出さない限り、疲労は果しなくつづき、や がてどん詰りが来る。その時が近づいていることを私は予感していたじ 比呂子を見舞ったあと、〈私〉は悔いに襲われる。彼女は若い比呂子の人生の長さを当てにし て、もっと比呂子のために使ってやるべきだった時間を、もう人生の峠を越えた自分の恋愛のた めに平気で振り向けてきたのである。 かたがた 堂本は彼女を慰め旁々、蒲郡へ足を伸ばそうと誘う。世間の眼と妻の激しい嫉妬を怖れて、彼 は彼女との旅を約束しても、結局実行したことはなかったのだが : : : 。町もホテルも時代に取り 残されたような蒲郡での、二人の和んだ一夜は、〈私〉が遠からず堂本との恋愛を遂に打ち砕く ことになるのを、まるで比呂子が予覚して、二人のために和やかなひとときを贈ったかのような 深い印象を与える。